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【令和2年4月14日付】「芸術大学の名称」に対する本学の考え方についてー天文学・宇宙物理学の視点からー

2020.04.14

学校法人瓜生山学園に対する名称変更差し止め訴訟に関しまして,令和2年4月16日に大阪地方裁判所で予定されていた第3回目の弁論準備手続期日は,新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため取り消されましたので,御報告いたします。

さて今回は,「名前にこめられたもの」について,本学美術学部の磯部洋明准教授から,天文学・宇宙物理学の視点で意見を述べていただきます。人との接触を極力避けなければならないこの時期に,壮大な宇宙に想いを馳せながら読んでいただければ嬉しいです。

公立大学法人 京都市立芸術大学

理事長 赤松玉女

名前にこめられたもの

 

京都市立芸術大学

美術学部准教授 磯部洋明

 

私は美術学部に所属していますが,天文学・宇宙物理学を専門とする自然科学者です。

私の専門分野を天文学・宇宙物理学と二つの○○学を並べて紹介しました。天文学(astronomy)とは天の文学(literature)である,という言い方をレトリックとしてすることがあります。私はわりと好きな考え方なのですがこれは語源的に正確ではなく,元々は天の文様,すなわち天に現れる様々の現象を対象にした学問という意味になります。暦の作成や航海に必要だった天文学は,世界各地で古くから発達した学問です。これに対して宇宙物理学(astrophysics)は,物理学という手法を用いて宇宙のことを解明してゆく学問として,近代になってから使われるようになった言葉です。現代においては天文学と宇宙物理学はほぼ同じ意味で使われています。ただ最近は地球外の生命探査や人類の宇宙進出が現実的な学問分野になりつつあり,宇宙生物学(astrobiology)や宇宙人類学(space anthropology)という新しい分野が生まれています。学問の発展により,それを表す新しい名前がつけてこられたわけです。

 

太陽のように核融合によって自ら光り輝いている星を恒星,そして地球や火星のように恒星の周りを回っている天体のことを惑星と呼びます。夜空を毎日観察していると,星座を形作る星々の相対的な位置は変わりませんが,火星や木星のような惑星だけは他の星々とは違う動きをしていることが分かります。夜空を惑っているように見えることから惑星と呼ばれるのですが,実は惑星と同じ意味で使われていた言葉に遊星という言葉があります。惑っているのではなく遊んでいるというわけですね。遊星という言葉は戦後しばらくまで一部で使われていますが,最近はほとんど目にすることがなくなりました。実は明治時代に科学の専門用語を統一しようという動きが出てきた時,東京の学者たちが惑星を支持したのに対して,京都の学者たちは遊星を主張していたそうです。京都在住の天文学者としては,ぜひ多くの方に遊星という言葉も覚えておいて頂けたら嬉しく思います。

 

さて,ここまで取り上げた学問の名称も,惑星や遊星といった言葉も,一般的な名詞であり,世界に一つしかない固有の何かを指し示す名前ではありません。

 

現代の宇宙物理学がその基礎を置いている物理学という学問は,世界が無個性なものから成り立っていると考えます。生命や人間も含めてこの宇宙にあるあらゆる物質は,何種類かの基本的な粒子からできています。(全ての素粒子が同じ「ひも」のようなものの違う状態であるとする理論もありますが,ここではこれ以上踏み込みません。)物理学では,一つ一つの基本粒子は全て同じであり,宇宙のどこにあっても同じ法則に従うと考えます。こっちの粒子とそっちの粒子を入れ替えても,その粒子が形作る何かの性質が変わることはありません。完全に無個性な粒子たちが普遍的な物理法則に則って何かを形作っている過ぎないのに,人間や芸術作品のように一つとして同じもののない個性を持った何かが立ち現れることが,私たちの生きているこの宇宙のなによりも面白いところです。

 

星は星の数ほどあります。私たちが住む銀河系には,およそ100000000000個(1011乗個)の恒星があります。そして私たちから観測することが原理的に可能なこの宇宙全体には,およそ1000000000000個(1012乗個)の銀河があります。一つの銀河あたりの恒星の数が大体同じとすれば,宇宙全体にはおよそ1000000000000000000000001023乗個)の恒星があることになります。想像もつかないくらい大きい数かもしれませんが,皆さんが一口のワインを口に含むとき,その中に入っている水分子の数はおおよそ全宇宙の星の数と同じくらいです。(ゼロの数が一つくらい違うかもしれませんが,天文学はそれくらい大雑把な学問です。あと上の例は別にワインじゃなくてもいいのですが,ゴクゴクと飲む飲み物の場合は星の数よりだいぶ多くなりそうです)ただし水分子に個性はありませんが,恒星には個性があります。

 

遠くの銀河の中にある星を一つ一つ識別することはできませんので,1023乗個の恒星全てに名前が付けられているわけではありませんが,私たちの銀河系で地球の近傍にある恒星には,古くから名前がつけられてきました。はくちょう座のデネブやこと座のベガなど今日広く使われている恒星の名前は,実はアラビア語に起原を持つものが多いのをご存知でしょうか。たとえばアルタイルとかアルデバランのように「アル」がつく恒星名は多いですが,このアルはアラビア語の定冠詞です。星の名前にアラビア語が多いのは,古代ギリシャで発達した天文学が,中世ヨーロッパで学問の発展が停滞している間,中東・イスラム圏で保持・発展されて,後に再びヨーロッパに逆輸入されたという歴史から来ています。時代を超えた学問の継承の歴史が,その名前に残されているのです。

 

世界各地の文化が星の名前を付けていますが,天文学のように世界中の人々が議論する場では,同じ星を違う名前で呼んでいると混乱します。このため,国際天文学連合が世界共通で使う星の名前のリストを定めて公開しています(註1)。一方,世界各地で使われてきた名前もまた,その地域の歴史や文化が刻み込まれている大切なものです。日本でも織姫星(ベガ),彦星(アルタイル),すばる(プレアデス星団)など今でも親しみを込めて使われている名前があります。

 

肉眼で見られる恒星には古くから名前がついていましたが,望遠鏡を使わないと見えないような天体,特に太陽系内の小天体である小惑星は今でもアマチュア観測家による新たな発見があり,発見者が名前を付けることができます。面白いところでは「たこやき」や「フレディー・マーキュリー」といった名前があります。もちろん新しくつけられる名前にも,既存の天体名との混同や差別的な表現などの問題があってはいけないので,国際天文学連合が審査,登録しています。

 

近年,観測技術の発展により,太陽以外の恒星を回る系外惑星が多数発見されています。あらたに発見されたたくさんの系外惑星に名前をつけるキャンペーンが最近あったのですが,そこに日本からはアイヌ文化由来のKamuyと沖縄文化由来のChuraが入っています。実は最初KamuyKamuiという綴りで申請されていました。よく知られているようにアイヌ文化は独自の文字を持たなかったのですが,できるだけ正確な発音を表現するためにどういう表記をするのがいいのか,ということで学問的,そしてアイヌ文化尊重の観点から議論が巻き上がり,かなり例外的な措置と聞いていますが,応募後にKamuiKamuyに変更されるということがありました(註2)。名前というものがそこに込められた文化や歴史,そしてそれに関わる人々の思いを背負ったものであるがゆえに,その一字一句をおろそかにできないということを示すエピソードだと思います。

 

最後に少しだけ,大学の名称について私の考えを述べたいと思います。

 

名前とは,ある事物を他の事物と識別するという機能だけでなく,その事物にまつわる歴史や,その事物に何らかの形で関わりをもった人々の思いなど,様々なものを背負ったものです。

 

そもそも大学は誰のものでしょうか。法的な位置づけとは別に,大学にはその大学のことを「わがこと」として考える多くの人々がいます。何よりもまずそこで学ぶ学生と,巣立っていった卒業生,そしてそこで働く教職員。この人たちはすでにそこにある「大学」に所属しているのではなく,この人たちこそがその大学を形作っているものです。また大学は地域社会の一部としてそこに住む人々にとっても重要な存在であると同時に,世界中に拡がる知的ネットワークの一員でもあります。大学の名称は,それら全ての人々にとって大切なもののはずです。

 

大学というものを愛する一人の大学人として,その大学に関係する多くの方々が話し合い,大学とは誰のものか?大学の名称にはどのような意味があるのか?という問いについての深い思索と真摯な議論を経たうえで,名称の決定がなされることを望んでいます。

 

註1 https://www.iau.org/public/themes/naming_stars/

註2 https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/11015_exoworld

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