京都市立芸術大学芸術資源研究センター企画展 「Sujin Memory Bank Project #01 デラシネ —— 根無しの記憶たち」の報告

撮影:髙橋 耕平

芸術資源研究センターは,京都市立芸術大学移転プレ事業として,京都市下京区の柳原銀行記念資料館を会場にして,2016年11月12日から2017年2月19日にかけて,展覧会「デラシネ――根無しの記憶たち」を開催した。当初,会期は1月22日までを予定していたが,最終的に資料館の好意により会期を延長することになった。

会場となった柳原銀行記念資料館は,かつて日本最大規模の同和地区であった崇仁地域内に認可,設立された唯一の銀行である柳原銀行(1907年頃竣工)を移築,復元した建物で,1997年に地域の歴史,文化,生活資料を展示する施設として開館した資料館である。この資料館が管理する資料群の中には,崇仁地域に関する映像記録が少なからず含まれている。その中には,歴史的に重要な人物や建築物が写っているものなど,史料的価値の高い写真も含まれているものの,個人が寄贈した何気ない私的な家族アルバムも少なくない。こうした市井の人々の日常が写された私的な写真は,歴史的価値が判然としないがゆえに,整理・検討・活用されることなく死蔵されているのが現状である。本展覧会で展示したのは,大きな歴史の中では決して目を向けられることのない,こうした写真である。持ち主の手から離れ,根無し草=デラシネとなった匿名的で私的な写真たち。たとえ歴史的な事件が写っていないとしても,そこには生きられた時間が確かに漂っている。

展示会場には,キャプションのない数多の白黒写真群が6つの展示台に整然と並ぶ。これらの写真の大半はもともと数冊の家族アルバムに収められていたもので,今回の展示を構成するにあたり,アルバムから引き剥がし展示台の上に配置した。もちろん,事後的に元のアルバム上の配置を復元できるように記録した上で,であることは言うまでもない。展示台の上の写真の配置は,美的に撮影されたポートレート,集合写真,戦争に関するモチーフが写り込んだ写真,構成主義的な写真というように,内容的,形式的に緩やかに呼応するようなグルーピングを行なっている。また,壁面の展示ケースには,写真が剥がされ空白になったアルバムを収め,写真が本来のコンテクストから引き剥がされ浮遊していること,すなわち所有者の手を離れ「資料」となり,さらに,写真が家族アルバムから切り離されて展示されていることを明示した。加えて,崇仁地域に縁のある2名の人物に事前にインタビューを行ない,写真から自らの記憶,地域の記憶を語り起こしていく様子を録音した音声を展示会場に流した。

1月22日には,本展関連企画として柳原銀行記念資料館を会場にシンポジウム「アート/アーカイヴ/ヒストリー」を開催した。近年,歴史学的な観点からのアーカイブへの関心に加え,現代美術の領域でもアーカイブを参照した作品や展覧会が増えている。このシンポジウムでは,両者を架橋し,アーカイブについて改めて考えるべく,本展企画者である林田新と髙橋耕平(美術家)に加え,日本各地を渡り歩いて地域映像アーカイブに携わってこられた水島久光氏(東海大学文学部教授),「阪神・淡路大震災から20年」展(2014-2015年)や髙橋の個展「街の仮縫い,個と歩み」(2016年)といった阪神・淡路大震災に関する展覧会を美術館で企画してこられた江上ゆか氏(兵庫県立美術館学芸員)をお招きし,議論を行なった。

特に明確な問いを設けるわけでもなく,「放談」という形式で進行していったこのシンポジウムでは,本展覧会を軸にアーカイブを巡って多様な議論が展開された。そのひとつが「コンテクスト」である。通常,アーカイブでは原秩序を尊重し原型を保存することが原則として求められる。それに対して本展覧会では,被写体やもともとの所有者についてのコンテクストを何も説明することなく,家族アルバムにまとめられていた写真群を,それらがそもそも属していた個人史的なコンテクストから切り離して展示を行なった。崇仁で展示を行なうにあたってこうした方法を採用したのは,アーカイブを実証的な資料とみなし,そこから個人史を掘り起こすという作業が,被差別部落における差別の構造と一致してしまうからである。それゆえ本展では,文字情報も最低限に抑え,具体的な過去を実証的に語ることで観客に地域の歴史,個人の歴史を教示することはしなかった。こうした本展におけるアーカイブの在り方に対して水島氏は,歴史的事実の証拠とみなすのとは異なったアーカイブとの出会い方を観客に提示しようとしているのではないかと指摘された。すなわち本展において観客は,写真のまとまりをまとまりとして体験し,そこに観客がさまざまに解釈を積み重ねていくことで新たな認識フレームを生成していくような体験――それを水島氏は「アーカイブ体験」と呼ぶ――が生じる可能性があることを指摘された。江上氏は,自身が企画した展覧会について言及しながら,作品が制作された時点のオリジナルなコンテクストではなく,それ以外のものに着目してきたとお話された。すなわち,作品の価値は制作時において決定されているのでは決してなく,その都度の観客の眼差しに応じて常に変化するのであり,美術館に作品が収蔵されるということは,展示ごとの観客の経験をアーカイブしていくことが重要なのである。その他にも,体験の場としてのアーカイブを具体的な展示方法としていかに実現するのか,あるいは,観客の体験をアーカイブすることはいかにして可能なのかといった問題,さらには,アーカイブ的な作品では,作者の固有名がアーカイブ体験よりも作者の意図の読み解きを誘ってしまうということ,「アーカイブにおける当事者とは誰か,誰に了承を取ればよいのか」という問いに対する水島氏の「地域の肖像権」というアイディア,体験としてのアーカイブを実践する上での適切な規模についてなど,極めて示唆に富む議論が展開された。

今回のシンポジウムでは,写真研究者,美術家,メディア研究者,美術館学芸員とそれぞれの立場から,かつさまざまな領域を横断しながらアーカイブについて議論を行なった。その充実した内容のすべてを要約する余裕はない――シンポジウムの文字起こしを含む本展覧会の記録集を刊行する予定である。いずれにせよシンポジウム全体を通じて一貫していたのは,アーカイブを過去の資料が堆積した静的な貯蔵庫として捉えるのではなく,そこから何かが生成する動的な場として捉えようとする態度である。歴史的事象についての実証的な資料群としてのアーカイブではなく,体験を通じて過去の時間が現在に立ち現れてくるようなアナクロニスティックな生成の場としてのアーカイブ。こうした考え方は,今後,このプロジェクトを進めていくうえで,非常に示唆に富むものであった。

(芸術資源研究センター研究員 林田 新)


会期|2016年11月12日(土)-2017年2月19日(日)

企画|林田 新,髙橋 耕平

主催|京都市立芸術大学芸術資源研究センター,柳原銀行記念資料館

協力|石谷 治寛,石原 友明,桐月 沙樹,齋藤 智美,関口 正浩,高嶋 慈,山内 政夫

助成|平成28年度京都市立芸術大学特別研究助成

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