第18回アーカイブ研究会「5叉路」の報告

第18回アーカイブ研究会は,ベルリン在住のアーティスト,前田岳究氏を招いて行った。前田氏は2001年以後,アーティストデュオ”Jay Chung and Q Takeki Maeda”として,「美術のなかにある物語」についての作品を制作している。本研究会では,彼らが作成した,あるスクラップブックに関わる作品の制作プロセスについてお話しいただいた。 

このスクラップブックについて,2017年にstatementsで開催された彼らの展覧会のプレスリリースはこう述べる。「1963年,西山輝夫は親友と訪れた展覧会「第15回 読売アンデパンダン」に衝撃を受けて以来,フルクサスやネオ・ダダイズム・オルガナイザーズなど前衛芸術の展覧会に一人で足しげく通うようになりました。熱狂的な美術ファンになった西山は,美術業界の人とは一切関わりを持たずに,当時の中でも最も過激で気鋭な芸術活動を追いかけ,詳細なメモを取り,配布物を収集し,展覧会の全ての作品を撮影する等の方法によって記録を残しました。その後,東京を離れ岡山県へ転勤することになった西山は,2年間撮り貯めた記録を独自の方法によってスクラップブックにまとめ,その稀有な記録を個人的に保管していました。西山の残した記録のいくつかは,偶然にも他に資料が残されていないという理由からも,現在では美術史にとっても非常に重要なものとなったのです。」

2017年,前田氏らはこのスクラップブックを実物大で複製し,その英訳版,ならびに同じ手法で2017年に東京各地で行われていた展覧会を記録したスクラップブックと合わせ,作品《scrapbook》として展示した。同作はその後2018年,国立国際美術館の40周年記念展「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」でも展示されている。

前田氏にこのスクラップブックの存在を紹介した慶応義塾大学アートセンター(当時)の上崎千氏によれば,このスクラップブックは,日本の現代美術を専門にする研究者の間ではよく知られたものだったという。当初西山氏は,誰にも見せることなく,写真を売りこむこともなく,個人的な記録としてそれを保管していたが,それは徐々に,あまり記録が残っていない前衛芸術作品についての,とりわけ写真資料として貴重なものとして知られるようになっていった。それは,美術業界の人にとって(そしてほぼ,業界の人にとってのみ)重要な意味をもつ公的な記録資料へ変化したのだ。

だが,個人の記録が公的な記録になるという点(あるいは物語)だけが,前田氏の興味を惹いたのではない。彼の興味を惹いたのは,このスクラップブックに見られる厳密な方法論――タイトルがあり,その写真があり,日付と作品名を記すという手法――もさることながら,西山氏が仕事としてでもコレクターとしてでもない立場から,この記録を作っていた,ということだった。

スクラップブックにはちょっとした覚書や,作品やパフォーマンスについての簡単な説明もあるが,それは一貫して主観を排したものである。以前から「観客が現代美術をどう理解しているのか」に関心があった前田氏にとって,このスクラップブックは,他に類を見ない,圧倒的な存在感をもつものだったのだ。なぜ西山氏は,このように厳密な方法論と熱心さで,現代美術を記録したのか。それは彼と現代美術との関わり方をあるやり方で示しているのではないか,と前田氏は考える。だがその熱心さの理由について西山氏は,「私は美術の人間ではない」とだけしか述べなかったという。

現代芸術に関する貴重な記録としてだけでなく,観客の側から現代美術がどう見られているかを考えるためのマテリアルとして,このスクラップブックの存在は稀有なものなのだ。そこには,個人と美術の関係について考えるための,一人の個人がどのように現代美術に触れ,そこに何を見たのかについての,他の人間をも触発する記録がある。問題は,この類例のなさに対して,私たちがどのようなふるまいを接続できるか,であろう。公的意味をもつ記録として,アーカイブに収蔵すべきなのか。現代美術を見る個人の経験を示す研究資料として,学問的/権力的に分析すべきなのか。美術家の手によって,このスクラップブックを資料的な作品として美術館に展示しなおすのが適切なのか。それそのものを複製するだけでなく,その方法論を用いて新たな記録をつくるという,Jay Chung and Q Takeki Maedaによる二重の試みが,そのいずれでもないことは示唆的である。

(芸術資源研究センター准教授 佐藤 知久)

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