森村泰昌 三つの場所について ―新長田,釜ヶ崎,崇仁,訪問レポート―

三つの場所について

―新長田,釜ヶ崎,崇仁,訪問レポート―

「下町」とは何だろうか。これは,昨年,「下町芸術祭」の参加依頼をいただいたとき,私の頭に最初に浮かんだ問いだった。

この芸術祭は,神戸の新長田を中心に展開される催しだったから,新長田界隈が,主催者によって「下町」として捉えられていることになる。確かに新長田は,神戸近辺の山手の高級住宅街とは雰囲気が異なるし,真新しいビル群が立ち並ぶ都市の中心街といったイメージからも遠い。より庶民的であったり,昭和の風情が残っていたりする。新長田は,後述するように震災の影響を受けているため,町の在り様が複雑であり,また東南アジアをはじめとする海外からの移住者が多いという特徴もある。それら様々な要因が,「下町的なるもの」を作り出しているのかもしれないが,「下町」って何なのか,結局,私にはよくわからなかった。

そこで,この芸術祭に参加するにあたり,最初に試みたのは,新長田にこだわらず,他地域の「下町」にも行ってみることだった。私なりに「ここは下町」と思える場所を訪ね,その印象を比較してみることで,何か手がかりが得られないかと考えたのだった。

私が訪れたのは,新長田の他に,大阪の釜ヶ崎と京都の崇仁地区。いずれも,私がささやかではあるが関わりを持つ場所であった。この二箇所には,新長田とは異なる,それぞれに特徴的な場所性がある。しかし,そうした各所間の相違ではなく,新長田,釜ヶ崎,崇仁の三つの場所が持つ共通点を探し出してみることで,「下町」とは何かを探ってみたかった。

その結果報告をすると,三つの場所が共通に持つ特徴とは,「いずれもが,開発と忘却のはざまで揺れている」という点であった。

新長田は,阪神淡路大震災(1995)の際に被害にあったエリアがあり,その一帯は,震災後,新しく開発されたが,道一本を隔てただけで被害を免れたエリアのほうは,ほぼ古い下町の風情のまま,今に至っている。

被害のあった再開発エリアと,そうではなかった場所との差異は,外部者である私の目にも歴然としていた。そういう事態の詳細な検証の前に,そもそもそのような二様のイメージがひとつの町に出現してしまっているということ自体に,災害の悲劇の痕跡を痛切に感じずにはおれなかった。

釜ヶ崎と崇仁の場所性は,新長田とは少々成り立ちが違う。両者は,長い期間,重要な例外を除き,大多数の「日本人」が触れることを避けてきた場所であった。ところが最近,前者の場合は,外国人観光客の増加や,隣接エリアに予定されている大手ホテルの建設が,町を大きく変えようとしている。また後者の場合は,京都市立芸術大学の移転先として予定されており,この大学移転を契機に,京都の新たな文化ゾーンとして生まれ変わることが期待されている。経済と文化の相違はあるにせよ,「開発」によって,かつてあったその土地の記憶の上に,なし崩し的に別の何かを上書きしてしまうかのような印象を持ってしまうのは,私だけだろうか。

以上のような訪問体験から,果たして「下町」の何がわかったのかと問われても,正直なところ,私にはその答えはまだ見つかっていない。今後に残された課題は多いと言わざるを得ないが,そのこととは別に,このレポートの最後に付け加えておきたいことがある。

それは,唐突かもしれないが,保守と革新の逆転現象に関する戸惑いについてである。

上記拙文から誰もが受け取るメッセージは何かといえば,それは,「開発」批判ではないだろうか。そして「開発」とは対極にある「下町」の擁護ではないだろうか。だとすれば,私自身も気づかぬうちに,私のメッセージあるいは価値意識には,何か言い知れぬ捻れ現象が発生してしまっているとは言えないだろうか。

元来,改革とは,旧態然として身動きの取れない状況を打破するための,急激な変化の実践のことを指す。そして保守とは,変化を出来る限り緩慢にし,現状維持をはかろうとする態度のことを言うのではなかったか。

ならば,活性化を生み出す「開発」には否定的で,緩慢な変化や現状維持を求める「下町」志向を擁護するというのは,保守の精神の見事な実現であると言うことにならないか。同じところに立ち止まらず,もっと先を目指そうとする芸術家の端くれとして,いわば改革派を自認していたはずの私が,これではいつのまにか保守化しているということなる。この捻れ現象と,いったいどのように向き合えばいいのだろう。

「下町芸術祭」において私が関わるプロジェクトの最終的な発表は,東京オリンピックが開催される前年,平成時代が終わる2019年に予定されている。その時,どういう着地にいたるのか。2017年の「下町芸術祭」はひとまず幕を閉じたが,私には大きな宿題が残されたわけである。

(芸術資源研究センター客員教授・特別招聘研究員 森村 泰昌)

ページトップへ戻る