塩見允枝子 オーラル・ヒストリー

大阪府箕面市の塩見氏自宅にて
インタビュアー:柿沼敏江、竹内直

塩見允枝子(しおみ・みえこ 1938年~ )
作曲家
岡山県出身。東京芸術大学楽理科在学中に小杉武久らとともに「グループ音楽」を結成し、即興演奏を行なった。また独自のイヴェント作品にも取り組んだ。64年ニューヨークへ渡り、「フルクサス」に参加。イヴェント、インターメディア、パフォーマンス、作曲など多様な活動を行なっている。現在大阪府在住。「フルクサス」としての活動、音楽作品、また独自の「トランスメディア」の概念についてお話しいただいた。

Interview : 2014年12月1日 / 2014年12月2日

柿沼:では、昨日の続きということで、昨日きちんとお伺いできなかったことがありまして。それはキットにいろんなものを詰めるということで、塩見さんの場合は白い箱にいろいろお詰めになって。塩見:いろいろというか、イヴェントのカード、それだけなんです。

柿沼:お写真とか。

塩見:写真が1枚、それはイヴェントに使う写真なんです。

柿沼:ああいうような形のものを、マチューナスがキットということでお考えになったようなのですけれども、あれはどういう発想なのでしょうか。

塩見:彼が住んでいたニューヨークのキャナル・ストリートは問屋街で、プラスチックの箱だとかトランク、その他いろいろな素材とか既製品を売ってたんですね。それがすごく安く手に入る。彼は、この前も申し上げましたように、安くあげないと、自分の給料だけで作っているわけですからね。作家には絶対に要求しないの、制作費はね。だから安くあがるということと、作家が提供するスコアみたいなものは文字の数も少ないし、いくら追加してくるかも分からない。ですから閉じた形の本みたいにすると困るわけですね、追加が来た場合に。箱にしておけばオープンだから、後からいくらでも入れることができるわけでしょ。実際、私のイヴェントのボックスにも63年に印刷したものと64年に印刷したものとが混ざっているんです。
一つずつの小さな箱に作品をリアライズしてオブジェクトにしたとするでしょ。そうすると、例えばお菓子なんかでもそうだけど、バラバラよりも、少し大きめの箱に彩りよくアソートしたほうがデラックスに見えるし素敵でしょ、人に送ったりしやすいし。ということで彼はトランクとか大きな箱に目を付けたんじゃないかなと、これは私の想像なんですけどね。それ以外にマルチプルを作る手段はなかったように思うんです。あれはキャナル・ストリートというあの環境がマチューナスに働きかけて、それと作家たちが次から次へと作品を提供して、必然的にああいう形態のマルチプルができたのではないかと思うんですね。その発想は、私がまだ日本にいる1963年に《エンドレス・ボックス》を最初に送ったときに、「僕はそれをトランクに入れてキットにして、いろんな作品を詰め合わせて出そうと考えているので、たくさん作って送ってくれ。1個20ドルで買うから」と言ってきましたから、(その時点で既にあったわけです)。

柿沼:そのときにもうそれを言われていたわけですね。

塩見:ええ、そのときに彼の中には、トランクに詰め合わせて作品集を作ろうという発想があったんです。

柿沼:塩見さんもそれをおやりになったし、靉謳さんも触覚のとかで箱にしていらっしゃるし、いろんな方もそういうことをなさったわけですね。

塩見:いろんな方といっても、箱やトランクに詰め合わせるエディションを作ったのはマチューナス自身ですよ。作家は作品やコンセプトを提供しただけで。ただし靉嘔さんのタクタイル・ボックスなんかはご自分で作製されましたけど。キットの中の木の仕切りは全部靉謳さんが作ったんだとおっしゃっていました。マチューナスは、ノコギリを使って木を切って組み合わせるというような、いわば大工仕事みたいなことは、おそらくしないんじゃないかと思うの。靉謳さんなんかはお得意だから。

柿沼:では、仕切りをするのは靉謳さんの発想。

塩見:(発想はマチューナスだったでしょうね。でも手仕事としては)靉謳さんがなさったと彼は言ってましたね。木を扱える人は少なかったと思いますよ。

柿沼:ご著書の中に「フルクサス星団」と、星の団というふうにおっしゃっていて。これは「Constellation」を訳されたものかなと思うのですが、そうではない?

塩見:いえ、違いますね。私自身の自発的な発想として、いろんな個性的な星たちがたくさん集まっている、だから全体として「星団」というふうに言ったわけで。

柿沼:では「Constellation」ではなくて、「星団」と言ったということになりますか。

塩見:「コンステレーション」というのは星座、形を持った星座ですよね。私のイメージの中には特定の星座、神話を伴っているある形という意味のものはなかったの。だた、1カ所に星たちがやたらいっぱい集まっている、遠くから見たらぼんやりと光の粒々が見えるだろうというような意味で言ったわけで。私は「コンステレーション」という言葉は、そのときはあまり意識していなかったように思うんです。

柿沼:ディック・ヒギンズは《Constellation》という作品をたくさん作っていますね。

塩見:作品はありますね。

柿沼:それはどういう意味だったのでしょうか。

塩見:さあ、それも本人に聞かないと分からないですね。

柿沼:分からないですよね。ケージやカウエル(ヘンリー・カウエルHenry Cowell, 1897~1965)も「Constellation」という言葉を使っているんですね。なので、たぶんそういうのを聞いていてヒギンズが使ったのかなと私は思っておりまして。

塩見:そうかもしれませんね。

柿沼:一度聞いてみたいと思っているうちに亡くなってしまって本当に残念です。では、日本にお帰りになってからですが、1965年に「フルックス週間」というのを秋山さんと山口勝弘さんがやっていらっしゃいます。秋山さんはもちろんフルクサスに関係があったのですが、山口さんがここにかかわってこられたというのは何か理由があるのでしょうか。

塩見:山口さんも一時ニューヨークに行っていらして、オノ・ヨーコさんなんかともコミュニケーションがあったんですね。フルクサスとしては活動はなさらなかったと思うんです、時期的には(フルクサス結成より)少し早いので。それより日本のあの当時の状況というのは、音楽も美術も映画の人も舞踏の人も、みんな現代芸術という括りでもって縦横にコミュ二ケーションがあったんですね。ですからジャンルが違っていても、お互いに出会って一緒に活動するということはごく自然なことだったのです。

柿沼:ああ、自然にかかわってこられたって感じですか。

塩見:そうでしょうね。

柿沼:特にフルクサスと自分が思っていたわけではない。

塩見:ご自分はフルクサスのメンバーとはおっしゃっていませんね。秋山さんも、ランズベルギスさんとご一緒にお話ししていたときに、「僕はフルクサスのメンバーではないけれども、ちょっとかかわりがあった」と(自己紹介していらっしゃいました)。ですから作家としてフルクサスに作品を提供しているというわけではなくて、帰る間際になって、フルクサス・シンフォニー・オーケストラのときに、「お前が指揮者になれ」とマチューナスから言われて、小澤征爾さんのところに行って習って指揮をしたということで、その時点ではフルクサスに深いかかわりがあったという方ですね。

柿沼:そうすると、フルクサスと「実験工房」のメンバーというのはそういう形で交流はあったということですね。

塩見:そうですね。あのお二人は実験工房の方ですから、昔からのお知合いというかお仲間で。

柿沼:自然にそういうことに協力し合う、そういう関係にあったということになりますね。

塩見:そうですね。

柿沼:1966年に「ハプニング・コンサート」をされていまして、やはり秋山さん、山口さんがかかわっていらして、靉謳さんもいらっしゃって。そのときに硫酸銅を水槽に入れる作品をやっていらっしゃいますが、これは何という作品なのでしょうか。

塩見:《コンパウンド・ヴューNo.1》です。

柿沼:これが《コンパウンド・ヴューNo.1》ですね、分かりました。それが《水たまりのイヴェント》を発展させたものとおっしゃっているのですが、そういうことでよろしいのでしょうか。

塩見:そのときは4人のパフォーマー、秋山さん、山口さん、靉謳さんと私。お互いにてんでに違ったリズムでもって立ったり座ったりするという・・・・・。

柿沼:それは同じ。

塩見:そこから発想したというか。初期のイヴェントというのは非常にシンプルなもので、時間的にも短いし単一のものなんです。それをコミュニケーションという点では《スペイシャル・ポエム》に発展させた。今度はパフォーマンスとしてイヴェントをもう少し発展させたいという気持ちがあって、それでいくつかのイヴェントらしきものを(組み合わせて)少し長めに複雑にしたんですね。

柿沼:それで水槽の周りに4人が集まって、立ったり座ったりする。

塩見:いえ、それだけではなくて、まず水槽の水の中に硫酸銅の結晶を入れてブルーにして、水温計で測って、20℃だったかしらね、声に出して読んで。そして水槽の上には剥製の鳥がぶら下っているんですが、鳥にスウィングの運動を与えると、ステージライトが消えて、皆がスポットライトを持って青い水のほうに光を向けながら、勝手なリズムで立ったりしゃがんだりするの。スウィングが止まりかかったときに、パフォーマーの1人が剥製の鳥に光を向けるわけですね。それは照明さんに対する合図でもあり、ほかの人に対する合図でもある。それをやっているときは、イスは水槽からぐっと引いた位置に置いてあったのですが、今度はイスを水槽のあるテーブルの近くに持ってきて、タバコを出して、タバコの上に言葉を書くんですね。何という言葉だったかな。う~ん、「アムステルダム」「トマトソース」「午前2時」「らせん」という4つの言葉をそれぞれ書いて、それをマイクのところで(順番に)読んで、それから一斉にタバコに火をつけて吸うわけですね。そしてタバコに書いてある文字が消えたら、消えた人から退場するっていう、そういう作品(笑)。

柿沼:それもポエティックですね。

塩見:そういうものだったんですね。

柿沼:その言葉をどういうふうに選んでらっしゃるのかという。

塩見:その当時は、そうだなあ、どういうふうにして選んだかな。

柿沼:「アムステルダム」というのは、例えば。

塩見:特にアムステルダムに執着があったわけでも、行きたいと思っていたわけでもないんだけれど、私にとってこういう単語、具体的なイメージを想起させる単語というのは、ちょうど音と同じように・・・・・単音をいくつか一緒に鳴らすと和音になりますよね。そうするとある響きが生じる。それと同じように、言葉もいくつか重ねるとある種の響きというか、世界を作るわけですね。それはどちらかというと、お互いのイメージを裏切るような単語のほうがより面白いというふうに感じて。「アムステルダム」と「トマトソース」って、この二つは何? と思っているところに「午前2時」、ワーオという感じで、そしたら「らせん」、えーっ、らせん?っていうように、関係のない言葉、関係がないんだけれどもそこに何らかの緊張感を生むような、そういう言葉を集めるのが好きだったわけですね。

柿沼:面白いです。それから69年に「インターメディア・アート・フェスティヴァル」と「クロス・トークフェスティヴァル」に参加されて《夢の増幅No.1》と《夢の増幅No.2》という作品を出品されています。ここでは様々な電子メディアが使われていると同時にモールス信号を使われている。これはどういうふうにして使おうと思われたのですか。

塩見:モールス信号はね、実は子供の頃に父が話をしてくれたんです。昔は通信手段として(よく使われてたんですって)。例えばSOSだと「トトト・ツーツーツー・トトト」でしょ。モールス信号というのは長と短の組み合わせでできていて、打電すると、それが遠くにいる船なんかにキャッチされて、意味になって聞こえる、意味になるような約束事になっていると。だけど、それぞれの文字の間をどのくらいあけるかは、人によって多少違うんですって。だから通信士たちの間では、「その間の取り方によって、誰が打ってるかが分かるそうなんだよ」って父が言ったの。それを聞いたときに、すごく面白いというか、「わあ、素敵な世界だなあ」と思って。モールス信号で意思を相手に伝える、これは素晴らしい発明だというふうに思って。それはとても音楽的なリズムだし、実際、ラジオでも聞いたことがあるし、古い映画の中のシーンだったかな、実際に打っている場面を見た記憶があるんです。いやあ、ほんとにいかにも交信しているというか、メッセージを音で伝えてるっていう感じでね。私、モールス信号の大ファンだったの(笑)。父の影響なのよ。

柿沼:そうなんですか。これが最初の作品ですか、モールス信号を使ったものとしては。いくつかお使いになっていらっしゃるようですけれど。

塩見:そう、それ以後はずっと使っています。まるで私のサインみたいに、どの曲にもちょこっとモールス信号を使ったり、フルに使ったりね。最近は、間を少しあけるのではなくて、短い音符、長い音符だけで、むしろ抽象化されたリズムとしてモールス信号を使っているのもあります。

柿沼:このときに機材の操作をされていたのが松平頼暁(1931~)さんなのですけれども、松平さんがあとでモールス信号をお使いになるようになるのですが、たぶんこの後だと思うんですね。

塩見:そうです、そうです(笑)。

柿沼:ひょっとして私の思い違いかもしれないのですけれども、松平さんはここから発想を得られたのかなと。

塩見:モールス信号のリズムによる音響機材の操作を、湯浅(譲二、1929~)さんと松平さんにお願いしたんです。お二人で並んで座って、この《Amplified Dream(夢の増幅)》というタイトルをモールス信号に直した(スコアーに従って、ダイヤルを)操作していただいたのですが、そのときに彼はモールス信号に対して興味をお持ちになったのかもしれないし、或は既によくご存知だったかもしれないし、それは私からは何とも言えないわ(笑)。憶測でものを言うのは失礼だから。

柿沼:そうですね、私もそう思うので、どうなのかなと思いまして。はい、ありがとうございました。それからフルクサス関係のいくつかのフェスティヴァル、ご自身でおやりになったり、また参加されたりしているのですが、1992年には「エクセレント1992」。

塩見:これは私も招かれたんですけど、ちょっと家の事情で行けなかったの。

柿沼:そうなんですか。

塩見:それで是非録画を送って欲しいとお願いして、ビデオテープを送って頂いたの。

柿沼:何カ所かで、コペンハーゲンとかいろんなところでおやりになっていますね。

塩見:何カ所かでやっていますね。

柿沼:じゃあご自身の作品はここではやられてないという。

塩見:《バランス・ポエム》というのがメニューに含まれていたかな? 「アラカルト」といって、レストランみたいに(椅子とテーブルが並べられている空間にお客さんはいるのね)。で、テーブルには作品とその料金が書いてあるメニューが置いてあるの。そこへウェイターやウェイトレスたちが注文を取りにきて、注文されたら作家がそこへ行ってパフォーマンスをするということなんですね。

柿沼:レストラン形式と言うのはそういうことですか。

塩見:そうなんです。

柿沼:それから、94年に「フルクサス・メディア・オペラ」をされています、ジーベックホール(神戸)で。これは「国際電話による遠隔フェスティヴァル」ということなんですけれど、ストックホルム、ニース、パリ、ケープ・ブレトンから参加ということなのですが、具体的に誰がこの電話で参加されているのでしょうか。

塩見:えーっと、ちょっと待ってくださいね。最初に、パリからエステル・フェラー(Esther Ferrer, 1937~)が。たしかスペイン語で数を数えながら、チーン、チーン、チーンと鐘を鳴らして。ニースからはジャン・デュピュイ、彼は自分のアナグラムの詩を朗読して、それに対して森下明彦さんが映像を付けられて、まあ二人のコラボみたいな感じでね。それからケープ・ブレトン島からはジェフリー・ヘンドリックス(Geoffrey Hendricks, 1931~)が。これはディック・ヒギンズの《ゴング・ソング》のインストラクション「一方の足を前に出して、それに体重を移し、もう一方の足を前に出して、それに体重を移し・・・」というのを、英語で延々と反復してくださったの。パフォーマーたちには、予めその意味を伝えておいて、彼からの電話の声が聞こえたら、まずはパフォーマーがそういう動きでもってステージというかホールを去ってロビーに出る。で、終わったら、「お客様もどうぞ」と、今度は私が引き継いで日本語でナレーションをして、パーティーフードの置いてあるホワイエのほうへ皆さんを誘導したんですね。で、そのときに面白かったのは、センサーが仕掛けてあってね。非常に不自由な動きでしか歩けないのに、(人がセンサーを横切る度に)楽しいダンス音楽がいっぱい流れてくるの。そこがちょっとミソだったんですけどね。ほんとに踊りだしたくなるような音楽の中で、その声に従ってそういう(ゆっくりしたロボットのような)歩き方しかできないというのが。

柿沼:今年のフェスティヴァルでもやりましたよね。私も参加しましたけど。

塩見:あ、そう、ありがとうございます(笑)。

柿沼:聴衆が参加するということでやっていましたので。

塩見:もう一つ、これはストックホルムのベングト・オヴ・クリントベルグ(Bengt af Klintberg、1938〜)が、ちょうどその時期南仏にあるご兄弟の別荘へ行っていたので、その別荘からの電話で参加してくださったんです。これは《Calls—Canto1》 (コールス—カント1)というタイトルの作品で、「離れたところにいる二者がお互いに呼びかけ合う。そしてその仕方を次第に複雑にしていく」という作品なんですね。最初はこちらが「お~い! ベングト」と呼びかけると「Hello! Mieko, How are you?」とくるんです。今度は二人で、(次は五人で、というように次第に人数を増やしていって)、最後は30人が一緒になってひたすら、「お~~~い! ベ~~~ングト」って叫ぶんです。それに対して、彼にはこちらのパフォーマーたちの名前を伝えてあったものですから、一人一人の名前を呼んでから、「How are you?and you?and you?and you?and you?・・・・」っていうふうに、まるで歌うように楽しい抑揚をつけて、彼なりに複雑化して返事してくれたんです。こちらはジーベックですから、エコーかけたり、声にいろんな電気的な処理を施したのですが、ベングトは一人ポツンとパリの別荘の中で呼びかけてるのに、こちらからの声がだんだんと大きくなって、変形の仕方も複雑になって、しまいには「ぎゃーっ」というような声になって、終わった後は「すごい高揚感があった」って感激して手紙をくれましたね。

柿沼:これは当時ですから電話回線を使ってやったのですね。

塩見:もちろん、電話回線です。ホールの中に(わざわざ引いてもらって)。

柿沼:今でしたらインターネットとかスカイプとかできると思うんですけども。

塩見:そう、もちろんできますよね。ただ、私思うんだけど、今みたいに(グローバルな)コミュニケーションの手段が便利になって日常的になってしまうと、わざわざそうしたメディアを使ってパフォーマンスなんかやっても、新鮮みがないように思うのね。だから不便な時代というのは返って豊かな発想が生まれてくるんじゃないかと思うんです。《スペイシャル・ポエム》だって、あれ今だったら発想しないと思うけど。

柿沼:アリソン・ノウルズの紙のドレスを着たことがあるそうですが。

塩見:あれは(京都で行なわれた「International Paper Symposium’95」の中で)、アリソン(アリソン・ノウルズ Alison Knowles, 1933~)が紙を使ったパフォーマンスをするという会だったから。だから<ニュースペーパー・ミュージック>もやったし……

柿沼:じゃあパフォーマーとして参加されたということですね。

塩見:そうです。彼女が演奏の協力を頼んできたので、私の家へ泊まりがけで来てもらって打ち合わせをしたの。彼女の書いた詩を二人で掛け合いで朗読する作品なんか、発音からずいぶん仕込まれましたね。いい経験になりましたよ。二人で代わり番こに(彼女の詩を読むんだけれど)、単なる朗読でなくて歌うようにとか、自由に発音してくれていいって。本番では彼女は相当崩してましたけどね。

柿沼:そういうのってたぶん記録はされてないと思うんですね。日本でやってるし、紙の展示会みたいなところでやっていらっしゃるので。

塩見:京都のちゃんとした会場、国際交流会館でしたかしら。お客さんも知った人は全然いませんでした。音楽会じゃないからね。ペーパー・シンポジウムだから。

柿沼:芸術家というかアートの人たちもあまりお見えになっていないということで、全然知られてないものじゃないかと思ったのですが。

塩見:でも彼女のパフォーマンスは面白かったと思いますよ。そう、あれは9月頃じゃなかったかと思うんだけど。(発見された資料によると、アリソンが来たのは1995年10月1日。彼女のパフォーマンスは10月5日)。 私、ヨーロッパ行きが近づいていて、(18日からのパリのドンギュイ画廊での)個展の前だったもので忙しかったんだけれど、でもまあ彼女の頼みとあらば、ということでうちへ来てもらったの。夜、ピアノの置いてあるレッスン室でお話ししてたんだけれど、庭からコオロギの鳴き声が聞こえてくるわけ。彼女、それがすごく気に入ってね。だから本番でも、みんなで会場の中に座って(コオロギのような音をたてることから始めたいと言い出して)、「もっと暗くしてくれ」と要求したの。もちろん日本語しゃべれないから、私が通訳して照明係の人にそう言ったら、「規則としてこれ以上暗くはできない」と言われて。で、アリソンに「そう言ってますよ」と言うと、「これじゃダメだ、もっと暗くしてくれ」って。闇のイメージがあったんでしょうね、それを実現したかったんだと思うの。で、照明の人と少しやり合って、ついに照明の人が折れてかなり暗くしたの。危ないからこれ以上暗くできないというのに暗くしたの。ところがアリソンは、階段状の客席のほうに上がっていくときに案の定つまずいて、足の指先を痛めちゃって。そんなこともあったけど、でも、結構満員のお客さんだったし、(皆さん、恐らくは見た事もないような珍しいパフォーマンスを、とても楽しんでいらっしゃる様子でした)。 <ニュースペーパー・ミュージック>という作品は、いろんな国の言葉の新聞を数人の人達が、アリソンの指揮に従って朗読するというもので、紙のシンポジウムのオーガナイザーが集めた人達によって演奏されました。(他に覚えている作品としては、<ボディー・アート・ミュージック>といって、床に置いた大きな紙の上に二人のパフォーマーが箒などの物体を持って折り重なるようにして横たわるの。そしてもう一人のパフォーマーがその輪郭をなぞるように紙に描いて、それが終わると、紙に描かれた図形を観客に見せるの。で、それを誰かがグラフィック・スコアーとして歌ってもいいし、何かの楽器で演奏してもいい、という作品なんだけれど、これは私がオカリナのソロで演奏しました)。

柿沼:アリソンさんも紙の衣装というのを着られたんですか。

塩見:いいえ。アリソンがうちへ来たときには、こんな大きな紙をいっぱい持って来たの。重そうだったわね。そのときに彼女は、「作曲家はいいわね。A4くらいの紙を数枚持って移動すればいいだけだから。私たちは大変なのよ。こんなに重い荷物を持って旅行しなくちゃいけないんだもの」って。確かにそれは重かったわ。和紙で梳いたんですよ、彼女自身が。

柿沼:アメリカで。

塩見:アメリカで。和紙で梳いて、その中にはいろんなものが織り込んであるの。たぶん木の葉っぱだとか、そんなようなもの。カラフルだし、すごく厚い紙なんですよ。だから重いの。それでもって衣装を作るんだ、と。(会場で)、「モデルが必要なんだけど」と言うから、「モデルだったら背が高くて、若くて素敵な人達がそのへんにいるじゃない。誰かに頼みましょうか」と言ったら、「ダメだ。これはパフォーマンスだから、あなたじゃなきゃダメだ」って言うの。そう言われたらしょうがないわね。下は木綿の黄色いTシャツと白いズボンを履いてくれと。裸足だったかな。で、ステージに立たされて、「これから着せていくわね」って。私、そういう何かをされる役ってやったことがないでしょ、ステージの上で。何かをする役はやったことがあるけれど。だから「どういうつもりでいたらいいんだ?」って訊いたら、「そうね、あなたは感じることはできる、でもあなたは自分を表現することはできない、そういう存在だと思ってくれ」って言われて。なるほど、これはアリソンの胎児だな、とか思って(笑)。で、されるままにボーッと立ってたの。腕もこういうふうに持ち上げられると、そのままの姿勢で自分では一切動かさないの。単なる物体になって。そして足も引っ張られて、大きなズボンというか靴というか、それがつながったようなものを履かせられるんだけど、私が何もしないものだから、なかなか足が動かないのね。そしたら彼女が「足を上げて」って小さな声で囁くの(笑)。前のほうで聞こえてた人たちはクスクスって笑ってたけどね。で、とにかくされるままになっていたら、紙で作った袖だとか(帯みたいなもの)とか、いろんなものを着せられているのが分かるのね。でも全然見えない、足許さえ見ちゃいけないんだから。私はただ客席の一点を、焦点の合わない目で見つめているような感じでボーッとしてたんですね。終わってから、いろんな人から「きれいだった、きれいだった」と言われるの。「わあ、どんなにきれいだったのかしら」と思ってね。

柿沼:自分では見えないから。

塩見:自分では見てはいけないから。そしたら誰かが、薄暗い写真だけど撮って、あとでくれたのね。確かにきれいな、袖もこんなに大きいし、帯のようなもので絞められていたり、確かに素敵な衣装でした。だから(自作の)紙で、そういう衣装を(作りながらモデルに着せるという)パフォーマンスだったのね。

柿沼:フルクサスのメンバー、そうやってほかのメンバーの方のを演じてみたり、自分のをほかの人がやってくれたり、そういう協力関係があっていいですね。

塩見:ありますよね。殆どの作品は一人じゃ絶対できないから、誰かが自分の作品をやらなくちゃいけないとなったときには、みんなが必要な部分を助けるのね、助け合うの。ベン(ベン・パターソン Ben Patterson, 1934~)もビリアード・プレーヤーになってくれたしね。エリック(エリック・アンダーセン アンデルセンとも Eric Andersen, 1942~)も録音したビリアードの音の操作を担当してくれたわ。以前は藤枝(守、1955~)さんの例の位置センサーとコンピューターでもってちゃんとすごい音を出してくださったけれど、94年にニューヨークのメカスのコートハウス・シアターでフルクサスのレユニオン・コンサートをやったときは、そういうテクノロジーが全然使えなかったので、(事前に日本で)息子にビリアード場へ行って録音してもらって、そのテープをエリックに再生してもらったの。合図を送るんだけど、「送られたら、どれくらいの時間出せばいいのか」というから、「ミニマム1秒、マックス5秒」と言ったら、「オーケー」って。ほんとに理想的に、音量を上げたり下げたりしてビリアード場の音を出してくれたわね。こういうパフォーマンスはぶっつけですからね、その場に行って「誰がいいかな」って物色して交渉するわけ。で、「いいよ」って言ってもらえれば、「じゃあ、お願いね」ということで。それはお互い様でしたね。

柿沼:それから2001年に《フルクサス裁判》をされています。この裁判形式でパフォーマンスしようというアイデアはどのように練られたのでしょうか。

塩見:その前に集団でパフォーマンスしたのは、ジーベックの《フルクサス・メディア・オペラ》ですよね。あれとは全然違ったタイプにしようということで、低予算だったものだからジャンクピアノを借りてきて、ピアノをある程度破壊すること。それとたくさんのパフォーマンスをつなぐ何かいい形式はないか、ということで裁判形式にしてはどうかと思ったんです。翌年の2002年というのは40周年なんですね。ここで自分で自分を裁くのも面白いんじゃないかと。でも、人間が裁判の告発文をしゃべると生々しくて、ちょっと学芸会みたいになっちゃうから、ここはクリストフ・シャルル(Christophe Charles, 1964~)さんにお願いして、コンピュータの合成音声で告発文を作っていただいて、それに対する答えとしてパフォーマンスをする。そうすればそれぞれに違ったパフォーマンスもある意味統一されるわけだし。
(音による中断)

柿沼:2002年がちょうど40周年にあたるので。

塩見:そう。だから裁判を、パフォーマンスをつなぐための形式として使ったわけです。

柿沼:ピアノを破壊することも40年ぶりにやろうということだったわけですね。

塩見:そうそう(笑)。ただしピアノ屋さんとの約束で、「このピアノは、ノコギリで部分的に挽いてもくぎを打ってもいいけれども、全体の骨組みを壊されたら困る」と。つまり2人の人夫さんが所定の車のところまで担ぎ出さなくちゃいけないので、ズタズタになって崩れるようなことになっては危ないからということで、破壊の仕方にもある程度の制限が加えられたわけですね。

柿沼:そういうことでおやりになったわけですね。

塩見:そうです。

柿沼:で、今年の「フルクサス・イン・ジャパン2014」になるのですけれども、これを開催しようということの経緯を教えていただけますでしょうか。

塩見:実は、日本で「フルクサス・フェスティヴァル」を行なうというのは、靉謳さんの悲願だったのね。つまり彼は、私もそうだけれども、海外のフェスティヴァルには何度も何度も呼ばれて、とても立派に待遇していただいたわけなんです。ところが日本では一度も開かれてない。2012年に彼が東京都現代美術館で回顧展を開いたときにも、実は開催しようと努力なさったらしいんです、もちろん学芸員さんも一緒にね。ところが予算のこととかいろいろありますでしょ。ですからそのときは実現できなかった。
で、たまたま今年は美術館の20周年記念だということと、東京都歴史文化財団からも予算が下りて可能になったので、靉謳さんと西川美穂子(東京都現代美術館学芸員)さんと(ギャラリー360°の菅谷幸さん)が密に交流を取りあって企画なさったらしいんです。で、誰を呼ぶかというのが問題で、いろんな人に一応メールを送ったそうなんですが、ただみんな年取ってますでしょう。もちろんアリソンなんかにも声をかけたんだけれど、返事は、「彼女はニューヨークでは元気で活動しているけれども、日本へ行くのはちょっと無理だ」ということで。ベン・ヴォーティエにもメールを送ったんだけど、返事も来なかったし、ミラン・ニザック(Milan Knížák)も来る予定だったんだけれど、直前に病気になってとても出られる状態じゃないと。日本はやっぱり非常に遠いんですよね、ヨーロッパ、アメリカからするとね。そういうわけで結局、一番元気なベン・パターソンとエリック・アンダーセンが来たわけです。

柿沼:今回新しい作品もされているのですけれども、フィリップ・コーナー(Philip Corner, 1933~)の《ペタリ・ピアニッシモ(Petali Pianissimo)》、これは花びらを使ったとても美しい作品でしたけれども、これを今回はどう解釈なされたのでしょうか。

塩見:彼が2000年ぐらいに送ってくれたスコアの中にこれがあったんですね。私、今回はこれを是非取り上げたいと思って。「ペタリ」というのはイタリー語で花びらの複数形ですね。「ピアニッシモ」をどう解釈したらいいのかと。これはいわゆる「最弱音で」というピアニッシモとして弾かなくてはいけないのか、それを例えばvery pianisticと解釈してもいいのか、というふうに問い合わせたんですね。そうしたら、「I love that interpretation. Put it into your version.」という返事が来たんです。「could also refer to the petals.」。花びらに関してもペタリッシモ、very flower、つまり非常にたくさんのフラワーという意味かしらね。大量のflowerでvery pianisticに弾いてもいいというようなお返事だったの。だから一応ピアニスティックに。

柿沼:素晴らしい演奏だったと思います。

塩見:いえいえ、とんでもないです。

柿沼:それから、新作の《多元的ロンド》というのがありまして。やはりコーナーの作品で使った花びらも使ったり、縄跳びを入れて、ロンドの旋回というのを表したりするような作品でした。これについて少しご説明いただけますか。

塩見:実はこれの元になっているのは、2012年に同じ場所でやった《ウォーター・ミュージック/ヴァージョン2012》という私の作品なんです。真ん中に水槽があって、5人のパフォーマーたちが水槽から離れた所に五角形に位置取って、カード上の水に関連する短い言葉を読んでは、ちょうど輪投げのようにしてカードを水槽の中に入れるんですね。当然、外れますよね。そうすると今度はみんながそこへ集まっていって、外れたカードだけを拾って、だいたい同じ枚数に分配して、一応元のポジションに帰るんだけれど、その後で5人が一斉に一つずつポジションを変わるわけです。パフォーマーAはBのポジションに、BはCのポジションに、というように。そのときの彼女たちの移動はカッカッと、リズムと言い動きと言いとても生き生きとして奇麗で、ちょうど五角形のものがクッと動いたような感じで、回るというのはいいなあ、というのがまず頭の中に残ったんですね。
それでこの曲では、ピアノの三本の脚に縄を括り付けて、それを廻しながらピアノの周りで縄跳びをしようと。縄を廻すリズムを統一するために、ピアニストが20種のアルペジオを何度も繰り返しながら弾く。(それに合わせて、3人のパフォーマー達がリフレインを歌いながら、或はときには花やスパイスの名前を叫びながら縄を廻すの。4人目が出て来て、やはり歌いながらその縄を跳んでいって縄を廻す役を交替する、というように)、幾つかの旋回を同時にやったんです。アルペジオも旋回だし、縄跳びの縄自体も旋回だし、それからパフォーマーたちがピアノの周りを縄跳びしながらクルクル回るというのも旋回だし、そして前の曲でむしられて、鍵盤の上に落とされて、さらに床に落とされた花びらも、回り回って今度は花となって咲く(花の形に床の上に並べられる)という、輪廻転生みたいな意味のロンドという意味もあって、「多元的ロンド」と名付けたんですね。

柿沼:もう一つ、《幽閉された奏鳴曲》というのがあるのですが。

塩見:ハハハ!

柿沼:本当にピアノが包まれてしまいましたが、あれはどういうお考えだったのでしょうか。

塩見:あれは、2002年の《フルクサス裁判》で、数人の男性パフォーマーたちが壊していくピアノで、私は《ムーンライト・ソナタ》の第一楽章を弾いたんですね。そのときの騒音、(ノコギリでゴシゴシ切られたり、釘がガンガン打ち付けられたり)、電気ドリルでガーッなんて穴を開けられる、その騒音の中で、あの静謐な曲を弾くというのはすごい快感だったの(笑)。でも私は同じことはなるべくしたくないんですよ。で、この快感を誰か他のピアニストに味わわせてあげようと思って、アンサンブル・ノマドの稲垣(聡)さんという方にお願いしたんです。今度は、自分は騒音をたてる役になろうと思って(笑)。美術館のピアノは、壊すわけにはいかないんですけど、内部奏法はOKだというので、いろんなものを持ち込んで三人でまるで非音楽的な騒音を。つまりノイズによって《ムーンライト・ソナタ》を幽閉する。それだったら、「ピアノや演奏者達も一緒に、ヴィジュアルにも幽閉したら面白いんじゃないか」というので。あれはガーデニング用の遮光ネットなんですけれど、それを自分で縫って作って、二重の意味で《ムーンライト・ソナタ》が幽閉されるということにしたんです。(もっと言えば)、月の光が遮光ネットによって遮られたということにもなりますかね。パターソンが、「僕はあの曲が一番面白かった」と言ってました(笑)。

柿沼:ああ、そうですか。すごく楽しいコンサートで楽しませていただきました。本当にありがとうございました。

塩見:ありがとうございます。

柿沼:では、私からはこれくらいにして、音楽作品について竹内さんから聞かせていただきたいと思います。ちょっと休憩を入れたほうがよろしいですか。

(休憩)

竹内:では、よろしいですか。私のほうから特に音楽作品について。今までは柿沼先生からフルクサスでの活動を中心にお伺いさせていただいたのですけれども、私のほうからは、塩見さんの創作活動の、本の中に書いていらっしゃいます「突然音が甦ってきた」という、とりわけ70年代の終わりの頃からのことからお話をお伺いしたいと思います。1978年に《ファントーム》(Phantom)という作品と《鳥の辞典》という作品を書かれています。このあたりの作品について少しお伺いしたいのですが。

塩見:《ファントーム》というのは、非定量記譜法で書いた作品で、これはシナリオを自分で作って、それをドイツ語に翻訳していただいたの。歌ってくださった岩田隆子さんという方は、長い間ウィーンにいらした方で、「日本語では歌いにくいからドイツ語がいいな」というので独訳していただいたんですが、これはどちらかというと一人芝居のモノオペラのようなものです。それをまず作って、そしてその次に今度は初めて・・・・。

竹内:五線譜で初めて書いた作品と書かれています。

塩見:そう、五線譜で初めて書いた作品なんです、《鳥の辞典》は。これはマクミラン・ディクショナリー(Macmillan Dictionary)という英語の百科事典から20羽の鳥を取り上げて、その鳥はどこそこに生息していて、体長何センチメートルで、何を餌にしてという、ほんとに簡単な文章を歌詞として歌うわけです。曲はABC順になっていて、「アルバトロス」(アホウドリ)とか「キャソウェアリー」(ヒクイドリ)とか、それぞれの鳥の名前そのものを、サウンド・ポエトリー風に分解したりして、それをテキストと絡み合わせているんです。歌い手も、非常にアリオーソに歌う部分とナレーションする部分と、時には擬声というか擬音というか、鳥みたいな声も入っていて。

竹内:声の鳴き真似みたいなものもありますね。川崎(弘二)さんとのインタヴューの中に、一部鳥の声をテープに録音したものを使ったこともあると述べていらっしゃいます。

塩見:確かに使ったこともあります。例えば、ドードーなんかは絶滅した鳥ですから、これをextinct、xtinct、tinct、inct、nctというふうに一つずつ頭の文字を消していって、だんだん消滅するというふうに。声も次第に・・・・。

竹内:ディミヌエンドしながら言葉が消えていく。

塩見:ディミヌエンドすると同時に言葉が消えていくというようなやり方を、それぞれの単語についてやっていますね。これは言葉の実験というか、歌曲というよりも半分はサウンドポエトリーみたいな感じです。だから歌い手さん泣かせなんですよね。歌い手さんは3声ぐらいを同時に歌い分けなくちゃいけない。もちろん同時に歌うことはできないですから、さっと別の声部に移ってということで、歌うのは非常に難しい。でも、聴いている人にとっては3つの違った歌い方というかナレーションの仕方が続いているので、よく聴けばそれぞれがつながって聞こえる(筈なんです)。この手法は、後で気がついたんだけれど、テープの切り貼りをしているとき、つまり3本ぐらいの違った音色のテープを切ってそれぞれ順番につぎはぎして再生すると、結局こういうことになるんですよね。

竹内:昨日も少しテープの音楽の構造のお話をされていました。

塩見:ええ。そういうときの経験が無意識のうちに出たのかなとも思うんですけどね。

竹内:この作品の20曲目、《キツツキ》という作品で、モールス信号のリズムがやはり使われていて、先ほどと関連してくるのですけれども、五線の作品の中でやはりモールス信号を使われたということなのですけれど、これが初めてですね。

塩見:そうですね。これが最初ですね。

竹内:では五線譜で最初に書くということについては、作品の構想の段階からいろいろお考えになっていたことというのもあるのですか。例えば言葉と音楽の問題であるとかということで何か考えられていたのかなと思いまして。といいますのは、ご本の中で、初めて五線譜で書かれた作品であると仰っていますので、塩見さんの作品の中でやはり言葉と音の問題というのはいつもテーマになっているのかなと思うのですね。

塩見:そうです、そうです。

竹内:ですから初めて五線で書かれた作品の中に、先ほどサウンドポエトリーとおっしゃいましたけれども、音と言葉の問題を反映させているというのは、何かそのときに感じられていたことがあったのかと思いまして。

塩見:その前の時代に、インターメディアといって、音と言葉と映像とか光とか電子的な装置とか、いろんなメディアを組み合わせて、大掛かりな作品を作っていたのですが、こちら(大阪)に来てからはそういう仲間もいないし、やっぱり扱いにくいんですよね、電子的な装置とか光や映像なんかは。だから自分が扱いやすい素材ということで、音と言葉を選んだんです。「これからは音と言葉を使って作曲していこう」と。最初はモノオペラみたいな、どちらかというと音よりも台詞が重要になる曲を書いたんだけれども、その次はもう少しそれとは違った、ピアノも入れた作品を作ろうというときに、《鳥の辞典》を考えついたんです。鳥は、私もう大好きで。鳥ほど素晴らしい音楽家はいないと思うぐらい。今でも道を散歩してて、時々聴き慣れないすごく素敵な声が聞こえると、思わず足を止めてじーっと聴き入るの。こんな微妙な音程で、こんなに自由にさえずってて、うまいなあというか、彼らは天才だなって、ほんとに感心しちゃう。時々私も真似するんだけどね、逃げちゃうの。「ヘンなのが来た!」というので逃げちゃうのよ(笑)。

竹内:鳥が音楽家だということですぐに想像するのはやはりメシアン(オリヴィエ・メシアンOlivier Messiaen, 1908~1992)なんですけれど。

塩見:メシアンでしょ、そうそう。

竹内:やはりメシアンの音楽というのは先生の中では何か。

塩見:メシアンには憧れてはいましたよ。でも彼みたいにシステマティックに鳥の鳴き声を採譜して、それをどうこうというようにはならなかったんですね。というのは彼がもう十分やってるから。それを超えられないかぎりはやっても意味がないみたいな感じで。メシアンは、好きな部分とあまり好きじゃない部分とあるんですけどね。

竹内:そのお好きでない部分というのは、逆にどういうところがお好きでないのでしょうか。

塩見:でもこれメシアン批判になるから、ちょっとねえ……(笑)。あるとき、武満(徹)さんの音楽会があったのね、亡くなった後。武満さんとドビュッシーとメシアンと、三人のオーケストラの曲が大阪で演奏される機会があって。(それを聴いていて)、もし彼らの音楽の音の肌理を、布地の素材や織り方でいうと、ドビュッシーは化繊だと思ったのね、薄い化学繊維。メシアンはドンゴロス、この言葉お分かりですか。

竹内:ドンゴロス……

塩見:太い繊維で丈夫なの。穀物なんかを入れる袋によく使っていたような非常に強い布なの。ある意味で強引なのね。で、武満さんはシルク、絹だと思った。非常にやわらかくて光沢があって、洗練されていて。だから三人の音楽を繊維に例えて、そのとき直感的にそう感じたの(笑)。

竹内:そうなんですか。テクスチャーとその色合いとか肌触りとかそういうことですね。

塩見:そうそう、音の織り込み方をね。そういうふうに思った。

竹内:いまのは非常に面白いお話でした。では、そのまま作品についてお伺いしていきたいと思うのですけれども、78年の《ファントーム》と《鳥の辞典》の次の年に合唱曲を書かれています。《もし我々が五角形の記憶装置であったなら》ですね。あともう一つ、《午後に 又は 夢の構造》。先ほども少しお話が出ましたけれども、その2曲を書かれています。その作品の周辺のことについてお伺いしたいのですが。

塩見:《もし我々が五角形の記憶装置であったなら》というのは、「ケルンのコレギウム・ヴォカーレ・ケルンという五重唱団が作品を欲しがっているので書いてくれないか」と、ある共通の友人から頼まれまして。このときはすごく作曲に気持ちが乗っていたときだったので、1曲ごとに自分としては何か新しい実験をしたいわけです、全体のコンセプトも音の内容もね。で、5人をそれぞれ、ある特定の母音を持つ単語をたくさん内臓している記憶装置だというふうに考えて、それぞれが、自分が内臓している単語を(スコアー通りに発音したり、歌っていくんです)。そしてこの記憶装置がどこかに遭難してるような状況を設定して、「自分たちはこれからどうしたらいいか」ということで、「どうすれば私たちのエネルギー源を手に入れることができるかしら」とか、「プルトニウムの代わりに花粉を使うことができると思うか」とか、5人がお互いにいろんな議論をするんです。それもヘルムートとか、ミカエラとか、歌い手さんの実名でもって。

竹内:少しSF的な広がりもある作品ですね。

塩見:SF的な、そうそう、そういう一種のイメージを持った作品で。座ったまま歌うオペラみたいな感じでもあるんです。

竹内:テキストが、ケルンの合唱団からの委嘱であるにもかかわらず、英語になっていますね。このあたりの言語の選択については何か考えられたのですか。

塩見:私ね、英語だとなんとか文章を綴って、ネイティヴの方に間違いがないかどうかチェックしていただくことはできるんですけども、ドイツ語は全然書く自信がなかったので。だから「この議論の部分は母国語でやってもいいです」という指示もしてあるんですね。

竹内:録音ではたしかドイツ語で会話がされています。

塩見:ええ。でもあとは単語ですから、ドイツ人の方はだいたい英語がお出来になるしということで、英語で書かせてもらったんですね。

竹内:《ファントーム》がドイツ語のテキストを使われているので、何かと思って。

塩見:あれは日本語で書いて、(当時の)ドイツ文化センターの館長さんだった方にドイツ語に訳していただいたんですよ。

竹内:《午後に 又は 夢の構造》について。これはテキストの演奏についてヴァージョンが1つと2つ、何か指示がありますね。ピアニストの方がそのまま演奏されて、ナレーションもしてもいいし。

塩見:初演はピアニストにナレーションもしながら弾いていただきました。だけど夢を見ているときというのは自分が横になっていますでしょ。だからナレーションする人は自分の頭よりも上にいるほうが自然に思えるんですね。今まではよくピアノの脇に脚立を立てて、ナレーターがその脚立の上に登って楽譜を見ながら朗読していたんです。ピアノとナレーションとのかけ合いですね。これもたくさんモールス信号を使ったのですけれども。

竹内:たくさん使われています。モールスコードというふうに作品の中には書かれています。

塩見:ええ、モールスコードと呼んでいます。モールスコードを使って、言葉も意味があるような、ないような、いろんな台詞を入れて。

竹内:あとピアノ書法がすごく面白いなと思ったんです、ピアノのパートの。最初のピアノの開始の音が、交差されるようなものであるとか、拳で打鍵するようなもの、あと白鍵と黒鍵のクラスター、非常に多彩な手法をとられている。録音になってないのが残念だなと思うぐらい面白いと思いました。

塩見:これは何回か演奏しましたね。藤枝さんに言葉のパートをコンピュータの合成音声で作っていただいて、ピアニストがペダルを踏むと声が出てくるという仕掛けでも何回か。ジーベックと、東京にスタジオ200というホールが当時ありましたが、あそこでもやったかしらね。最近だと、あれは2010年だったかな、大井浩明(1968~)さんがやはりこの曲を、彼の「Portraits of Composers」のシリーズで演奏してくださいました。ナレーションは柴田暦さんという三宅榛名(1942~)さんのお嬢さんだったの。それを聴きにいらした館野泉(1936~)さんが、「あの曲がものすごく印象に残っていて、ああいう過激さを持った曲を書いてほしい」というふうに、新曲を委嘱してくださったんです。

竹内:《アステリスクの肖像》ですか。

塩見:そうです。それが《アステリスクの肖像》になったんです。

竹内:そのときも初演をたしか館野さんのピアノで、ヴォーカルが柴田さんでいらっしゃいますね。

塩見:彼もこの曲を気に入ってくださいましてね。あの「左手の音楽祭」のシリーズの16回のコンサートの中で3回も演奏してくださって。先月も東京のヤマハホールで取り上げてくださったんです。この曲でもやっぱり言葉の冒険を少し試みました。

竹内:あと、《午後に 又は 夢の構造》のスコアの一番最後にヴァースが示されているのですけれど、視覚的な配置かなと思ってすごく面白かったのですが。例えば「解き放たれた」という言葉の周囲に、こう言葉がふわーっと配置されていて。音楽的にもたぶんそれは伝わるのでしょうけれども、視覚的にも伝わるものがあるのかしらと思ったのですが。

塩見:これは、リリースト・パスキー、リリースト・パラグラフ、リリースト・パリンドローム、と必ずリリーストに帰って、各言葉を叫ぶわけなんですね。

竹内:それはやはりただ詩を取り上げられているだけではなくて、この配置などからも伝わるものがあって、そのリリーストに集約されていくというのか、そういうのがすごく伝わって、音楽的な配置だなと思ったのですけれど。

塩見:ありがとうございます。実はこれいちいち「リリースト」と書くとスペースが足りなくなるという。

竹内:ああ、そういうこともあったんですね(笑)。

塩見:そういうこともあったんです。ちょっとくどいというか。じゃあそれは一つに集約して括弧で括ったら、譜面を見れば分かるだろうということで。これはまあ、苦肉の策だったんですけど。

竹内:すごく面白かったので。

塩見:丁寧に調べてくださっているんですね。ありがとうございます。光栄ですわ。

竹内:このお話をずっと聞きたいと思っていまして。柿沼先生からこのお話をいただいたときにも塩見さんの音楽作品についても私は聞きたいと思ったのです。

塩見:ありがとうございます。

竹内:ちょっとまた年代が新しくなっていくのですけれども、80年代に入りましてから、《時の戯れPart Ⅱ》という作品を書かれています。音源にもなっていますね。

塩見:そうです。

竹内:高橋アキさんと野平一郎(1953~)さんの演奏ですか、CDになっていますのは。

塩見:そうですね。

竹内:まず84年にヴァージョン1ですか、PartⅠという形で。そのときはナレーションとチューブ、エンドレス・ボックス、メトロノームというふうに編成が書いてありますが、これはどういうふうに。

塩見:これは《時の戯れPartⅠ》だったんですね。やはり時間をテーマにした作品で。

竹内:とても詩的というか、哲学的といいましょうか、テキストが付いていますね。

塩見:そうですね。実は私そのときかなり重い足の病気にかかりましてね、歩けなくなって。ここでリハーサルというか打ち合わせをして、本番には行けなかったんです。後でビデオを送ってくださいましたけど。そう、最後はナレーションも(ピアノで弾くバッハの《パルティータ1番》のジーグも)、だんだんゆっくりになっていき、《エンドレス・ボックス》は舞台の中央から袖に向かって一つずつ並べられていき、まるで時間のシッポみたいに小さく、小さくなっていくという、音楽作品というよりもパフォーマンスに近いものです。《時の戯れ PartⅡ》は、88年ぐらいだったかな、高橋アキさんが”新しい耳”のシリーズを横浜の(横浜市教育文化)ホールでずっとやっていらして、「何か曲を書いてくださいませんか」と、ここへお見えになって委嘱してくださったんです。そのときにピアノ2台は大丈夫だと思うとおっしゃるので、2台のピアノとチェロと。

竹内:バリトンですね。

塩見:バリトンです。これはもう少し音楽的に書こうと。

竹内:なにかすごく、いわゆる「音楽的」、というような編成に切り替えられたのですね。

塩見:2番目のはそうね。そのときはミカショフ(イヴァ・ミカショフ、Yvar Mikhashoff, 1941~1993)という、もう亡くなりましたけど、アメリカからいらしたピアニストと、アキさんとそれからバリトンの村田健司(1948~)さんと、チェロの苅田(雅治)さんで演奏していただいたのですけれども、音源になっているのは、1996年に「世界の女性作曲家」という(アリオン音楽財団主催の「東京の夏」のコンサートで演奏されたものです)。

竹内:あのシリーズの。

塩見:あの中で。ミカショフはもういないので、アキさんから野平一郎さんにお願いしていただいたんです。

竹内:あそこでショパンのエテュードもやられていて。

塩見:そうそう! (第二楽章ですね)。

竹内:それがどんどんゆっくりになっていきますね。

塩見:そうなったり、ずれたりね。

竹内:あれがすごく面白いです。

塩見:時間の実験をするためには、基準になる時間というものがないと、聴いていても分からないわけね。エテュードというのはtempo giustoでしょ。実際あの曲(ショパンのエテュード第24番、ハ短調)も好きではあったし、それを使って二台のピアノの間で、エコーのようにずれたり、掛け合いになったり、急にテンポが変わったり、アルペジオが1拍毎に時間を遡って逆行したりね、(いろいろと鉈をふるったわけ)。

竹内:ずれがすごく面白く聞こえます。会場で聴くともっと面白いんだろうなと思いながら聴きました。

塩見:ときには点描的になったりね。それは、チェロの人にソロの部分をあげるためなんだけど、(ピアノは原曲の1小節のうちで一音だけを弾くの)。そんなふうにして進行していく中で、バリトンだけは全然別個の譜面で歌ったり、発音したりするんです。いくつかの台詞や声のパターンが自由に組み合わせられるようになっているので、アンサンブルの仕方としては、ピアノやチェロとはぶっつけ本番みたいになるんです。だから二度と同じ形にはならないんですね。

竹内:そうですね。時間軸が全く違いますね。

塩見:そう、時間軸が違う。時間に関するいろんな角度からの実験を試みてみたわけです。CDでは分かりませんが、この二楽章の終りあたりで、バリトンは無言で弓を射るポーズを取るんです。ゆっくりと上体を回転させて弓の方向を変えながら。でも、決して弓を射てはいけない。危ないですからね(笑)。都合のいいことに、村田さんは「僕、アーチェリーをやってたことあるんだ」って。で、彼の影を二つの離れた所にある投光器で舞台の後ろのスクリーンに映すの。その後、バリトンは「時の狩人、すなわち時間を射止めようとした彼は、物理学の森なる迷宮へと入って行った」と語って、第三楽章へ移るんだけれど。

竹内:非常に視覚的にも訴えるものがありますね。

塩見:そうですね。「時の狩人」として弓矢を構えるこの形というのは、非常に緊張感もあるし格好いいでしょ。村田さんもなかなかいい体格をしていらしたし。

竹内:様になっていたんですね。

塩見:そう。それに高橋アキさんや野平さん、そして苅田さんの白熱した演奏のおかげで、皆さん「エキサイティングだった」とおっしゃってくださって。

柿沼:これも……。これは『芸術倶楽部』にお書きになっているものです。

塩見:私が書いたものだけれども、誰の作品だったかな。そう、グドゥムンドゥスンの《エドヴァルド・グリーグへのオマージュ》ね。

柿沼:ノルウェーの方でしょうか。

塩見:ええ。「エドヴァルド・グリーグの音楽を聴きながら、私は十本の矢を空へ撃ち込む」。こんな格調の高い作品、もう惚れ惚れしちゃう(笑)。

竹内:いろいろお伺いしたいことはたくさんあるのですけれど、緊張しておりますので、すみません。

塩見:そんな。どうぞ、お楽になさって。

竹内:少し話が前後したりいろいろあるのですけれど、《こどものためのピアノ曲集》というのを1988年に書かれています。おそらく『ムジカノーヴァ』(音楽之友社)に連載した後で譜面にまとめられたものですね。

塩見:そうですね。

竹内:あの作品の譜面を拝見して非常に面白いなと思ったのです。というのは、子供のための作品であるにもかかわらず、例えばモールス信号であるとか、あるいはクラスターについても少しあったり、いろいろ多彩なピアノのための書法がとられていて。教育的な作品を意図されたにもかかわらず、何か特別な発想があったのかと思いまして。

塩見:よくある市販の教材は、どうしても音楽のボキャブラリーが偏っているんですね。だから私の曲集では、全音音階を使ったのもあるし、複調もあるし、メロディーのしりとりもあるし、隣接音を多用したのもあるし、最後はモールス信号も。その曲では、左手で音を出さないように低音弦を押さえておいて、右手で強く打鍵するの。

竹内:最初に軽く弦を押さえて、そのあと倍音を出すという奏法もありますね。

塩見:その奏法は2曲あったかな。右手で弾くんだけれども、押さえている音の倍音にあたる音はワーンと鳴るわけね、ペダルなんか使わなくても。第一、ペダルを使わないという前提で書いたんですよ、子供のためですからね。他にもペダルを使ったような効果を出すために、一旦弾いた指は上げないで響きを溜めていくというようなやり方もあったし。それから5拍子だとか。最初の《星の形をしたワルツ》というのが5拍子の曲で。

竹内:ワルツなのに5拍子なんですね。

塩見:そう。ワルツというのは3拍子なんだけれども、5拍子でもワルツに似たような、ちょっと普通のワルツとは変わった面白いリズムが出るんだよ、ということを子供たちに伝えたかったし。

竹内:これは19曲からなる曲集なのですけれども、それぞれに非常に素敵なストーリーがついています。あのストーリーというのも塩見さんが考えられたのですか。

塩見:もちろん。

竹内:そうですか、やっぱり。すごく面白い物語がついていて。

塩見:物語というか、一種の解説、手引きですね。いかにして子供たちを楽しませようか、音楽的にもてなそうか、というのがねらいでね。こういう曲もある、こんなこともできるんだ、という多様性を示してみたかった。実際、子供たちの発表会なんかでもこれらの曲を使いましたしね。

竹内:今でも教材として使っていらっしゃるんですね。

塩見:はい、教材として。お友だちのピアノの先生も使ってくださったり。突然の3度の転調なんかも入れて、普段のいわゆるブルグミュラーとかソナチネなんかにはない音の響きになじんでいただきたいという気持ちでね。それは長年ピアノの教師をしてきた上で、彼らに対して作曲家としては何ができるだろうかと思ったときに、こういう曲をプレゼントしたいなと思って。

竹内:そういう意図で書かれたのですか。

塩見:そうなんです。それともう一つの理由は、日本作曲家協議会から、「カワイ出版というところで子供のためのピアノ曲を欲しがっている、皆さんに1曲ずつ書いてもらえないか」と言われて、《ちょうのおひるね》という普通の曲ですけど、書いたんですね。その曲集を受け取ったときに、いろんな作曲家の作品はそれぞれに面白いんだけれど、あまりにスタイルが違いすぎて、曲集として統一感がなさ過ぎる、と思ったの。そうじゃなくて、曲はそれぞれが違っているんだけれども、全体としてはちゃんとした統一感があるような、そういう曲集を私は作りたいと思って。「よし、今度は自分でアルバムを作ろう!」と計画を立てたんですね。

竹内:ある意味、塩見さんのキャラクターがしっかり出た作品といえるかもしれません。

塩見:そうですか。そのほうが、アルバムとしてはいいでしょ。

竹内:そうですね、コンセプトがはっきりしているというのは大事なことかもしれませんね。ありがとうございます。
少し時代が新しくなりますけれども、97年、あと99年頃に、《日蝕の昼間の偶発的物語》と《月蝕の夜の偶発的物語》という対になる曲を書かれています。この曲とバッハのパルティータとの関わりというのは当然ある、というのは書かれているとおりですが、その作品群のことをお伺いしたいのですけれども、英語の詩が付いていますね。

塩見:詩っていうより、ヴィネット(vignette)と言ったほうがいいと思うんですけどね。大げさに物語と題していますけれども、ヴィネット(情景をスケッチした短い文章)なんですね。バッハのパルティータを下敷きにして。そうだ、これも最初は…… このあいだの私のartist bookの授業(11月21日、造形計画2B 特別レクチャー)にお出になってはいらっしゃらない?

竹内:私、行けなかったんです。

塩見:これの発端は、ケルンにあるフンデルトマルク画廊、あるいはエディション・フンデルトマルクというところで。

竹内:1994年頃ですね。

塩見:その頃だったわね。ブックオブジェクト展を開くのでブックオブジェクトの作品を送ってくれと言われて、それで鍵のかかった本を作ろうと思ったんです。既成の白紙の本を買ってきて、中のストーリーは手書きで書いたの。バッハのパルティータは全部で六曲あるでしょ。その内の1番から3番を素材にして《日蝕の昼間の偶発的物語》を、4番から6番で《月蝕の夜の偶発的物語》を作ることにしたの。ストーリーをどう作ろうかと思ったときに、(各舞曲の名前をキーポイントにして)、いわゆるアリタレーション(alliteration)、同じ頭文字を持つ言葉をなるべく多用して、物語を綴っていくことを思い付いたわけ。例えば、ピアニストがプレリュードを弾き始めたら、pという語から始まる言葉をできるだけ多用した…… あります? そこにテキスト。

竹内:それこそ芳澤(江美子)先生から預かっている、カセットテープに録音されたヴァージョンがあって、それに付いていたストーリーで。

塩見:なるほど。ピアニストがプレリュードを弾き始めたら、thousands of picturesque parachute began peacefully descending on the pea-green prairie. というふうに、p, p, pと続けていくの。(で、アルマンドに移ったら、今度は、aから始まる単語を多用して文章を綴って)。で、この手書きの本は、次の年の展覧会では平面作品にしたの。

竹内:95年パリで。そのときにナレーションと何かをつけられた。

塩見:そうそう。画廊のオーナーから「オープニングにパフォーマンスをお願いします」と言われたので、当時ECCに通っていたものですから、そこのアメリカ人の先生ご夫妻に来てもらってナレーションを録音させていただいて、それをほかのちょっとした音源、「時の迷宮のJOHNCAGE」という水戸(芸術館)で行なったパフォーマンスの録音も少し混ぜたりして(カセットに入れて持っていったんです)。

竹内:これはパリでの個展のときに、ですか。

塩見:はい、個展のときに。それでアリタレーションの単語を補強するために、私がいろんな鳴り物を鳴らして、最後の「乾杯した」という場面では、ワイングラスの中にビー玉を入れて回転させながら高く掲げて、それから自分の口の所へ持っていって、飲むときのように一気にグラスを傾けるとビー玉がパランと落ちる、というようなソロ・パフォーマンスをしたんです。それが終わってから、やっぱりこれは本格的な音楽作品にしたいなと思って、ピアノ、ソプラノ、ナレーター、サックス奏者、パフォーマーという編成で作曲しました。そして海外のいろんな方、例えばポーリン・オリヴェロス(Pauline Oliveros, 1932~)さんとか、ロバート・アシュリー(Robert Ashley, 1930~2014)さんとか、ベングト・オヴ・クリントベルグさんなどにお願いして、タイトルに含まれている文字から始まる物音を録音してDATで送っていただいたんです。それを、そのときもクリストフ・シャルル(Christophe Charles, 1964~)さんにコンピュータに入れていただいて、楽譜に指定してある箇所で再生してもらったんです。

竹内:これはやはり英語から発想されたんですね、一番最初。

塩見:そうです、英語から発想した作品です。50分ぐらいの曲ですけれども。

竹内:全部やるとすごく長い曲ですね。

塩見:長いです。でも、1部、2部、3部と分かれていて、その間にいろんな物音を入れたりしてるので、「50分なんてとても思えなかった」とも言われました。

竹内:最初の構想の段階から6曲というのはあったんですか。

塩見:そうそう、最初から6曲というのはあったんです。そのうち井上郷子さんの2000年のリサイタルを全部私の曲でやりたいと言われたので、今度は「月蝕」に移って。で、クラリネットとナレーターとピアノの井上さん。

竹内:編成も少し変えたんですね。

塩見:ええ、変えて。それでパルティータの4番。

竹内:から。

塩見:からって、4番だけなんです。4番だけでもう20何分か。だから音楽作品は4番までしかできてないんです。

竹内:ああ、そうなんですか。じゃあまだ5番と6番は。

塩見:5番、6番は音楽作品になってないの。つまりね、演奏できるチャンス、演奏してくださる方たちが揃わないと自分で勝手に書いてもねえ。

竹内:2008年に作品表の中で小冊子をまとめられていますね。

塩見:そうなんです。このあいだその本のレクチャーのときにも紹介させていただいたんですけれど、6巻のひもで綴じられた本にして、6巻を1セットとして箱に入れて、36部の限定版で出版しました。こういうマルチプルを作るのはマチューナスから教わったことで、全部手作りなんですよ。

柿沼:一つ伺ってよろしいですか。鍵のかかった手書き本を頼まれたということですけれども。

塩見:鍵のかかった手書き本を頼まれたのではなくて、ブックオブジェクトを何か送ってくださいと言われたので、そんな本にしたんです。

柿沼:本当に鍵がかかっているんですか。

塩見:かかってるんです。

柿沼:それはモノ、写真か何かあるのですか。見たことがないのですけれど、どういうふうにかかっているか。

塩見:それはロフトへ行って買ってきた鍵で。ここにまだあるかなあ……
(探し始める塩見さん)

柿沼:いえ、結構です。すいません。

塩見:3巻で、1つはうらわ美術館にあるんです。

柿沼:ではうらわの展覧会のカタログに載っているでしょうか。

塩見:どうですかね。写真はありますので、またお二人にお送りします。

柿沼:そうですか、ありがとうございます。

塩見:そうだ、都現美の「インターメディア/トランスメディア」のレクチャーのとき、そこでの写真があると思うんです。

竹内:これですか。

塩見:そうです、これ、これ。鍵のかかった本、これのこと。

柿沼:ああ、それで拝見しますので、大丈夫です。このあいだの授業のレポートを書かなくてはいけないものですから、確認させていただきたいと思いまして。ありがとうございました。失礼いたしました。

竹内:そのあとの作品について、《フラクタル・フリーク》のお話をお伺いしたいと思います。2002年まで4曲、結構長くかけて書かれています。

塩見:そうですね。

竹内:フラクタル理論を援用された作品というふうに、楽譜の最初のページにございます。「音に形を与える」というようなことをご著書の中で少し触れられていたので、そのあたりとの関わりについてお伺いしたいのですけれども。

塩見:とにかく作曲するときには、基本になる、核になるコンセプトがいるし、理論がいるわけです、音楽理論がね。実はある日、井上郷子さんから電話がかかってきて、彼女のリサイタルのために「新しい曲を書いてもらえませんか」と言われたんです。その少し前に、ある本の中でフラクタル理論について読んでいて、すごく面白いなあと思ってたんですよ。これは音楽理論に敷衍できるなあ、そこからいろんな理論を導き出すことができるだろうなあ、というふうに何となく予感していて。それがパッと結びついて1番の《カスケード》(CAsCAde)になったんです。その《カスケード》のイメージというのは、例えば海岸線上の2点間の距離を測るには、どの程度まで詳しく測るか、岩のデコボコ一つまで測るか、あるいは大ざっぱに地図にあるような曲線で測るかによって、全く値が変わる。それをフラクタル次元で表すと、どうとかこうとか、というところで閃いたんだけれど、ある音から離れた別の音へ向かうとき、どういう道筋を通ってそこへ行き着くかで、(いろんな異なった旋律が考えられますよね)。「CAsCAde」という言葉が好きだったので思い付いたんだけど、つまり高音のC(ツェー)から低音のA(アー)へ向かう道筋をいろんなふうに変えてフレーズを作っていけばどうか、と。だからタイトルもCとAは大文字になっているでしょ。
そしてフラクタル理論ではあらゆるディテールが同じ情報を持っているということで、CからAへ向かうフレーズは繰り返す度に1拍ずつ長くなって、同時に和音的にも複雑になっていくの。それはヴァリエーションと考えてもいいのだけれど、イメージとしてはね、昔のブラウン管テレビではよくゴーストが出たんですよ。つまり人の姿なんかが色を伴ってバーッとぶれていくのね。それって、結構きれいなの。だから、(最初は単旋律だったのが、2声になり、次第に分厚い和音を伴うようになって、ぶれていくんです)。全体の構成としては、大きな二つの相似形になっているんだけれど、最後は、さらに大きな相似形を暗示して終わっているの。

竹内:結構、音組織へのこだわりというのがあるなというのは、全4作を聴いて思うのですが。

塩見:ありますね。

竹内:時々メシアン的な響きがする瞬間などもあったりして。たぶんそれは倍音の関係かなと思ったりもするのですけれど。

塩見:そうかもしれないですね。メシアンの鳥の旋法なんかは好きですしね。感覚的には、メシアンが非常に好きな部分と、ちょっとtoo muchと思う部分があるので。

竹内:ちょっとロマン主義的なところもあったりしますね。少し話が飛ぶかもしれませんけれども、学生時代にメシアンのことは結構勉強されたかと思うのですが。

塩見:そうです、そうです。『わが音楽語法』という本が出たの。

竹内:54年ですね、たぶん邦訳が出たのが。

塩見:そうですか。54年というと、私たちは…… 57年に入学しているんですね。大学の売店でそれを見つけて、現代音楽に興味のあるクラスメイトたちは奪い合うようにして買って読みましたよ。

竹内:柴田南雄先生の影響とかはありますか。柴田先生もメシアンのことを書かれていますが。

塩見:ええ、柴田南雄先生の影響というのは、自分の方法論に対してしっかりとした批判的な目を持つべきだということとか、ものをつくるときの態度、厳密さみたいなものとか、そういうことはたたき込まれたような気がしますね。言葉で直接「そうしなさい」というふうにおっしゃったわけではないんですけれども、先生の作品とか後ろ姿、理論的な正確さを見ていると、これは見習うべきだ、みたいな感じで。

竹内:学生時代にはメシアンのことについてはやはりある程度きちんと。

塩見:きちんとじゃないです。きちんとじゃないですけど、一種の憧れを持って。

竹内:当時の新しいものということですね。

塩見:そうそう。ヴェーベルンとは全然タイプが違いますけれどね。

竹内:そうですね。全く違うかもしれませんね。

塩見:だけど、あの巨匠たちは本当に憧れの人たちでしたね。

竹内:ごめんなさい、話が脱線してしまいました。では、ピアノの音の中にそうした音の感覚、音組織を選ぶというのは、やはりこだわりがあるんですね。

塩見:それはもう厳密であろうと。《フラクタル・フリーク》、つまりフラクタル理論を使うということは、単純な理論なんだけれども、元が単純であればあるほどそこから引き出せることは大きいと思うんですね。例えば3番目の《パラボリック》だと、音程関係に自分で約束事をつくったんです。(上向形の場合には)、ある音から次の音へ進むときの音程は、その前の音程と同じか、あるいはそれよりも小さくなくてはいけない。下降形はその逆、という決まりを作ると放物線になるんですね。その規則を厳守しながら全体を書いたんです。それから、最後の《彩られた影》(Animated Shadows)。この「彩られた」という言葉を「Animated」というふうに自分で翻訳したことから、発想した構造なんですが、これはノンペダルのオクターヴで弾く、かなりかけ離れた音程のフレーズを、建造物の鉄骨のフレームみたいなものと考えるんです。で、それに対する影の部分というのは、そのフレームの――それも徐々に長くなっていくのですが――最後の音の第17倍音というと、例えばツェーで言うと上のツィスかな。4オクターヴで第16音ですから。

竹内:そうですね、その1つ上になります。

塩見:第17倍音までというと、9つの音が得られるんですね。その9音からなる音階を使って、そのフレームの音形やリズム的な特徴を引き継いで影の部分を作るんです。けれども最後は主客転倒になって、影がその本体を食うというようなかたちで終わっているんです。

竹内:最後は同じ音が続いています。

塩見:そうそう、これも最初の曲と同じで、未完結を暗示しています。この曲は弾くと結構難しいんですよ。でもそういう理論的なトリック、仕掛けみたいなものを考えるのは、面白くてね。

竹内:きちんとした枠組を作られて、そこの中で何か自由をといった感じですか。

塩見:そう。初めから何もないというのでは作りにくいですね。制約があるほうが想像力を刺激されるし。ピアノには楽器自体のいわゆる共鳴体としての特性があるので、単なる理論だけでやると響きが非常に悪くなることもあるので、そのへんのせめぎ合いというか葛藤も結構、苦しめられながら楽しんだというか・・・(笑)。

竹内:非常に面白いお話でした。この作品は、最初に触れた塩見さんの作品だったものですから、すごく興味深くお伺いしました。ありがとうございます。

塩見:2番と3番は、井上郷子さんのリサイタルの委嘱作品として作曲したのですが、それが終わってから、自分でもう1曲作りたいと思って。だけど4曲作ったときに、どういうわけか、これ以上違った意匠でもって《フラクタル・フリーク》を作ったとしても、もうそれは同じになると思ったんですね。作るのにあまり意味がないと。そういえば、ショパンのバラードも4曲だし、スケルツォも4曲だし、4曲というのは、同じ種類の曲を作るのにそれで十分な数なのかなと。もちろんショパンがもっともっと長生きしていたら、バラードも10曲までできていたかもしれないけれども、そのときは勝手にそんなふうに思って、打ち切りにしたんですね。

竹内:では、《フラクタル・フリーク》で使われたフラクタル理論みたいなものも、ある程度やられてもう満足されたと。

塩見:もうこれは済んだ、という曲集ですね。

竹内:2000年代の作品について少しお伺いさせていただきたいのですけれども。この《フラクタル・フリーク》のいくつかの曲も2000年代に入ってからになりますが、2000年にフルートのための作品でしたか、《ポエシス》という作品を書かれています。

塩見:あれはね、あるフルーティストがここへいらしたんですね。どういう経緯だったかな。何かドイツ語圏内の人たちの文化交流みたいなことで、日本へいらしていたらしいんだけれど。

竹内:ドイツ人の方ですか。

塩見:ドイツ人です。ご夫妻だったんですが、ご主人のほうはチェンバロ奏者で、奧さまがフルーティスト。で、フルートの曲を書いてほしいと言われて、書いたんです。

竹内:委嘱されたんですね。№1と書かれていて、何か作品の構想がおありになるのかと思いまして。

塩見:その頃はちょうど、種田山頭火の句を読んでいて、それに惹かれていたときだったの。「月からひらり柿の葉」という句が一番好きなんですけどね、それを元にしてフルートの曲を書いたのね。ただ、あとで思ったのは、どうしてだろうな、べつに山頭火のああいう人生に影響されたとは全然思わないんだけれども、どうもフルートの曲が、いわゆる日本風になっちゃうの。どうしてもそういうフレーズしか出てこなくなるのよ。これは私の音楽とは少し違うな、という感じのフレーズになってしまって。だから作曲するときに、種(タネ)にするものを何を選ぶかによって、どうあがいても(音楽は方向づけられてしまうんです)。それで止めちゃったの。ほかにも山頭火の句を使って2番、3番と書いていこうと思ってたんですけどね。でも自分にとってこれはちょっとしんどい作業だなという感じがして、違和感があったので1曲で止めたの。

竹内:今、ちょうどタネというようなことをおっしゃったので、その関連でお伺いしたいのですけれども、発想の源みたいなところにやはり言葉というのがあるのかなと思ったんですね。

塩見:あります、あります。

竹内:例えば書かれている詩であったり、テキストであったり、常にそこから発想されるのでしょうか。ほかの作品の中でもそういうものというのは、例えばおありになるのでしょうか。

塩見:どういう言葉を選ぶかというのは、そのとき、そのときで決めているんですけどね。例えば舘野さんから「左手のピアノとナレーションの曲をお願いします。過激さが欲しいです」と言われたときに、まず浮かんだのがアステリスクなのね。この星印(*)。私、そのアステリスクっていう発音も好きなの。全く意味のない、素っ気ない小さな記号ですけどね。それで「あっ、これはいいな。アステリスクについてちょっと研究しよう」と思って図書館へ行って、ワクワクしながらアステリスクに関するあらゆる辞典を調べて、それらをコピーさせてもらって持って帰ったの。(私、この最初の出会い、作曲する前の言葉との出会いが大好きなんですね)。
アステリスクという一つの小さな記号を表わす言葉から、過激で華麗な音空間をつくりたいと思って。ここでやった言葉と音の実験というのは、例えば、「アステリスクに似た形には どんなものがあるでしょう。 雪の結晶? 木漏れ日? こうもり傘? ・・・・・」などというナレーターの問いかけに対して、その都度ピアノが完全5度のリズムミックなフレーズをかけ合いみたいに挿入するとか、ピアニストが低音から上向グリッサンドを弾くと、そのてっぺんのところでastray! とか、astronomy! とか、astounding! というふうに、同じaから始まる単語を叫ぶんですね。あとは、日本語の辞典から取った文章に、全然違った自作の言葉を挿入するの。例えば、「プリズム・アストロラーベでは」<霧の晴れた夜>「水平に置かれた望遠鏡の対物レンズの前に」<静かに横たわって>「正三角形のプリズムを置き」<遠い記憶を辿りながら>「プリズムを通して入る星の光と」<思いがけず浮かび上がってくる>「地上の水銀盤で反射した星の光とを」<天からの啓示として>「同時に観測する」・・・・・というふうに「 」の元の文章をぶつ切りにして、< >の別の言葉を入れていくのね。演奏するときも< >の部分は多少声色を変えて発音するの。

竹内:美しい詞ですね。

塩見:これは一種の言葉の対位法みたいなもので、その間にどういう言葉を入れたら、辻褄が合うような、合わないような、でも全体として魅力のある文章になっていくかに腐心するわけ。いわゆる学術的な、正確ではあるけれども素っ気ない言葉に対して、もっと柔らかい、違った言葉を入れていくと、全体が膨らんで、立体的になるでしょ。

竹内:修飾されていくような。

塩見:そうそう、いわゆる二重織りというか、縄をなうような感じで。

竹内:イメージがすごく多重なものになっていきますね。

塩見:どういう言葉を仕掛けたら、元の文章が面白い意味を持つか、イメージがふくらむかということで、いろんな実験をこの曲の中でも何カ所かでやっているのね。このタイトルを何にしようとずいぶん悩んだんだけど、結局、《アステリスクの肖像》にしたの。(肖像なんていうほど立派な対象ではないのにね。一種のジョークとして)。これは私と館野さんと柴田さんしか持ってない譜面なのね。まだ出版はしてないんです。もしよろしければ、コピーはいくらでもお取りできるので。

竹内:テキストは、これは現物ですか。

塩見:現物です。これはコピーしたもの。

竹内:あとでお写真を撮らせていただいてもよろしいですか。

塩見:どうぞ、どうぞ。

竹内:申し訳ありません。私のほうで最後の質問をさせていただきたいのですけれども。「詞も音も等価の媒体」「言葉と音は等価のメディアだ」ということを何度かおっしゃっていますけれども、そのあたり、例えば言葉、あるいは詩への目覚めというものはいつ頃に辿ることができるのかと思いまして。

塩見:私は結構文学少女だったの、中学生の頃(笑)。小学生の頃は本なんてなかったのよ、焼けた後だったから。本屋でこっそり立ち読みしてたぐらいでね。中学校に入ってからは、ピアノ友だちで親友だった人も文学が好きで、よくお互いに詩を書いては見せ合いして、それを国語の先生のところへ持って行ってコメントをいただいたり、というようなことを自発的にやってたんですね。自分でも短編みたいなものを書いたり。言葉に対する、文学に対する関心というのは中学校時代に芽生えたんです。

竹内:多くの作品がテキストを持っていますね。そのときのテキストを選択するときに、例えば既成のものを選択される場合に、何か、変な言い方かもしれませんが、基準になるようなところというのはおありになりますか。

塩見:べつに基準って何もないなあ。そうねえ、まず響きの美しさというのは思いますね。「アステリスク」も好きだし、「パラセリーニ」も好きだし。音として発音したときにまず美しいということ。そしていくつかのシラブルに分解できるということね。テキストは、辞典などのアナニマスな文章か、タイトルを基にしたりして自分で作ったものが多いですね。

竹内:私は、塩見さんの作品の中のテキストというのは、発語されることを念頭に置かれているのかなということを。

塩見:発語? もちろん。

竹内:つまり読まれるための詩ではなくて、発声されるための詩だなということを感じるんですね。

塩見:もちろんそうです。

竹内:やはりそれは響きということ、発音されたときの美しさであるとか、そういうところに重点が置かれるのですか。

塩見:そうです。歌われなくても、ナレーションするだけで十分美しい響きを持っているものという。言葉ってほんとに豊かだと思うの。歌うこともできるし、ナレーションすることもできるし、無声音でささやくこともできるし、シラブルに分解して発音することもできるし。以前に作曲した《草原に夕陽は沈む》(1981)というバリトンとピアノの曲では、元の自作の短い詩のシラブルを入れ替えて呪文みたいな意味のない、けれども結構強い響きを持った言葉に組み替えたり、いろんな実験が出来ますよね。言葉はほんとに豊かな源泉だと思うんですね。

柿沼:好きな作家とか詩人はいらっしゃいますでしょうか。

塩見:ル・クレジオ(ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ Jean-Marie Gustave Le Clézio, 1940~)。まだ独身時代、20代だったと思うんだけれど、あの方の『調書』という本が出たときに、たまたま何かでそれを知って読んだんですね。そのイメージの豊かさ、表現の鮮烈さにはすっかり虜になってしまって。最近もまた読み直してみたんですけどね。このあいだは、『偶然』というふうに日本語では訳されているけれども、『アザール』(Hasard)、帆船に関する小説に出会いました。もちろん原語で読んだわけじゃないし、日本語の訳なんだけれども、ニースや地中海を舞台にしてますでしょ。地中海には憧れがあるし、海の物語というのも好きだし。

柿沼:子供の頃に言葉遊びをされていたというのをどこかで読んだのですが。

塩見:ああ。例えば誰がどこで何をした、なんていうのを、お互いにバラバラに書いて。それをシャッフルして組み合わせると、すごく面白い言葉が偶然の繋がりとして出てきて、吹き出して笑いが止まらないようなこともあったりするわけね。

柿沼:それをお友だちとやっていた。

塩見:うん。楽理科の旅行でもやったことがありますね。クラス旅行でどこかへ行くでしょ。夜泊まりますよね。そのときに、誰は主語を、誰は形容詞を、誰は動詞をって、てんでに書いて、それをシャッフルして読むと、おかしな文章になってみんなで笑っちゃうの。(笑)。

柿沼:先生と一緒に。

竹内:もしかしたら芳澤江美子さんともやっていらした。

塩見:やりましたよ、一緒に。

竹内:そういうことをされてたんですね。

塩見:そう。彼女がどれくらい面白がったかは知らないけれども。例えば、「逆立ちしたような朝」なんて言葉が出てくるのよね。

柿沼:子供の頃にもそれをされていた。

塩見:やってましたね、小学生同士で。

竹内:いろいろ聞き漏らしていること、お聞きしたいことたくさんあったと思うのですけれども、最後、先生のほうにバトンを渡したいと思います。

柿沼:《フルクサス組曲》というのを皆さん。

竹内:そうだ、私この作品のことを聞きたかったのですけれども。フルクサスの作品でいろいろな方が音名象徴のような手法をとられていますけれども、たぶん先生からもお伺いになると思うのですけれども、私からお伺いしたいのは、音名象徴というような手法でパッと私が思い浮かぶのはシューマンの作品≪カー二ヴァル≫を、塩見さんがいろいろな作品で引用されているような気がするということなのですが。

塩見:<アルルカン>とかね。そうそう、≪カーナヴァル≫で知ったんですよ。今、何とおっしゃった? 音名……

竹内:音名象徴。

柿沼:音名で象徴する。

竹内:頭文字を音名に充てたり、人の名前を音名に。

塩見:音名象徴という言い方をなさるんですか。そうですか。大学時代にシューマンの≪カーナヴァル≫という曲集の(アッシュ)という曲でそういうやり方があるというのを知ったんです。《フルクサス組曲》、これも2002年の40周年のために作ったんだけれども、その前の年の秋にフンデルトマルクから「うちでCDを出さないか」という誘いがあったの。それでふと考えて、「そうだ、ちょうど2002年だから、(音楽による人名事典として)《フルクサス組曲》というCDを出して、皆さんにプレゼントすればいいな」と思ったんですね。それでフルクサスに関する人々から80人を取り上げて、その名前の中に含まれている文字で綴れるドイツ音名のみを使ってポートレートを描こうと。こうした制限を設けないと、ただ単にその人らしい曲を書いたのでは、全然面白くないでしょ。だからアラン・カプローとか、ピーター・ムーアなんて1文字しかないし、オノ・ヨーコさんに至っては1文字もないのよね。

柿沼:ので、それで「沈黙」なんですね。

竹内:《silence》ですね。

塩見:《沈黙》なの。50秒間沈黙。うちのシンセサイザーには、自然の中でサンプリングした音色も入っているのね。水滴の音だとか鳥の声だとか、モーターバイクの音とかいろいろ入ってるの。それからオクターヴ違うとかなり違った響きがするのもあるし。そんな音色を使えば、音が1つとか2つしかない人にも結構面白い曲が書けると思って。まあこれも作曲家としてはボキャブラリーへの挑戦ですね。どういう手法でどんな感じの曲が書けるかという、そのサンプルみたいなものです。

竹内:すごく多彩で、私はこのCDをお借りして聴いたのですけれども、時間を感じさせません。すごくたくさん曲が入っているけれども、あっという間に終わってしまったような感じでした。あまりにも多彩で面白い。感想ですが。

塩見:ありがとうございます。第一の条件が、名前で綴れる音を使うということと、次に、その人の代表作や制作の手法、或は職業や印象などを使うということ。マチューナスの場合は、《アドリアノ・オリベッティへの追悼》を演奏しているときのように、メトロノームの音と時折それに重なる別の音を加えたり、フィリップ・コーナーは以前、《パルス》という等価リズムで和音が徐々にかわっていく曲を送ってくれていたので、まさにそれを踏襲して、彼の音だけでパルス風の曲を作ったり、(尤も、これを彼の代表作と言っていいかどうかは分かりませんけれど)。刀根さんはCDに直接文字や図形を描いてそれで作品を作っていらっしゃるから、五線紙の上に刀根という字を漢字で斜めに書いて、それが五線と交わったところで、刀根さんの音に相当するところを辿っていくと、ちょっと異質な音になるのね。ボノット(ルイジ・ボノット、1941〜)は布地を作っている織物会社の社長さんですから、彼の音で複雑なテクスチャーを作るとか、ジョン・ケージは「チャンス・オペレーション」だから、ジョン・ケージに含まれる音をやっぱりチャンス・オペレーションを使って配列を決めたり、ジャン・デュピュイはアナグラムをやっているから、彼の音でアナグラムをつくるとかね、なるべくその人の仕事や作品に沿ったものにしたわけです。

竹内:塩見さん自身もいらっしゃいますね。

塩見:私もいますね。

竹内:ある意味自画像的な感じもしますけれど。

塩見:何だった? 私のどんなだったかな。

柿沼:《ウォーター・ミュージック》。《ウォーター・ミュージック》になっているのはどういうことなのでしょう。つまりフルクサスのアーティストとして、あれが代表作だとお考えになっていらっしゃるのかなと思ったんですが。

塩見:《ウォーター・ミュージック》?

柿沼:ええ、を選んだ。水滴のような、水のような音がして。ジョージ・ブレクトも水滴の音が出てきますけど。

塩見:ブレクトは《ドリップ・ミュージック》で、水滴の音色で作っています。私のは泡みたいな音じゃないかな。水の泡の音ね。

柿沼:それを選ばれたのは、代表作、一番の、というふうに思われているのかなと思ったのですが。

塩見:いやあ、べつに代表作という意味ではなくて、「泡の音もある、これ残ってるから、じゃあ私に使おう」という、その程度のものじゃなかったかと思うんですね(笑)。ハハハ。

柿沼:一番重要とお考えなのかなと思っただけなんですが、そうではないですか。

塩見:でも水というのは、それこそ沖縄の海にしろ、瀬戸内海にしろ。

柿沼:フルクサスがもう水ですもんね。

塩見:そうだわね、流れていくね。まあ水というのは、私にとってはほんとに母なる大地じゃないけど、母なる海という感じでね。水とは切っても切れない縁があるというので。でもまあ、あまり自分に対しては深くは考えませんでしたね。ほかの人にはちょっと気を使いましたけど。

柿沼:今のようにさまざまな作品を作曲家として作っていらっしゃるわけですけれども、それとフルクサスのアーティスト、ハイアートに対する反抗で出てきたフルクサスとしてのアーティストとしての矛盾というのはお感じになっていらっしゃらないでしょうか。

塩見:矛盾は絶対ない。

柿沼:どのように……

塩見:ごく自然に共存してますね。

柿沼:共存してる(笑)。使い分けているわけではないですよね。

塩見:ある種使い分けてる。つまりどういうことかというと、当時の精神でもって誰もが自分の日常の中で行って楽しむことができる、そして日常と芸術との境をなくそう、素人と専門家の垣根を取り払おう、というような精神で作ったときの作品。それはほかの人がどんなふうにやってもいいですよ、作品使用料なんて一切請求しません、どうぞご自由に。そのかわり他の人の当時の作品も自由にやらせていただきますという姿勢なんですね。ところが演奏家の方から委嘱されて、何か月もかけて書いて、コンピューターで清書してというような作品には、一応作曲家としての立場で委嘱料もいただきますし、JASRACに登録しているのでJASRACからの料金もいただきます。だから何の矛盾もなく共存しているというふうに思っていますけど。いつまでも当時の反体制的精神のままではない。あれはあの一時期のもので、時代も人も徐々に変わっていきますからね。

柿沼:でもフルクサスはまだ続いていると思っていらっしゃる。

塩見:(グループとしては)続いている、と思ってます。例えば、このあいだみたいに美術館が企画してフルクサスのパフォーマンス・フェストをやりましょうとなったときには、みんなでフルクサスの作品の中から何が適しているかを選んで、(新たにリアリゼーションを考えて)、パフォーマンスとして面白いものになるよう考えてプログラムを組んだんですね。私の場合はそこに多少、今の作曲家としての部分が入ってくることがあるけれども、ほかのメンバーもそれぞれ今やっていらっしゃる仕事のほうに引き寄せて具体化さないましたね。過去と現在は繋がっている、という意味で続いていると思うんです。だから矛盾ではなくて、違った要素を自分の中で統合しているというか。統合して、まだもっと先にやれることがあるんじゃないかと思ってますけどね、個人的にはね。

柿沼:このあいだの「フルクスサス・イン・ジャパン」でおやりになった、《幽閉されたソナタ》なんていうのは、両方が交ざり合う作品と考えておられる。統合されている。

塩見:そうですね。でもまあ、あれは既成曲を使った単純なやり方ですけどね。

柿沼:いつだったか、聞かれたときに、「フルクサスはビッグファミリーだ」とお答えになったということですが、今でしたら、フルクサスは何だというふうにお答えになりますでしょうか。

塩見:あれから何年も経った今では、そうだなあ、ideal siblingsかな。つまり理想的なきょうだいたち。きょうだいというのは、ほら、お互い独立してて、それぞれに自分の人生をやっているわけなんだけれども、やっぱりお互いの安否がちょっと気になるし、時々近況報告をし合ったり、会うと懐かしくてワッと話に花が咲くという関係でしょ。フルクサスの友人たちともまさにそうなんですね。ただ、きょうだいと違ってアーティスト同士ですから、お互いの作品もすごく気になるし、興味津々だし、そこから刺激を得ることもあるし、「ああ、元気で活動してるんだな、良かったな」という、そういうきょうだい的な、身内的な友情みたいなものがあるのね。あえて言えばそういうことかな。

柿沼:エリック・アンデルセンは「グローバルなネットワークだ」というふうに言ってましたけれども、まあ近いでしょうか。

塩見:機能的に言えばその通りですね。私はフルクサスをまさにネットワークとして大いに活用させてもらいましたからね。《スペイシャル・ポエム》や《フルクサス・バランス》なんかで。でも、もっと人間的な意味でメンバーの関係を言うと、シブリングスかな。だからマチューナスにとっては少し違った形で実現した彼の夢なんですね。彼は、生活共同体としてもっと緊密な関係でやりたかったんだけれど、私たちは散らばってしまった。でも散らばってても、お互いの間の関心とか友情とか共同作業みたいなものはいまだに続いている。結構ヨタヨタになってますけどね(笑)。でもそうやって、とにかくインポシブルになるまで一種のコラボレーションみたいなものは続くと思うんですね。

柿沼:楽しみです。ますます続けていただけることを期待しております。

塩見:いやいや、もう絶滅危惧種ですから(笑)。


アリソン紙の服写真

アリソン・ノウルズの紙の服

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