第29回アーカイブ研究会 デジタル時代の〈記憶機関 memory institutions〉―イントロダクション


佐藤知久氏は、5日にわたる研究会とシンポジウムの前提となるイントロダクションについて説明した。図書館、博物館、アーカイブは、それぞれ携わる人々の専門性によって、見えない壁があるように思えるが、文化資源を扱うという点に関して共通の特性があり、過去の記録を扱う施設や機関の総称として「記憶機関」という言葉を使うことによって、その垣根を崩して議論できる利点があるという。あわせて2023年の京都市立芸術大学の移転を契機に、従来の付属施設の担う役割を捉え直して、新たに連関させる機構の構想が進められていることも説明された。これ
からの芸術や芸術大学にとって記憶機関はどのようなものでありうるべきか?という問いが本企画の大きなテーマである。佐藤氏はデジタル時代に記憶機関がいかに変化してきたか、そのとき、図書館がどのような場所として捉え直されているか、そして芸術大学において記憶機関がどういう役割を果たせるか、事例の紹介と問題提起を行った。たとえばジョージア工科大学の改装された図書館のように、ストレージは外部にある書物のない図書館が開設されている。この場合、デジタル知識へのアクセスを担保するのが図書館の役割となる。というのも北米での公共図書館の役割は、「市民社会の情報インフラストラクチャー」であり、教養に資するだけでなく、何らかのアクションを促すための場所だと捉えられているからである。他方で日本の公共図書館の役割は、教養の提供の場から地域づくりの核となるものに変わっていった歴史がある。芸術大学の図書館はテキストベースの調査の場所だと考えられがちだが、系列的にモノが蓄積されてきた履歴に潜りこみながら、その物質性を新たな創造につなげることにあるのだという。芸術大学の図書館・博物館・アーカイブの連携の可能性を本研究会では探っていく。
 

(石谷治寛)


第29回アーカイブ研究会
デジタル時代の〈記憶機関 memory institutions〉―イントロダクション

講師|佐藤知久(文化人類学/芸術資源研究センター教授)

日時|2020年10月16日|オンライン配信

会場|芸資研YouTubeチャンネル

第28回アーカイブ研究会 シリーズ:トラウマとアーカイブvol.04     ロマの進行形アーカイブとしての ちぐはぐな住居


岩谷彩子氏(京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)は,人類学の視点で調査研究を行い,インド移動民の夢の語りや,ヨーロッパでジプシーと呼ばれるロマの人々の文化を考察してきた。岩谷氏が調査対象とするのは,ルーマニアに住む金属加工に携わってきたロマの人々が建てる豪奢な建物である。これらは「ロマ御殿」とも呼ばれ,写真集も出版されている。岩谷氏は,この独特の建物は,記憶の反復や持続に基づく民俗学や伝統の産物というより,安定性のない「進行形アーカイブ」だと述べる。どういうことか?
岩谷氏は,その学術的背景として,近年の記憶研究を整理する。1990年代頃から「集合的記憶」(アルヴァックス)や「記憶の場」(ノラ)といった共同体の記憶を通して歴史を再構築する議論が活発になってきたが,他方で,想起に抗う記憶,共同忘却によって立ち上がる共同性といったトラウマ記憶への着目もあった。そのとき,番号化して分離・管理の道具とするアーカイブではなく,喪の作業としてアーカイブを捉える試みもなされた。たとえば美術家ボルタンスキーのような個々の遺物に名前を与え不在を共有するアーカイブ・アートや焼け焦げた跡など資料の物質性に注目する「不完全なアーカイブ」などである。岩谷氏は,ロマの家屋の様式のもつ象徴論的分析を超えた,そこを人が生きるプロセスに注目し,それを「進行形アーカイブ」としてロマの建築物の考察を続けている。それは身体と物質との関わりの中で立ち現れる環境でもあり,衣服の延長のように外部に開かれた建築であり,記憶が内面から外面へと折り広げられる場所だろう。
そもそもロマは,遊動性の高い移動生活を送るがゆえに,記録や民俗的な起源については無関心で,死に対する忌避の傾向も強いと考えられる。死者を歪めてしまうことへの恐れから,遺物を残すことへのこだわりも低く,長年の構造化された差別の経験から,対抗記憶を表明する人権運動もさほど活発にはなっていない。ルーマニアでは1864年の奴隷制度からの解放後にもロマへの差別は続き,ナチスドイツの占領後には反社会的な存在として強制収容された。戦後にロマの人々は,メタルとスクラップを売る仕事に従事し,工業化のなか蓄財をなす人々も増えた。1990年代以降に,西ヨーロッパに移住して出稼ぎをし,戦後の賠償金がなされるようになって,家を建てるというトレンドが起き,とりわけルーマニア南部の街ストレハイアでは御殿が次々と建てられるようになったのだという。
岩谷氏は調査で訪れた部屋の写真を見せながら,その目を惹く折衷的な様式からなる外観(ロマのインド起源説にもつながるアジア建築の様式やボリウッド映画スタイルの大邸宅とルーマニアの新古典主義やフォーク建築の折衷),それと対照的な空っぽの部屋(2階には誰も住まず,死者の遺物だけで満たされたり,孫のためのぬいぐるみだけが置かれたりし,大家族の客人が泊まる部屋として使われる)や,ファサードだけ設えられ建設途中で放置された建物などを紹介した。そうした開かれた家の住人の聞き取りから明らかになるのは,強制連行を逃れる途上の迫害や飢餓を生き延びながら,わずかな持参材を生き延びる糧にした経験である。
とりわけ74歳の男性のトランスニストリアでの経験の証言は不思議な夢のようで象徴的だ。彼は警察に追い立てられ馬を奪われ地下に2年間住まわされた。そこから退去させられて帰還後は,金を飲み込んで隠して持ち運び,後に便にして体外に排出することでその財を守って生き延びたという。そして近年の金の価格の高騰や賠償金によって,家が建ったのだ。移住と定住の狭間で,金が文字通り身体の内外を出入りすることで,死と生の価値が反転するような経験を,この家と人は記憶しつつも未来の忘却へと開け放っている。人類学者もまた,そのファサードの内側や証言者の内部に踏み込みながらも,その「進行形アーカイブ」を外へとつなげるメディエーターとなる。岩谷氏は,連続した記憶を持たない民は,家を残すのではなく,「エスカルゴのように脱ぎ捨てていく」,「そうしなければ生きていけなかった」という。
講演には,崇仁地区の街の記憶に取り組む人々の参加もあり,記憶の向き合い方についての類縁性も語られた。苦しい思い出を言いづらいと逆に,見栄を張って内部の人間に対して見せびらかす文化が生じるという。そうした内面は,外部の人間が調査に立ち入ることで,より複雑な表情を見せるだろう。聞き取りをして記録に残し,その記憶を内外で分かち合うことの意義があらためて確認された。

 

(石谷治寛)


第28回アーカイブ研究会

シリーズ:トラウマとアーカイブ vol.04
ロマの進行形アーカイブとしてのちぐはぐな住居

講師|岩谷彩子(文化人類学/京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)

日時|2020年2月18日(火)14:30−16:30

会場| 京都市立芸術大学芸術資源研究センター,カフェスペース内

第27回アーカイブ研究会 シリーズ:トラウマとアーカイブvol.03     このまえのドクメンタって 結局なんだったのか?!

2019年度のあいちトリエンナーレは,ドクメンタを参考にしたと言われている。ではドクメンタとは一体何なのか。2017年のドクメンタ14を中心に,石谷治寛氏(芸術資源研究センター研究員)が語った。
石谷氏の語りは,「オデュッセイアと移民」「ドクメンタの歴史のなかで」「トラウマとアーカイブ 」「都市と暴力の可視化」「ファブリック工場から芸術大学へ」「トロイアの女たち」という6つの部分から構成されている。各テーマに沿って石谷氏は,具体的な作品を詳細に紹介しながら,ドクメンタとは何かについて二時間にわたって語った。作品のもつ具体性と,その作品がドクメンタに展示される意義についての思想的背景を交差させながら進む氏の語りは,提示される情報量の多さと合わせ,文字通りめくるめくものであった。
けれども,ここで石谷氏の話の内容を「要約する」ことは,およそ不可能である。
もちろん,ヨーロッパにおける過去の出来事を多面的な視点—カッセル/ドイツと,アテネ/ギリシャという二つの具体的な視点—から読み直していくこと,その際には複数の視点を交差させていく「アーカイブ的」な仕種をも用いること……といった「特徴」をドクメンタから抽出し,整理し,図式化することは不可能ではないだろう。
個別具体的な問題,とりわけ,ナチスによる「退廃芸術」の弾圧とその掘り返しとしての「グルリットの遺産」問題や,世界各地で今も見られる検閲と焚書,国境や文化や宗教の壁を越えて移動する人間,宗教改革と宗教戦争,戦争と武器商人と美術,産業と大学,警察と都市,都市の中に建築物として残るさまざまな痕跡,記憶と記録,真実と虚構,そして移民危機と排外主義などの現在的課題等々,ドクメンタ14で参照された諸問題の社会的文化的な背景と,その作品への反映について,厳密かつアカデミックに論じることも,不可能ではないはずだ。
あるいはもう一段抽象的なレベルから,たとえば石谷氏が言及した資料 ‘The Exhibition as Medium and Plot’ (Siebenhaar, K. 2017.documenta.: A brief history of an exhibition and its contexts. B&S Siebenhaar verlag.)をもとに語ることも可能だろう。それによればドクメンタにおいて,展示空間は「芸術作品のショールーム」としてのみではなく,「思考のための,エステティック/ソーシャルな経験のための,出来事が生じるための空間」として想定されている。キュレーターは展示の「作者」であり「研究者」であるだけでなく,展示空間の「作曲者」「舞台美術家」「コレオグラファー」である。そしてドクメンタは,解読されるべきテキストであると同時に,何かと何かを媒介するメディウム,そこから何かが(アーティストだけでなく,作品の鑑賞者や,議論の参加者によっても)演じられるべきスコア(譜),つまり,完結した何かではなく,進行していくプロセスとなる。そのようなものとしての〈展示〉の可能性を,現在と歴史を背景に探究すること—それがドクメンタなのだと,そう結論めかして語ることもできなくはないだろう。
だが石谷氏があえてこうした語り口をとらず,いくつかの注意点を際立たせつつも,つねに個々のアーティストと作品,および作品が置かれた場のそれぞれについて論じることに回帰しながら,いわばもういちどドクメンタを再演するかのように語った点に,ここでは注意しておきたい。そこには,ドクメンタとは何かを明示することではなく,むしろ「ドクメンタから学ぶ」こと,ドクメンタをスコアとしてつぎの行為へと進むことが重要なのだ,というメッセージが含まれているように思える。そしてそれこそ,「ドクメンタってなんだったのか」という問いへの,正確な反応ではないだろうか。

 

(佐藤知久)


第27回アーカイブ研究会

シリーズ:トラウマとアーカイブvol.03
このまえのドクメンタって 結局なんだったのか?!

講師|石谷治寛(京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員/芸術論・美術史)

日時|2019年12月17日(火)17:30−

会場| 京都市立芸術大学芸術資源研究センター,カフェスペース内

京焼海外文献アーカイブ活動報告

2017年6月16日(金)

米国を代表する陶芸コースをお持ちのアルフレッド大学陶磁器美術館館長のウェイン・ヒグビー先生と, 同大准教授のメガン・ジョーンズ先生が京都市立芸術大学と芸術資料館を見学に来られました。
美術学部工芸科陶磁器専攻3回生の芸術資料館所蔵の歴史的な京焼に触れる授業にも参加。アメリカの陶芸家という我々とは異なる視線から,学生に対して京焼の名品の見方の指導など,貴重な体験を提供いただきました。

(芸術資源研究センター研究員 前﨑 信也)

京焼海外文献アーカイブ

伊藤若冲生誕300年記念シンポジウム『若冲デザインの先進性』の報告

2016_jakuchu_会場2016_jakuchu

 

平成28年7月1日(金)午後2時からロームシアター京都で,芸術資源研究センターが後援の,関西元気文化圏推進フォーラム「文化芸術の再発見」VII 伊藤若冲生誕300年記念シンポジウム『若冲デザインの先進性』が開催されました。前﨑信也研究員がシンポジウムのコーディ—ネーターとして参加。当日は1650名の方にご来場いただきました。 (さらに…)

「アート・アーカイヴ・シンポジウム 関西地区アート・アーカイヴの現状と展望」の報告

P1030072_Fotor

 5月24日,あべのハルカス内の大阪芸術大学スカイキャンパスにて「アート・アーカイヴ・シンポジウム――関西地区アート・アーカイヴの現状と展望――」が開催されました。このシンポジウムでは,芸術資源研究センター(以下「当センター」)専任研究員である加治屋健司を含む5人の登壇者が報告を行いました。
(さらに…)

国際ワークショップ「Ceramics, Art and Cultural Production」の報告

image02
5月23日,イギリスのセインズベリー日本藝術研究所で開催された国際ワークショップに発表者として参加してきました。発表は大正時代の陶芸教育について。世界を代表する日本の陶芸研究者が集まる貴重な場でしたので,ARCが進める富本憲吉資料のアーカイブ化についての紹介も行いました。
(芸術資源研究センター非常勤研究員 前﨑信也)

アーカイブ

ページトップへ戻る