第26回アーカイブ研究会のお知らせ


第26回アーカイブ研究会

シリーズ:トラウマとアーカイブvol.2
parallax(視差)―「向こう側」から日本を見る


    シリーズ第二回目は,高嶋慈氏をお迎えします。

  • 日時:2019年10月24日(木)17:30−
  • 場所:京都市立芸術大学 芸術資源研究センター
  • 参加無料(事前申込不要)

チラシ


占領期の日本で,将校用家族住宅としてGHQに接収された個人邸宅である「接収住宅」。20世紀初頭の朝鮮半島で,鉄道路線の中継地点として日本人が作った街,大田(テジョン)。植民地期の釜山に住んだ日本人の墓地を土台にし,朝鮮戦争の避難民がバラックを建てて住んだ「峨嵋洞(アミドン)」。日本の中の「アメリカ」と,朝鮮半島の中の「日本」。アーカイブに保存された写真イメージに残る「占領」の記憶。今も人が住む住宅,無人の廃屋,リノベーションされた店舗,再開発が同時進行し,忘却,融合と共存,上書き,転用,そして抹消という複数のレイヤーが共存する空間。批評家として美術作家のリサーチに並走するなかで見えてきた,入れ子状になった「占領」の記憶について,「トラウマ的な負の記憶が堆積する場所」としてのアーカイブと建築物を通して考えます。アメリカ国立公文書館が所蔵する「接収住宅」の写真資料と,韓国の大田に現存する日本家屋や住居の一部となった墓石の事例とともに,アートを通して負の記憶に対峙することの可能性や意義について考えます。合わせて,9月に行った韓国現地レポートも交えてお話しします。 (高嶋慈)


芸術資源研究センターが行う研究会「アーカイブ研究会」では,今年度〈シリーズ:トラウマとアーカイブ〉と題して,連続的な講演と議論の場をもちます。
公的な歴史や大きな物語からこぼれおち,それゆえ忘れ去られていく出来事とその記憶については,その記憶を聞きとり,引きうけ,わがこととして受けつぐ試みが,近年多くの場面で行われ,論じられています。
今回考えてみたいのは,忘れ去られつつあり,かつ忘れてはならないと思われるにも関わらず,差別や暴力の経験,負の記憶に結びついているために,あるいは今それについて語ることが新たな暴力や差別を引き起こしかねないために,思い出すことや語ること自体が現在でも困難であるような出来事とその記憶―トラウマ的な記憶―についてです。
たとえば,差別の経験や,国と国のあいまにある中間的な場所の記憶などについては,それについて語る・想起する・言及すること自体が,当事者にとってはもちろん,アーティストや研究者にとってもむずかしいという現状があります。しかしながらだからこそ,そうしたことがらについて語り,聞き,話すための場所が必要だとも言えます。
では実際に,こうした経験と記憶については,どのような試みやアプローチが可能でしょうか。本シリーズでは,記憶をアーカイブする装置としての芸術やフィクションの可能性に注目してみます。集団的というよりも個的な記憶,言語的・歴史的史料というよりも,フィクションや視覚的資料,そしてさまざまな「モノ」などに焦点をあてるこうした実践が,いまどのように可能なのか。異なるフィールドを対象に,忘れられるべきではない経験と記憶についての研究や表現活動を実践してこられた方たちをお迎えし,語ること,想起すること,聞きとり・引きうけ・受けつぐことの可能性とその具体案について,考えてみたいと思います。(芸術資源研究センター教授 佐藤知久)


■講師プロフィール
講師:高嶋慈|Takashima Megumi
京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員。美術・舞台芸術批評。ウェブマガジンartscapeにてレビューを連載中。企画した展覧会に,「Project ‘Mirrors’ 稲垣智子個展:はざまをひらく」(2013年,京都芸術センター),「egØ-『主体』を問い直す-」展(2014年,punto,京都),大坪晶「Shadow in the House」展(2018年,京都市立芸術大学 小ギャラリー)。共著に『身体感覚の旅 ― 舞踊家レジーヌ・ショピノとパシフィックメルティングポット』(2017)。

ページトップへ戻る