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平成24年度学部入学式並びに大学院入学式を開催2012.04.10

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平成24年4月10日,平成24年度美術学部・音楽学部入学式並びに大学院美術研究科・音楽研究科入学式を執り行いました。

美術学部135名,音楽学部63名,美術研究科修士課程61名,音楽研究科修士課程22名,美術研究科博士課程15名,音楽研究科博士課程3名が,門川大作京都市長をはじめ来賓の皆様,保護者の皆様,教職員に温かく見守られ,入学式に参加しました。

  

  

春のうららかな気候の中,新入生の皆さんの少しの緊張と,大きな期待に満ちた表情がひときわ輝き,新しい風を感じられる入学式となりました。

 

新入生の皆さん,ご入学おめでとうございます。

皆さんの大学生活が,実りある人生の1ページとなりますように。

本学一同,心よりお祝い申し上げます。

 

<学長式辞>

 本日ここに、門川大作京都市長をはじめとして、経営審議会、教育研究審議会、美術教育後援会、音楽教育後援会、美術学部同窓会、音楽学部同窓会のご来賓の皆様のご臨席を仰ぎ、美術学部135名、音楽学部63名、美術研究科61名、音楽研究科22名、美術研究科博士課程15名、音楽研究科博士課程3名、総計299名を迎える入学式を挙行するに当たり、京都市立芸術大学を代表して、心からのお祝いの言葉を申し述べさせていただきます。

皆さんが晴れて入学を果たした本学は、開学以来132年という芸術系大学としては我が国でもっとも長い歴史を誇っており、文字通り日本の近現代芸術の屋台骨を支える美術家たちを輩出してきました。音楽学部もまた今年で創設60周年という記念すべき年を迎え、国際的に注目されている数々の輝かしい才能を世に送り出すようになっています。皆さんも、その燦然たる芸術の歴史に自らも身を投じるのだという意欲とプライドをもって本学に入ってこられたことでしょう。私たちはそうした若々しい情熱を頼もしく思い、皆さんの夢の実現のために一緒に歩んで行こうと考えています。

本学のすぐれた教授陣やスタッフによる充実した少人数教育は、芸術の道を志す者にとっての理想的な環境であり、そこでの勉学や研究は必ずや皆さんの成長に大きく寄与することでしょう。皆さんに与えられたもう一つの特権。それは、まさに本学が京都という町に位置しているという点にあります。いうまでもなく京都は世界有数の卓越した文化財と重厚な伝統で知られる都市ですが、単に過去の遺産だけに安住するのではなく、新たな文化、独創的な芸術の発信基地としての活気にも満ちています。この素晴らしい町の伝統と革新の息吹に触れながら学生生活を過ごせるということ。それは皆さんにとって他にかけがえのない経験になるに違いありません。

京都の市民に支えられた本学は、この町の文化的シンボルとしての役割を担ってもいます。学生諸君もまた、暖かい目で見守ってくれる市民の方々の期待を背に勉学にいそしんで下さい。

2000年には日本伝統音楽研究センターが開設され、二学部一研究所という教育・研究の組織を整えた本学ですが、本年度からは公立大学法人という新たな体制のもとに再出発することになりました。偶然とはいえ、皆さんは本学にとっての重要な節目の年に学生生活を始められるわけです。新体制でも市民に支えられる大学という点に変わりはありませんが、法人としてのより自主的な運営が可能になります。芸術の王道を行くという本学ならではの伝統を踏まえつつも、この大きな変革を機会に、より積極的な活動を展開すべく、目下鋭意準備を進めているところです。皆さんと共に大学の新時代を築いていこうと私たちも決意を新たにしているのです。

さてこれから勉学を始めようとしている皆さんの前に、私はあえて書生論的な問題を持ち出してみようと思います。芸術の道を究めるために、なぜ大学に学ぶのか。

そう問われて最初にかえってくるのは、おそらく表現者としての技術を身に付けること、という答えでしょう。本学が芸術大学であるかぎり、それは第一義的な理由であるに違いありません。語源的にいっても、アートという言葉のもとになったラテン語のアルスは、技術を意味するギリシャ語のテクネという言葉の翻訳語であり、また日本ではartを芸と術という二つの漢字の組み合わせで翻訳したことにも、芸術と技術が同根であり不可分であることが如実に見て取れるのです。

アーティストを目ざす者が大学に身を置くことのもう一つの理由は、芸術に関する理論を学ぶことにあるはずです。しかし技術を学ぶことに関しては疑問の余地がなかったのに対して、こちらの方はあるいは異論がありうるかもしれません。歴史家や美学者、批評家を目ざすならともかく、アーティストが理屈を勉強してどうなるのだ。理論では作品は造れないよ、というわけです。芸術は論理ではなく感性の世界であるというのは、世間の通念であって、皆さんのなかにもそう思っている人は少なくないのではないでしょうか。

たしかにいくら理論をきわめても、それでいい作品が造れるわけではありません。優れた作品とは理論の彼岸にあり、最終的には謎というほかはないポエジーを有しているのです。そのこと認めた上で、しかし私はなおアーティストにとっても論理な思考力は不可欠であると、これから大学生活を始める皆さんにお伝えしておきたいのです。論理だけによって優れた作品が生まれるわけではないが、優れた作品は必ず論理性を秘めているといってもいいでしょう。

皆さんが古典や敬愛する先達の作品に潜在しているはずの論理的な骨格を探求し理解しようとすることは、皆さん自身の制作にとってもきわめて重要な意味をもってくるに違いありません。もちろん論理によって古典の秘密のすべてが明らかになるわけではありません。セザンヌならセザンヌの作品をキュビスム的な視点で空間的に分析し、またアレゴリー論的に描かれた内容を解釈してみても、その向こうにどうしようもない謎が浮かび上がってきます。そしておそらくはその不思議さこそがセザンヌの世界の最大の魅力をなしているのです。

では論理は芸術に関しては無効なのか。技術以外のことは学ぶ必要はないのかというと、私はそうは思いません。もし論理的な思考を放棄するなら、作品の謎はきわめて浅いもの、安易に見て取れるもの、さほど不思議ではないものに留まってしまうでしょう。論理的な思考を突き詰めるだけ突き詰めれば、その先に浮かぶ謎はそれだけ深いものになり、作品の魅力は一層不思議な輝きを増すことになるのです。論理を越えたものは、論理の先にしか立ち現われないといってもいいでしょう。芸術は感性の世界だといって、情緒的な雰囲気だけにおもねていたのでは謎は通俗的なものに留まってしまうのです。

もちろんここでいう論理性はいわゆる言葉で語りうるものには限りません。バロックの時代の美術や音楽を、あるいは中近東のアラベスクの建築を見ればわかるように、ジャンルを問わず、また時代や地域を問わず、論理的な思考は優れた芸術に通底して看取されるものです。皆さんがいかなる領域を専門として選ぼうとも、芸術が耳や目や手による思考でもあることを、どこかで思い起していただければと願っております。

アーティストの道を目ざすものが大学に学ぶことのさらに重要な意義。それは大学が志を同じくする仲間たちとの出会いの場であるという点にあります。お互いに啓発しあい、またライバルでもあるようなアーティストの卵たちに囲まれた環境は、時に悩み、またくじけそうになることもあるであろう勉学と創造の日々の支えとなり、勇気づけてくれることでしょう。本学の先生方も皆さんにとって教育者であり、またアーティストとしての敬愛する目標であると同時に、喜びや悩みを分かち合うことのできる同志でもあるのです。

新たに校門をくぐってきた皆さんの目の輝きを、私たちは心から歓迎しています。どうか京都市立芸術大学の恵まれた環境を存分に生かして、これからの大学生活を充実したものにしてください。本日は父兄の方々も大勢お見えでいらっしゃいますが、学生たちの成長を暖かい目で支えてくださるようお願い申し上げます。本日は本当におめでとうございます。

これももってお祝いの言葉とさせていただきます。

 

                                       平成24年4月10日

                                       京都市立芸術大学長    建畠晢