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平成27年度学部卒業式並びに大学院学位記授与式を開催2016.03.23

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 平成28年3月23日,平成27年度美術学部・音楽学部卒業式並びに大学院美術研究科・音楽研究科学位記授与式を執り行いました。

 美術学部133名,音楽学部54名,美術研究科修士課程58名,音楽研究科修士課程22名,美術研究科博士課程8名が,門川大作京都市長をはじめ来賓の皆様,保護者の皆様,教職員に温かく見守られ,卒業式並びに学位記授与式に参加しました。

 今年も例年どおり,美術学部・大学院の多くの学生は,映画やアニメのキャラクターなど,自作の仮装で出席しました。音楽学部生による答辞の途中,サプライズで声楽専攻の学生たちによる卒業ソングの合唱が始まったりと,壇上での演出にも趣向を凝らし,会場は笑顔が絶えず,本学らしい和やかでアットホームな式となりました。

 

   

 

 

 卒業生・修了生の皆さん,本当におめでとうございます。

 本学一同,皆さんのご活躍を心から期待しております。

学長式辞

 本日ここに集われた美術学部133名,音楽学部54名の卒業生のみなさん,大学院美術研究科58名,音楽研究科22名の修士課程修了生のみなさん,そして美術研究科8名の博士課程修了生のみなさん,ご卒業ならびに修了,まことにおめでとうございます。ご臨席いただいたご家族のみなさまにも心からお祝い申し上げます。

 また,門川大作京都市長をはじめ,美術教育後援会,音楽教育後援会,美術学部同窓会,音楽学部同窓会のご来賓のみなさまにもご列席いただきましたことに,京都市立芸術大学を代表して深く感謝申し上げます。

 みなさんとは一年だけのおつきあいでしたが,京芸でのこの一年は,私にとって,長い教員生活のなかでもとりわけ印象深いものでした。着任早々のことでした。学長室で仕事をしていたら,春休みをはさんで久しぶりに会う学生たちが大声で友だちを呼び,先生を呼ぶ声が聞こえました。キャンパスでこんなにも明るく大声を出せる大学は,いまどき,他にはありません。愉快になって,さっそく事務の方にキャンパスを案内してもらいました。その方は,学生とすれ違うと,一人ひとり,どういう学生か教えてくれました。一回生の総合基礎実技の作品展のときは,朝大学に来ると,ニセ応援団の熱い呼び込みを受けたり,事務棟の階段に可愛くも意味不明なマスコットが飾られていたりしました。嬉しい朝の出迎えでした。五芸祭のクロージングでは,中央広場でどこからともなくサンバのリズムが始まり,学生のみならず職員までが居ても立ってもいられなくて職場を放棄し,踊りの輪に入っていきました。みなさんの制作風景,練習風景が見たくて,授業をのぞかせてもらったときは,迷ったり思いつめたり頸を傾げたりしているのに,こちらの質問にははきはき答えてくれました。秋には時間をかけた芸大祭の準備,年末には,音楽学部のほぼ総勢が参加した定期演奏会で,みなさんのきりっとした面持ちにふれて震えました。年が明けて,美術学部の作品展では,タイムリミットぎりぎりまで格闘したみなさんの作品群に出会い,一つのことにここまで真剣に取り組む学生たちがいることに感動しました。

 一年を通じてわたしは,大事な二つのことを目撃しつづけました。

 一つは,みなさんが「とことん」ということを経験したことです。何ごとであれ,寝食を忘れるくらいにのめり込んだ経験は,人生の財産です。失敗してもいい,とにかく何かをとことん突きつめたという経験は,のちの人生で行き詰まったとき,「あのときはあそこまでやったんだから,できたんだから」という記憶とともにあなたたちを支えるはずです。そんな大事な経験をあなたたちはした。そしてそれを潜り抜けたあとは,これまた豪快なばかりにほどけ散った。この集中とほどけのコントラストはとても見事でした。

 もう一つは,みなさんが,それぞれがそれぞれの課題と格闘しながらも,他大学では見られないくらいに,たがいによく助けあったということです。もちろん,一人に戻ったときの焦りや苦しみ,あがきも十分,含み込んだうえで言っているのですが。

 ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムは,オーケストラの演奏について,こう語っています。

 《音楽の本質に対する最悪の罪は,それを機械的に演奏することだと思う。(中略)たとえ二つの音符でさえも機械的に演奏してはならないというのは,すなわちオーケストラ奏者のプロフィールは一人ひとりみな異なっているということだ。オーケストラ奏者の態度として最悪なのは,非常によく準備ができていて,完璧に演奏することができるのだけれども,個性というものをまったく欠いているというものだ》と。

 一人ひとりがみな違う存在であること。そのことをたがいに承認しあえているということ。このことは,社会での暮らしや活動においてもとても重要なことです。

 ここでもう一つ,越後妻有や瀬戸内の芸術祭を企画・運営してきたアートディレクター,北川フラムさんの言葉も引いておきたいと思います。彼は近著『ひらく美術』のなかで,美術についても同じことを言っています。

《美術は人と異なったことをして褒められることはあっても叱られることはありません。美術は一人ひとりが異なった人間の,異なった表現だと考えられているからです。それぞれ違う一人ひとりが一緒に生き,何かをやっていくことは大変手間のかかることです。だから尊いのです》,と。

 そして高らかにこう続けます。

《美術,芸能だけが,「人と違って褒められる」ことがある唯一のジャンルです。ここに美術の栄光があり存在価値があります。(中略)今,この瞬間に地球上に72億人の異なった人がいるという,厳粛で,微笑ましい事実が美術の思想的基盤なのです》,と。

 バレンボイムと北川フラム,このお二人がたまたまことばを揃えて言っているように,一人ひとりが異なる存在であること,このことはいくら強調しても強調しすぎるということはありません。だれをも「一」と捉え,それ以上とも以下とも考えないこと。これは民主主義の原則です。けれどもここで「一」は同質の単位のことではありません。一人ひとりの存在を違うものとして尊重すること。そして人をまとめ,平均化し,同じ方向を向かせようとする動きに,最後まで抵抗するのが,芸術だということです。

 その意味で芸術は民主主義の精神ときわめて近いものなのです。先ほど引いたバレンボイムはこうも書いていました。

 だから「民主的な社会に暮らす方法を学びたいのならば,オーケストラで演奏するのがよいだろう。オーケストラで演奏すれば,自分が先導するときと追従するときがわかるようになる」,と。「他の人たちのために場所を残しながら,同時にまた自分自身の場所を主張する」,そういうこともできるようになるというのです。

 そういう意味では,芸術は何か人びとの鑑賞にたえる美しいものを創り上げる活動というよりは,日々の暮らしの根底にあるべき一つの〈態度〉のようなものかもしれません。死者をどう弔うかという態度。他者の悲しみにどう寄り添うのかという態度。人びととどう助け合うのかという態度。政治的なものにどう参加するのか,さらには自分自身にどう向きあうのか,生き物としての,あるいは身体としての自分の存在にどうかかわっていくのかについての態度,それらを貫く一つのたしかな〈態度〉として芸術はあるのです。

 よく言われるように。芸術が国家よりも古い《人類史的》ないとなみであるというのは,それがどんな時代にあっても人びとの暮らしの根底で働きだしてきたからです。それを深く経験しはじめているみなさんには,これからどのような場所で,どのような職業をつうじて芸術にかかわり続けるにしろ,芸術をつうじて,同じ時代を生きる人びとの歓びや悲しみ,苦しみに深く寄り添い,どんな苦境のなかでも希望の光を絶やさぬよう,力を尽くしていただきたいと思います。

 美術学部の人なら,アーティスト,あるいは学校の教員,美術館の職員,さらには企業の広報やデザイン部門,NPOのメンバーなど,これから就かれる仕事はさまざまでしょう。音楽学部なら,演奏家,伴奏者,音楽イベントのプロデューサー,そして照明や音響の技師,音楽科の教師,さらには企業,NPOなど,数々の職に就かれもすることでしょう。あなた方がこれからどんな仕事に就かれるにしても,この大学で芸術にいちど,寝食を忘れるまでにとことん取り組んだ経験は,これまで申し上げたような意味で,このあとかならず大きな財産になると信じています。

 みなさんの未来に芸術の深い慈しみの光が射し続けることを祈って,以上,私からの祝福のことばとさせていただきます。みなさん,どうかお元気で。

平成28年3月23日

京都市立芸術大学長

鷲田清一