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平成30年度京都市立芸術大学入学式を開催2018.04.10

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 平成30年4月10日,平成30年度京都市立芸術大学入学式を執り行いました。

 美術学部135名,音楽学部65名,美術研究科修士課程63名,音楽研究科修士課程20名,美術研究科博士後期課程6名,音楽研究科博士後期課程1名の総計290名が,門川大作京都市長をはじめ来賓の皆様,保護者の皆様,教職員に温かく見守られ,入学式に参加しました。

学長挨拶  門川大作京都市長御祝辞

門川市長遠景  舞台からの風景

 また,開式にあたって,音楽学部在学生が歓迎ファンファーレ「ポール・デュカ作曲 舞踊詩《ラ・ペリ》より」を披露しました。

ファンファーレ  ファンファーレ

晴天の下に行われた本年度の入学式,新入生はそれぞれの思いを胸に抱き,期待に満ちた表情が輝く晴々とした顔で参加されていました。

学部代表宣誓  大学院代表宣誓

新入生の皆さん,御入学おめでとうございます。

皆様の大学生活が,実りある人生の1ページとなりますように。

教職員一同,心よりお祝い申し上げます。

 

学長式辞

学長式辞  本日ここに集われた200名の学部生,90名の大学院生のみなさん,入学ならびに進学おめでとうございます。ご臨席いただいたご家族のみなさまにも心よりお祝い申し上げます。また,門川大作京都市長をはじめ,経営審議会,美術教育後援会,音楽教育後援会,美術学部同窓会,音楽学部同窓会のご来賓のみなさまにも,ご臨席いただけましたことに,京都市立芸術大学を代表して深く御礼申し上げます。

 今日,みなさんが集われたこの京都市立芸術大学は,1880年(明治13年)に創立されたわが国でもっとも古い歴史をもつ芸術系の大学です。当初は画学校として設置されましたが,1950年に京都市立美術大学として再発足したのち,2年後の1952年には京都市立音楽短期大学も創立され,それらを統合するかたちで1969年にいまの京都市立芸術大学となりました。

 京都市立芸術大学は,その間,伝統芸術をしかと継承し,それをさらに究めるとともに,日本の近現代芸術の屋台骨を支えつつ,世界的にも評価される芸術家たちを数多く世に送りだしてきました。京都芸大のその長くて厚い歴史にみなさんがこれからどんな新たな一頁を記してゆくのか。それをとても楽しみにしています。

 さて,みなさんを迎えるにあたって,最初にお願いしたいのは,「体を大事にしてください」ということです。芸術においては何より体が資本だから,というのではありません。また,筋肉をつけるとか,肺活量を増やすとかいったフィジカルなことを言っているのでもありません。そうではなく,体は,だれにあっても,世界を感知する大事なセンサーだからです。別の言い方をすれば,一人ひとりの存在に懸かるいろいろな外圧もしくは内圧と向きあいながら,あるいは驚きや喜び,不安や恐怖に襲われながら,それらを別のかたちへと変換するトランスフォーマー,つまり変圧器のようなものだからです。

 そして,人と人とのあいだで,あるいは人と自然とのあいだで感じたささやかな感動,深い感動を,あるいは時代の現状に対して内から立ち起こる,微かな違和感,もしくは禍々しいまでの違和感を,一つの確かな表現へと転換してゆくのが芸術なのです。

 わたしはかねがね,芸術の仕事とはカナリアのそれのようなものではないかと思ってきました。

 炭鉱では,カナリアの入った鳥籠を先頭に掲げて入坑すると聞きます。異臭に,あるいはノイズに,ヒトよりうんと敏感で,だから炭鉱でもそのような異変にヒトより先に反応するからです。環境の,社会の,微かな異変,あるいはその徴候に,濃やかに感応する……。人が芸術家に期待しているのもそういうものではないでしょうか。

 それにまた,感じやすいというのは,傷つきやすいということでもあります。傷つきやすいというのは,他の人びとの圧し殺された声,いまにも途切れそうな,消え入りそうな小さな声が聞こえるということでもあるのです。芸術にはそういった深い慈しみや包容力もあります。

 もう一つ付け加えておけば,芸術家は,何ごとも,用意されたマニュアルどおりにおこなうことをよしとしません。何かに問題を感じたとき,どう判断したらいいか,どう対処したらいいかがよくわからないまま,しかし「感触」や「手ごたえ」といった身体の感覚をたよりに,世界を,時代を,自分の手でまさぐろうとします。たとえ「想定外」のことが起こっても,とりあえずは周りのありあわせの物でなんとかやりくりして対処しようとします。食う,着る,住まうといった,人のもっとも基本的ないとなみに思いもよらない事態が生じても,手許にある素材でなんとか繕おうとする。そうした手業(てわざ)に長けているのが芸術家です。

 もういちど整理して言いますと,異変の徴候への鋭い感受性と,どんな状況にも手業でそれに対応できる器用さ,この二つが,人がしたたかに生き延びるために不可欠だとすれば,芸術こそそれにもっとも秀でたわざ,つまりアートであると思うのです。

 絵本作家の荒井良二さんがこんなふうに言っています。——「ものをつくる人には,人が気づかないようなところを掘り下げる役割がある」と(『ぼくの絵本じゃあにぃ』)。「人が気づかないところ」,あるいは微かな異変の徴候を,人より先に感知すること,そしてそれを「掘り下げる」こと。それが芸術の仕事だというのです。そして続けて,だからこそ芸術においては,「作品を作るよりも『?』を持って帰る」ことを大事にしないといけないと言います。

 でも「?」というのは何でしょうか? いうまでもなく「わからない」ということ,「とっさに理解できない」ということです。人の理解にはいろんな限界があります。世界は「今,ここ」という限られた一点からしかじかには体験できないというのが一つです。また,育ってきた環境の制約というのもあります。が,もっと根が深いのは,理解には枠組みがあるということです。これはこんなふうに見る,受けとめるという,それぞれが属している文化の枠です。同じ時代,同じ文化のなかで育ってきた人は,世界を,同じ言語を用いて,同じような仕方で理解します。だから自分たちが世界だと思っているものの外にもっと違った世界があるということに,なかなか想像が及びません。じぶんのなじんできた解釈のレパートリーの中へ何でも押し込もうとする。理解できないこと,わからないことを取るに足りないこととして無視するか、あるいはそれらを無理やり手持ちの枠の中に押し込めようとするのです。

 そういうことをくり返しているうち,世界は歪んできます。しかも歪んだ見方をしていることに,当の本人は気づきません。世界にはわからないことが溢れているのですが,わからないことにわからないままきちんと出会うというのは,このようにとても難しいことなのです。

 わたしもあなた方と同じような年頃のとき,大学や町なかで,いろんな場面,いろんな出来事に遭遇したはずなのに,今から思えばそのほんの一面しか見ていなかったことを,今になって悔やむことが多いです。そこで起こっていたことを,じぶんの狭い関心からピンポイントで見るだけで,じぶんの理解を超えたものを,わからないままに,しかと受けとめる,じぶんのなかに食い入らせるということを,きちんとしてこなかったことを,今頃になってひどく後悔したりします。

 現代では,そういった狭い関心のみならず,情報検索のツールが豊かになっているぶん,「わかったつもり」になることがさらに多くなっているかもしれません。こうして世界はますます閉じていきます。

 作家の宮内悠介さんが先週,ある新聞でこう書いていました。——「ぼくたちがいるのは,すべてがわかった世界ではなく,何がわからないかがわかりにくくなった世界なのだ」と(「朝日新聞」2018年4月2日朝刊)。

 わたしたちは「わからないもの」つまりじぶんの「外」へと世界を広げてゆかねばなりません。じぶんをこの世界,この社会に正確にマッピングするためには,そういう作業がどうしても必要です。が,それがとんでもなく難しい。

 人には知らないこと,解決できないことがいっぱいあります。そんななかで,「わからないけどこれは大事」という,そんな〈余白〉を拡げてゆくのが芸術ではないかと,わたしは思っています。というのも,最初に申し上げたとおり,芸術は,世界をたんに言葉や情報で理解するのではなく,体のさまざまなセンサーを動員するものだからです。世界について,手がかり,手ざわり,手ごたえというものを,とくに重要視するからです。世界から自分を切り離すのではなく,切り離された世界へとじぶんをもういちど繋いでゆこうとするものだからです。

 そういう意味でわたしがこのところ目を離せないでいるのは,東日本大震災のあと,狩猟の場,つまり食う/食われるという,生存の可能性の原点となる位相に身を置きはじめた何人かの女性美術家たちです。彼女たちは,山に潜む獣(しし)たちを撃つ猟師に同行し,仕留めた獣を解体し,肉や内臓をいただき,革をなめし,骨を土に返すという作業の場に入り込んでいます。

 猟に臨んだ彼女ら美術家の一人,鴻池朋子さんはその猟の現場で,猟師の顔がときに動物のそれに見えたことに衝撃を受けました。それに,猟師たちは獲物たちがみずから罠にかかりにやって来てくれたかのように話す。それは「まるでどこかの位相で猟師と動物が事前に連絡を取り合っているかのよう」だったというのです(『どうぶつのことば』)。

 こういう体験をするなかで,鴻池さんは,それまで取り組んできた〈芸術〉をもはや「自由」や「自己表現」といった悠長なことばでは語りえなくなったと言います。〈芸術〉の現在と,知らぬまにまるで「仮死状態」になっていた〈動物〉としてのじぶんとを,切り離せなくなったというのです。そして,食うか食われるかの〈動物〉の世界にじぶんも〈動物〉としてじかに繋がっているという,そうした連続のなかにアートの立ち上がるべき場所があると,彼女は確信したのでした。

 芸術家のもつカナリアのようなセンサーは,彼女をして,芸術への問いを,生きるということのそのような根源の場所にまで溯らせたのでした。わたしには,このことが,先の荒井良二さんの言葉,「ものをつくる人には,人が気づかないようなところを掘り下げる役割がある」という言葉と深く共振しているように思えてなりません。

 「わからないこと」「?」を抹消しようとしないで,ともかく大事にしてほしいという,わたしのみなさんへのお願いが,とんでもない方向に発展していきそうなのでそろそろ話を結ばなければなりませんが,最後にもう一つ,カナリアに寄せてみなさんに申し上げたいことがあります。

 日本で最初の童謡の一つ,西条八十が作詞した「かなりや」という歌です。詩は大正7年(1918)に書かれましたから,今からちょうど百年前のことです。家族を養うために生活に追われ,詩作に打ち込めなくなったじぶんをまるで愛おしむかのように,次のように詠みました。

唄を忘れた金絲雀(かなりや)は,後(うしろ)の山に棄てましよか。
いえ,いえ,それはなりませぬ。
唄を忘れた金絲雀は,背戸の小藪に埋(い)けましよか。
いえ,いえ,それはなりませぬ。
唄を忘れた金絲雀は,柳の鞭でぶちましよか。
いえ,いえ,それはかはいさう。

 この大学の難しい入学試験をクリアされたみなさんは,きっと高校時代から,優れた才能を羨ましがられてきたことでしょう。これまでは「あの人はできる」と称賛されることが多かったのではないかと思います。でも,今日から「できてあたりまえ」の日々が始まります。そして制作や演奏に取り組むなかで,きっと何度も悩むはずです。描けなくなったら,弾けなくなったらどうしようという焦りもあれば,自分には才能も,いやそもそも意欲がないのではないかと考え込むことにもなるでしょう。そう,何度も何度もじぶんの限界に突き当たって,この歌のように苦しみ,悶々とする時がやってきます。

 ただ,この大学には,「ちょっと助けて」と声を上げれば,だれかがすぐに駆けつけてくれるような,言ってみれば温い気風があります。困ったら,教えてもらう,貸してもらう,直してもらう,手伝ってもらうということが,何の遠慮もなくあたりまえのようにできる空気です。糊代いっぱいのこの空気こそ,ここでは自分は見棄てられていない,孤立してないという安心感を与えてくれるものです。そしてこれは,わたしたちの社会にもっとも必要なものでもあるのです。そういう意味では,この技もまた,先の「?」と並んで,制作や演奏の技術以上にたいせつなものではないかと,わたしは思うのです。

 みなさんの健闘と幸運を祈ります。

平成30年4月10日 京都市立芸術大学学長 鷲田清一

講堂全体  舞台の花