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2011年度 シドニー芸術大学/オーストラリア 上坂秀明

氏名 上坂 秀明
学年 2回生
学部 美術研究科修士課程
専攻等 日本画
留学先 シドニー芸術大学(Sydney College of Arts)/オーストラリア
留学先専攻 Contemporary Art (painting)
留学期間 2011年7月~11月

留学行動記録

7月15日 日本出国
7月16日 シドニー到着/滞在先のシェアハウスに到着
7月18日 大学訪問・メインキャンパスにて総合案内
7月19日 Uni Key・学生証取得
7月26日 ロジールキャンパスにて授業案内/授業登録
7月27日~

授業スタート

・毎週月授業

・水、木がチュートリアル/その他は主にスタジオで制作

8月18日 スタジオにて中間発表(クラスメイトのスタジオも見学)
9月6日 Work Shop にて電動工具の実習
9月15日~16日 バンダノンレジデンス施設で宿泊実習
9月28日~10月4日 ダーウィンに旅行
10月25日 授業用プレゼンテーション
10月25日~11月1日 “View Point” 個展
10月27日 個展会場にて最終発表
11月11日 シドニー出発
 11月11日 日本帰国

渡航~オリエンテーションまで

僕の場合渡航したのが7/15で、16日の朝に現地に着きました。学校のオリエンテーションがさっそく18日よりありました。最初にメインキャンパスで、この年より通う事になる留学生約300人と式典 があり、日本人も芸術科の人も見当たらず、隣の韓国の経済科の学生と話をし、行動をともにしました。その後、その300人とパーティーがありました。明くる日もオリエンテーションが朝からあり、英語で学校の使用方法や個人のメールや図書館の使い方、学生証の作り方などの説明があり、なまっている上に初心者には速い話し方のため前日知り合った人に聞きながらなんとか手続きを終えました。(第一段階メインキャンパスにてエンロールメント手続きが終わり、保険も含む。学生カードを手に入る。)そして1週間自由な時間があり、26日にやっと学校が始まりました。初日は美術校舎の使い方や自分の場所、授業確認、制作場所案内などがありました。

授業や制作について

授業は院1と院2、専門も彫刻、フォトメディア、ペインティングの人たちと一緒に受けます。そしてみんな個人のプロジェクトを決めて制作します。月・金曜はスタジオで自由制作、火曜はロビン先生の制作の身の回りの事についてレクチャー、水曜はリンディー先生のチュートリアル、木曜はテリーまたはロビンによるチュートリアルです。土・日休みです。このサイクルをベースにたまに旅行や買い物やパーティーがありました。クラスには子持ちのお母さんも3人いて、仕事掛け持ちの学生も多く、みんなで16人前後、さらにパートタイムの学生もいるので、スタジオは貸し切り状態です。とにかくチュートリアルもおおいので話す機会が増え、自分の展示までのビジョンをつくる毎日で、制作ばかりしています。言葉が下手なので、物をひたすら作って見せることに集中する毎日です。

作品の制作も日々進み、自分のプロジェクトの内容も言葉に置き換えられるようになりました。中間発表では、スタジオで話をし、言葉の壁に苦しんでいるところを初めて絵に救われる経験をしました。その後、皆の理解も少しずつ得られるようになりました。行事の中では、バンダノンという泊まりがけの授業があり、レジデンンス機能の使い方や1分間パフォーマンスやトークをすることで、クラスメイトの日頃見られないところまで見る事が出来てとても有意義な体験になりました。終盤は授業の後に飲みに行くなどして、気楽にゆうゆうと心置きなく、制作に集中できました。

現地の暮らしについて

街の地理を把握してきて、買い物もすいすいでき、旅行以上に楽しむ事が出来ました。数多くの国の人々と接することで、ほんとに単なる世界の一部として0からの生活は新しい分野にも目を向けるいい機会を得る事が出来ました。

授業やプロジェクトの成果発表等

授業の方でも、スライドによる10分間のプレゼンテーションを行い、自身の制作におけるバックグラウンドを再確認する事が出来ました。プロジェクトの発表として、最後に個展“View Point”を行いました。(内容:校内の、天井の高い6畳ほどの大きさの部屋を予約して中を滞在中に取材、制作したドローイング約500枚を展示しました。)このことで、自分の視点に立ち、物事に触れることで得られる史実と異なる情報のあり方を提示しました。皆の言葉以上に息をのんでわくわくした表情を見て、自身にとっても大きな経験になりました。

留学を終えての感想

言葉の壁こそあれ、挑んでみると、決してマイナスな事だけではなかった。完全な理解がないからこその対話も議論もあって、その隙間に作品もあって生きて行く上で作品が言葉を放つ瞬間に出会えた事や手つかずの大きな土地に触れた事わかる大きさなど、僕自身日頃より凝り固まりがちな頭の箍をはずすのにいい土地だったと思います。