大学概要

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  3. 卒業生インタビュー
  4. 卒業生インタビュー[art_01] 森村泰昌さん 1/4

卒業生インタビュー[art_01] 森村泰昌さん 1/4

1. 高校時代/大学時代

高校時代から受験のこと

interviewer美術への興味は昔からですか。

森村 絵を描くこと自体は好きですね、ずっとそれは好きです。でも、みんなで一緒にやるっていうのが嫌でした。僕は、よそでも言ってますけど、みんなで一緒にやるのが嫌なんですよ。一緒にお絵かきするっていうのは違うって思ってましたからね。

interviewer一緒にというと、高校まではなんでも一緒にしないといけないですよね。

森村 高校2年生の夏休み頃までは、ものすごく素直でした。美術クラブで、まわりに人がいようが一生懸命絵を描いてました。

interviewerまわりに人が居る中で描くのがイヤになったことに、理由はあるんですか。

森村 一つは、高校の2年生頃に、だんだん今の美術っていうのに興味を持ち出したんです。印象派のような絵を美術クラブの人達がみんな一生懸命描いているけど、よく考えると、これってずいぶん昔の絵やねんなって思って。今の美術家はどんなことをしているんだろうっていうことが純粋に知りたい。その当時は訳わからない絵がいっぱいあって、そういう変なものに何か惹かれるものがあって、「今はこれやんか!」と思ったんです。

でも、自分の中でそう思うようになったことを話しても、まわりの人には通じないんですよね。まわりの人はそれまでどおり印象派などの絵を描いてるからね。そこで意見が合わなくなりましたね。

interviewerそれでは、現代美術をやりたくて美術大学の道に進んだのですか。

森村 高校の先生に進路を相談したときに、美大はやめてくれって言われましたね。その先生には、ちゃんとした哲学があって、美術大学に行くと絵が悪くなるという意味で反対されていました。その先生の言い方だと、絵を描くことについてレイバーとワークという考えがあって、その言葉の使い方が正しいかどうかわからないけど、一生ずっとお金と関係なくやっていくことがワーク、ちゃんと生活していくための労働がレイバーだから、絵を描くことはワークであって、賃金もらう仕事は別にやりなさいっていう考えの持ち主でした。その先生は、若いころに「みんないい絵を描くなあ」と思って見ていたまわりの友達が、卒業して売れていくと、どんどん悪くなっていくという実感を持たれたようなんです。そのことを先生自身が嫌だって思われて、自分は絵で収入は得ない、売るための絵は描かないという姿勢になられたということを美術クラブの人達にも言ってたんです。「絵を描くことは趣味を超えたワークだから、みんなはいろんな職業について、それとは別に、絵はずっと好きな世界として続けなさい」って。

interviewerその先生の言葉を受けても、やっぱり美術の道がいいと思って京都芸大に来られた。

森村 先生の言葉は、まあ、なるほどなとは思ったけれど。実際には、自分は、別の新しい美術が念頭にあったので、先生の言われたことは、必ずしも自分に当てはまらない。その当時の“今の美術”。今自分が生きて呼吸している時代に根ざしたもの。それは一般的に前衛芸術とか、現代美術とか言われているもので、それこそ誰も欲しがらない、つまり売れない、その場だけで成り立って、展示が終わったら消えてしまうようなものでしたから。そもそも売る、売れないというのは最初から考えていないものでしたから、絵で食べていくという話に結びつかない。

でも、僕も、実はずいぶんと迷いがあったんですよ。美術以外のことにも興味があって、まあ、“これ”というのは、若い時分ですから持てていませんけれども、生物学者がいいなとか、社会科学はどうかなとか、文学的なものも捨てがたいとか、いろいろ考えながら、悩んでたんですね。

interviewerでも、最終的には京都芸大を受験することに決められた。

森村 京都芸大には、一浪して入ってるんですけど、僕、デッサンがすごく下手だったんですよ。1年目の課題はものすごく難しくて、確か“手”が課題だったかな。これはデッサンが間違ってたら確実にダメですから。でも2年目の課題は、たまたま“めざし”だったんですよ。めざしはあんまり差がでない。手もそうだけど、コップなんかもものすごく難しいですよ。硬い質感とか、底の楕円と上の楕円のあり方の違いとか、そういったところがしっかり描けていないと、上手いか下手かすぐわかるんですよ。めざしはそこからいくと不定形なものですから何とかなりました。めざしに救われたんです。

大学時代

interviewer森村さんが学部生だった時は、4回生までいろんなことをやりながら過ごされたんですか。

森村 僕は、個人的にはあんまり何もやらなかったですね。最初に“めざし”で入ってしまったから、1回生のときは、何となく大学受け直そうかと思ってました。でもいろいろ考えながら、結局ずるずるといってしまいました。そのときは揺らいでいたし、現代美術を念頭に置いていたこともあったからかもしれないけど、入学してからはあんまり絵を描かなくなりました。大学に来たら、すぐ図書館に行って、あんまり教室に行かなかったんです。

interviewer大学は、そういう森村さんを放っておいてくれましたか。

森村 大学はかなり放っておいてくれましたけど、デザイン科の課題が1週間に1回ずつは出たので、割とやることがありました。課題は、全部家でやっていましたね。人とやるのが嫌だから。合評会になったら持っていってました。

interviewerそういうところで強制される部分は何もなかった。

森村 なかったですね。僕の時代はそもそも先生も来られるのが遅かったりして、“だらだら”した感じでしたから。

interviewer“だらだら”した感じですか。

森村 京都芸大ってね、そういうところがあったんですよ。そこがね、ちょっと、何と言うかな、普通の雰囲気とは違う感じはしますね。

例えば学生との関係も僕らの時は先生のことも「さん」付けで呼んでましたし、先生自身も先生ぶってなかったし、そこは学生も先生も同じ芸術をやる人だと思っていたからかもしれないけど、学生は基本的にあんまり先生のことを「教えてもらう人」みたいには見てなかったと思うね。今は違うかもしれないけど。それに僕らの時代はほぼ男子校状態。デザイン科は1学年25名いたのかな。女性は2名でした。染織専攻は昔から女性が多いんですけど、日本画で半分くらいかな。彫刻なんてゼロだったと思います。

まあ、僕は自分で勝手にやるって感じでしたね。学生に女性がだいぶ多くなって大学の雰囲気は変わったかもしれないですけど、京都芸大の先生と学生の関係は変わってないと思いますけどね。

インタビュアー:大学院美術研究科修士課程 芸術学専攻2回生 増田愛美

(取材日:2012年2月15日)

Contents

  1. 高校時代/大学時代
  2. 非常勤講師時代
  3. 実は総合基礎実技第1期生
  4. アーネスト・サトウ先生とのご縁/京芸生と未来の京芸生へのメッセージ

Profile:森村泰昌【もりむら・やすまさ】美術家

1975年、京都市立芸術大学美術学部デザイン科卒業、同大学美術学部専攻科修了。1985年、ゴッホの自画像に自らが扮して撮影するセルフポートレイト手法による大型カラー写真を発表。1988年、ベネチアビエンナーレ/アペルト部門に選ばれ、以降海外での個展、国際展にも多数出品。古今東西の有名絵画のなかの登場人物になる「美術史シリーズ」、映画女優に扮する「女優シリーズ」、20世紀の歴史をテーマにした「レクイエムシリーズ」などの作品で知られる。2011年度秋の紫綬褒章を授与。