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卒業生インタビュー[music_03] 菊本和昭さん 1/4

1. 中学・高校時代

ラッパ小僧~中学・高校時代

interviewer_music中学校でトランペットに出会われるまでは、野球小僧だったとお聞きしています。

菊本 野球小僧ではないですよ。野球が好きな小僧です。大学でも草野球をやっていました。入学2日目に窓ガラス割ったんですよ。カーブがすっぽ抜けて。当時、音楽学部の現役と卒業生で「京芸エラーズ」っていうのを作ってて。いい名前でしょ。メンバーには指揮者の阪哲朗さんもいらっしゃいましたし、僕と同期の京響のホルンの水無瀬とか、テレマン室内管弦楽団のフルートの森本さんが選手兼監督で。対戦相手を見つけてきては、兵庫県の甲子園浜球場とか、中百舌鳥球場まで行って試合をやっていました。でもあんまり勝ったことないんです。

 普段も、練習で息が詰まると音楽棟の裏の野外ステージのところでキャッチボールしていましたね。学校的にはNGですが!

interviewer_music野球好きな少年が、中学校で吹奏楽部に入ったきっかけはなんだったのでしょうか。

菊本 姉が中学の吹奏楽部でクラリネットをやっていたんです。当時小学校低学年の僕は大して興味もなかったんですけど、なんで興味持ったのかな。好きで野球を見に行っているうちに応援団の楽器を見てかっこいいなって思ったのもあるし、まわりに野球がうまい友達がいっぱいいたから、自分の運動神経を考えて「僕に野球は無理だな」と思った部分もありましたし。そこに姉から「吹奏楽部の人数が減っているから、クラブ見学だけでも行ってくれへんか」と言われて行ってみたんですけどね。その後は、うーん、強引に引っ張られてかなあ。僕の学年に男子は1人でしたからね。

interviewer_music中学校の吹奏楽部は強いところでしたか。

菊本 そうですね。「かつては」という感じです。姉は3年間、吹奏楽コンクールの全国大会に行ってるんですよ。でも僕の時には、最後の方は部員も少なかったし、結局全国大会には出られなかったんです。なんとなく、どこかで姉を追い越さなきゃって思っていましたね。それもあって、高校は吹奏楽が強いところに行きたいと思ったんです。行きたい高校がいっぱいある中で、親から通えるところにしてくれと言われたこともあって、最終的に洛南高校に進むことになりました。

interviewer_musicすでにラッパ小僧の道、まっしぐらだったんですね。

菊本 洛南高校では部活しかした覚えがないですね。勉強した記憶はセンター試験の直前ぐらいです。

 洛南では1年2年と全国大会に出られたけど、3年のときに関西大会で落ちて、全国大会には出られなかった。そこで、またしても姉を追い越すことができなかったし、永遠に追いつくこともできなくなったんだと感じました。それも銀賞だったんです。それまでは全国に行けなくても金賞だったんで。しかも18年ぶりだったので、その前に銀賞だったのは僕が生まれた年。それぐらい前の話なんです。そして洛南高校は次の年から顧問の宮本先生が退任されるまで全国に出続けました。だから、3年生の時の出来事は吹奏楽部にとってもすごい谷間なんですよ。そのことは自分の中に大きな影を落としました。いまだに夢に見ることもあるぐらいです。

 でも、今から思うとあの時全国に行って金賞でも取っていたなら、後の人生を頑張っていなかったかなって思います。どこかで絶対に達成できない目標が途切れたままあるっていう、そういう気持ちは今でもありますね。それがネックになって、まだまだ頑張らないとっていう思いが続いているんだと思います。

受験のこと

interviewer_musicこの先ずっと音楽をやろうという気持ちは、その頃にはもう芽生えていたんですか。

菊本 音楽家になるっていう選択肢は高校2年生まではなかったですね。一般の大学に行って、アマチュアでトランペットを続けようと思っていました。そんな時に宮本先生から「音大に行ってみないか」って言われたんです。最初は「なんで僕が!?」って感じで、なんでそんなことを言われるのか状況がわからなかったぐらいです。

 自分にトランペットの実力があると思ったことなんて、まったくなかったんですよね。自信なんて全然なかった。だけど、この先生がそういうことを言ってくれるんだったら自分に可能性があるのかなと思えて、できるだけやってみるか!と思いました。ちなみに宮本先生は京芸の大先輩であり、元京響のファゴット奏者でもあった方です。宮本先生に音楽家への道を、音楽大学に進学するっていう道を与えてもらって、それまでと違う楽器との付き合いが現れた感じです。

interviewer_musicでは高校生活も半ばに入ってから、受験の準備が始まったんですね。

菊本 そうなんです。突然出てきた選択肢にバタバタと対応する状態でした。宮本先生に京都市交響楽団のトランペッターの早坂先生(京都芸大非常勤講師)を紹介していただいて個人レッスンを受け始めたんですけど、それがとにかく大変でした。

 洛南高校って部活がすごく長いんですよ。早朝練習もあるし、大きな本番前になるとそれこそ終電で帰るような生活でしたから。みんながそれだけ練習している中で、個人レッスンに通うっていうのは特別なことなんですよね。行くときはちゃんと申請しないといけない。申請した上で、部活の途中でレッスンなので抜けますって断って、早坂先生の家まで行ってレッスンを受けて、終わってまた部活に戻るっていう生活ですね。今は違うかもしれませんが、僕のときのレッスンは2週間に1回、7冊ほどの教則本からちょっとずつの課題を練習してきなさいと言われていて必死にやっていました。もう、レッスンがある日は鞄がパンパンで。今振り返るとよくやっていましたよね。人生で一番寝る時間の短かった頃です。

 あとはピアノですよね。僕は受験のために16歳で始めました。最初はぜんぜん弾けなくって。京芸の先輩である柱本優先生と奥様に随分ご迷惑をおかけしてしまったと思います。おかげでなんとか受験には間に合いました。

interviewer_musicソルフェージュも受験のために準備されたんですね。

菊本 ソルフェージュも苦労しました。そのときは受験のために乗り切ったっていう部分もありますけど、音楽に携わる者の基本的な要素として、自分の音感を鍛える訓練は必要なのでソルフェージュはとっても大事ですね。自分が演奏していく上で、他の調の楽器や声楽の人と合わせたりする状況はいくらでも出てきますからね。

 トランペットは移調楽器なので、ピアノの譜面の“ド”はトランペットでは“レ”の音なわけです。特に僕は絶対音感がないのでピアノの楽譜を見ながら、ピアノから聞こえてくる音をトランペットで吹くっていうのが難しかったんです。これはやったことが無い人にはなかなか伝わらない話だと思いますが。

interviewer_music受験のときはどのような気持ちで望みましたか。

菊本 京都芸大の試験は後期日程なので、受けると決めたら何が何でも受からないといけない。僕はそういう追い詰められることが好きみたいで。そういうときに実力以上のものが発揮されるようです。余裕があるとあんまりよくないんです。

 でも、3月の最後の最後まで決まらないのは辛かったなあ。僕は受験の頃も部活をやってましたしね。引退したのは4月に入ってからだったから、部活はきっちり3年間やり通しました。

interviewer_music大学で音楽をやりたいとご両親に伝えたときはどんな反応でしたか。

菊本 うちの両親は、子どもにはとにかく怒らないしやりたいことを応援してくれるんです。京都の私立高校に進学することも結局反対はしなかったですし、大学進学のときに出された条件は国公立で通えるところに行く、浪人はしないということでした。大学受験は京都芸大以外も私立の音大を受けましたけど、多分そっちには行けなかったでしょうね。うちの経済状況からすると。

 自分のこともありますが、京都市には感謝しています。僕たちみたいな限られた条件の中で音楽をやろうとしている学生に音楽を学ぶ環境を与えてくれていますから。京都芸大のことをこれからもずっと応援し続けてほしいと思っています。

インタビュアー:音楽学部 管・打楽専攻(トランペット)4回生 石原 舞

(取材日:2012年1月29日)

Contents

  1. 中学・高校時代
  2. 大学時代
  3. プロの演奏家として
  4. 妥協しない姿勢

Profile:菊本和昭【きくもと・かずあき】トランペット奏者

京都市立芸術大学音楽学部卒業。フライブルク音楽大学への交換留学を経て、2005年同大学院音楽研究科修了。京都市交響楽団のトランペッターとして活動し、
2012年3月にNHK交響楽団の首席奏者となる。今、若手No.1トランペッターとしての呼び声も高い、将来有望な演奏家の一人である。