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瓦版web:14|飯田輝海|人との出会いに助けられた道

飯田輝海(バイオリン弾き) 新潟市出身。京都市立芸術大学音楽学部卒業。ヤマハミュージックスクール講師。キャッチーなインストを目標にオリジナル曲を制作しつつ、主にシンガーソングライターのバイオリンサポートで活動をする。
インタビュー:柳楽正人(京都市立芸術大学キャリアデザインセンター音楽アドバイザー)

■大学在学中に祖父と父を亡くして

―飯田さんが大学を卒業しかけか、卒業した直後だったかの時に、「事情があって就職しないといけない」みたいなことを言っていた記憶があるんですよ。まずはそこからお伺いしてもいいでしょうか。

飯田:そうですね。3回生の夏に、父親が亡くなったんです。それで母親に「就職するか、新潟に帰ってくるか」みたいな感じで言われたんですけど、新潟には絶対に帰りたくなかったので、就職活動をしました。ちょっとですけどね。当時の京芸は、特に音楽学部の就職に関する情報がほとんどなかったので、わからないなりにエントリーシートとかを書いて出してたんです。説明会があれば行って、エントリーシートを書いて。でも結局ほとんど通らなくて、何かで知り合った同志社大学の人から、同志社の就職課のおじさんを紹介してもらって、エントリーシートを添削してもらっていました。それで通った会社もあったんですけど、結局面接ではボロボロで。面接まで行ったのは1、2社しかなかったです。

―どういう職種にエントリーしてたんですか?

飯田:父親が亡くなったというのも関係して、葬儀関連の仕事に興味がありました。あとはテレビ局の制作とか。でも結局全部ダメで。それが4回生の夏とか秋ぐらいですかね。でも新潟に帰りたくないから、とりあえずヤマハの講師を受けようと思いました。別になりたくはないけど、まあ受けておこうと思って。それが通って今に至る感じです。今はそれがメインの仕事ですね。大人の音楽レッスンの講師なので、生徒はほぼ全員大人です。

―講師はなぜやりたくなかったんですか?

飯田:教えるっていうことをやりたくなくて。京芸で本当に落ちこぼれだったんです。初めてヴァイオリンが嫌になったんですよね。高校までは上手だと思ってやってたので。県立高校の音楽コースみたいなところにいて、新潟市のジュニアオーケストラ教室には小3から高3までいたので、本当にしっかり音楽をやっていた感じはありました。ヴァイオリンは自分がやりたくて始めてるから練習も楽しいし、ずっと楽しいでやってきたのに、大学に入って上手な人がいっぱいいる環境になって、初めて自分って下手くそなんだって認識してしまったんです。本当は甘えでしかないんですけど、そこから練習もしたくなくなった。先生も怖いし。あんまり先生と上手くいかなかったというのもありました。ちょっと遅めの反抗期が来て、先生が言われることは何も聞きたくないっていう風になってしまったんです。
 それで1回生の夏に、祖父が亡くなったんです。初めて人が死ぬ瞬間を見て、その時に「音楽とかやってても、人のためにもならないな」みたいな気分になって、京芸を辞めたいな、何かもっと人に役立てることをやりたいなって思ったんです。そこから、何もやりたくない、学校に行きたくないっていう時期がありました。近くに下宿している同期の友達がみんな優しくしてくれたので、とりあえず学校には行っていましたが、結局何をしたらいいのかよくわからないまま、ずっとやっていました。

―最初に京芸に入った時は、何事もなければオーケストラに入りたいっていう感じだったんですか?

飯田:そうですね。完全にオーケストラに入りたいで入学していたと思います。

―その気持ちは、おじいさんが亡くなったときにはなくなったんですか?

飯田:なくなりはしないけど、ずっと緊張していました。演奏することが怖かったし。試験も怖かったし。試験で怒られるのもめっちゃ怖い。でも、自分が努力しなかったというのが一番なんですけど。
 3回生の頃は、割とヴァイオリンが楽しくなってきてたと思うんですよね。授業とは関係なく室内楽を組んで、ライブハウスみたいなところで演奏したり、ピアノが置いてある場所でやったりしていました。それから先輩からの紹介で、いきものがかりのバックでストリングスとかをやって、こういうジャンルの音楽は楽しいなと思いました。あとは、スタジオでのレコーディングの仕事みたいなのが何回かあったんです。大阪の専門学校の作曲の学生のアレンジを弦楽四重奏でレコーディングするというのがあって、そういうのも面白いなと思ったんですけど、調べてみたら関西ではなかなかないし、スタジオミュージシャンはめちゃくちゃ上手で何でもすぐ弾けないといけない。でもそういう方面の憧れはすごくありました。その時にはもうオケに入りたいとは思ってなかったと思います。
 それで「やっぱり音楽やるのいいかも」みたいになっていたんですけど、3回生の夏に父親が亡くなったんです。それまで何の病気もなかったんですけど、本当に急に。演奏旅行(*)が終わって帰ってきて、桂坂小学校での公演のリハーサル終わりかなんかに、急に「今すぐ帰ってこれんか」みたいな連絡があって。そこから1ヶ月以上新潟にいました。それがあって、やっぱりすぐに食べていける仕事じゃないとダメだなって思いました。音楽ではダメかなって。自分の中では「働かなきゃ」っていう意識になったので、そこから就活みたいなことをやりはじめましたね。

―もしもおじいさんやお父さんが亡くなることがなかったら、どうなってたんでしょうね。バリバリ演奏活動されてたんですかね。

飯田:どうなんですかね。全然自信がなかったんで。卒試でだいぶミスってしまって、そこから数年は人前で弾くのが怖くなってしまったんです。今思えばそんなに気にすることもなかったし、ただの甘えでしかないなとは思いますけど。練習をやっておけばよかったというだけの話なのかなと、教える立場になった今はよくわかります。
* 演奏旅行:夏休みに音楽学部の有志でオーケストラを編成して、各地の学校に出向いて公演を行う。

■卒業してヤマハの講師に

―大学を出てヤマハの講師に採用されて、でも最初はそれだけじゃ生活できなかったんじゃないですか?アルバイトとかしてたんですか?

飯田:それが、アルバイトも全部落ちたんですよ。とりあえず沓掛の下宿を脱出しないと何もできないなと思ったんで、楽器が弾けるアパートを探して伏見に住んだんです。そこの近所のコンビニとか飲食店とかに、アルバイト募集って書いてあったから履歴書を出したら、全部落ちました。

―ええ!コンビニに落ちることってあるんですか?!

飯田:そうなんです。本当に衝撃でした。そこでもまた自信がなくなるというか、ショックで。結局そこから数ヶ月は、実家から生活費を送ってもらっていました。本当に申し訳なかったんですけど。卒業してすぐヤマハの講師になったんですけど、生徒が集まらないとレッスンが開講しないんで、半年ぐらいはあんまり何もなかったんです。ヤマハには「毎日でもいいので、とりあえず入れてください」とお願いしていました。6月ぐらいから新規開講した店舗に行き始めて、そうしてるうちに辞める講師の引き継ぎがあって、いきなり10人増えたりとかしました。そこから結構ポンポンと人数が集まって、その年の夏には30人ぐらいになっていました。タイミングがよかったというのがありますが、何とかなりそうだなと思いました。今は生徒が50人ぐらいいて、週6日で教室に行っています。

―すごいですね。皆さん長く続けておられるんですか?

飯田:長いですね。最初に引き継いだ生徒さんもおられるので、私より教室暦が長い人もおられます。

―きっと講師の才能があったんですね。生徒を集めるところまでは、才能はあんまり関係ないじゃないですか。でも皆さん続けておられるということは、飯田さんの講師としての能力の証だと思うので。

飯田:自分に向いていたかなというのはありますね。生徒さんに合ったものを考えています。人の気持ちになって考えるのが割と得意なのかもしれません。子どもさんはすぐ辞めるんですけどね。やりたくないんだったらやらなくてもいいんじゃない?と思っているので、厳しいレッスンができないんです。

―ひとりで生活していくという点は、1年目からクリアしたんですか?

飯田:そうですね、贅沢しなければ。1年目の夏を過ぎてからはもう大丈夫でした。

―就活が上手くいかなくて結局ヤマハの講師になって、楽器が続けられるというのは嬉しかったですか?

飯田:嬉しいというか、まずはお金のことでしたね。周りからは「ヤマハの講師って」みたいな感じはあったんですけど、でも今となってみれば、早くに講師になっていてよかったなと思います。ちょっとでも講師になりたいと思っているなら、早いほうがいいですね。若いときの方が、色んな講師に面倒を見てもらえる感じがあるんです。若いっていうだけで教えてもらいやすい。

―確かにそうですね。遅くに始めてもいつか追いつけるとかじゃなくて、最初から教えてもらえる環境が全然違うんですね。なるほど!

飯田:あとは、個人でやるレッスンよりいいのは、色んな講師と出会うことだと思うんです。講師仲間で定期的にライブをやったりしていて、そういう人たちと一緒に演奏していくと、また新たなところで自分も勉強になるし。生徒さんも自分より年上の人が断然多いんですけど、そこから学ぶことも多いです。そういう人たちとの出会いが、私はすごくよかったです。

■ポップスでの演奏活動

―演奏活動についても伺いたいんですが、外から情報を見ている範囲だと、ギター弾き語りの人のサポートをしたりとか、カフェでライブしたりとか、大学を卒業してからはクラシックではないジャンルで活動を始めたじゃないですか。それが面白いなと思って見ていたんです。どういう経緯でそうなったんですか?

飯田:周りの人に恵まれていて、面白い友達と知り合うことが多かったんです。一乗寺におしゃれなバーというかカフェがあって、月一回オープンマイク(飛び入り参加可能なステージ)をやっていたんです。当時ヤマハで講師をしていたヴァイオリンの人から、こういうのがあるから出てみない?って言われて、ちょっとクラシカルな感じで出たんですよ。そこに出ている人たちは大体ブルース系をやる人が多くて、渋いおっちゃんとかもいたんですけど、そこのひとりに「バンドやってるんだけど、よかったら今度遊ぼう」みたいに声をかけてもらったんです。で、ぜひぜひ!って言って、それが実現して一緒にカラオケに行ったときに、「こんな感じでやってるんだけど、ヴァイオリンで入れない?」みたいなことを聞かれて、やります!って言ったんです。そういうのをやっていくうちに、色んな人と知り合うようになりました。ライブができるカフェで演奏したときに、「うちでもヴァイオリン弾いてよ」って言われたり。
 今はもうなくなっちゃったんですけど、河原町にキルシェっていうカフェがあったんです。そこでイミンズっていうバンドでライブをやったときにすごく気に入ってもらえて、そこのオーナーに、「ランチタイムにヴァイオリンを弾いてほしい」と言ってもらって、そこでBGM演奏みたいなことをやったりして、気がついたら普通のバイトまでさせられていました。

―ここに来て初めてのバイト?!

飯田:そうなんですよ、初めてのバイトです(笑)。大学の頃にちょっとだけバイトしてましたが、卒業してからは初めてのバイト。ライブに来る人たちとのやりとりとか、ブッキングみたいなこともやっていました。2、3年ぐらいやったのかな。深夜までやってるライブカフェみたいなところだったので、出演者が結構多いんですよ。そこで知り合った人とかとも一緒にやるようになって。

―普通のカフェバイトと思いきや、ライブハウスのスタッフみたいな感じですね。

飯田:でもライブはそんなに多くはないので、主にドリンクを作ってました(笑)。ライブの日は、教室が終わってからカフェに行ってドリンクを作って。午前2時ぐらいまで営業していたので、 深夜に家に帰る生活でした。楽しかったですけど。

―飯田さんの演奏ジャンルとしては、ポップスになるんですかね。アイリッシュ的なこともされるんですか?

飯田:ポップスですね。アイリッシュはやらないです。できないですね。ポップスといってもギター弾き語りが多いので、サポートみたいな感じです。

―音源を渡されて、それを聴いてヴァイオリンのフレーズを考える感じですか?

飯田:音源とコード譜を渡されて「好きなように入って」みたいなのがほとんどですね。

―コード譜は読めたんですか?

飯田:読めるのは読めるんですけど、時間はかかりますね。今でこそちょっと慣れてきましたけど。京芸の作曲の授業で、和声分析とか楽曲分析とかやるじゃないですか。私は1ミリもわからなかった。今では自分の曲を作ってますけど。今年オリジナル曲のCDを作ろうかなと思ってるんです。音源は大体もうできてるんですけど、ギターも自分で弾いて入れたりしています。それでコードは慣れてきたかなという感じはありますね。

―オリジナル曲!いいですね。ヴァイオリンとギターだけですか?打ち込みでバッキング音源も作ったりしてるんですか?

飯田:打ち込みも自分で作って入れてます。ドラムは全然わからないんで、ループ機能みたいなのを入れて、いい感じのものを組み合わせてます。ベースラインとかは打ち込みで入れたりしてますね。7年ぐらいサポートで一緒にやってるギター弾き語りの人がいるんですけど、2年前ぐらいに「オリジナル曲、作りなよ」って言ってくれて、とりあえず作ってみたんです。演奏してもらうにはデモ音源を作らなきゃいけないっていうことで、そこからGarageBand(音楽制作アプリ)を使い始めました。
 初めて曲を作ったのはもうちょっと前で、ヤマハの講師のギタリストとかと4人ぐらいで、ライブをやろうって声をかけてもらったときです。ジャズとかめちゃくちゃ上手な人たちで、その人に「お前も1曲作ってこい」って言われて。で、一応コード譜だけ作って渡したら、勝手にいい感じにやってくれたんです。そこで初めて2曲作ったんですけど、それは音源は作っていませんでした。
 そこからちょっと期間が空いて、今一緒にやっているギターの人に、ちゃんとオリジナル曲を作ったらと言われて、年に4、5回、ライブがあるたびに1曲作るというのを目標にして、自分でデモ音源を作るようにしています。

―曲作ってよって言われても、すぐに作れないですよ!

飯田:シンプルな曲ですから。難しいのとかは作れないし、作曲家が作るようなものとかは作れない。

―多くの人はそれも難しいですからね。「頑張ったけど無理でした」とか、作ってはみたものの「うーん」みたいなこともあるじゃないですか。最初に曲を作って持っていったとき、どういう反応だったんですか?

飯田:デモ音源を送ったら「めっちゃいいやん!」って言われました。いいよって褒めてくれたので、え、そう?って有頂天になりました(笑)

―ヴァイオリン奏者で、ポップスのサポートをしている人たちはいるじゃないですか。でもそういう人たちでも、クラシックのコンサートもやってたりすると思うんです。飯田さんはそういう感じにはならなかったんですね。ヴァイオリンの講師をやっていて、表に出てくる演奏活動もしているのに、クラシックのフィールドに全然登場しないのが不思議だなと思ってたんです。

飯田:ならなかったですね。本当に京芸の人たちと疎遠になっちゃって。自分でも避けているのはあるかもしれないです。学生時代は友達にも恵まれて、すごく楽しかったんですけど、戻りたくはないなと思います。ずっと行きたかった大学だったし、面白い大学じゃないですか。だけど……。

―苦しんでることが多かった?

飯田:そうですね。なんかそういう思いがあって、あんまり京芸と関わろうとしないというのが、自分の中ではあるかな。やっぱり下手くそだなって認識した場所なので。きっとみんなそう思って、でもそこから努力するんですけど、私はすぐ心が折れてたので。今だったら、もっとちゃんとやれたらよかったのにと思えるんですけど。私はこういうところに相応しくないのかなって思ったんですよ。みんな、何というか小綺麗な格好をしていて、私にもそうしろと言われると、ここにいたくないなと思いました。教職を取っていたのも肩身が狭くて、居づらいという気持ちがありましたね。

―それなら遅めの反抗期とは違うんじゃないですか。ここが自分の居場所じゃないなって思ってしまったってことですよね。今のお話で納得しました。単に反発心とか劣等感だけだったら、そこまで学校を毛嫌いすることないのかなと思ったけど、居場所がないんだったらそうなりますよね。ちゃんと卒業できてよかったですね。

飯田:本当によかったなって思います。色んな人と知り合えるのも京芸時代があったからこそだと思うんで。それに京芸卒という肩書きも結構大事じゃないですか。もし私が違う学年だったら、即大学を辞めていたと思います。同期の友達がいてよかったですね。

■人との出会いで助かっている

―これまでの話を総合すると、おおむね「たまたま」なんですよね。もちろん、その選択をしたという時点でたまたまではないんでしょうけど、でも最初のきっかけは「たまたま声をかけてもらいました」だったりする。

飯田:声をかけやすいのかもしれないですね。多分見た目がクラシックのヴァイオリンの人という感じがしないので、声をかけやすいというのはあるかも。もともとクラシック以外の音楽も好きだったので、そういう話ができるのが楽しかったし。

―これまでの活動を振り返って何かメッセージを伝えられるとしたら、どんなことになるでしょう?

飯田:そうですね、私は本当に人との出会いで助かっているというか、生徒さんとかでもそうなんですけど、いろんな職種の大人の方々と知り合うのが、自分にとってはめちゃくちゃよかった。クラシックの壁を作らずに、何でもやってみる。知らない大人についていってみる(笑)

―危ない!(笑)

飯田:自分はそれがよかったというか。全く何もならなかった就職活動をしてみても、それも自分には音楽関係のことが向いてたのかなという気づきにもなりましたし。

―きっかけを与えてくれるような人たちと出会うことが度々あって、それはたまたまだったとしても、そこからその人たちと長く交流が続いているというのは、何かしらの才能なんじゃないかと思うんですよ。飯田さんの人徳というか。

飯田:興味はあるんですよ。人に興味があるので、いろいろ知りたいとか教えてほしいっていう姿勢は常に持っていると思うんです。自分が知らなかったことを、どんどん知りたい。就職活動もそういう気持ちがあったと思うんです。今やっているジャンルじゃなくて、全然別のところで働いてみたいというのはあったと思うんですよね。普通の会社員が一日どんな生活をしてるのかとか、分からないじゃないですか。興味はすごくあって、それをやってみたかったというのはありましたね。

―もしかしたら葬儀屋になっていたかもしれないし、スタジオミュージシャンになっていたかもしれないし、色んな未来があったわけですよね。とりあえずで始めたヤマハの講師でしたが、今現在はよかったなと思っていますか?

飯田:そうですね。めちゃくちゃ良かったです。結局、結構自由にやっているので。知りたかったけど、会社員とかにならずにこっちの方がよかったかな。自分に向いてたかなというのはありますね。

―お話を伺ってみて、出会った人と長く交流が続いていく魅力とか、オリジナル曲の音源を自分で作ることができる能力とか、飯田さんが自分で気づいていなかった才能がここまで導いてくれたのかなと感じました。今日はありがとうございました。CDの完成を楽しみにしています!

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