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瓦版web:02|宮武小鈴|妹の一言から始まった若者との交流

宮武小鈴(NPO法人「淡路プラッツ」スタッフ,「アートプラッツ」代表,はがきえ教室「彩(いろどり)の会」主催)
大阪府茨木市出身。1996年に京都市立芸術大学美術学部美術科彫刻専攻を卒業し,1998年に京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻を修了。大学院修了後,NPO法人「淡路プラッツ」(*)に関わり始め,(2022年現在)スタッフとして活動している。2004年から地域の方を対象にした,はがきえ教室「彩(いろどり)の会」を大阪市平野区で開始,2016年には「アートプラッツ」を立ち上げ,活動中。

(*) NPO法人青少年自立支援施設「淡路プラッツ」:ひきこもりやニート(若年無業者など)や不登校と呼ばれる若者とそのご家族を支援している団体で2021年で30周年を迎えた。

インタビュー:佐々木萌水(京都市立芸術大学キャリアデザインセンター美術アドバイザー)



■京芸の彫刻専攻時代「彫刻=表現」

―京都芸大でのことを教えてください。彫刻専攻だったんですよね。

宮武:私は作家になる気満々で,一生美術をやって生きていこうと思っていたんですよ。高校時代はずっと油絵で抽象画を描いていたんですけど,「せっかく芸大に入るなら,一次元プラスして立体にしよう」と思って,それで彫刻にしました(笑)。
 当時の彫刻専攻は,とてもいい先生方が揃っていらっしゃって(もちろん今もでしょうけど)。先生方も同じ空間で制作していらしたりして,色んな意味で育てていただきました。基本的に割とほっといてくださるのが,私にとっては自由で良かったんかなと思います。
 彫刻といっても,先生方自体が,パフォーマンスとか,写真とか,抽象的な作品とか,色んなものを全部彫刻として発表されていて,「これも彫刻か!」と。「表現することを彫刻って呼んでるんやな」とわかって,だから何にも縛られずに,かなり自由に制作させてもらいました。自分の魂の原点は,あの時代じゃないかなって思いますね。とにかく非常にのびのび育ててもらった感じがします。

―卒業後のイメージはありましたか?

宮武:私は自分が「表現すること自体は一生もん」と思っていたんですけど,でも本当にそれだけで,特に具体的にこうなりたいとかは実はなくて,とにかく「表現の核みたいなのを追求していきたい」と,それだけだったんですよ。だからわざと教職もとらず,別に就職したかったわけでもないので就活もしませんでした。実家に住んで家の手伝いをしながら,「まあちょっと見分を広めよう」と思っていました。2年くらいはぶらぶらしていましたね。

―卒業後制作活動はされていましたか?

宮武:形のある作品っていうものは作ってなかったですね。芸大に行ったら「作品作ってなんぼ,表現してなんぼ」みたいなところがあったので,在学中は“自分は作品を作る”ことが当たり前で大前提だったんですけど,卒業したら,特にそういう制作環境があるわけでもなく,大学の延長とかじゃなくって,全くゼロから“自分が表現する”ということを考えたくなったというか。友達と「みかん電鉄」っていうユニットを組んで,一緒に金沢21世紀美術館でパフォーマンスをしたり。その時のテーマは,学生の時から今に至るまででもそうなんだけど,抽象的な作品なんかを見て「なんやこんなん,わからへんし!」という人たちと美術作品をつなぎたいなと思ってて。そこに特化してパフォーマンスしたりしてましたね。

「『みかん電鉄』展覧会に来た人と,電車ごっこをしてました」



■「人と関わる」−淡路プラッツとの出会い

―そこからどのように今の活動に至るのでしょうか。

宮武:大学卒業時に転機となるきっかけとなったのが,私の妹の言葉でした。「お姉ちゃんは作品とか作って,モノとか素材と関わることはずっとしてきたと思うけど,でも表現して生きていくにはやっぱり世界を知るというか,人と関わったほうがいいんじゃないの?そのうえで表現できたらまたすごい作品になるんじゃないの?」って言われて。何モンなんや,妹(笑)。それで,「人と関わろう」と,あえて芸術に携わっていない人たちと関わることをやっていこうと考えました。在学中はもちろん,周囲は芸術に携わっている人たちがほとんど。そこから,外の世界に出てみようと。
 でもどうしていいか分からず,とりあえずぶらぶらしている時に,当時新聞で,登校拒否とかフリースクールとかの記事が出ていました。学校にいけない若者たちが行っている場所がどうやらあるらしいとその時知りました。その後,大学の先輩から声がかかって,フリースクールを立ち上げる会の打ち合わせのようなものになぜか参加することになりました。「NPOを立ち上げたいから,暇な人来て!」という感じで,当時本当に暇だったので,「よくわからんけど行ってみるか」というノリで。そこで出会ったフリースクールを立ち上げたいという人が全国のフリースクールを回るというので,関西圏だけ同行させてもらうことにしました。その時に五十音順で回ったので,【あ】「淡路プラッツ」が最初で,その時に見学に行ったのが淡路プラッツとの出会いでした。



■「ここは継続して来ないと」

淡路プラッツ「居場所」にあるゲームなど

―最初の出会いが決め手だったんですね!

宮武:その当時はまだ,自分がどういう人たちと関わろうとかあんまり決めてなかったんですけど,このたまたまの出会いがすごく面白かったんですよ。
 まず,ものすごく普通の昭和な民家でした。インターホンを押してもなかなか人が出てこなくて。しばらくしたら,2階の窓がガラって開いて,明らかに寝起きの人が,「はあ~い。」と顔を出して。『えぇっ!?住んでます?』みたいな感じ。それで,上がっていったら洗濯機が回ってて。『え,やっぱり住んでる?』と。部屋に通されて座ったら,「これおいしいんで飲んでください!」と,段ボールから高級トマトジュースがバーンと出てきました。座って周りを見たら,色々,ビールの空き缶とかがあったり。『なんかゆるいとこやなぁ。』と思いました。『ここ,何?』と。そうこうしているうちに,当時通ってた若者たちがやって来て,麻雀とかし始めたんです。その隣で,前触れなくテレビゲームし始める若者がいたり。なんか自由。その彼がゲームをしながら,さっき寝起きで出てきた当時の塾長・よしくんに,「よしく~ん,なぁ,人間てなんで生きてんの?」て,ド直球な質問をしてて,その時『ここすごっ!』って思いました(笑)。
 彫刻専攻にいたころ,自分が成長するときに,色んな素敵な人たちと関わらせてもらいました。先生はもちろんですけど,同級生や先輩後輩らと,学校だったり下宿だったり,いろんなところで夜通し話したり。「人間って何」とか,「作品作るって何」とか,人間・生命・人生の根幹みたいな,答えのでない話をずっとしてた気がします。喧々諤々とじゃなく,ほんわかと。そんなその答えが出ない話を,社会に出たらそんなにしないんだなってことがわかって。
 でもその時に,「生きてるって何?よしくん!」みたいなそういうド直球なことをいう若者がいて,『あ,ここってそういう場所なんや』と。『面白いな,ここはなんか継続して来たいな』と思ったんです。あとからわかったんですが,そのド直球の質問をした彼は心臓が悪くて,いつ倒れてもおかしくない毎日だったんです。その後,彼からも色々学ばせてもらいました。で,「来週とかも来ていいですか?」ってよしくんに言ったら,「あ~,いいよ」となって,それから私と淡路プラッツの時間がはじまりました。関わってみてわかりましたが,『まさに“人と関わる場所”やった,ここが』と。最初はボランティアでもなく“近所のおねえさん”という感じでただ遊びに来ていましたが,いつのまにかスタッフになっていました。


■淡路プラッツでの関わり

―淡路プラッツではどんな活動をしているのか教えてください。

宮武:淡路プラッツでの主な活動はひきこもっていた若者と「居場所」で一緒に過ごすことです。「居場所」っていうのは,家にずっとひきこもってた青年が,家から出て,家族以外の誰かと安心して一緒に過ごせるようになる,ということをやっているところなんですよね。お茶したり,ゲームをしたり,映画を見たり,なにげない日常の延長です。私は“近所のおねえさん”的なイメージで関わっていたので,最初は誰も私が美術やってた,とか知りません。しかしある時,塾長に描いた手紙でばれました。なんせ,封筒にどこかの美術館の展覧会のちらし使って,便せんは和紙に筆で書いてたので,なんかあやしいと(笑)。そのあと,塾長からシンポジウムの垂れ幕を頼まれまして,呑みながら楽しく描いてたんですけど,そのあたりから徐々にアート担当と呼ばれるようになっていったような……。
 でも「美術やろうよ!」とかは言わないようにしていて。「自分は美術をやってたんで,美術やってる自分と,この淡路プラッツという場所で,何ができますか?」とかではなく,あくまで「普通の近所のお姉さん」として関わるようにしていました。
 私は最初に来た時から,来ている青年たちより少し年上だったので,“人生のちょっと先輩”という感じで接したいと思っていて,「後輩にはなんかメッセージを伝える必要がある」ってずっと思っているんですよ。押し付けたりとかは絶対しないですけど。その一つは「人生って案外楽しいヨ!」「生きるって案外楽しいヨ!」です。せっかくこの広大な宇宙の中で近くに居てるので(笑),一緒にいる時間は,とにかくほんわかと,和やかに楽しく過ごしたいなと思っています。暇でも良いんです,「暇やなぁ」みたいな。人とともに過ごす時間をとにかく楽しむことを22年続けている,という感じです。ここに来ている若者たちはやっぱり学校や集団が苦手だったりとか,「なんかさせられる」ということにとても敏感なので,その時によって何か希望があれば,「じゃあ一緒にやる?」みたいな感じです。信頼関係ができてくると,“強制プレイ”というものを発動できますが(笑)。美術に関してもそうなので,一緒に居たら自然な流れで表現できてた,というのがいいかな。表現することは強制されるものでもないし,誰にとっても根源的なものだと思っているので。

話題が欲しいときに,トークテーマをくじでひくことも



■「アートプラッツ」を立ち上げる

アートプラッツは、NPO法人淡路プラッツのスタッフ宮武小鈴が2016年にはじめた、「表現力の居場所」です。ひきこもりがちな青年や、対人関係に不安を抱える青年が「表現すること」を通していろんな人と、いろんなコトとつながりながら、いろんな自分を発見していくこと、をめざしています。

宮武氏「アートプラッツブログ」より
―宮武さんがアートプラッツを始めたのは何故ですか?

宮武:アートプラッツはNPO法人淡路プラッツの連携事業という立場で,要するに法人の事業ではなく,私が個人で自由にやっています。立ち上げのきっかけは,ある若者が継続して美術と関われるようにしたい,と思ったからです。2006年に,淡路プラッツが大阪市の「若者広場サエラ」(以下サエラ)という事業を受託しました(*「若者広場サエラ」は大阪市中央青年センターで行っていた青少年の社会参加バックアップ事業)。そこは,ひきこもっている若者が,社会とつながるために相談に来る場所でした。いわゆる相談所ですね。そこで「美術部」をはじめたんです。サエラでは単発のアートイベントは定期的にさせてもらってたんですが,継続して美術で関わりたいなと。

「制作風景。彼,昔はモノクロの絵だった」

 サエラは3年続いたんですが,行政の委託事業というのは,その事業がなくなったら,来ていた人たちとつながりが切れてしまうんですよね。せっかく美術とつながった若者はどうするんだろうと。いつでも,どこでも,誰とでも表現ができるっていう人なら他の美術教室に行くという選択肢があるけど,ひきこもっていた若者はそういうわけにいかないから。せっかく来てくれている若者の表現の場所を続けていきたいなという思いがあって,アートプラッツを立ち上げました。
 アートプラッツは「つながる」がテーマです。ひとつが「アトリエ」で,ひきこもっている若者が来て表現するところ,若者が自分の表現力とつながる居場所です。それから「漆教室」があります。佐々木萌水先生(*インタビュアー)に来ていただいて開催しています。これは“伝統とつながる”ところです。漆でできたアイテムって,小さい頃から食器とかなんとなく知っていて,使っていたりもしますが,“自分で作れる”ってあんまり思わないですよね。でも,自分で漆で作れるって,とっても素敵じゃないですか!美術とか勉強したことがないけど,漆をやりたいって思う方は結構いらしてて,そんな方と一緒に創作しているところです。萌水先生も一般の人にも漆を広めたいと思っていらっしゃるので,講師に来ていただいてます。さらに2019年から大阪教育大学で集中講義を受け持っていています。そこでは,美術を学んでいる学生さんたちと福祉の世界をつなぐ授業を行っています。2021年度は,沖縄の貧困家庭の子どもたちが通う居場所と,美術をやってる学生さんがオンラインでつながるという試みをしました。お互いにどんな人間かわかない,「はじめまして」から,最後は美術を通してつながったらいいな,と。でも,子どもがパソコン画面の前に来ないかもしれないとか,美術で交流できないかもしれない,とかあらゆる面での失敗も織り込み済みで,それでも人と人とが交流しようとした,そのものの体験を学生さんたちと共有できたらいいなと組んだ授業でした。実際はかなり相乗効果があり,おもしろいエピソードがたくさん生まれたんですよ。



■アートを通じて人と関わる

―アートプラッツで大切にしていることを教えてください。

宮武:ずばり「つながること」です。美術と人とがつながる居場所,だから「表現力の居場所」っていう言葉をつけています。特に,美術と関係ないところで生きてきた人が,美術で表現できたらいいなと思っています。あと,「継続して関わること」です。イベントのワークショップなんかでは,そこに来てくださった方々との関係ってその場限り,一期一会です。でも継続して関わっている場があると,深みと面白さが段違いです。お互いに,「あ,この人はこんな表現するんや」と,普段話しているだけでは気づかないけれど,一緒に絵を描いたり色を塗ったりすることでわかることがあります。
 そういう面では,淡路プラッツで私が体験したことが大きいです。居場所活動をしている中で,アートが見え隠れする時があり,そういう瞬間がとてもおもしろいですね。普段はトークとかゲームとかいろいろして過ごしていますから。その蓄積がある上でさらに見えてくることがあります。たとえば,一見,とてもおとなしい人がとてもアグレッシブな筆使いだったり,あまり自己表現しない人が実はめっちゃ段取りが良くリーダーシップがあったり。普段は見えてこないところがアートで見えてくるので,その人への理解が深まることが多々あります。

「普通の主婦の感性のビックバン」

 また,アートプラッツとは直接関係ないですが,大阪市平野区で,主婦の方々が来られる絵の教室を開いています。はがきサイズの小さい絵を描く教室です。絵なんか描いたことがない,どちらかというと苦手,絵を描きたくて道具を買ったけど数十年描けず,といった方々が来られます。ですが,みなさんとてもイイ線を描き,豊かな色を使われます。いつも「売れるよ,これ」と言ってます(笑)。そして驚くほど毎月を楽しみにしてくださっていて。「本当に絵を描くのが楽しい!」という感じいらっしゃる,こういうところに感動が潜んでいて,“今まで表現しなかった人が表現していく”醍醐味ですね。
 そして,教室が終わると元気になって帰られます。私も元気になります。そういう時,やっぱり美術,表現することって,人間にとってものすごく根源的なことなんだなと感じます。根源的なので,人が元気になるんだなと。でもそれっていうのはその人がひとりで描いててもダメで,やっぱり誰かと一緒にというか,見ている人がいて,「あ~それいいねぇ」って味わう人がいて,そういうのがあるっていうことが一番大事かなと。その人が表現したことを全部okしてくれる,みたいなね。

「完成後,みんなで味わっているところ」

 ひきこもりの若者も,ごく普通の主婦の方々も,み~んな「自分が描いたものも味わうし,人が描いたものも味わおう」みたいなことに長けていると思います。なんか美術ってそういうことが本当に豊かで平和というか。本当に言葉にしなくても共有できる感覚があって,それがほんわかと温かく,やさしくて心地よいものだと。
 プラッツやサエラでよくやっていたイベントで,巨大な画面に順番に,色や文字などを一画一筆ずつ違う人が入れていく,というのがあります。元々は「みかん電鉄」のパフォーマンスを一緒にやっていた友人の下宿で,紙に二人で同じようにやっていた遊びです。これを絵の連歌方式と言っているのだけど,上の句読んだら誰かが下の句読む,それの絵・文字バージョンみたいな感じです。他の人が書いている時,みんなやっぱりジーッと見ているんですよね,描いているところを。誰かがバババッて描いた次の一筆を,それに応えて自分が別の色とかで,ガガガッて別の線をいれる。だから言葉にしなくても,そこで対話してるところがあるなと。でもそのときにたびたび起こるのが,誰かが最後のほうで,「えーっ!?」ってことをするんですよ(笑)。「画面が素敵にできてきたなぁ,この調子でいけば充実した絵ができていいなぁ」と思っていたら,そのタイミングで誰かが,「今それ入れんの!?」みたいなことをするんです。いままでの調和をぶち壊すような。本当に,あわや絵が台無しか,っていうぐらいのことをする場合があって。もちろん,わざとではなく,その人の個性と感性からの表現です。今までのワークショップで,何回もありましたね。それでその時に,その描いてる人以外は,皆やっぱりちょっと「えっ?」って思っているのが伝わってくるというか(笑)。他の人が描いた絵や線の上にも重ねて描いてokというルールなので,他の人たちがそれを,画面になじまそうとしてるからやっぱりおもしろい(笑)。壊れた調和を元に戻そうというアクションをしてる。それがね,いつもすごいドラマやなと思って。なんか「えー」っていうことがあっても,皆がある意味フォローしていくというか,そのとんでもない線や色をフォローしていくことで,本当に最終的に1,2段階上がったいい練れた作品になるので,人と共同で何かを作る醍醐味というのは,なんだかそうところにあるなぁと思います。そして,そんな抽象的なコミュニケーションからちょっと自信がついたりとか,経験の1つになって,だからあんまり元気なさそうにみえた人でも,とてもいい線描いて帰ったとか。私らも次への希望につながるんですよね。

「サエラアート『線の追及』途中 一人ずつ描いていく」

「サエラアート『線の追及』完成 画面が充実して,完成」


今後の活動について

―それが宮武さんのアート活動なんですね。

宮武:自分にとって何が美術か,みたいなことにずっとアンテナを張っていたので,形のあるものだけが作品ってわけじゃなく,淡路プラッツ含め,色んな人との出会いとか,その人たちと過ごした空間・時間とか,そういったものすべてが作品みたいに思えています。ここで出会う人たちの関わり自体が,なんか彫刻って言ってもいいんですけど,1つの作品みたいな気がしてきて。

―今後の目標などがあれば教えてください。

宮武:最近,「やっぱり自分で作りたい」と思っています。今まで,誰かの表現との出会いがひたすら楽しかったんですけど,自分の世界も形にしたいなって,やっと思えるようになってきました。子どもの時の気持ちが復活して,お絵描きというか。私は幼稚園の時から絵を描いてて,一番最初に描いた絵も覚えているんですよ,クレヨンと絵の具で描いたみかんの絵と,お姫様の絵(笑)。それを描いた時のワクワクを思い出せるようになりました。一周回って,原点のお絵描きみたいなものに,今モチベーションがあるかな。それにワクワクしています。あと,萌水先生に習っている漆,金継ぎ(*宮武氏は主催者兼受講生)もワクワクです。漆の作業をしている時間というのがとても不思議な気持ちよさなんですよね。この感覚はもっと追究しなければ……。
 とても長い間,何ものにも縛られない自分の絵を描きたいって本当に思えなかった。でも今は思えるようになったので,やっと戻ってこれたのかな。妹のたった一言の投げかけから,長い旅から一周して戻ってきたんかなぁと思っています。

金継ぎ 錫粉を蒔いているところ
「まつわるすべての作業が味わい深い」



■京芸生へのメッセージ

―在学生に向けてメッセージをお願いします。

宮武:京芸は少人数で,ほんわかとしていて,「創っていいんだよ」という場。伝統があるので,創作の磁場みたいなのが圧倒的にあるじゃないですか。だから本当にその大学の時間を思いっきり表現・制作したり,また制作に向かうまでの思索だったり,仲間との時間,先生との時間,はたまた家で一人でいる時間もそうやと思うけど,全部のその時間を味わい尽くしてください。本当に,その時間と,体験と,景色と,すべてが宝物なので,笑ったり悩んだりしつつも,味わい尽くして欲しいです。


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「淡路プラッツ スタッフ紹介・ブログ」宮武小鈴:
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