News新着情報

講師 堤拓也氏によるレポート「キュレーター招聘:プレゼンテーションレビュー」

2021年2月11日(木・祝)・14日(日)の作品展期間中,在学生を対象とする芸術活動支援企画「キュレーター招聘:プレゼンテーションレビュー」実施しました。
本企画の講師として,キュレーター,グラフィックデザイナーの堤拓也氏と,愛知県美術館学芸員の中村史子氏をお招きし,事前にエントリーした在学生による作品展出展作品及びプレゼンテーションに対して講評をいただきました。同期間中,講師のお二人には,本企画参加者以外の作品展出展作品の鑑賞もしていただきました。
終了後,講師のお二人に本企画と作品展のレポートを執筆いただきました。
本ページでは,堤拓也氏のレポートを掲載します。

中村史子氏のレポートはこちら
https://www.kcua.ac.jp/career/news/11032

【企画概要】
「キュレーター招聘:プレゼンテーションレビュー」
日程 2021年2月11日(木・祝)・13日(日)
場所 京都市立芸術大学作品展 学内展示会場(11日)・京都市京セラ美術館会場(13日)
講師 堤拓也氏(キュレーター,グラフィックデザイナー),中村史子氏(愛知県美術館学芸員)
参加者数 15名

https://www.kcua.ac.jp/career/news/7125


「キュレーター招聘:プレゼンテーションレビューレポート」
堤 拓也

 京都市立芸術大学キャリアデザインセンターが企画する「キュレーター招聘:プレゼンテーション & ポートフォリオレビュー」と題された事業に,2日間に渡って参加する機会を得た。ほぼ無名のキュレーターとして学生たちに何が与えられるだろうかという不安を覚えつつも,コロナ禍でのフィジカルな観覧と対話を通じて感じた,同じく京都市内の芸術大学を卒業した一回り上の世代としての反省と,外部からやってきた美術関係者としての雑感,それでもときおり舞い降りた希望を織り交ぜながら,レポートにまとめてみたい。

京都沓掛2010年代
2011年に京都の私立芸術大学を卒業した私の世代にとって,京都市立芸術大学の卒業・修了展というのは,完成度の高い作品が並ぶ,ひとつの憧れといっても過言ではないくらい洗練された催しだった。油画専攻による各アトリエを贅沢に使ったものや,重厚感ある機材とともに工房棟に展示されるダイナミックな彫刻群,さらに構想設計による大掛かりなインスタレーション,新研究棟での極めてハイクオリティなプレゼンテーションなど,まるで複数の個展が同会場に集結しているような錯覚に陥るほど,若いながらもすでにスタイルを確立させた学生たちの作品が堂々と並んでいた。その機会を通じて想定されているキャリアパスとしては,美術館でのグループ展に招待されることや,コマーシャルギャラリーでの先鋭的デビューなどといった,いわゆる同時代的な現代美術シーンに即参入することだったように思える。特に,2000年代に卒業した先行世代は,そのように目指せば得られるかもしれない具体的な実例と目標があって,その少し後続世代である我々にとっても,程度の差こそあれ,まだ同じような未来像があった。むしろ,何人かの学生たちは20代のうちからどこかのギャラリーに所属していたという華々しい伝説と相まって,そのシステム自体を一層,魅惑的なものにしていた。そういった神話が解体され始めたきっかけは諸説あると思うが,象徴的には2011年の大震災,経済的には2008年のリーマン・ショック ,生活的には作品の売上利益の50%をギャラリーが持っていくという構造上の了解に,卒業したての現代社会を生きる若いアーティストたちが対応できなくなったからだと考える。たとえば年収250万の収入を得ようとすると500万円の作品を用意し,それを完売する必要がある上,さらに1年に1回の展示機会が保証されているわけでもないから,諸経費(アトリエ代や材料費)も考慮すると,単純に無理ゲー(※)であることにみんなが気づいたのだ。在学中にそのような変遷を間近で眺めた私の自己認識としては,商業主義的なシステムに乗ることを切望しつつも,その制度も一時的であることが露呈し,追いかけようとしたがまったく乗ることができなかった,なんとも割り切りがたい谷間の世代にいると考える。

(※)無理ゲー:難易度が高すぎて「クリアするのが無理なゲーム」の略語。実生活において解決が困難な状況にも用いられる。

京都沓掛2021年
たった10年先に卒業した筆者世代の理想と現実がある一方で,2021年に展示された成果物の背面にあるキャリア形成のイメージは,もっと抽象度の高い漠然としたもののように感じられた。それはひとえに,先行世代に格好良いと思えるロールモデルがいないことや,かつてのスターたちが教員となって安住し高齢化していく中で必然的に生まれる学生との時代感の不一致,あるいは現代社会の新卒就職至上主義がもたらしたものかもしれない。ただそれと同時に,作品展全体を通して,絵画は矩型内に収まり,彫刻は思いのほか軽くなり,各ジャンルそれぞれが,それぞれの形式を純粋に守っているという印象を受けつつも,成功例なり失敗例を示すことができなかった申し訳なさが心の中で沸き起こった。我々世代は,自分たち,もしくは上に取り入ることしか意識しておらず,若手全体が活動を継続していけるようなシステムを何も構築してこなかったのだ。もちろん先行世代がそれをやっていたわけではないが,谷間にいる身として,なにかすべきではないか絶えず考えた。

しかしながら,「一体,みんなどのような道を歩むのだろう」と心の中で唱えつつも,少なくとも私が対話した学生たちは,無理に大きく見せようとせず,素直に自らの作品を語ってくれた。物質を中央に,コンセプトやイメージの方向性について共に議論した時間は貴重なものだったし,若者への心配ど大きなお世話だったなとすぐに思い直した。その実例をざっと列記すると,VD3回生の高美遥の触覚と聴覚を結びつけたプロダクトは,あくまでマケットや構想のプレゼンテーションに陥りがちなデザインの展示において,実際に遊べる装置にまで昇華させていた点が評価できるし,油画3回生の伊藤きく代は,まるで戯曲となるような絵画作品をベースに,巨大な半立体の絵画を上演的に制作していた。本来的であれば後者がタブローとなるが,彼女の場合は前者がオリジナルとなる。事実,このようなスタイルは初見であったため,深い感動を覚えた。陶磁器M1回生の木田陽子は,文字を起点に造形していくという独自のスタイルをすでに確立しており,展示技能や今後の発展性についても,期待値が高い内容だった。また,構想2回生の立花光のキャラクターをテーマにしたインスタレーションは,自分の趣味趣向を越えていこうとする意志があり,スタイルを早くから限定しないという意味で挑戦的だったし,油画M2回生の深川未貴の超巨大な絵画は,スケッチのあとにそれを立体に起し,それをさらに大きく描くという複雑な工程を反映しただけある,強い画面だった。何より描きたいという意欲が溢れ出ていた。また,作品制作だけではなく写真を介したクライアントワークも実践している油画M2回生の進士三紗の絵画は,もはや口を挟み込む余地がないくらい完成された構成だったし,最後に対話した油画4回生の土屋咲瑛のカーテンを支持体とした作品は,タブローには定着しがたいイメージを捉えようとする繊細な作品だった。繰り返しになるが,個別に作品を見ればすべてが希望的だった。

京都の未来
ただ全体的にみると,いわゆる個人的な体験や感覚をもとにイメージを膨らませた作品がある中で,社会的,政治的,時事的な問題を扱ったもの(少なくとも筆者が立ち会った範囲で)は非常に少なかったということを申し添えておく。また,美術史自体に言及したものもなく,いわゆる現行の美術や社会制度に対して批判的なものも存在していなかった。一概にそれが悪いとは言えないが,作品の総数から眺めてみると,それは教育機関としてバランスに欠くと言わざるをえない。2019年に初の女性学長が就任し,知る限り積極的に女性教員を増やそうとしている中で,そういった身近な解決すべき社会的アジェンダがまったく学生に降りてきていないように見えるのは,何に由来するのだろう。近い将来,キャンパス自体が崇仁地区へと移転することに連動し,色々な選択肢に触れられるオープンな教育環境になることを願う。


【講師紹介】
堤 拓也(キュレーター,グラフィックデザイナー)
1987年生まれ。2013年から2016年までARTZONEディレクター。2019年アダム・ミツキェヴィチ大学大学院カルチュラル・スタディーズ専攻修了。主なキュレーション実績に「類比の鏡/The Analogical Mirrors」(滋賀,2020),「ISDRSI 磯人麗水」(兵庫,2020)など。展覧会という限定された空間の立ち上げを目的としつつも,アーティストや協働者との関わり方を限定せず,有機的な実践を行っている。2018年より山中suplexプログラムディレクター。

CONTACT

お問合せ/相談予約