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瓦版web:07|寺嶋千紘|大学院からスタートした人脈づくり

寺嶋千紘(ピアノ)
大阪府出身。神戸大学発達科学部人間行動・表現学科音楽表現論コース在学中から、演奏活動を始め、卒業後ドイツへ留学。International College of Music, HamburgにおいてMaster of Performanceコースを最優秀の成績で卒業。ヨーロッパ各地のマスタークラスのほか、リューベック音楽大学で研鑽を積み、ドイツにてソロCDを製作。2007年イタリアで開催されたテラモ国際音楽コンクールにて第1位。2008年にはハンブルクと大阪にてソロリサイタルを開催。帰国後、2010年日本センチュリー交響楽団とシューマンのピアノ協奏曲を共演。2011年京都市立芸術大学大学院音楽研究科修了。2019年姫路パルナソスホールチェンバロ講座上級コース修了。主にアンサンブル・ピアニストとして活動し、兵庫県立芸術文化センター主催公演ほかで、タップダンス・クラシックバレエ・コンテンポラリーダンス・フラメンコ・邦楽などジャンルを越えたアーティストとコラボレーションしている。伴奏ピアニストとしてはNHK-FMに出演するほか、リサイタルやコンサートに多数出演する。フルートカルテットとピアノによるアンサンブル「レザミ・ドゥ・ヴァンサン」メンバー。

インタビュー:柳楽正人(京都市立芸術大学キャリアデザインセンター音楽アドバイザー)



■神戸大学からドイツ留学を経て京芸の大学院へ

―寺嶋さんは少し変わった経歴ですよね。日本では音大ではなく神戸大学を卒業されていて、その後ドイツに留学してインターナショナル・カレッジ・オブ・ミュージック・ハンブルクとリューベック音楽大学で学ばれてから、京都芸大の大学院に進まれてます。京芸ではどんな感じの生活をされていたんですか?

寺嶋:大学に通って授業を受けてレッスンを受けて、そして毎日のようにどこかに伴奏に行ってました。歌の伴奏が多かったですね。大学院初日のオリエンテーションで、声楽の同級生に「この授業の伴奏に入ってもらえませんか」って声をかけられたので、授業とプラスして、宗教歌曲ともう1コマぐらい行ってました。
 宗教歌曲の授業ではヘンデルの『メサイア』の公演をしたんですけど、その公演にポジティブ・オルガン(移動可能な小型オルガン)で参加しました。確か1月とか2月だったと思うんですけど講堂がすごく寒くて、オルガンの出番はほとんどないから、待っている間にオルガンが冷え切ってピッチがすごく下がるんです(笑)。それで、ひとつ上の学年にいたコントラバスの院生に睨まれたのがきっかけで、彼の伴奏をするようになりました。
 彼はちょうどその時に、サロン・ドゥ・アヴェンヌ(大阪にあったクラシックライブサロン。2020年閉店)で働きながら演奏をしていて、そこに私を引っ張り出してくれたんです。今も一緒に仕事をしているのは、アヴェンヌで繋がっていった人たちです。それが院の2回生になってからだと思います。

―アヴェンヌには、寺嶋さんと同世代の若い音楽家もたくさん出演していましたよね。そこでの繋がりが今に続いているんですね。京芸を受けるときは、日本での音楽的な人脈はどのくらいあったんですか?

寺嶋:ほぼ皆無です。神大のひとつ上の学年におられた、ピアノを弾いていた先輩が卒業して京芸の院に行かれてたんですが、それぐらいでした。だから先生とのコンタクトも何もないまま受験しちゃったんです。
 ちょうどリサイタルを企画していたので、大学院に合格した後にダメ元で教授陣の先生方にご案内を送ったら、そのリサイタルでメインにしていた曲を、たまたま神谷郁代先生がCDに収録されたばかりだったこともあって、先生が電話してくださったんです。「試験のあの曲、よかったわよ」と言ってくださったその電話一本を頼りにして、4月に入学したときに希望の先生を書く欄に神谷先生の名前を書きました。
 でも当然、神谷門下にはそんな人は誰ひとりいなくて、みんなちゃんと高校時代の先生に紹介状を書いていただいて、みたいなのが当たり前の世界だったから、私だけ浮いていてすごく場違いだなと思いました。だから結構しんどかったんです。最初の半年は訳がわからなくて、音楽棟に向かうとお腹が痛くなってきたり。夏休み前の最後のレッスンの後に、駅で号泣して帰りました。だけどそれは、別にみんなが意地悪だったわけでも何でもなくて、自分が勝手に作り上げた日本の音大のイメージのせいだったり、ドイツから帰ってきたばかりだったから、ドイツでの先生とのフランク感と、日本での先生との距離感を掴めなかったというのもあります。ただ外国にかぶれていただけかもしれません。
 でもあんなに短かったけれど、京芸の院の時に出会った数少ない友達の人脈には救われるし、やっぱりプロフィールに京芸と入っているだけで「京芸に行っておられたんですね」と声をかけてくれる方もいて、それはよかったなと思ってます。


■大阪のクラシックサロンで音楽仲間と出会う

―個人的なイメージですが、寺嶋さんはフルートの伴奏と、歌の伴奏をたくさんされているイメージがあります。京芸では歌の伴奏をしていたということでしたが、そこから現在に繋がっている広がりはあるんでしょうか?

寺嶋:みんな仲良くはしているけれど、今もずっと続けて伴奏している人はいないかな。波多野睦美先生(*1)のところに連れて行ってくれたのは、端山梨奈さん(*2)なんです。梨奈さんとはアヴェンヌで知り合って、波多野先生のところに連れて行ってくれて、そこからOne and Only(*3)のみんなと付き合うようになりました。波多野先生のところはオペラアリアの伴奏をするみたいな雰囲気じゃないので、今は歌に関しては学生がやっているような雰囲気とは少し違うところに行っていますね。私も割とそっちの方が心地いいです。波多野先生がバロック音楽がお得意なこともあって、バロック時代の通奏低音(*4)の伴奏もするようにもなりました。その頃、友達からフルート奏者の山本純子さん(*5)を紹介してもらって、フルートの伴奏が一気に広がっていきました。

(*1) 波多野睦美さん:メゾソプラノ歌手。古楽から現代の作品にわたるレパートリーをもち、独自の存在感を放つ。
(*2) 端山梨奈さん:2007年京芸大学院修了。現在、神戸市混声合唱団所属。
(*3) One and Only:波多野睦美さんに魅了されて集まった9人の歌手による企画・演奏グループ。
(*4) 通奏低音:バロック時代に行われた伴奏の演奏法。楽譜には低音部の旋律のみが書いてあり、そこにつけられた数字に基づいて即興で伴奏していく。
(*5) 山本純子さん:フランスで学び関西を拠点に活動するフルート奏者。2013年からほぼ毎年開催されているリサイタルは全て寺嶋さんが伴奏を務める。

―バロック音楽の話が出ましたが、寺嶋さんはチェンバロを演奏されることもありましたよね。

寺嶋:フルートの伴奏をするようになって、電子チェンバロを弾かないといけない機会が増えたんです。でも私は音大を出ていないからチェンバロを副科で習ったこともないし、何もわからないままで弾くことに恐怖心がありました。姫路のパルナソスホールでチェンバロ講座をやっていることは知っていたので、そこに行き始めたんです。そこでバロック音楽って楽しいなと思いました。チェンバロ講座は入門コースの後にオーディションがあって上級コースがあるんですが、その上級コースにも入れていただきました。最後にリサイタルをしないといけなかったり、結構大変でしたけど、とてつもなく勉強になりました。そこで知り合ったピアニストの人たちとはすごく馬が合って、仲良くしてもらってます。そんなわけで、練習するのに楽器がないわけにもいかず、家にチェンバロがあったりします。

―マイチェンバロがあるんですね。ちゃんとしたチェンバロ弾きじゃないですか!

寺嶋:いやいや、そんなことないです。例えばバッハのフルート・ソナタを伴奏するとしたら、どの出版社をチョイスするかでピアノの楽譜が全然違うので、いまいちかなと思ったら自分で調整するとか、そういうのはやっぱり何の知識もないと厳しかったと思うので、助かっています。でもピアノの同期は京芸の学部のときに副科チェンバロを取っていたと言っていたし、そういうところは音大は恵まれてるなと思います。
 その同期のピアニストとは大学院を修了してから連弾をやり始めました。私はそれまでちゃんと連弾をしたことがなかったので、たくさんレパートリーを開拓してめっちゃ大変だったけど、それも今では結構財産になっています。でもこれも京芸の人は学部でみんな通る道なんですよね。


■色々な形でやってくる伴奏の依頼

―日本での音楽的な接点がないところからスタートして、寺嶋さんがどうやって活動を広げていったのかという点に興味があったんです。サロンに連れ出してもらったり、友達に紹介してもらったりしたところから始まっていったんですね。

寺嶋:自分から営業活動とかは得意じゃないので、ほぼしてないんです。来る流れに乗るというか。もし呼ばれなくなったときは、自分の演奏技術に非があるときだと思っているので、まずはちゃんと使ってもらえる技術などをキープしたいという思いもあって、自分から押し売らないようにしてます。それでも終わっていく波はやっぱり終わっていくので、割とご縁を大切にしてます。

―その波は突然やってくるものではなくて、ご縁を経てやってくるということなんですよね。

寺嶋:でも、よくぞそんな勇気を出してくださったという感じで「ハンブルクに留学」というその一文だけを見て、伴奏を依頼したいと言われた人がおられてびっくりしました。あとは、伴奏者として出場したコンクール会場で依頼されることもありましたね。

―コンクールの伴奏は、知り合った演奏家の生徒さんの伴奏をするという感じですか?

寺嶋:基本はそれが多いですね。あとは、私がフルートの伴奏をたくさんしているのを知っていて、大学で教えておられる先生から連絡が来て、うちの弟子をまとめてお願いしますとか、そういう依頼のされ方もあります。コンサートとは違うので告知もしないし、見えにくい仕事かもしれないですけど、割合としては多いかもしれないです。
 コンクールには色々あるんですけど、学生音コン(全日本学生音楽コンクール)とかはかなりシビアな空気の流れているところで、私はソロでは毎回予選落ちレベルだったけど、伴奏者として自分ひとりでは行けなかった世界に連れていってもらっています。私にとって常にいい状態をキープしておかないと難しい場所なので、コンクールの伴奏をすることで道から外れないようにしてもらっています。そういうピリッとした舞台を肌で感じる機会があるから、コンサートもまた違う感じで楽しめる。オーケストラのオーディションとかも、みんなの人生を背負って一緒に出る仕事なのでプレッシャーもありますけど、応援したい気持ちも含めて楽しくやってます。
 フルート以外だとヴァイオリンの伴奏の依頼が時々きます。最近はクラリネットもありましたが、それはたまたま伴奏ピアニスト仲間から話がきました。みんな同世代で子育てをしていると、行けない仕事を振り合うみたいなところがあって、私も何度も頼んだりしてます。

―なるほど、そういうピアニスト同士のネットワークもあるんですね。


■ピアニストとしてのこれから

―結婚や出産といったライフスタイルの変化に合わせて、若い頃とは動き方や活動の内容も変わってきますよね。

寺嶋:この歳になってくると、合わせをしながらも半分レッスンみたいになることも増えてきました。特にフルートはレパートリーも増えてきたので「この箇所はみんなそうなるよね」みたいなことが言えることも多くなってきました。自分が弾けていればいいという次元を超えてきたのを感じるので、教えるという部分で、もうちょっと言葉とか伝え方を考えないといけないと思っていて、今はそれが課題です。歳だなって思ってます(笑)。

―いやいや、年齢というより、寺嶋さんがそういうポジションになってきたということですよ。ピアニストとしてこれからやってみたいことなどはありますか?

寺嶋:今は圧倒的に管楽器の伴奏が多くて、その中でも9割はフルートなんですが、これからもうちょっと色々なご縁も増えればなと思ってます。私は管楽器のノリが大好きなんですけど、弦楽器の伴奏ができてナンボと思ってるところがちょっとあります。だからもう少し弦楽器とご縁があったらいいなと思ってます。

―ソロの演奏はあまりされていないですか?

寺嶋:昨年の夏にバルトークの『ミクロコスモス』を弾いたんですけど、そういう少し違う路線のものに興味があるので、もし機会があれば弾いていきたいなと思っています。

―そうなんですね。バルトークはイメージにないのでちょっと意外でした。現代の新作とかも興味があったりするんですか?

寺嶋:新作とか現代系も興味あります。3月に吹奏楽で演奏した、ジョセフ・シュワントナーの『...そしてどこにも山の姿はない』という曲は、割とピアノが中心的に動いている曲で、結構な現代曲でした。でもそういうのはなかなかチャンスないじゃないですか。

―今はそうかもしれないけど、これから少しずつ現代曲の実績を積み重ねていったら、フルートの伴奏と同じように、色んなところからお声がかかるかもしれないですよ。新しい広がりも含めて、これからも益々のご活躍を楽しみにしています。今日はありがとうございました!



 今回のインタビュー記事は、寺嶋さんの音楽的な人脈の広がり方を中心にまとめましたが、実は「子育てと演奏活動の両立」というテーマもお聞きしたいと思っていました。寺嶋さんには事前にお伝えしていたものの、当日の話の流れで人脈の広げ方のほうを掘り下げたため、インタビューが終わった後にあらためて、子育てとの両立に関するメッセージをいただきました。ぜひ参考にしていただければと思います。



■子育てと演奏活動の両立についてのメッセージ

 私より少し上の世代の方だと、出産かキャリアかを選択しなければならなかったという話をお聞きします。幸い今は両立することを応援してくれる空気があると思いますし、私も肌でそれを感じています。
 しかし産休中に、置いていかれるのではと焦る気持ちがゼロになることはありません。復帰しても思うように練習はできないし、打ち上げには出られないし、断らざるを得ない仕事も増えました。それでも理解ある共演者と、また復帰をあたたかく迎えてくださるお客様のおかげで今があります。
 ただ練習できないこともデメリットだけではなくて、追い込まれることで明らかに譜読みは早くなりましたし、仕事の段取りは良くなったかなと思います。

 そのような雰囲気がある一方で、身内以外に子どもを預けて仕事をしようと思うと、社会の制度上のハードルはまだまだ高いと感じています。特に私のようにどこにも所属していないフリーランスの演奏家としての仕事を、音楽に必ずしも関心のない人に理解してもらい、それを自分で資料にして認めてもらうという作業は気が滅入り、何度も失敗もしました。コロナ禍だったこともハードルがあがった一因かもしれません。
 主に土日祝、平日の夜にあるコンサートや、夕方の保育園のお迎えの時間に確実にまたがる小さい子のレッスンなど、演奏家(講師)が預かってもらいたい時間に確実に預けられる施設を探すことは容易ではなく、今も見つからないまま、日々綱渡りのように生きています。

 それでも私たちの世代が諦めることなく両立していくことで、それがスタンダードになり、フリーランスへの理解が少しでも広まって、これから子どもを望む若い演奏家のみなさんが、もっと気持ちよく両立できるようになればいいなと心から思っています。
 楽観的過ぎるかもしれないですが、少しずつ良い方向には向かっていると思うので、もし悩んでる方がいらっしゃれば是非とも背中を押したいです。

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