KAWARABAN瓦版

瓦版web:16|村田陽子|鉱物カフェから学びの場へ

村田陽子

兵庫県在住。神戸高校卒業後、京都市立芸術大学にてビジュアルデザインを専攻。東京の一部上場ゲーム会社にて、インターナルシステムデザイナーとして勤務。 結婚を機に兵庫県へ戻り、出産後に個人事業主として独立。夫の趣味であった鉱物収集をきっかけに、鉱物販売イベントへの出店を開始し、2015年に「鉱物&カフェ Mineral Muru」をオープン。 阪神阪急百貨店での催事出展、漫画「宝石商のメイド」の監修、学校や学習塾での出張ワークショップ講師など、鉱物とデザイン、教育を横断した活動を展開。子どもたちの知的好奇心を刺激する体験型の理科教育に力を注いでいる。 近年は「稲野商店街組合」を立ち上げ、「いなのピクニックマルシェ」運営など、地域文化の醸成やコミュニティづくりにも積極的に関わっている。

鉱物&カフェ Mineral Muru ウェブサイト
インタビュー:neco(京都市立芸術大学キャリアデザインセンター美術アドバイザー)
2025年12月15日実施

◾️進学校から、芸大へ

―最初に、学生生活のこととかからお伺いしたいと思います。

村田:高校は進学校でした。進路選択の時期になると「とりあえず難関大学を目指す」という空気が強く、その価値観になかなか馴染めなかったんです。そんな中で唯一、自分が学びたいと思えたのが芸術でした。一方で、将来は就職しなければならないという意識と、「家から通える公立大学しか選べない」という家庭状況から、京都市立芸術大学のデザイン科を目指しました。

―最初から就職を目指して大学に入ったんですね。

村田:そうですね。当時の担任には「芸術じゃ食っていけないから、神戸大学か京都大学を目指せ」と言われました。それでも別の道を選んだ以上、芸大に進んでもきちんと就職して、「食べていける人」にならなきゃいけない、という意識は強くありました。
高校3年生から画塾に通い始めました。当初、大手画塾の体験教室に行ってみると「この画力なら浪人が前提」と門前払いにされて。正直、かなり悔しかったですね。そこで、地域にある小さな絵画教室を訪ねました。そこの京芸出身の先生に「近年うちから京芸に合格した人はいないけど、やる気があるなら毎日来てもいいよ」と言ってもらえたんです。先輩もおらず、体系立った参考資料もなかったので、インターネットに載っている合格作品の画像を頼りに、半分独学のような形で毎日死に物狂いで絵を描いていました。その甲斐あって、なんとか現役で合格することができました。

◾️「なんでもやりたい」で多忙だった学生生活

村田:入学後は、「せっかく合格したのだから学べるもの全部学びたい」と意気込んでいて、取れる授業は全部履修登録をして、フルで授業を入れていましたね。資格取得はしていませんが、教職や学芸員の授業も取っていました。私は実技より、センター試験で点数が取れて入ったタイプだと思うんです。いざ入学すると、自分より上手い人が周りにいっぱいいて、コンプレックスがありました。なんでもやってみたい反面、やってみたら全然うまくできない。神戸から片道2時間かけて通っていたのですが、帰りの電車で泣きながら帰るみたいなことがあったりもして。
でも、大学での生活は本当に楽しかったです。もともとコミュニケーションをとるのが苦手な自覚はあったのですが、いろんな学科の子に勇気を出して話しかけてみると、自分にはなかった考え方や感性を持っていて。価値観がものすごく広がりました。

―授業以外だと、村田さんといえば芸祭で輝いてたイメージがあります。

村田:複数の活動を並行していたので、「芸祭で一番忙しい女」呼ばれていたこともあります(笑)
ちょうどコスプレや2.5次元、アイドルが流行っていたこともあり、「京芸の王子様」や「ジョジョの奇妙な冒険ミュージカル」、「マクロスF」のコスプレで歌ったり踊ったりしていました。メイクの技術を生かして「詐欺屋」という化粧の模擬店をしたり、SQUAT(芸大祭の学外展示企画)の実行委員もしていました。「京芸の王子様」は学部問わず後輩先輩問わず、参加したい人を誰でも受け入れてくれた、すごく良い活動だったと思います。
「せっかく芸大生になれたのだから、今までの自分と違うことをしたい」という思いが強く、他の人がやってないジャンルでなにか面白いことをやりたかったんです。「思いついたら、立ち上げてみる。やりながら改善策を考える」といった企画運営の力はそこでついたように思います。
部活は、ダンス部の部長とサッカー部のマネージャーを兼部していました。ダンス部は、先輩の代でサークルとして立ち上がったばかりで、初代4人しかいなかったんです。そこに私達が二代目として十数人入ったこともあって、「ダンパを盛り上げよう!」と、色々企画をしていました。
芸祭での様子
村田:「そこになければ、作ればいい」という芸大生たちの荒削りな熱量の中で学生生活が送れたこと、学生有志の活動が後輩たちに今も続いていることがとても感慨深いです。そういうことができたのも、京芸が割と何でもできる校風だったのが大きいですね。テーマ演習で「芸大生は運動への苦手意識が強すぎるから、普通の運動ではなく、鯖街道を歩こう」と、福井から京都まで鯖を背負って歩いたことも今でもよく覚えています。
学生が自発的に動けば、学校も「やってごらん」という距離感で見守ってくれる。あのおおらかな雰囲気が、学生生活におけるモラトリアムとして、とても良かったですね。

◾️苦戦した就職活動

ーその後、卒業後を決める時期に入っていくかと思います。入学時から進路を就職と決めてたからには、就活をすることになったかと思いますが、その頃はどうでしたか。

村田:就活はポートフォリオが鬼門でしたね。当時は企業に出すポートフォリオを手製本で制作して味を出そうという流れがありました。でも、何が正解かわからない。教授に見せても「うーん、これでいいんじゃない」と言われて(笑)。きっと内心では「おいおい」と思われていたんでしょうけど、もう一から作り直す余裕もありません。今思えば、印刷業者で綺麗に製本して中身で勝負するべきだったと思います。でも当時は、「見た目で個性を出さなきゃいけない」と思い込んでいて。そこは、かなり遠回りをしましたね。

業界としては、広告関係のを中心に就活しており、広告代理店や放送局にインターンに行っていました。大手放送局ではプレゼン課題で最優秀賞をいただいたり、正直「結構いけてるかも」という感覚もありました。ですが、いざ面接になって掘り下げられると上手くいかない。とある企業は十次面接ぐらいまであったのですが、最終面接で「人生で一番辛かった経験」で家庭環境の暗い話をしてしまい落とされたりしました。当時はそれで更にメンタルを病んで、就活は結構苦戦をしましたね。

最終的に受かったのが、東京の一部上場ベンチャー企業のゲーム会社でした。内定はもらえたのですが……、卒業旅行でスキーに行った際に転倒して、膝の靭帯が切れて、歩けなくなってしまって。入社の時も車椅子で、結局1ヶ月後ろ倒しで、東京に行くことになりました。なので、配属の時にはすでにブランクがありました。
卒業時の作品展にて プロダクトデザインの車椅子の作品を発見
村田:多くの人がゲーム制作の部署志望だった中で、「あなた本当はソシャゲあんまり好きじゃないよね」と見抜かれていたことと、一ヶ月遅れていたのも配慮されて、「インターナルシステムデザイン」の部署に配属されました。社内向けシステムの、ユーザーインターフェースのデザインですね。

部署での研修も受けて、「いよいよ実践的に成果物を」という段階で、妊娠が分かりました。
彼が関西で遠距離だったので、私一人東京で出産育児というわけにもいかず、結婚して関西に帰ってくることになります。新卒で、必死で入った上場企業を1年で辞めるという、キャリアの一歩目としては、正直、大ゴケでした。つわりもひどくて、パソコンとトイレを往復する日々。都心部は街や人の臭いがきつくて歩くと倒れそうになり、食事や水分も全部もどしてしまう。体調が悪いとメンタルも弱るもので、「東京でキャリアを積むつもりだったのに」「あんなに頑張って入社したのに」「ルームシェアしてる友達にも迷惑をかける」と、負の感情が延々と巡っていました。

どうしても、妊娠出産は、女性にとって大きな人生の転換期になります。男性は、妻が妊娠しても仕事を辞めずに済む。でも女性は、辞めるか、長期で休まざるを得ない。その現実をどうしても受け入れられなくて、とても落ち込みました。

◾️イベント出展をきっかけに、鉱物業界へ

村田:その後、無事に娘が生まれました。正直いろいろ大変でしたけど、産んだ瞬間に全部ひっくり返って。もう、世界で一番可愛い。ああ、自分だけの人生じゃなくなったんだなって思って、人生観が一気に変わりましたね。ほどなくして、実父が急逝したんです。その時に、「そのまま東京でキャリアを積んでいたら、私は関西にも帰っていないし、父は孫の顔を見ずに亡くなっていた。あのタイミングで娘が私たちのところに来てくれたのは、このためだったのかな」と思えました。
その後は、独居になった実母を引き取り、しばらく専業主婦として育児に専念していました。ですが、家にずっといるのが性に合わなくて。地域の支援センターや公園には行っても、それ以外の時間が空虚すぎたんです。

ーそれまで活動的に動いてたわけですからね。

村田:デザインの仕事をしたいけれど、実績がないし、子供は小さいし、実母のグリーフケアもしないといけない。この段階で企業に再就職は難しいと諦めていました。
25歳ころの様子
村田:そんなときに、空いた実家を賃貸にする話になり、不動産事業主として個人事業で開業しました。その少し後に、土日だけの副業のような形で石の販売を始めました。夫が元々石好きで、結婚してから一緒に鉱物の即売会イベントに遊びに行っていました。コミケの石バージョンみたいなもので、まだそういったミネラルショーが流行りだしたくらいのときですね。イベントに何回か行くと、業者さんも顔見知りになってきて。「コレクションが増えすぎて置き場に困りますね」と雑談したら「じゃあ、売ったらええやん」と言われて「たしかに!」と。そこで週末だけのイベントで販売活動を始めました。

◾️コロナ禍の開業

村田:そうやって出展をしていたところにコロナ禍が来たことで、販売イベントが一気になくなってしまいました。
同時期に夫がメニエール病(内リンパ水腫で目眩発作を繰り返す難病)を発症しました。主な原因がストレスや疲労とされていて、危険物を扱う部署にいたこともあり、原因となる仕事を退職せざるを得なくなったんです。そうなると「私も本格的に働かないと」となって。下の子がまだ小さかったので、乳幼児二人を見ながら、夫にも無理のない働き方はないだろうかと模索した結果、「鉱物販売で繋がっているお客さんたちと交流できる場所を作れないか」というアイデアが浮かびました。石好きさん同士の交流の場にもなり、また、逆に鉱物に興味のない人も気軽に利用して美しさや魅力に触れてもらう場所として「鉱物カフェ」の軸を固めていきました。

ーなるほど、色々重なったタイミングだったんですね。

村田:調べてみると、女性起業家向けや若年層向けなど、様々な起業支援制度があることも知り、コロナ禍という状況もあって融資や補助金も通りやすかったので、商工会をフルに活用してすぐに開業しようとなりました。イベントの常連さんと「お茶飲みながら石会したいね」と話していた経験と、鉱物が好きな人に限らず誰でも気軽に利用できる飲食店と組み合わせることにしました。
開業を決めてからは早かったですね。ちょうどコロナ閉店で駅前店舗が空いたので、すぐに契約をしました。内装デザインやロゴ、メニューやPOPなどは全て自作できるのは、学生時代にさまざまな分野の課題をやっていたおかげだと思います。
そういった経緯で、今はこの「Mineral Muru」という鉱物カフェを経営してます。
ーコロナ禍で何も無いところから、一気にいろんなものが始まっていますね。コロナ禍で新しく飲食店をやるのは、かなり勇気が必要だったかと思います。

村田:逆に「今が飲食業界のどん底だから、コロナが明けたらもう少し良くなるだろう」という見込みがありました。その後人件費も物価もここまで上がるとは想定外ではありましたが、ありがたいことに5年目を迎えました。当時は子供が4歳と2歳でまだ小さく、保育園にフルで預けるほどの余裕もなかったので、お客さまも一緒に子供たちの成長を見守れるようなアットホームな環境を目指しました。
振り返ってみると、勤めていた時より、今の方が生きやすいと感じています。会社員と違って、失敗も成功も全ての責任が自分に降りかかってきますが、それも含めて大切な人生経験だと思えるようになりました。そして何より、夫婦二人で同じ目標に向かって力を合わせていける環境に身を置けていることを、とてもありがたいと感じています。

ー村田さんは、自分から鉱物業界に入ったわけではないんですよね。旦那さんについて行ったら、気づいたら一緒にやってた。

村田:夫は昔っから石好きで、小学生の頃ポケットに石を詰めて帰ってくるタイプの男子だったそうです。私は最初は興味がなかったんですが、鉱物って「純粋に美しい」んですよね。そこから興味が湧いて調べてみると、同じ石でも産地によって形状が違うし、内包物によって色も変わる。鉱物は6,000種類以上あると言われていますが、それらがわずか7つの結晶系で分類できる。そういう体系立った世界観も含めて、とても奥深いんです。見た目の美しさだけでなく、学術的にも面白い。そんな二面性に惹かれて、気づけば私自身も、すっかり鉱物にのめり込んでいました。
取り扱っている鉱物

◾️鉱物を通して伝えたい、学びの楽しさ

ー現在は、このカフェで飲食と石の販売を中心にされていますが、それ以外にも色々と展開されていますよね。

村田:そうですね。飲食店であり物販店でもある鉱物カフェを拠点にしつつ、催事出店は東北から九州まで、全国各地で行っています。ワークショップにも力を入れていて、店舗での開催はもちろん、学校やショッピングセンター、学習塾、地方自治体などからご依頼をいただくことも多いですね。子どもたちが楽しみながら自発的に考えられること、そして親子のコミュニケーションが自然に生まれるような、学びのあるイベントを意識しています。
開催しているイベントやワークショップ
ーワークショップではどういった内容をされているんですか? 

村田:一番手軽なのが宝石のさざれを使った「宝石万華鏡」の制作です。他にも植物と組み合わせた「鉱物テラリウム」の制作や、水晶ジオードのかち割り体験などが人気です。夏休みに特に人気なのが、元素鉱物の「ビスマス」を鍋で溶かし、再結晶させて骸晶をつくる理科実験で、毎年キャンセル待ちが出るほどです。最近は、マラカイトやラピスラズリから「岩絵具」制作を始めました。ほかにも、トルマリンを使った「色相環」作りや、十数種類が混ざった鉱物を仕分けてもらう体験も人気です。
「なんで色が違うの?」「鉱物はどうやって見分けるんだろう?」と考えるきっかけになると、その後、世界を見る目がぐっと変わるんですよ。

ーかなり分野横断的ですね。

村田:そうですね、「STEAM教育」の考え方を大切にしています。学校の授業って、化学・物理・生物と科目が分かれていますよね。実は私、センター試験で満点を取るくらい生物が好きだったんですが、化学と物理は苦手でした。でも鉱物を学び始めてみたら、地学も化学も物理も生物も、すべてがつながっていると分かったんです。科目を分けているのは、あくまで受験のためで、本来、「知ること」や「学ぶこと」は、もっと楽しいはずだと思っています。
鉱物カフェのワークショップが、その楽しさに気づく入口になれたら嬉しいですね。

芸術でもそうですが、美術館や博物館に行けば展示を見られますし、本を読めば知識も増えます。でも、「見て、触って、遊んで、学ぶ」ことを横断的に体験できる場は、意外と少ない。だからこそ、そうした体験ができる場所をつくりたいと思っています。この鉱物カフェのお客様は、下は0歳から最高齢は93歳。好奇心に年齢は関係ないんだなと、日々感じています。ここでは、鉱物を軸に、世代を越えて「知る楽しさ」が共有されている。そんな場所でありたいですね。
宝石研磨体験

◾️デザインから、漫画の監修まで

村田:その他にお店では、オリジナルブレンドでドリップコーヒーを販売もしています。パッケージには私が鉱物画を描いています。

ージュエリーのデザインもされていますよね。

村田:そうですね、「ムールさんで買った石を、オーナーのデザインで身に付けたい」という声をきっかけに、ジュエリーデザインのオーダーも始めました。ジュエリーデザイン自体は大学で専門的に学んだわけではありませんが、石や金属の特性を理解していれば、構造的に「できること」と「できないこと」はある程度見えてきます。試作を重ねながら、素材の性質やジュエリー制作について学びを少しずつ積み重ねてきました。
「宝飾のまち」として知られる甲府には、昔から優れた技術が受け継がれています。現地の伝統工芸士の方とご縁ができ、アイデアを投げかけては「このデザインは難しい」「それならこう変えたらどうだろう」「この技法の方が向いている」と意見を交わしながら、試行錯誤を重ねて制作をお願いしています。
ーその他に、漫画監修もされています。

村田:そうなんです。現在、『宝石商のメイド』(著:やませちか/KADOKAWA)という漫画の監修をさせていただいています。
ご縁のきっかけは、開業後に初めて百貨店さんからお声がけいただいた催事でした。初開催ということもあり、「石のジャンルって、今盛り上がっていますか?」という集客面の不安を率直に聞かれたんです。その際に紹介したのが、当時まだ商業デビュー前で、Twitterで個人連載されていた『宝石商のメイド』でした。「世界観がとても素敵で、ストーリーがいいんです!宝石界隈で話題になっている作品です」と、いわば勝手に推しプレゼンをしたのが始まりでした。
実際に催事が決まったのが、ちょうどKADOKAWAさんから『宝石商のメイド』の書籍化が進んでいる時期と重なっていて、コラボイベントの開催を提案してくださいました。その催事をきっかけに、正式にご依頼をいただいて、鉱物知識の監修として関わらせていただいてます。

ー関西のカフェと漫画家さんが、どういう風に繋がったのか気になっていたのですが、そういった経緯だったんですね。

村田:ストーリーや作画はもちろん先生が描かれるのですが、モチーフとなる宝石や鉱物の提案や、作画用の参考資料として写真を提供させていただいています。作中に登場するジュエリーや、裏表紙のデザインを私が描かせていただいている巻もあります。さらに、作中に登場するスファレライトのティアラや、ハーキマーダイヤモンドクォーツのピアスを、実際に伝統工芸士さんに作っていただくなど、作品をきっかけに現実のものづくりへと展開して行く機会も生まれました。主人公の着用している金刺繍のエプロンは大学の同級生でもある刺繍作家のamiさんにお願いしました。
漫画を軸に、人と人、分野と分野がつながり、輪が少しずつ広がっていく。そのプロセス自体がとても嬉しく、印象深い経験になっています。
『宝石商のメイド』のデザイン資料

◾️鉱物から広がる繋がり

ー今は鉱物ブームが来てる感じですか。

村田:来ていますね。10年くらい前は「石が好きなの?変わった趣味だね」といった感じでしたが、今はゲームの『マインクラフト』や漫画の『宝石の国』で出てくるのをきっかけに興味を持つ人や、アニメの『瑠璃の宝石』や『Dr.STONE』から「採集してみたいんですけど、どこへ行ったら取れますか」と聞かれたり。そういった方も増えました。

ーサブカルチャーから広がっていっているんですね。 

村田:親しみやすいですし、学術的に鉱物学の話をするよりは、漫画・アニメで知って「本物を見てみたい」という方が間口が広いですよね。興味を持ってくれるお子さんがぐっと増えた気がします。
実は、大学の教授の方が来店されることも度々あります。すごく盛り上がって「随分お詳しいですね!」「ちょっと京都の学校で教えてて」というやり取りをしているうちに、よくよく聞いたら京都大学の先生だったり、元NASA研究者で、かつ元日本鉱物科学会の会長さんだったり。そうしたご縁から、お店によく来るお子さんが研究室に見学に行かせてもらう機会をいただきました。他にも、ビスマスの研究をされている先生からお問い合わせをいただいたり、先日は秋田大学の海外鉱業研究会さんと秋田OPAで催事をしました。
鉱物カフェは、学校でも博物館でもないけれど、こうした教育機関との関わりをはじめとして、次の世代に何かを伝えられる場になりつつあることに、確かな手応えを感じています。
「鉱物&カフェ Mineral Muru」店内
ーそれは、ここがカフェっていう場所で、気軽に入ってこれる、誰でもウェルカムな場所であるから成り立っているように思います。

村田:実は鉱物カフェ自体は全国にいくつかあるのですが、「なんでも聞いてね!」って感じではなさそうなんです。博物館では全ての展示物には触れないし、ジュエリーショップは気軽には入りにくい。じゃあ鉱物や宝石に興味が湧いたときに、どこにいけばいいのかなと。
この鉱物カフェでは写真も撮っていいし、自由に質問していいし、基本的には触っていいようにしています。名前の分からない石を持ち込むお子さんも多いので、簡単な鑑別をして、さらに必要であれば連携先の鑑別機関に送ることもできます。店内にある関連書籍は全て読んでいただけますし、ワークショップで楽しんでもらったり、店内の鉱物も購入可能です。

ー普通にご飯食べに来るだけの人も来て良いんですよね。

村田:全然大丈夫です! 石が目的じゃない方も、帰るころには「これはキレイやなぁ」と喜んでくださる方も多いです。

ーお店でこんなにたくさんの鉱物に囲まれたら興味を持ってしまいます。

◾️これからやりたいこと
ーこれまでお伺いした通り、今も精力的に様々な活動を展開されていますが、今後の展望をお伺いできますか。

村田:実はもっとデザインの仕事をしたい、という気持ちがあります。経営や調理、家事育児と役割に追われるうちに、「デザイナー」と名乗ることから、いつの間にか一歩引いてしまっている自分がいて。京芸にいたときは周りが上手いのが当たり前で、周囲と比較しては「デザイン向いてへんかもしれん」と落ち込むことも多かったです。
でも、いざ業界から外れて飲食店や物販をしてみると、デザインをできる人って世の中に意外といないっていうことに気付いたんです。読みにくいフォント、ターゲット層に合わない配色、詰まりすぎた行間、刺さらないキャッチコピー、撮って出しの写真で「本当にこれで売れる?!」みたいな。
どこか遊びに行っても、売れ筋商品を見ても、気づけばついデザインを見てしまう。文字サイズやフォント、色彩、価格設定、ターゲットが誰なのか、そういう考察自体がやっぱり楽しいなと思っている自分がいます。考えて、形にして、誰かに届くこと。そのプロセスそのものが、私にとっては大切なのだと思います。最近は主催している「鉱物コレクション」のフライヤーやLP作成、稲野商店街のキャラクター「いなほっち」のキャラクターデザインなど様々なジャンルに挑戦しています。
チラシやパッケージなど制作したデザイン物
村田:あとは、やっぱり子どもに教えるのが楽しくて。学校や出張授業とかで、講師業としてもっとできる機会がないか探しています。
あと、これはすでに2回ぐらいやってるんですけど、体験に特化したミネラルショーを継続したいです。ただ買うだけでなく「遊べて、学べて、楽しかった」と親子で満足できるイベントをしていきたいですね。

ー今開催されているイベントは、どういう形で開催されているんですか?

村田:今は「TRAVEL -GEMS and MINERALS-」という3社合同イベントを定期的にやっています。2024年の夏休みには「鉱物コレクション -Japan Mineral Collection-」というイベントを大阪梅田で開催し、おかげさまで大盛況でした。これを継続して、毎年「夏といえばJapan Mineral Collection」と言ってもらえるようなイベントに育てていきたいです。

鉱物は取れる産地が限られているので、基本的に仕入れが海外なんです。宝石と偽ってガラスを混ぜて販売する悪徳業者もいれば、安価な海外サイトで仕入れた偽物を、フリマアプリで堂々と販売する人もいます。そのために鑑別機関があるんですけど、海外には「お金を払えば融通がきく」ような鑑別機関もどきもあります。
さらに、一世代前はスピリチュアル色の強い売り方が広まってしまった影響で、「石=パワーストーン=高額な怪しいもの」というイメージを持っている方も多いように感じます。本来パワーストーンもお守りと同じで、願掛けや気持ちの拠りどころとして身につける分には、悪いものではないと思います。気分が前向きになる、背中を押してもらえる。そういう心理的な作用は、確かにあります。ただ、それが行き過ぎて「癌が治る」「お金持ちになる」といった、科学的根拠のない効能が語られ始めた瞬間に、それはもう別物になってしまう。だからこそ、きちんと本物を見てもらいたいし、希少性や、届くまでのストーリー、適正価格を伝えられる業者さんを集めて、正しい業界の形を目指したい、というのがあります。
鉱物って、やっぱり純粋に綺麗で、そして面白いんです。その魅力を、スピリチュアルではなく、地球科学としての面白さも含めて伝えられるイベントにしていきたいですね

ーすごい盛りだくさんで、まだまだやりたいことがあるんですね。

村田:そうですね! 何をやるにも、鉱物が起点になっています。私もまだまだ勉強の途中ですが、こんなに深掘りできるものはないですね。

◾️在学生へのメッセージ
ー最後に、今の在学生にメッセージをお願いします。 

村田:私たちが学生だった10年前と比べると、SNSやAIの影響で、いろんなものが可視化される時代ですよね。自分より上手い人、自分よりフォロワーが多い人、自分より賢く見えるAI…。人と比べてしまう場面はどうしてもあると思います。でも、やっぱり自分の経験は、たとえその時にうまく行かなかったとしても無駄にならない。何でも失敗を恐れずにやってほしいと思います。
それからこれは、在学生だけでなく、AI時代に生きるすべての人へでもあるのですが、AIは賢く使ってほしいと思っています。AIに手助けしてもらうことは便利ですが、あまりに頼りすぎると、思考力は簡単に落ちてしまう。
特に芸大生は、自分の中で問いを立てて、自分なりの答えを導いて、自分のできる技術を駆使して作品を作る、そのプロセスが何より大事ですよね。
課題もAIに丸投げすれば、それっぽい答えは返ってきますが、「問いを立てること」自体ができなくなると、作家としてもデザイナーとしても良くないと思います。

ー大学生ぐらいだと、悩んだ時には答えを聞きたくなると思いますが、その問いを立てる、その能力っていうのが今まで以上に試されてると感じます。
学生時代のダンス部
ーお話をお伺いしていると、村田さんの思考は合理的ですよね。感情的じゃないというか。

村田:私はいわゆる「運動が苦手で、休み時間は外遊びせず絵を描いてるタイプの子で、絵は上手いけど生真面目で陰キャラな美術部員」というちょっと卑屈な立ち位置で生きていました。芸大に来る子は、割とありがちなのではと思います。
でも大学に入ったら、誰も私のことを知らない環境になる。そうなった時に、「今までのキャラでなく、なりたい自分を目指そう」と思ったんです。実際に、在学中は本当にいろいろなことに積極的に挑戦しました。人って、いつでも自分で自分を再定義できると思います。

ー戦略的にやってたんですね。

村田:結果的には、そうですね。ネガティブで感情的だった考え方が、少しずつ合理的に変わったかな。今は経営者なので、感情より、数字や工数を見ないといけない場面が増えました。とはいえ「人間は感情的な生き物」なので。「いま感情的に動いてしまってるな」という自覚を持って、必要な場面では割り切って、戦略的な判断をするっていうのも必要かなと思います。
あとは人に会うことですね。私もそんなに人に会いまくるタイプではないのですが、今まで行ったことがないところにちょっと挑戦してみる。例えば経営者の会合も、得意ではないけれど、行ってみたら新しい知見が得られるんですよね。私もそういう小さな挑戦で自分の殻を破って、「これはこうでなければいけない、っていうのは、勝手に私が作ってたんだな」っていうのを知るきっかけにもなったので。やったことないことでも、やってみたらいいんじゃないかなと思います。

CONTACT

お問合せ/相談予約