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瓦版web:03|赤松美幸|正社員と演奏家の二足のわらじ

赤松美幸(コントラバス奏者)
兵庫県立西宮高校音楽科を経て、2011年京都市立芸術大学音楽学部を卒業。これまでにコントラバスを長谷川悟、南出信一、吉田秀の各氏に、声楽を北村敏則氏に師事。2008年ゲーリー・カーのキャンプに参加。関西を中心にフリー奏者として活動中。2012年より、モーツァルトのオペラ「魔笛」・夜の女王のアリアをコロラトゥーラとコントラバスで弾き歌いをする特技を持ち、YouTubeなどで好評を博す。

インタビュー:柳楽正人(京都市立芸術大学キャリアデザインセンター音楽アドバイザー)


■中学の吹奏楽部でコントラバスを始める

―いつもコントラバス奏者に聞いてみたいと思っているんですが、コントラバスを始めるきっかけはやっぱり中学校の吹奏楽部とかになるんでしょうか?

赤松:吹奏楽がきっかけの人は多いと思います。あとは、弦楽アンサンブルのようなクラブとか。

―赤松さんはなぜコントラバスをやろうと思ったんですか?

赤松:たまたまですね。そもそも中学で吹奏楽部に入るつもりもなかったんです。先輩に「見学だけでもいいから来てよ」と言われて、そこでフルートをちょっと吹かせてもらったんですけど音が出なくて、たまたま隣にコントラバスがあったので「ちょっと弾いてみる?」と言われて。弦楽器は弾くだけでとりあえず音は出るんで「すごいすごい!」ってなって(笑)。それで「明日も来てね!」と言われて断れなくて、次の日に行ったら「入部届、出してくれた?」「あ……出します」という流れでした。

―かなり丸め込まれちゃってますね(笑)。もともと音楽自体は好きだったんですか?

赤松:小学校の時からピアノはやっていました。でも週に1回、レッスンの時だけしか弾かないタイプ。練習は大嫌いで上達しなかったです。私の通っていた中学校は、楽器ごとに講師の先生に指導してもらえるような環境ではなかったので、コントラバスは自己流で頑張っていました。

―高校は兵庫県立西宮高校(通称「県西」)の音楽科に行かれたんですよね。どういう流れでそうなったんですか?

赤松:中3の春ぐらいに、指揮者の佐渡裕さんがスーパーキッズ・オーケストラ(*)を創設されたんですが、その1期生を募集するという記事を音楽の先生が持ってきてくださったんです。とりあえず吹奏楽の合奏をしているところを撮ってもらって、その映像を送りました。当時は自己流でやっていたのでもちろん落選のお知らせが来ましたが、その時に「ちゃんとした先生に指導してもらってまたチャレンジしてください」みたいなことが書いてありました。
 それはそれで終わったんですけど、進路を考え始めた時に、好きなものってどんなことだろうと考えていた中で、音楽の世界に進んでみるのも面白そうだなって思ったんです。

*スーパーキッズ・オーケストラ:佐渡裕さんが設立した、小学生~高校生を集めた弦楽オーケストラ。メンバーは毎年オーディションを経て全国各地から集まる。兵庫県立芸術文化センターでの定期公演のほか、毎年様々な演奏活動を行っている。

 あと、箏とかの邦楽にも興味があったんですけど、習うツテがないので邦楽をできるところを調べてみたら、東京芸大に邦楽専攻があることがわかったんです。もし東京芸大に行くんだったら高校から音楽科に行っておいたほうがいいんじゃないと思って、そういうノリで進路希望に県西を書いたんです。そしたら担任の先生に「これは本気なのか!」と言われて。コントラバスを習ってもいないし、ソルフェージュ(*)とか音楽理論とかも全くやっていなかったので。「本当にやる気があるのか?」と何回も言われたんですけど、ダメと言われたらやりたくなるタイプなんです(笑)。これで諦めるのは嫌だと思って、気持ちも固まっていって受験することを決めました。
 そして先生がコントラバスの先生を探してくださって、3年生の11月にレッスンを開始しました。音楽科は2月に推薦があるので、それまでに何とか形にしないといけない。でも最初のレッスンでみていただいたら、先生は絶句されていました(笑)。

―絶句!(笑)

赤松:まずはこの形でやってみなさいと言われたことを一生懸命練習しました。それで1週間後にレッスンに行った時には何となく形にはなっていたらしく、先生もこれなら行けるかもしれないと思ってくださったようで、そこから色々と指導してくださいました。それと同時にピアノやソルフェージュにも力を入れていき、何とか間に合わせた感じです。

*ソルフェージュ:楽譜を読んで演奏したり、音を聞いて楽譜に書いたりする基礎訓練。



■音楽科のある高校に進学

―そこから受かったのはすごいですね!

赤松:でも音楽科に受かったのはいいものの、オーケストラとかは未経験ですし、本当に入試の課題曲しか練習していないような感じだったんです。高校に入学してすぐの時期に、佐渡裕さんが県西に来てオーケストラを指揮してくださるというイベントがありました。弦楽器は人数が少ないから「1年生だけどメンバーに入ってね」と言われていて、ベートーヴェンの『レオノーレ序曲』とかの楽譜を渡されて、入学前の期間に泣きながら必死で練習しました。もちろん弾けてはいないですけど、それでも何とか形にしてイベントは終わったんです。
 それから、私が入学した年は何かの区切りの記念の年だったんですが、その年の定期演奏会はベートーヴェンの交響曲第9番をすることになりました。オーケストラ未経験なのにいきなり“第九”をやると言われた時に「ヤバい!」と思いました。

―オーケストラ未経験ではあったけれど、流石に第九はヤバそうだなというのは何となくわかったんですね?

赤松:まず楽譜の分厚さが吹奏楽と全然違う。吹奏楽のコントラバスの楽譜は1枚で終わっていましたから。これヤバいぞと思って本腰を入れてめちゃくちゃ頑張って練習しました。元ができてないというのもあるんですが、一番吸収できる年齢だからというのもあって、みるみる上達しているのが自分でもわかる。それで面白いと思うようになってきました。

―中学の時にスーパーキッズ・オーケストラのオーディションに落ちたという話でしたが、最終的には合格されたんですよね?

赤松:高校1年の時に第2期オーディションも受けたんです。その時はまだ高校に入りたてで、そこまで技術が追いついてなくて落選したんです。2年生の時は募集がなくて、3年になって第3期の募集があった時に、私と1つ下の後輩が受けて一緒に受かりました。だからスーパーキッズは1年だけです。その年に完成した兵庫県立芸術文化センターのこけら落とし公演みたいな感じで、小ホールと大ホールで1回ずつコンサートをしました。

―それで大学は京都芸大に進学されるわけですが、東京芸大に行く夢はどうなったんですか?

赤松:もちろんあったんですけど、高校2年の時に東京の音大を見に行った時に、東京という土地や学ぶ環境が私に合わないかなと思いました。もちろん東京芸大はすごいと思うんですけど、自分がそこで頑張れるのか考えた時に、京都芸大の方が少人数の大学ということで、こっちの方が合っているのかなと思ったりしていました。

■コントラバスを弾きながら歌う『夜の女王のアリア』

―赤松さんと言えば、コントラバスを弾きながら『夜の女王のアリア』(*)を歌うというあの技ですよね!

*『夜の女王のアリア』:モーツァルトが作曲したオペラ『魔笛』の中で歌われるアリア。高音での超絶技巧が求められる難曲として知られている。正式な曲名は『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』

赤松:あれがあったからよかったなというのは思います。大学を丸裸な状態で卒業した時に武器になったというか。4回生の時には試していたのかな? 演奏の面で他のコントラバス奏者よりも秀でた何かを持つことは、なかなか厳しいじゃないですか。みんな上手いし。それにコントラバスは大きい楽器なので、どうしても男の人の方が体格的にも勝るし、女性というだけで不利だなと思っていました。じゃあ何だったら他の人に真似できないことがあるんだろうと色々と悩んでいた時期でした。その時に、3回生で開花したコロラトゥーラ(*)があるなと思って。じゃあそれと対極にあるコントラバスで伴奏して、弾きながら歌おうと思いついたんです。

**コロラトゥーラ:技巧的で華やかな旋律のこと。転じて、そうした性格の曲を歌う歌手。通常のソプラノよりも高い音域で歌う「コロラトゥーラ・ソプラノ」を指すことが多い。

 それでコントラバスの試演会で披露してみたら大受けで、これはいける! と思いました。あとで地元の先生にその時の録音を聴いていただいたら、今まで褒められたことなかったのに「ブラボー!」と褒めてくださいました。それで先生がYouTubeにあげてくださり、それを色んな人が見てくださって、演奏の仕事に行った時に「あ、夜の女王のアリアの人ですね!」と言われたりしました。

―あの演奏はまさに名刺代わりでしたよね。コロラトゥーラはどういうきっかけで開花したんですか?

赤松:副科の声楽で初めてレッスンにいった時に、まずどこまでの音域が出るか歌ってチェックされたんです。徐々に上に上がっていっても、まだいける、まだいけるって。どこまで行くんだろうと思いながら歌っていたらF(*)が出ちゃったんです。「じゃあこの曲歌ってみない?」と言われて渡された曲が『夜の女王のアリア』でした。たまたまよく聴いていた曲だったから「あ、この曲知ってる!」というのがあって、ドイツ語はよくわからないけどとりあえず音をなぞって歌ってみると……出ちゃったという。それまであまり歌ったこともなかったのに。

*F:ファの音。『夜の女王のアリア』に出てくる最高音。日本式だと「三点ヘ」、国際式だと「F6」と表記される音。俗にハイハイF(hihiF)と呼ばれることも。限られた人にしか出せない。
―その特技が「コントラバスが上手いだけじゃだめだ、武器を持たないと」という気持ちと結びつくことになるんですね。

赤松:オーケストラで普通に弾くだけならそれでもいいんですけど、それだけだと大勢の中のひとりだな、何か面白いことを持っておきたいなというのがありました。

―そう考えていたのはいつぐらいですか?

赤松:大学3回生あたりですかね。この頃が一番悩んでいた時でした。普通にやっているだけではダメだという焦りがありました。このまま卒業して何が残る? って。オーケストラの中で無難にそつなく弾いて、というのはどうなんだろうと思ったんです。何か面白いことができたらなと思っていました。あと、負けたくないみたいな気持ちもありました。女だからとか、そういうことも含めて負けたくないという反骨精神というか。

―それは「本当に県西に行くの?」と言われた時と同じモチベーションなのかもしれないですね。誰かに尻を叩かれたり、やる気のスイッチを押されたりするきっかけがあったと。

赤松:そんな感じですね。そういうのがなかったら、とりあえず卒業しただけで終わっていたかもしれないです。コントラバスを続けていなかったかも。私ぐらい弾ける人はたくさんいるし、とりあえず興味があった音楽は学べたから、もういいかなって。

―悩んだ結果、大きな武器を手に入れたんですね。

赤松:それがちょっと自信にも繋がりました。私にしかできないことだなって。コントラバスだけだったら、難しい曲をたくさん弾けるわけでもないし、自信はないんですけど。『夜の女王のアリア』の弾き歌いで興味を持ってくれた人とSNSで繋がったり、演奏のお仕事に呼んでいただいたりしました。「上手い子がいる」というより「面白い子がいる」と思ってもらえるのが嬉しかった。

―そんな面白い活動もやりつつ、でもコントラバス奏者としていずれどこかのオーケストラに入団できたらいいなという感じだったんですか?

赤松:『夜の女王のアリア』をやり始まる前には、もうオーケストラに入りたいという思いは薄れてきていました。卒業後は演奏でお金を稼ごうとは思っていたんですけど、どこかに所属してという風には思わなくなっていて、細く長く続けるというのが目標だった感じですね。4回生の時は色々と吹っ切れたというか楽しんでいた。茶道部に入ってみたり、新しいことをやってみたりして楽しんでいました。

―キャンパスライフを満喫したわけですね(笑)


■正社員として働きながら演奏活動をする

―大学を卒業してからの活動は順調な感じだったんですか?

赤松:卒業した直後は大学の時のツテとかがあったので、しばらくは弾く機会がありました。でもその頃に東日本大震災が発生して、チャリティーコンサートが多くなってきたんです。練習に行く割には収入がない。それでまた色々と悩んできて、疲れてきたんですよね。明日は奈良、その次は滋賀みたいに毎日色んなところに行っては、兵庫の実家に毎回帰ってきていたので、しんどくなって。それで少し自主的にお休みをしました。

―仕事をお断りしてセーブしてたんですか?

赤松:まあ普通にしていたら仕事がなくなってきました。ちょうどない時期が来たというか。今まで学生時代の貯金でやってきたのが切れたみたいな感じです。それが卒業して1、2年目ぐらい。2ヶ月間ぐらい仕事を入れないで、楽器も弾かない時期があったんです。親からはだいぶ言われましたけど。

―それはなかなかの病み具合でしたね。

赤松:でも、また弾きたいなと思うきっかけが急に来たりしだして、ぼちぼち再開していきました。「弾かなきゃならない」じゃなくて「弾きたい」になってきた。それで少ししたら、また演奏の仕事が増えるシーズンになったりして、ちょっとずつリハビリしながら行ってみようという感じになってきました。そこからは、私にとって体にも負担なくできるペースでやりました。今思い返しても、卒業したての頃は「なんじゃこりゃ?」という過密スケジュールだったので。卒業したてだから頑張ろうと思ってたけど、自分で調整するのも大切だなと思うようになりました。
 とりあえず卒業して5年間は頑張ろうと考えていたんです。5年経った時に音楽の収入で赤字になっていなければよし、みたいな感じで。それで何とか赤字にはなってなかったんですよね。実家暮らしだから、光熱費とか家賃とか含まれてないです。だから甘ちゃんなんですけど。1年だけ何十円かの黒字みたいな年があって、実家暮らしじゃなかったら大変でした。それでもなんとか軌道に乗って、音楽だけでやっていけそうかなと思った時に「定職に就こう」と思ったんです。
――え、展開が急ですね。それはいつぐらいの時ですか?

赤松:25、6歳頃ですかね。周りから「今の生活スタイルは不安だから定職に就いたら?」みたいなことを言われたんです。フリーランスってそういう風に見られてるの? と思って。ふらふらしてるイメージなんですかね。でもそう言われた時に、そう思われるのも確かにあるかもなぁと思い、就職先を探すだけ探してみようと思ったんです。私にできる仕事って何だろうと考えて、いくつかの会社を受けたりして探したのが今の薬局の事務です。その時は、音楽と仕事を両立する道もあると考えていました。就職したら楽器を諦めないといけないと思っていた時期もあったんですけど、そうじゃない道に行ってみようと思ったんです。
 最初は産休の方の代わりに1年契約で入るという話でした。正社員だとなかなか見つからなかったので。でも出勤した初日に「正社員でもいいけど?」と言われました(笑)。社長の姪が京芸の音楽学部の卒業生だったそうで、演奏活動に関して理解があるというか興味を持ってくださっていて、じゃあ1年だけやってみようと思いました。就職する前から決まっていた本番などがいくつかあったので、その時は休ませてもらいながら1年働きました。
 そして、産休の方が復帰してこられた時、社長から「薬局での仕事もやりつつ、薬剤師会の事務を兼任してくれるのなら雇い続けることができる」と言われて、そこから薬局の業務とは違う分野の事務もするようになりました。そこからは音楽の活動は土日だけにすると決めて、呼んでくださっていたところにお願いしていたら、土日の演奏会とかに呼んでいただいたりして、ちょうどいいバランスにさせていただいたんです。

―「フリーランスは不安じゃない?」と言われて、じゃあもっと演奏活動を頑張ろう! じゃなくて、就職して演奏活動も続けようと思ったところがすごいですね。

赤松:音楽以外の仕事をするのってどんな感じなのかなという興味はあったんです。フリーでやっていると保険などを自分で払わないといけないところに不安もあったので、そういう意味でも正社員で働いてみたいというのもありました。大学3年の悩んでいた時期、色々と考えていた選択肢の中に就職もあったから行けたというのもあります。1回それをやってみるという経験も必要だなと思ったんです。

―就職をきっかけに音楽と全く縁を切るという選択肢はなかったんですね。

赤松:それだけはやめようと思っていました。大学に入学した頃に「入試で落ちた人がいるんだから、その人のことを考えるとちゃんと音楽を続けた方がいい」みたいな話を聞いて、確かにそうだなと思いました。簡単に辞めたらダメだなって。だから細く長くでも続けようと思っていました。時代の雰囲気が「副業もOK」みたいな感じになってきて、就職することをそこまで申し訳なく思わなくていいのかなという環境になっていたと思います。だから、就職して音楽を続けますと宣言した時に、周りは意外といい反応でした。「音楽辞めるの?」とか「音楽続けようよ!」みたいな反応は全然なくて、いい感じで受け入れてくれたので、こんな選択もありなんだなと思いました。

―確かにそういうのが受け入れられる風潮にはなってきているけど、赤松さんの選択は新しくはありますよね。積極的にその道を選ぶ人がたくさんいるかと言われたら、まだ多くないと思うので。

赤松:私はその方が精神衛生上よかったです。月に1回コントラバスを弾く機会があればいいなぐらいのペースでいいかなと思っていて、結構いいペースで活動できていました。


■結婚・出産を経て感じたこと

―それから結婚して子供を産んでという生活になったわけですが、結婚後の生活スタイルはいかがですか?

赤松:ちょうどコロナ禍に入ったこともあって、音楽だけで生活していくのは難しかったと思います。フリーランスは特に。子どもを育てながらの本番は、ものすごく高いハードルを感じました。ありがたいことに本番のお話をいただいても、乳児がいると3時間以上空けられる状況ではなかったので、半日以上になるととても無理でした。自分の親に世話を頼っても夜の本番は限界がありました。子どもを出産してもバリバリ演奏活動されている方もいますが、すごい努力されてるんだろうなぁと思います。

―じゃあ今は演奏活動に関してはちょっとお休みという感じなんですかね。

赤松:楽器が全然弾けなくなったかと言うとそうではなくて、近所の中学や高校にちょこちょこレッスンに行かせてもらっているので、楽器から離れる期間は長くないんです。本番当日に練習してそのまま本番をするような、1日だけで完結するコンサートのお仕事に呼んでいただいたりもして、何とかプレーヤーの感覚は失うことなくさせてもらっています。会社の産休・育休制度を使わせてもらえていたので、精神的にも経済的にも良いバランスになっていると思います。家族の理解と協力もあって音楽の活動もできることは、本当にありがたいです。
 今は普通に生活している中で「実は私、こんなことやってるんです」と爆弾を投げられればそれでいいかなと思います。親しくしているママ友がひとりいるんですけど、コントラバスを弾いていると言ったらすごく興味を持ってもらえたんです。その人は子供に本物の音楽を聞かせたいと思っていて、0歳から入場OKのコンサートとかを探して実際に行ったりしてたんです。そういう話を聞いて、意外とみんなそういう風に思ってるのかもと思いました。それなら、自分が演奏活動できない間は違ったアプローチというか、そういうコンサートに誘ったりして、おこがましいですけど架け橋になれたらいいなと思ったんです。自分が出るコンサートじゃなくても、こんな面白いコンサートがあるよみたいなのを言える立場にあるかなと思っています。実際に薬局で働き出した時も、私が出ているからということでコンサートに来てもらったりしたこともあって、そういう活動っていいなと思っていました。普段はなかなかクラシックを聞かないような人たちに聴いてもらえるので。そういう意味でも、音楽とは全然関係ない環境に身を置くのもいいなと思っています。

―いいじゃないですか。音楽の専門教育を受けた人が一般の人たちに混ざって暮らしているというのは、クラシックの裾野を広げる要員として理想だと思いますよ。では最後に、在学生に向けてメッセージをお願いします。

赤松:学生のうちに、色んな方法があって色んな道があるというのを知っておくといいなと思います。チャンスは色んなところに転がっているし、今だけじゃなくて卒業してから開花することもあるので、目の前のことだけじゃなくて、色んなところを見ていくといいんじゃないかと思います。それが私自身、面白いことができたという満足にも繋がりました。
 あとは学生のうちに練習をたくさんしておいたら、この歳になってその貯金が使えるというか、まとまった練習ができない環境になった時でも何とかなります!

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