大学概要
学長メッセージ

本学は、開学以来131年という芸術系大学としては我が国でもっとも長い歴史を誇っています。文字通り日本の近代芸術の屋台骨を支える美術家たちを輩出し、さらに二学部と一研究所という今日の体制になって以降は、音楽家も含めて、国際的に注目されている数々の輝かしい才能を世に送り出すようになりました。これから本学に身を置こうとする若者たちもまた、そうした燦然たる芸術の歴史に自らも身を投じるのだという意欲とプライドをもって勉学にいそしんでほしいものです。
本学に学ぶことのもう一つの意味は、まさに大学が京都という町に位置しているという点にあります。いうまでもなく京都は世界有数の卓越した文化財と重厚な伝統で知られる都市ですが、単に過去の遺産だけに安住するのではなく、新たな文化、独創的な芸術の発信基地としての活気にも満ちています。この素晴らしい町の伝統と改革の息吹に触れながら学生生活を過ごせるということ。それは京都の市民の方々に支えられた本学ならではの特権というべきでしょう。
さて、先ごろ東日本を襲った大震災は、未曾有の災害をもたらしました。こうした悲惨な出来事を前にして、アートに何ができるのだろうか、アートは何のためにあるのだろうかと改めて考え込んでしまった人がいるかもしれません。正直にいって、私もその一人なのです。
アートとは自己目的的なものだ、現実的な有用性がないことにこそ、アートの存在意義があるのだという考えを私は否定しているわけではありません。アートは他の何ものにも奉仕するものではない、アートはアートのためだけにあるというプライドは、たとえ傍目には滑稽に見えようとも、アーティストたちの困難な戦いを支えているのです。またすべての集団心理が同じ方向に流れていく時、何ごとからも自由であろうとする自立した精神こそが、世論に迎合することのない、社会への根源的な批評として屹立しうるともいえるでしょう。
しかし今回のような大きな出来事を前にしては、そのような考えも押し流されがちです。アウシュヴィッツ以降に詩を書くのは野蛮だといったのは哲学者のテオドール・アドルノですが、今こんな時に絵を描いたりピアノを弾いたりするのも野蛮だということになるのでしょうか。
はたしてアートには何ができるのか、アートは何のためにあるのか。この問いは、しかし今回のような非常時ばかりではなく、芸術大学に身を置く者、学ぶ者の誰もが、常に意識せざるをえない問いであるように思います。アートは、語源的には技術という意味を含んでいますが、また想像力がなければ成立しない世界でもあります。想像をはるかに越えた現実を前にして、なお想像力を維持しようとすることは野蛮なことなのか。いや、私たちはあえてこういうべきでしょう。そのような時にあっても、あるいはそのような時にあってこそ、想像力の世界であるアートには人々の心を救済する力があるのだと。
誤解しないでいただきたいのですが、何も私は困難な時にバラ色の夢を見せてくれるのがアートだと言いたいのではありません。優れたアーティストにとっての想像力は逃避的な夢ではなく、逆に今という時代の本質を鋭く見据え、それを他者と分かち合うことのできるイメージとして表現する力なのです。
本学は、そのようなアートの力を信じる者同士の共同体です。2012年には公立大学法人化という新たな段階を迎えますが、文化芸術の創造拠点としての一層の飛躍を目指す本学のエネルギーにあふれた活動に、ご期待いただくようお願い申し上げます。


