リーガル・デザイン

ビデオやスライド,フィルム,音声,コンピュータ,データ,ソフトウェアなどのタイムベースト・メディア作品は,メディウムや情報技術,サイトスペシフィックな環境に依拠する等,作品を成立させるための前提条件が多いからこそ,その成立条件を無事に満たすために,作家と美術館との間の出品契約書や作家とコレクターとの間の売買契約等の契約書や「テックライダー」等と呼ばれる作家による指示書が重要な役割を担う。その役割の重要性は,タイムベースト・メディア作品の保存,修復を考えたとき,より高まる。作家が存命の場合には契約書やテックライダーを前提に協議すればよい。問題が先鋭化するのは,作家が没後に作品をどのように保存,修復,再展示するのか,という場面である。
著作権法は,作家に一身専属的に帰属する著作者人格権のうち,同一性保持権という権利において,作家の意に反する改変を禁じている。「意に反する」とは,作家が主観的にどのように思うかが重視されるが,一方で,「意に反する」か否かの対象は,あくまで具体的な表現としての物としての作品自体であり,それを実現させる技術的仕様やサイトスペシフィックな環境は考慮されにくい,というのが従来の裁判例の考え方である。これは,どこまでを作品と呼ぶのか,という作品の同一性に関する問題でもあるが,例えば,ナム・ジュン・パイクのブラウン管のテレビをハイビジョン・テレビに変更した場合,著作権法はあくまで最終的な物としての作品の「見え方」は問題にするが,その「見え方」を支えている技術的仕様は考慮しないと考えられる。仮に,ブラウン管とハイビジョンとで具体的な表現に微細な差異があるとしても(事実あるであろう),その具体的な表現に表れる微細な差異については,著作権法は同一性保持権の侵害とは判断しないであろう。つまり,作家は,ナム・ジュン・パイクのブラウン管など,どうしてもその技術的仕様や作家指定の環境において作品を成立させたい場合には.その内容を契約書や指示書に明確に記載して,契約的に美術館やコレクターを縛る必要がある(この場合,この契約書や指示書に違反した場合,著作権侵害にはならないが,契約違反にはなる)。サイトスペシフィックな環境や作品を支える技術的な仕様の差異が作品の同一性にどのような法的影響を与えるかが争われた事例はまだ多くはない。タイムベースト・メディア作品の事案ではないが,著作権によりサイトスペシフィックな環境を保護できるかが争われた事件ある。慶應義塾大学三田キャンパス内のイサム・ノグチらが制作した庭園・空間の移設問題において,裁判所は,移設は作品の改変に該当するが,経済的・実用的な観点からの必要な範囲の増改築であって,著作権法が認める必要な範囲を超えた改変とはいえないと判断した。もちろん,この判決をもって作品にとってのサイトスペシフィックな要素に一切著作権が発生しないという言えるわけではないが,現行法が未だ作品自体を保護する傾向があることは否めないであろう。
タイムベースト・メディアの巡回,保存,修復などにおいては,オリジナルの技術的仕様やサイトスペシフィックな環境が用意できない場合が多く,このような作品の同一性をどのように担保するのか,という問題が頻発しやすい。作家が指定する技術的仕様やサイトスペシフィックな環境を用意できない場合,その作品は展示,保存,修復できないのか。できるとすれば、その判断は遺族が行うのか,学芸員が行うのか。学芸員が行うとして,それは一人なのか,複数のコミッティー形式にするのか。作家が亡くなった後に,その作品を作品たらしめる要素とは何のか。作家は、このような状況を想定して作品制作をしなければならないのかもしれない。
これらの問題に対して,契約書やテックライダーに技術的要件を詳細に記載したり,当該機材やソフトウェアのロジックの選択や配列がその作品においてどのような文脈においてなされているのかを詳細に記載しておくべきという主張は正論であり,実際に契約書に盛り込んだり,テックライダーの技術的要件を契約書に盛り込んでおけば,法的な拘束力は生じることになるだろう。また,著作権法上の同一性保持権の「意に反する改変」の「意」の文言に係る作家の主観的意思の解釈として有効な証拠の一つとなろう。しかし,作家が死後のあらゆる場面を想定して記載しておくことなどおよそ不可能であるから,残された作品を取り扱う者にはどうしても「解釈」が必要になる。ただ,作家は,あらゆる場面を想定することは不可能だとしても,その作品の技術的要件について自らの考えを明確化し,例えば,その作品がどのような環境であれば成立させることができるのかという成立要件を明確化することや,保存・修復・アップデートの条件,さらにはネットアート等に見られるようにバージョン「アップ」(!)にまで開かれている作品なのかどうか等,の残された方を意識した契約やテックライダーを作成しておく必要があることは間違いない(おそらく、それはその作品自体の作家の考えやスタンス,すなわち作家性を色濃く反映したものになるのではないだろうか)。これは作家だけに依存させるのは無理があるので,作家を取り巻く学芸員やギャラリストも今後意識的に取り組む必要があるだろう。
作品の売買契約などで,作品の画像や映像に関する貸出ルール等が定められることは多いが,作品に関するデータやソフトウェアの取り扱いを記載した契約はまだ珍しい。しかし,タイムベースド・メディア作品においては,作品に関するデータやソフトウェアが他の作品と比較して重要になることが多いため,マスターデータ,展示用データ,バックアップデータなど,その取り扱いを規定することが今後出てくると予想される。所有者は,著作権者である作家の許諾なく作品を展示できる権利(著作権法第45条)を有するのであるから,所有者が保存,修復,再展示に必要な限りで,展示用データ、バックアップデータ等を交付することになるだろう(この際,作家の監督・監修を要するかも規定されることが望ましい)。エミュレーションすることで作品を再製することも考えられるが,リバースエンジニアリングして再現することに違法性はない。もし作家がそのような行為を禁じたい場合には、契約書の秘密保持条項や禁止事項でそのような行為を明確に禁じておく必要があるだろう。一般的には、上記の理由から,所有者が作品を展示または巡回する範囲においては,データやソフトウェアの複製は認められることになるだろう。それ以上の複製の場合には,貸出料のようなものを取ることになるだろう。
昨今デジタル・アーカイブの議論が盛んであるが,作品データの公開や二次利用には,作家から著作権の取扱いに関して当初から許諾を得ておく必要がある。これはタイムベースト・メディア作品か,それ以外か,で異ならない。あえて言えば,タイムベースト・メディア作品は,一点制作の作品よりも,よりデジタル化に親和性が高いがゆえに,作品の公開や二次利用の可能性が一点制作作品と比較して開けているために,より当初の許諾の重要性が高い,とは言えるかもしれない。
タイムベースト・メディアにおいては,これまで以上に契約や指示書が重視されることになっていくだろう。より踏み込んで言えば,これらはもはや作品の一部である,と言い切ってしまってもよいかもしれない。それは,作品そのもので完結できる一点制作の美術品や転々流通する複製芸術でもない,タイムベースト・メディアの特徴と言えるだろう。逆に,タイムベースト・メディアは契約や指示書を法的に設計(リーガルデザイン)することにより、「遺し方」をデザインできる余地が大きいとも言えるかもしれない。例えば,作家が望めば,その時々の最新の技術によりバージョンアップを繰り返す,という未来に開かれた作品も想定できる。現在,山口情報芸術センター(YCAM)において渡邊朋也氏らが保存,修復等の作業行っている三上晴子の作品などはそのようなバージョンアップに開かれた作品であるとも捉えられるが,それも作家が生前に意識的でないと法的に阻まれてしまうおそれがあることは示唆的である。
「作品を1万年残したいなら、石に刻め。」というフレーズをどこかで聞いたことがある。タイムベースト・メディアは,いや,タイムベースト・メディアこそ,このことについて真摯に向き合わなければならないのではないだろうか。

(水野祐)

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