修復/保存の歩み

タイムベースト・メディアを用いた美術作品の修復・保存は,そもそも長期保存にも制度化にも向かないメディアアートやそれにともなうイベントやハプニングを,新しいデジタルテクノロジーを使って保存・修復や記録して残していこうとする実践である。ここではその歩みを,展示や保存を行う制度の変遷を念頭に概略しておきたい。

タイムベースト・メディアを用いた美術作品の広がり

戦後から1960年代にかけて新しいテクノロジーを用いた美術作品は,さほど保存を前提とせずに制作され,むしろ破壊・自壊していくオブジェや機械,標準的なテクノロジーとは異なるメディア固有の特質に着眼する形態をとった。その時,芸術家と科学者の共同制作も進められ,イベントやハプニングなど一時的でパフォーマティブな要素がより強まっていったということがある。その背景に,絵画や彫刻の収蔵・展示場としての美術館やギャラリーのホワイトキューブの展示空間とは異なる場所で,芸術の生産や流通や受容のオルタナティブを模索しようとする努力があった。そうしたなか,ビデオアートの保存やデジタル化の試みが,1971年に設立されたElectronic Arts Intermixなど非営利団体によってはじめられていった。多くの場合,作品は施設に収蔵されず,個別の団体や作家本人の保管やメンテナンスに委ねられていた。あるいは作品が残されなくとも,イベントの写真や映像記録が,写真家や美術家によってなされてきた。近年は,修復・保存の課題とともに,作品とは区別されてきたドキュメンテーションを,美術館の内外の施設でどのように扱い,アーカイブすべきかという課題が改めて持ち上がっている。

その後の1980年代末から1990年代にかけてはじまるビエンナーレの増大とキュレーターの国際的な活動は,パフォーマンスやインスタレーションや参加芸術など一時的な形式をもった作品の格好の展示機会をもたらした。映画誕生100年にあたる1995年に,リュミエール兄弟の出身地で開催された第3回リヨン・ビエンナーレは,ヴィデオ・アートやコンピュータを用いたアートも含むメディアを使った芸術作品に焦点をあてた国際芸術祭となった。1996年にはインターネットの普及後まもなくrhizome.orgが設立され、デジタル環境で制作され流通する美術作品に関するウェブ上のアーカイブ活動が行われていった。1979年からメディア芸術のフェスティバルを開催しているリンツのアルス・エレクトロニカは1996年にセンターを開設し,作品の発表と研究活動とを連携させた。1980年代末に構想が進められ1997年には,東京ではNTTインターコミュニケーション・センター(ICC),カールスルーエではアートメディアセンター(ZKM)が開設された。1990年代半ば以降に,美術館とは別に,テクノロジーを用いたニューメディア・アートの展示活動が世界中で取り組まれ、国際的な連携体制が築かれていった。

現代美術の修復/保存に関する議論の高まり

他方で現代美術の保存・修復に関する調査研究が進められたのも1990年代であった。「Foundation for the Conservation of Modern Art (SBMK)」(近代芸術保存財団)と「Netherlands Institute for Cultural Heritage (ICN)」(オランダ文化遺産協会)は,伝統的な芸術作品とは異なる現代美術における素材と技法の多様さについての調査を深めていき、オランダは現代美術の保存・修復分野で他に先駆けた取り組みを行った。「International Network For The Conservation of Contemporary Art(INCCA)」 (現代美術国際保存ネットワーク)には現代美術の保存に関する世界動向が集約されている。こうしたなか2000年代以降になると,欧米の近現代美術館は,積極的な現代美術ギャラリーのリノベーションや新館の設立にともなって,その収集と展示の活動を拡充していく。スミソニアン・アメリカン美術館(2000-2006改装)をはじめとして,ニューヨークのグッゲンハイム美術館(2005-2008改装)、ニューヨーク近代美術館MoMA(2006年に改築完成)などのほか,ロンドンのテート・モダン(2000年開設)は,ライブ・アートを中心とした新しいギャラリーThe Tanksを増築し,積極的に現代美術やタイムベースト・メディア・アートのコレクションを公開し展示する機会を活発化させていった。
そのような動きのなかで,1970年代からコレクションに含まれてきたヴィデオテープの耐久年限によるデジタル化の必要性,テレビモニタやプロジェクター,デジタル情報を制御するコンピュータなどの各種機材がすでに生産を終了しており代替が効かないといった緊急性が認識され,ノウハウと技術の共有が組織間の連携で進められていった。

グッゲンハイム美術館による「Variable Media Initiative」

美術館によるタイムベースト・メディアの保存・修復に関しては,ニューヨークのグッゲンハイム美術館が1999年に「Variable Media Initiative」(変わりやすいメディア・イニシアティブ)を設立して,本格的な指針を策定しはじめた。ここでは機材の物質的な修復だけでなく,タイムベースト・メディアの美術作品の「振る舞いbehavior」にも注目した保存の方策が打ち立てられた。技術的な機器や部品の保管(Storage)が可能な場合には,中古店で複数購入して将来の交換に備えておくが,オリジナルの機材の入手が難しい場合には,同種の新機種に移行(Migration)する。あるいは,古いメディアからより現在のメディアへアップグレードする。特殊な機材の代替が効かない場合,新しいハードウェアやソフトウェア上で同様の再生環境を模倣する(Emulation)。基盤となるアイデアと特定の振る舞いを維持しながら作品を再制作する再解釈(Reinterpretation)といった方針が提案された。

メディア・アート遺産の記録と保存(DOCAM)

つづいてカナダの「Documentation and Conservation of the Media Arts Heritage (DOCAM)」(メデイア・アート遺産の記録と保存)は、テクノロジーを用いた芸術の保存のガイドラインを作成した。ここでは技術発展のタイムラインも作成され,上記の保管,エミュレーション,移行,再解釈に到るまでの施設内での意思決定の経路や,モデルとなる記録やドキュメンテーションの指針が策定された。(DOCAMの指針についての日本語での紹介は、『平成22年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業 メディアアートの記録と保存 調査研究報告書』森ビル株式会社,2011年,pp. 98-103を参照。)

Matters in Media ArtとTATEやMoMAの取り組み

タイムベースト・メディアとは」で触れたように,ロンドンのテート・モダンは,2004年からタイムベースト・メディアの保存・修復の専門部署を設立したが、2005年にはニューヨーク近代美術館MoMA,サンフランシスコ近代美術館 (SFMOMA)と共同して「Matters in Media Art」(メディアアートの諸問題)を立ち上げた。このときヴィデオ,フィルム,ソフトウェアなどタイムベースト・メディアを用いたインスタレーションの修復・保存のマニュアルを作成し,ウェブ上で公開され,改訂されている。

MoMAは,2007年にタイムベースト・メディアの管理者をはじめて置いた。それ以来,アナログビデオのコレクションを直ちに優先順位の高いデジタル化の対象と見なし,展示のスケジュールにあわせてデジタル化を行い,2011年には大規模なデジタル化を実施した。さらに2011年からゲームも含めたタイムベースト・メディアのデジタルデータの保管とアクセスを目標としたオープンソースの開発プロジェクトを立ち上げ,デジタルアーカイブ・ソフトウェアArchivematicaとアーカイブ情報管理システムAtoMを改良したBinder のベータ運用を開始し,2015年に一般公開した。その間の2013年にMoMAは,14本のビデオゲームを収蔵することを発表して話題になったことは記憶に新しいだろう。MoMAはこのBinderを使って,ひとつの作品の保存・修復に含まれる情報を関連付け,コンテンツ管理システム上で一元管理することを目指している。保管,修復,展示など異なる部署のスタッフからのデータのアクセスと共有,マイグレーションやエミュレーションにともなう異なるヴァージョンの変更履歴の管理,それぞれの作品を稼働させるソフトウェアとハードウェアの互換性の紐付け,デジタルソースへのアクセスや閲覧,貸出の記録,インストールのための指示書やマニュアルなどが,このコンテンツ管理システム上で素早く検索・管理できる。さらに,それぞれの関連性がグラフィカルなインターフェースで把握でき,ブラウザ上でのファイルのプレビューも可能である。また,MoMAは美術館のブログのなかで保存・修復に関する情報発信も積極的に行っている。

ZKMと他の機関の活動

ZKMは2004年に,修復・保存を行う旧式ビデオシステムラボを設立した。この施設はほかに,現代美術館,メディア美術館,メディア図書館,映像メディア研究所,音楽・音響研究所をもち,多様なエンジニアを館内に抱えたうえで,さまざまな規格の音声・映像メディアの記録再生機器を300点以上所蔵し,それらの機器によって記録された音声・映像をデジタル化する設備を有しており,他館からのデジタル化の依頼も受けいれる体制を備えている。ZKMは2010年から,フランスのÉcole supérieure des arts décoratifs de Strasbourg(2011年にHautes écoles des arts du Rhinとして合併),Espace Multimédia GantnerVideo les beaux jours,スイスのベルン芸術大学(BUA)House of Electronic Arts Basel(HeK)と協力してデジタル・アートに関する保存・修復に関する調査研究を行い,2013年に充実したカタログを出版した。Bernhard Serexhe (ed.), Preservation of Digital Art: Theory and Practice, AMBRA | V, 2013.

ナムジュン・パイクの作品などを所蔵しているスミソニアン・アメリカン美術館も2000年からはじまる大規模なリニューアルにあわせてタイムベースト・メディアの保存・修復にも力を入れはじめている(TBMA)。また,「Netherlands Media Art Institute (NIMK)」(オランダ・メディアアート・インスティチュート)【2013年にLiving Media Art(LIMA)に改称】は,テート,ドイツのデュッセルドルフ市立修復センター,スペインのソフィア王妃芸術センター、オランダのステデリック美術館と共同で,2004年から3年間のタイムベースト・メディア・アートの修復・保存に関する調査を行った。

韓国のオルタナティブ・スペース「ループ」が主催する2004年から毎年開催されているイベントMOVE ON ASIAの企画「VIDEO ART IN ASIA 2002 TO 2012」は,2013年にZKMなど世界巡回し,タイムベースト・メディアの美術作品への注目は,グローバル美術史の文脈でもアジア地域に広がっている。2016年に台北国立芸術大学で行われた展覧会「Analog Welcome, Digital Archive」では,ZKMでデジタル化されたコレクションのほかデュッセルドルフ美術館収蔵のビデオ作品やアジア地域で制作されたビデオアートが展示された。

日本での調査活動

日本では,2010年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業として「メディアアートの記録と保存調査研究」が実施され,メディアアートを収蔵しているNTTインターコミュニケーション・センター[ICC],川崎市市民ミュージアム熊本市現代美術館,財団法人草月会館,せんだいメディアテーク東京都写真美術館豊田市美術館日本科学未来館広島市現代美術館福井県立美術館福岡アジア美術館水戸芸術館山口情報芸術センター[YCAM]に対するアンケート調査やヒアリング,多様なメディアを扱うアーティストへのインタヴューが行われた。

他にも国立近代美術館国立国際美術館東京都現代美術館金沢21世紀美術館横浜美術館などがタイムベースト・メディア作品をコレクションしており,各館が連携を強めながら,共通した課題についての取り組みを進めていくことが望ましい。

2015年には,文化庁メディア芸術連携促進事業の支援で古橋悌二《LOVERS−永遠の恋人たち》の修復・保存が行われたが,15分におよぶ作品の動作確認のために,コンピュータの3D空間上で動作するシミュレーターが制作された。これはタイムベースト・メディア作品の動作確認を可能にするドキュメンテーションの新しい方法のひとつだと評価された。

メディアアートやデジタル・アートの歴史を紐解けば,とりわけドイツ,日本,アメリカの美術家たちがこの分野の発展に大きな貢献を果たしてきたことは疑いを得ず,そのことはメディアアートに関する代表的な著作で指摘されている。日本では官民を挙げて新しいテクノロジーを使った美術作品の制作支援や展示やイベントの機会がもたらされたことで,きわめて先駆的で幅の広い活動がなされてきた。にもかかわらず保存・修復の取り組みに関しては,さまざまな点で立ち遅れている感は否めない。美術館内に十分な修復・保存の部署を抱えていない,タイムベースト・メディアを扱う現代美術館がそもそも作品の収集保存活動を行っていない,など理由を挙げればきりがない。ところがタイムベースト・メディアの美術作品の回顧展の機会や歴史の見直しは近年世界中で行われている。日本で修復・保存の体制が整わなければ,歴史的に重要な作品の再展示の機会を逃し,資料を通してしか知ることができず,やがて歴史から忘れさられてしまうということにもなりかねない。機器の破損や古い技術者の引退を思えば,今後の修復・保存の体制づくりは最も優先されるべき課題である。

(石谷治寛)

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