タイムベースト・メディアとは

タイムベースト・メディア(time-based media)は,鑑賞が時間的に展開する媒体を指し,主にフィルム,ヴィデオ,スライドコンピュータパフォーマンスなどが挙げられる。タイムベースト・メディアを用いた美術作品(以下文脈に応じて,タイムベースト・メディア・アート,タイムベースト・メディア作品とも表記する)は,多くの場合,テクノロジーが構成要素に含まれている。これらの美術作品は鑑賞にハードウェアでの再生が必要なものが多く含まれ,機材の生産終了や技術の流行り廃りなど,テクノロジーの移り変わりのサイクルに左右されやすいため,長期保存には向かない。それらの実験的でパイオニアを切り開いていった美術運動が,美術史,技術史,文化史の理解にとって欠くことのできないものであることは言うまでもない。作品の発表当時のインパクトは薄れてしまうとしても,何らかのかたちで再現し,再体験できるように将来の資産として歴史に残し,その意義について再検証し継承していくことは,美術館や研究者の最も本質的な役割であろう。

タイムベースト・メディアという言葉が,変わりやすいさまざまなメディアを用いた美術作品を包括する言葉として広がりはじめたのは,2004年にロンドンのテート・モダン美術館が,タイムベースト・メディア・アートの修復・保存部門を設立した頃からである。テート・モダンのタイムベースト・メディア・アートの修復・保存部門では,1970年代以降に登場したテクノロジーを用いたインスタレーション作品,ビデオやフィルムなどの映像作品,スライドやライトボックスを用いた写真作品,音声を使ったサウンドアート,パフォーマンスなど無形の美術作品を扱っている。ここからもわかる通り,従来の彫刻や絵画や写真部門とは異なる修復・保存計画を必要とする美術作品に対応するために,独立した専門性を備えたスタッフによってタイムベースト・メディア・アートの修復・保存が担われるようになっていった。そこでは映像メディア,実験音楽,写真,パフォーマンスなどさまざまなジャンルの交差を念頭に置きながら,美術史だけでなく技術の変遷も含めての理解が必要とされ,新しい修復・保存の戦略が練り上げられている。作品自体が,美術家とエンジニアやパフォーマーとの共同制作で行われている場合も多く,保存・修復に携わるスタッフも,作品の継承にどの方法が適切か査定したうえで,短・長期的な修復・展示・収蔵のプランの策定,適切な連携体制の構築,必要な人材や予算の確保などを行っていく必要がある。

ところで,1970年代以前にも,可動的な仕掛けのある彫刻作品であるキネティック・アートが制作されてきた。それらがタイムベースト・メディア作品に含まれるか否か,という疑問も湧く。近年には同様の仕掛けをコンピュータで制御する作品も制作されるようになっており,ジャンル分けには曖昧さが残らざるを得ない。テート・モダンのタイムベースト・メディア・アートのなかにはキネティック・アートは含まれていないが,今後それぞれの美術館の条件に応じて,カテゴリー内に含まれる作品のジャンル区分が流動化することはありえる。テート・モダンの分類から外れるかもしれないが,戦中・戦後にキネティック・アート,映像の実験,コンピュータを用いたアートの実践が、動く抽象という点で、ある程度交差していたという歴史も、タイムベースト・メディア・アートの理解に有益だと思われる。本ガイドではキネティック・アートやライト・アートにもあえて言及している。日本の施設のコレクションの具体的な状況に応じて,適切な専門家の配備など柔軟な対応が望ましい。

現代美術の保存・修復という課題解決のために,本ガイドでタイムベースト・メディアという言葉を用いる利点は,2000年代以降から主に英米で調査活動が進められてきた修復・保存の取り組みの成果を活かすことができるという点に尽きる。決定的な解決策が確定できない領域では,トライアル&エラーも含めた事例を積み重ねていき,それらを適宜参照でき,方策の意思決定が可能なガイドラインを改善していくことが重要である。タイムベースト・メディアという用語はそうした困難な取り組みのなかで生まれてきた言葉だと言える。それまでの歴史については「修復・保存の歩み」を参照いただきたい。

美術作品は,伝統的には長期的な保存の可能な絵画や彫刻がその価値を支えてきた。それに対してタイムベースト・メディアの美術作品の多くは,そもそもは制度批判や既存の美術館の枠外へと美術の活動を広げようとする美術動向と結びついてきた。しかし,ひるがえってそうした美術作品を修復・保存の実践というかたちで,美術館側が積極的に制度化しようとしているのが現在の状況である。そのなかで芸術を成り立たせている多様な要素の規範化,標準化,制度化に対する懸念も想定される。とはいえ保存・修復の実践は,むしろある枠組みに活動を狭めていく硬直した動きではなく,多様性に開かれたワーク・イン・プログレスの取り組みだと捉えた方がよい。こうした近年の英米の美術館からはじまるグローバルな美術動向のなかで,タイムベースト・メディアを用いた美術作品にどう向き合うべきかという課題が改めて浮き上がってきているということにも留意しておきたい。

(石谷治寛)

ページトップへ戻る