伝統音楽・芸能の記譜研究

プロジェクトリーダー:藤田隆則(日本伝統音楽研究センター教授)

日本をふくむ東アジアの伝統音楽の世界では古来,さまざまな種類の,書かれた楽譜が伝えられている。日本においても,笛,琵琶,笙,琴などの楽器を中心に,平安時代にさかのぼる貴重な古楽譜が残されている。当時の演奏がどのようなものであったかを知るためには,文学や日記などの文字資料を参照するだけではなく,楽譜に見られる記号同士の論理的整合性,楽器や声が持っている物理的特性などを考慮し,推論することが必要不可欠である。多面的な取り組みが必要である。
本プロジェクトは,日本伝統音楽研究センターに所蔵されている資料および楽器を使って,古い楽譜の解釈を行ない,演奏を行なうことをめざしている。本年度も昨年に引き続いて,記譜のもっている創造力にかかわる研究を展開した。
記譜は,失われる音を元通りに復元する,あるいは思い出すことを第一の目的として発生したものである。しかしながら,ことはまっすぐには進まない。逆接的ではあるが,後の者が,書かれた内容に忠実であろうとすればするほど,書かれていない膨大な領域が意識されもして,予想をこえる大きな変化もおこりうる。記譜は,オリジナルから逸脱する方向をふくみ込んでいる。
記譜をもとにした逸脱,あるいは創造という側面へと焦点をあてるべく,同じテクスト,あるいは,同じ図形的な楽譜が,さまざまな流派によって,さまざまなかたちに変化してうたわれる様子の比較作業を,昨年に継続して行なった。
伝統音楽は,師匠と弟子との間で伝えられていくことを基本とする。その系譜にもとづいて,さまざまな流派が分岐して誕生している。それぞれの流派はもちろん,流祖による新しい解釈から誕生したものであるが,流派を継承していく者には,新しいものを生み出している意識はあまりない。しかし,流派間の比較作業から,われわれは,それぞれの流派が,長い時間をかけて生み出した独自性を見出すことができる。
伝統音楽は,自らの保存の正確を期すべく,記譜法を開発し,それを守ってきた。しかし長期的には,個人では思いつくことすら不可能な,新しい創造を行なってきている。伝承を通じた創造のあり方に光をあてるのが,このプロジェクトの目的のひとつである。
本年度は,本研究センターの記譜法研究会(プロジェクトリーダー:柿沼敏江・音楽学部教授)が企画した「五線譜に書けない音の世界~声明からケージ,フルクサスまで~」(2017年2月26日,京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA)において,講演「声明の記譜法について」を行なった。講演では,声明とは仏教の法要で用いられる音曲であり,もっぱら僧侶によって唱えられるものであること,僧侶の方々は,師匠から弟子への口伝えをもっとも大切にしておられること,したがって楽譜は,伝承においては補助的な位置にあるということを,まず述べた。補助的である以上,楽譜そのものは,その場その場でもっとも役に立つように,さまざまに変化しうるし,実際,楽譜は多様なかたちに発展してきている。
その様子をみるために,声明の楽譜の音の書き方を簡単に紹介した。声明の楽譜の起源は,うたわれるテクストの漢字一文字ごとにつけられた,正しい発音のための点である。その点が,うたわれる音の流れをあらわすために,だんだん長くなっていった。その長くなっていった記号は,「博士」と呼ばれている。「博士」には,五音音階の音階音を角度によって示すかたちのものと,音の流れの変化の輪郭を線の流れで示すかたちのものとがある。近代には,西洋の五線譜の影響をうけて,横書きの回旋譜というフォーマットが誕生して,現在も用いられている。
以上のことを述べた上で,鷹阪龍哉氏(龍源寺住職)に,声明の一部を披露していただいた。まとめとして,声明の図形的な楽譜は,しばしば身ぶりに移し替えられることがあり,楽譜は,音の流れにくわえて,それを生み出す身ぶりの流れを生み出すものでもあることを述べた。

平成26年度
平成27年度

dento_011

dento_032

dento_023

  • 1. 能の謡本の記号を拡大するための判子―伝統音楽の伝統的な記譜法を変換する試みの例として(近江八幡浅野氏所蔵)
  • 2. 伝統的な雅楽の記譜にもとづいた演奏の復元 (2015年9月14日、日本伝統音楽研究センター第38回公開講座「雅楽ー時空をこえた出会い」における成果発表)
  • 3. 謡の記譜法創造の一例 映し出された映像の中央は、伝統的に使われている楽譜(謡本)。その左右には、学生によるあたらしい記譜の試みを配置。相互に対照的な態度にもとづく記譜を左右に配置した。7月1日、開所記念シンポジウムにおける映像

ページトップへ戻る