第35回アーカイブ研究会


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吉田亮人チェキ日記展と第35回アーカイブ研究会

 吉田亮人氏は写真家である。作品は国内外で展示・出版され、高い評価を受けている。今回のテーマである「チェキ日記」は、氏が写真家となる以前の2009年から現在に至るまで、毎日1枚「チェキ」フィルム(富士フイル ム製のインスタントフィルム)で撮りつづけている、数千枚におよぶ家族の記録写真だ。
 チェキ日記は、子供の誕生をきっかけに、日々変化する楽しかった思い出や、小さな子供のたたずまいなどを「忘れたくない」という強い気持ちからはじまったという。日常の感覚をなるべく生の状態で残す手段として、記憶をふりかえる栞として、写真はいいメディアですと吉田氏はいう。特に何かを意図的に撮ろうと狙うのではなく、ピンと来たとき、「おもしろい!」と思ったときにシャッターを押すそうだ(いずれは子供たちにプレゼントする予定だという)。
 撮影時には日付だけを裏面に記入し、時間があるとき、月光荘製のスケッチブックに日付と短いコメントを添えて貼る。「チェキ」を使うのは、時間が経ってからではなく、日々の流れのなかでその瞬間に感じたことを、生々しく覚えている身体のまま、ことばと写真で記録したいためだそうだ。1日に1枚しか撮らないので、写真家としても鍛えられる。デジカメだと写真を撮りすぎて、取捨選択してしまったり、プリントからアルバムに貼るまでに、時間がかかりすぎてしまう。チェキフィルムは、〈再編集する視線〉をできるだけ介入させず、日常性を身体的な感覚を維持したままアーカイブしつづける、そうした記録に適した自律的で簡便なメディアなのだ。松本久木氏はグラフィックデザイナーである。吉田氏の写真集や、この『COMPOST』もデザインしている。あるとき松本氏は、偶然、チェキ日記の一枚を見る。すぐその魅力にひきつけられた、という。これは何? と吉田氏に聞き、記録方法を聞いて、さらに興味は大きくなったそうだ。
 チェキ日記の写真(松本氏は「写像」と呼ぶ)の一枚一枚に、まず魅力がある。それを松本氏は「特別な出来事ではない日常性そのもの」あるいは、誰もが一度は見た風景や、誰もが一度は写真の中の人と同じことをした、そのような何かが写っている、と表現する。日常風景を撮影した映画フィルムの「任意のひとこま」のようなもの。日常性のなかの日常性と言えるかもしれない。あくまで私的な吉田家の家族写真なのに、自分自身の過去がそこに写っているような気さえする。一瞬を捉え、この一枚しか存在しないという意味で、強い唯一性(此性)を備えている写真なのに、むしろ普遍的な魅力がある。そんなチェキ日記に惹きつけられた松本氏は、この写真を「本」にすることを考えた。
 だが、ここに問題がある。チェキ日記の魅力は、一枚一枚の写真だけでなく、写真を日々撮りつづけアルバム化するという「営為」にも(にこそ?)あるからだ。「この1枚の写真」だけではない。「チェキ日記」という持続的な記録行為、あるいは方法自体にも、唯一性があるのである。そしてさらに、独自なメディアとしての、モノとしての唯一性を備えた一冊一冊の「チェキ日記」(松本氏は、チェキ日記には吉田氏の造形作家的な作家性が見られるという)。繰り返される営為の痕跡として結実するところにチェキ日記の魅力があるとすれば、それをどのように、さらなる複製物としての「本」に転換しうるのか? そもそもチェキ日記を作品だと考えていなかったという吉田氏と、その価値をなんとか世に伝えたい松本氏は、芸資研に相談を持ちかけ、今回の研究会につながった。
 吉田氏・松本氏と芸資研の石原教授・佐藤が相談した結果、「研究展示」を行うことにした。来場者たちと積極的に対話し、実験的な展示活動を通じてチェキ日記を公にする方法を探求するのである。展示を研究の場にもする「研究展示」という手法は、芸資研にとっても初めての試みだが、展示スペースと議論の場が隣接する芸術大学ならではの活動とも言える[写真1]。
 実際の展示では、「写真作品」なら決してしないだろうことを色々と試みた。写真を加工して展示したり(文字のみ/写真のみの2バージョン、どちらも日付なし)、極端に拡大してプリントしたり、現時点でのチェキ日記全116冊を実物展示する(来場者は、実物を自由に手にとってよい)などである[写真2~5]。

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 本についても実験的に数パターンを制作し、来場者に手に取っていただき感想を聞いた。現物のチェキ日記をかぎりなく模倣した複製バージョン、写真集の体裁にレイアウトしなおしたダミーブック、チェキ日記の全ページを見開きで撮影した写真のプリントアウト山積み(約4000枚)などである[写真6~8]。
 新型コロナウィルス感染症の流行と会期が重なったこともあり、来場者を予約の上で1日10名に限定したが、結果的に吉田氏や松本氏と来場者との豊かで濃密な対話が生じたのはとてもよかったと思う。「作品」でも「資料」の展示でもない「研究展示」という方法は新鮮で、来場者からも好意的な反応が少なくなかった。
 アーカイブ研究会は、展示期間の最終日前日に研究展示の成果をふまえて行なった。チェキ日記の魅力やチェキ日記という方法のメディア論的な特徴だけでなく、私的な記録を公的な作品にする際の論拠や、写真メディア史におけるチェキフィルムの独自性、社会的な時間と私的な時間など、重要な論点の提起がいくつもなされた。議論は現在も継続中で、いずれどこかで、チェキ日記に関する議論の詳細を公開できると思う(研究会自体については、芸資研のYouTubeチャンネルに近日中に公開される記録動画を参照していただきたい)。
 最後に一点私見を述べる。チェキ日記を本にする際の最大の問題は、写真の選択、つまり「編集」(あるいは「評価選別」)行為に関わるとわたしは考えている。チェキ日記はそもそも、写真を直感的・感覚的に撮影し、できるだけ再編集する視線を介入させず記録活動を継続することを意味している。一方で、写真集とは選択行為の結果そのものである。それはある視点から行われる「収集」だと言ってもいい。チェキ日記における「営為」の次元を重視し、選択された写真が不可避的に巻き込まれていく「物語」への回収を避けたいなら、「評価選別あるいは編集という行為をいかに避けて本を作るか」という難題を解決しなければならない。最終的に印刷される写真が4000枚から「選択」されたものではなく、チェキ日記という持続する記録活動=アーカイブの一部であることが、パフォーマティブに示されていなければならないはずである。
 そのためには、完全に同一な複製物を流通させる「本」というプラットフォームのあり方自体を変える必要があるかもしれない。そもそも、なぜすべての本は同一でなければならないのだろう。たとえば、写真の選択が一冊一冊ランダムに行われ、結果として内容が別々なのに、同じ書物であることを主張するような本はどうだろう。製本される瞬間ごとに、新たに最新の内容がつけ加えられ、成長していく本は? 写真が貼られておらず、購入者が自分でチェキ日記を作るための「本」は? チェキ日記とその「本」の関係は、データベースのデータとその出力形態のようにも思えてくる。そうしたことを、チェキ日記は考えさせてくれるのである。

(佐藤知久)


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1.展示風景
2.チェキ日記全116冊および、制作途中のチェキ日記(どちらも接触可)
3.チェキ写真の拡大プリント
4.チェキ写真(日付が記録されておらず、いつの写真かわからなくなったもの)
5.チェキ写真を加工し、①コメントのみ、②写真のみにしたバージョンの拡大写真
6.製本(現物の形態をかぎりなく模倣した複製物。複製した写真を貼り付けている)
7.ダミーブック(数十枚の写真からなる通常の写真集の形態にした本)
8.全ページのプリントアウトおよびフラッシュカット映像(チェキ日記の全ページを印刷したものと、1見開きを0.2秒で積み重ねた映像)
撮影:吉田亮人


第35回アーカイブ研究会

吉田亮人チェキ日記展と第35回アーカイブ研究会

講師|吉田亮人(写真家)、松本久木(松本工房代表/グラフィックデザイナー)

研究展示|2021年8月24日(火)-8月29日(日)研究展示会場/京都市立芸術大学 小ギャラリー

研究会|8月28日(土)14:00~(オンライン配信)

配信|芸資研YouTubeチャンネル
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