第17回アーカイブ研究会「エイズ・ポスター・プロジェクトを振り返る」

「エイズ・ポスター・プロジェクト[APP]」は,京都市立芸術大学の卒業生や在学生,京都市内の大学生や有志が集まって,1993年春に京都で開始された。日本では1990年代になってもHIV陽性者やエイズ患者,また様々なマイノリティを排除しようとする状況があり,APPはそうした状況に対してポスター,フライヤー,スライドショーなどのビジュアル表現やクラブイベントなどによって,自分達の無知・偏見・無関心を見直し,メッセージを発信する活動を行った。APPの活動には世界各地のNGOなどによって制作されたHIV/エイズに関するポスターの収集もあり,今回は1980年代から2000年代にかけて世界で制作されたポスターの一部(佐藤知久所蔵)をカフェスペースに展示した。研究会では,かつてエイズ・ポスター・プロジェクトの活動に関わったブブ・ド・ラ・マドレーヌ氏,小山田徹氏,佐藤知久氏,伊藤存氏らが,それぞれ異なる立場からの関わり方や印象深いエピソードについて語った。

芸術資源研究センターは,2015 – 2016年度に古橋悌二《LOVERS―永遠の恋人たち》(1994)の修復事業と展示を行ったが,作品の背景の一部となっていたHIVの問題に,作品の出演者やまわりの人々がどのように取り組んでいたかについて十分に踏み込むことができなかったという思いがある。それを補うために,当時の活動に関する資料もあわせて再検証したいと考えている。APPの活動に関わる資料は当時「アートスケープ」と名付けられ運営されていたシェアハウスに保管されていたが,そのスライドや写真,映像や紙資料の大部分は,現在ブブ・ド・ラ・マドレーヌ宅に保管されている。それらの資料整理を目的として,公益財団法人テルモ生命科学芸術財団現代美術助成に,研究員の石谷治寛が採択された。今回の研究会はその取り組みの予備調査的な位置づけとも言える。研究会の前には,1994年の国際エイズ会議(横浜)に関するデジタル化した映像を上映して,当時の報道を再検証した。また,研究会では,一部デジタル化した資料をディスプレイに映す場面もあった。

エイズの話題は1980年代から世界的な関心事となっていた。米国では,性的マイノリティに対する差別や偏見に対して直接行動を通して戦う「ACT UP」の活動が1987年にはじまり,HIV/エイズの問題を視覚的に訴える「Visual AIDS」の活動も生まれ,美術制度を概念的に捉え直す「グループ・マテリアル」も《エイズ・タイムライン》を作成した。日本でも,ロバート・メイプルソープやキース・ヘリングらの美術家が80年代末にエイズを原因とする病で亡くなったことはよく知られていた。東京では「Visual AIDS TOKYO」の活動がはじまるが,京都では,古橋悌二が1992年にHIVウィルスの感染告白をダムタイプのメンバーに向けて行ったことがきっかけとなり,メンバーやその周辺で活動していた京都市立芸術大学学生らがこの問題に取り組むようになった。京都の場合,友人の感染という事実に向き合うことから活動が広がったことに特徴がある。

トークのなかで浮き彫りになったのは,それぞれ異なるかたちでジェンダーや家族のあり方に,エイズを通して向き合うようになったということである。APPは,数十名以上の人々が別々の立場や思いを通して様々な方面へと展開していった活動であり,今回の研究会で語られたことは,そのほんの断面に過ぎないだろう。エイズはもはや,かつてのような不治の病ではなくなっており,適切な服薬で対処可能な感染症のひとつと見なされている。現在とはその熱や思いには温度差があるが,アーカイブとして参照可能にすることで,四半世紀のあいだの社会の変化を考える手がかりになればと思う。

(芸術資源研究センター非常勤研究員 石谷 治寛)

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