第28回アーカイブ研究会 シリーズ:トラウマとアーカイブvol.04     ロマの進行形アーカイブとしての ちぐはぐな住居


岩谷彩子氏(京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)は,人類学の視点で調査研究を行い,インド移動民の夢の語りや,ヨーロッパでジプシーと呼ばれるロマの人々の文化を考察してきた。岩谷氏が調査対象とするのは,ルーマニアに住む金属加工に携わってきたロマの人々が建てる豪奢な建物である。これらは「ロマ御殿」とも呼ばれ,写真集も出版されている。岩谷氏は,この独特の建物は,記憶の反復や持続に基づく民俗学や伝統の産物というより,安定性のない「進行形アーカイブ」だと述べる。どういうことか?
岩谷氏は,その学術的背景として,近年の記憶研究を整理する。1990年代頃から「集合的記憶」(アルヴァックス)や「記憶の場」(ノラ)といった共同体の記憶を通して歴史を再構築する議論が活発になってきたが,他方で,想起に抗う記憶,共同忘却によって立ち上がる共同性といったトラウマ記憶への着目もあった。そのとき,番号化して分離・管理の道具とするアーカイブではなく,喪の作業としてアーカイブを捉える試みもなされた。たとえば美術家ボルタンスキーのような個々の遺物に名前を与え不在を共有するアーカイブ・アートや焼け焦げた跡など資料の物質性に注目する「不完全なアーカイブ」などである。岩谷氏は,ロマの家屋の様式のもつ象徴論的分析を超えた,そこを人が生きるプロセスに注目し,それを「進行形アーカイブ」としてロマの建築物の考察を続けている。それは身体と物質との関わりの中で立ち現れる環境でもあり,衣服の延長のように外部に開かれた建築であり,記憶が内面から外面へと折り広げられる場所だろう。
そもそもロマは,遊動性の高い移動生活を送るがゆえに,記録や民俗的な起源については無関心で,死に対する忌避の傾向も強いと考えられる。死者を歪めてしまうことへの恐れから,遺物を残すことへのこだわりも低く,長年の構造化された差別の経験から,対抗記憶を表明する人権運動もさほど活発にはなっていない。ルーマニアでは1864年の奴隷制度からの解放後にもロマへの差別は続き,ナチスドイツの占領後には反社会的な存在として強制収容された。戦後にロマの人々は,メタルとスクラップを売る仕事に従事し,工業化のなか蓄財をなす人々も増えた。1990年代以降に,西ヨーロッパに移住して出稼ぎをし,戦後の賠償金がなされるようになって,家を建てるというトレンドが起き,とりわけルーマニア南部の街ストレハイアでは御殿が次々と建てられるようになったのだという。
岩谷氏は調査で訪れた部屋の写真を見せながら,その目を惹く折衷的な様式からなる外観(ロマのインド起源説にもつながるアジア建築の様式やボリウッド映画スタイルの大邸宅とルーマニアの新古典主義やフォーク建築の折衷),それと対照的な空っぽの部屋(2階には誰も住まず,死者の遺物だけで満たされたり,孫のためのぬいぐるみだけが置かれたりし,大家族の客人が泊まる部屋として使われる)や,ファサードだけ設えられ建設途中で放置された建物などを紹介した。そうした開かれた家の住人の聞き取りから明らかになるのは,強制連行を逃れる途上の迫害や飢餓を生き延びながら,わずかな持参材を生き延びる糧にした経験である。
とりわけ74歳の男性のトランスニストリアでの経験の証言は不思議な夢のようで象徴的だ。彼は警察に追い立てられ馬を奪われ地下に2年間住まわされた。そこから退去させられて帰還後は,金を飲み込んで隠して持ち運び,後に便にして体外に排出することでその財を守って生き延びたという。そして近年の金の価格の高騰や賠償金によって,家が建ったのだ。移住と定住の狭間で,金が文字通り身体の内外を出入りすることで,死と生の価値が反転するような経験を,この家と人は記憶しつつも未来の忘却へと開け放っている。人類学者もまた,そのファサードの内側や証言者の内部に踏み込みながらも,その「進行形アーカイブ」を外へとつなげるメディエーターとなる。岩谷氏は,連続した記憶を持たない民は,家を残すのではなく,「エスカルゴのように脱ぎ捨てていく」,「そうしなければ生きていけなかった」という。
講演には,崇仁地区の街の記憶に取り組む人々の参加もあり,記憶の向き合い方についての類縁性も語られた。苦しい思い出を言いづらいと逆に,見栄を張って内部の人間に対して見せびらかす文化が生じるという。そうした内面は,外部の人間が調査に立ち入ることで,より複雑な表情を見せるだろう。聞き取りをして記録に残し,その記憶を内外で分かち合うことの意義があらためて確認された。

 

(石谷治寛)


第28回アーカイブ研究会

シリーズ:トラウマとアーカイブ vol.04
ロマの進行形アーカイブとしてのちぐはぐな住居

講師|岩谷彩子(文化人類学/京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)

日時|2020年2月18日(火)14:30−16:30

会場| 京都市立芸術大学芸術資源研究センター,カフェスペース内

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