柿沼敏江退任記念「フルクサスを語る」の報告

本イヴェントは,柿沼敏江(芸術資源研究センター所長・音楽学部教授)が2018年度末で本学を退任することを記念し,音楽学部と共同で開催された。柿沼所長は芸術資源研究センターの開設以来,「フルクサスのオーラル・ヒストリー」のプロジェクトに携わり,今回の退任イヴェント自体が研究成果の報告といった趣旨を含むものとなった。全体は退任記念講演,シンポジウム,コンサートという3部構成で行われた。

「フルクサスと音――日本人アーティストによる最初期の活動」と題して行われた講演は,フルクサスの活動期の中でも「プロト(原)・フルクサス(1959­-62年前半)」期に焦点を当てたものだった。東京での「グループ・音楽」結成前後とニューヨークでの小野洋子(オノ・ヨーコ)の初期の活動,そして東京とニューヨークのプロト・フルクサス的な活動が,1961年から62年にかけて,一柳慧の帰国後に様々な場で邂逅する過程が紹介された。柿沼所長はフルクサス以前にフルクサス的な発想や作品が生まれていたということが重要であると指摘。例として,地図のような図形楽譜(註:続くシンポジウムでの一柳氏の発言によって,この作品が実際に,ニューヨークの地下鉄の路線から発想されたことが明らかになった)による一柳慧の《電気メトロノームのための音楽》(1960)のもつ陣取り遊びやすごろく遊びを想起させる遊戯性や,音の増大や縮小を視覚化した塩見允枝子の《エンドレス・ボックス》(1963)といった作品を紹介した。前者のようにゲームとアートの境界を無効化する感覚や,後者のように音楽家が音にこだわらず音楽や音の領域を越えている点に,フルクサス的な要素がみられるとした。

柿沼所長はフルクサスのアーティストにとって音が重要となった理由について,音は水と同じように柔軟に変化し物体を通り抜け人々を繋げるツールであるということと,音は現実であると同時に非現実,すなわち想像の世界をも広げるものであることとを挙げ,前衛音楽とは異なり,フルクサスのアーティストは音をあくまでも現実のもの,日常的なものと捉えて用いたことが重要であったとまとめた。フルクサス的なものと非フルクサス的なものが共存しているプロト・フルクサス期の活動のなかで,音楽家・作曲家が深く関わっていたこと,そしてそこでは音がいかに重要な要素となっていたかを平易な語り口で明らかにしてみせた講演であった。

記念講演に引き続いて行われたシンポジウム「フルクサス――起源・記憶・記録」では,最初に作曲家の塩見允枝子氏が自身のプロト・フルクサス期を中心に回想した。塩見氏は「グループ・音楽」結成以前に行われていた集団即興,《エンドレス・ボックス》の制作を経て,ナム・ジュン・パイクの紹介によって1964年にニューヨークに渡り,フルクサスに身を投じるようになった経緯を生き生きと語った。

次に登壇した作曲家の一柳慧氏は,フルクサスの創始者であるジョージ・マチューナスと交遊があったとしつつも,芸術と社会生活の境を取り去るという彼の思想に対して距離があり,のめり込めなかったと述べた。その上で,自身が師事していたジョン・ケージの周囲の人びとはマチューナスに対して批判的であり,ケージと対比しながら,マチューナスは極めてラディカルで政治的な生き方をしていたと述懐した。

続いて美術評論家・詩人の建畠晢氏が登壇し,塩見允枝子,ナム・ジュン・パイク,小杉武久との交流を中心にエピソードを語った。大岡信が新聞紙上で紹介した《スペイシャル・ポエム》(1965-­75)をきっかけに塩見に興味をもち,関わるようになったこと,1962年6月にヴァイオリンを破壊するイヴェントを行ったナム・ジュン・パイクに関して,小杉の回想と後日談などがユーモアを交えながら紹介された。建畠氏は,塩見允枝子の作品の中にある柔軟な発想や「膨らみのある世界」,ナム・ジュン・パイクのラディカルさとユーモアの共存,オノ・ヨーコが女性のキューレーターに「マーチはダメだ,ワルツにしなさい」と述べたというエピソードに触れながら,彼らの柔軟な発想や生き方は,フルクサスの原義である「流動」や「流れていく」といった言葉を想起させ,それがフルクサス的なあり方・生き方であるということを示唆した。

最後にコメンテーターの井上明彦(本学美術学部教授)は,塩見允枝子の《エンドレス・ボックス》の「エンドレス(端がない)」という言葉を手がかりに,そこには始まりもなく終わりもない日常の永続性から一部を切り取ったもの(トリミング)を聴く感覚があるとし,音・音楽の時間性という観点から問いを投げかけた。塩見氏は井上氏のコメントを受けて,《エンドレス・ボックス》の「エンドレス」という概念は,技術上の限界はあるとしてもコンセプトとしては無限に存在するもので,その一部が視覚化された作品であるとした。また塩見氏は自身の「トランス・メディア」のコンセプトを説明しながら,それは楽しく暮らすための手段であるとし,難しく考えず,楽しむことが大事であるとも述べた。建畠氏は,芸術はメディアの特性によってジャンルが分裂してしまうが,フルクサスにおいては,まず作品に内在するコンセプトを別の手段に変換する方法が思考されることが重要であり,音楽的・演劇的・視覚的な発想が合体し,メディア間を横断していることがフルクサス的であるとした。シンポジウムの最後に柿沼所長は,最新の研究書について紹介した上で,フルクサスが人々の関心を引き続ける理由は,突き詰めず,楽しむという感覚があるからかもしれないとまとめた。

休憩を挟んで行われたコンサートでは,フルクサスにまつわる3作品が演奏された。最初に演奏されたのは一柳慧の《電気メトロノームのための音楽》(1960)である。大井卓也氏,上中あさみ氏,北村千絵氏,橋爪皓佐氏,山根亜季子氏の5名によるパフォーマンスは,作品のもつ遊戯性を理解したうえで,演奏するたびに異なった道筋を辿ることによる,先の読めない楽しさを存分に感じさせた。手慣れた身体による発露はしばしば演奏の硬直化を招くが,当日のパフォーマンスにおいてはしなやかさと瑞々しさが最後まで保たれていたことが印象に残った。

次に取り上げられたのは,2018年10月に亡くなった故小杉武久氏への追悼として上演されることになった《ミクロ1》(1961)である。1本のマイクロフォンを包み込む紙がほどけていく際に生じる音が,マイクロフォンを通して空間に浮き彫りになるというイヴェント作品である。この作品は小杉がフルクサスに身を投じる前に創られているが,日常的な音が,仕掛けを通して音そのものとして現前するという作品のコンセプトは,たしかにフルクサスに通じる要素を含んでいることを再確認する機会となった。

最後に,塩見允枝子の《無限の箱から―京都版》(2019)が演奏された。音の形態をコンセプチュアルに捉えた視覚的作品である《エンドレス・ボックス》をさらにパフォーマンス作品へと変化させたのが《無限の箱から》であり,これまでにも様々なバージョンで上演されている。箱から欠けら(ピース)が取り出され,空間に音響として立体化していく楽しさがある作品だが,今回は12の部分からなるバージョンとして構成され,一柳作品を演奏した5名の奏者,詩人のヤリタミサコ氏と本学の学生12名,さらに塩見氏自身も参加して演奏された。発されたいくつもの声や音が空間で絡み合い,ある種のポリフォニックな音響を作るのは塩見の音楽作品の特徴といっていいかもしれないが,今回,それがもっとも多層的に具体化されたのが,最後に演じられた〈多元的ロンド〉であった。ゆったりとしたロンド(輪舞)のリズムに乗って,12人のパフォーマーが規則に従って回転する縄を飛んでいくアルゴリズム的な要素を含むピースだが,聴覚的な円環と視覚的な円環という2つの次元が緩やかに結び合ったところに作品の魅力が凝縮されていたように感じられた。

コンサートの後は柿沼所長による短い挨拶があり,本イヴェントは盛況のうちに締めくくられた。日常がアートになったということは,日常が芸術という高尚なものになったということではなく,むしろ日常に楽しみを見出すということであり,それこそがフルクサス的な生き方の極意であるように感じた時間であった。

竹内 直(芸術資源研究センター非常勤研究員)


柿沼敏江退任記念

「フルクサスを語る」

日時:2019年1月19日(土) 14:00~17:00

会場:シンポジウム 京都市立芸術大学大学会館交流室

コンサート 大学会館ホール

主催:京都市立芸術大学音楽学部

京都市立芸術大学芸術資源研究センター

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