シンポジウムとコンサート「糸が紡ぐ音の世界」の報告

織物と織りにまつわる音,記すこと(ノーテーション)に関するシンポジウムとコンサート「糸が紡ぐ音の世界」が,2019年2月16日に本学大学会館にて開催された。2部構成からなり,第一部にシンポジウム,第二部では藤枝守氏(九州大学芸術工学研究院教授)作曲の委嘱新作の発表が行われた。また,演奏の前には藤枝氏,伊藤悟氏(国立民族学博物館外来研究員),藤野靖子(本学美術学部教授)の3人によるトークが行われ,藤枝氏が委嘱新作の作曲の際,織機の振動から得た発想を中心に議論が交わされた。

第一部のシンポジウム「織物・身体・ノーテーション」では,司会を担当した柿沼敏江(当研究センター所長)が開会のあいさつで,2017年度と2018年度に本センター記譜法研究会で取り上げた人類学者ティム・インゴルド著『ラインズ 線の文化史』(2014年,左右社)を読み解くことから,布を織るという身体行為と音・ノーテーションの関係を追求する鍵を与えられたことを述べた。そして,登壇者5人による分野を横断した発表に対し,コメンテーターの佐藤知久(当研究センター准教授)が問題提起を行った。

滝奈々子(当研究センター非常勤研究員)は「ウィピルに織り込まれた記憶~高地グアテマラのマヤ女性と織物~」と題して,ウィピル(マヤ女性が着用するブラウス)を聴衆へ実際に配布し,織物の肌理を共有することをねらいとしながら発表を行った。ウィピルの模様はノーテーションと言い換えられ,紀元後500年ごろより連綿と受け継がれており,今後も残されていくことを述べた。ウィピルにはグアテマラ内戦時に女性が置かれた辛苦の状況に対する悲哀の感情が織り込まれており,その心象はマヤ音楽に支配される祭礼によって癒しを受けることを強調した。

谷正人氏(神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授)は,「イラン音楽における記譜と創造的解釈,面状に配置された弦と対峙する身体」と題して,発表を行った。イラン伝統音楽では元来,特定の作者はおらず,数百もの伝統的旋律型が口頭伝承で伝えられてきたが,20世紀半ばより五線譜化されたため,ある段階からノーテーションが残されてきたことを説明したうえで,多様な旋法について語った。また,伝統楽器サントゥールの特異性として,72本の弦(糸)が面状に配置されており,必要な音程(テトラコード)を演奏前の調律により得るため,演奏の瞬間に身体や指が音楽を選択するわけではないと解説した。谷氏はサントゥール演奏における身体の特異性を示すため,実際にいくつかの旋法を演奏し,記述譜と規範譜の区別を説明しながらパフォーマンスを行った。

井上航氏(国立民族学博物館外来研究員)は「カンボジア・クルンの織物とノーテーション―“据える・据わる”に注目して―」と題して,カンボジアのクルンの人びとの織りの事例を紹介した。彼らは移動民族であるため,織機や楽器ゴングも持ち運び可能であることに基づき,織りにおいても「据える・据わる」という身体的動作こそがノーテーションと捉えられるのではないかと述べた。現地では,場所の制約があるため「記す」こともままならない調査状況に置かれているが,調査現場で井上氏自身は「据える・据わる」身体感覚を体感していることから,記録するという概念について問題提起を行った。

伊藤悟氏は「コミュニケーションに用いられた織機の音-中国雲南省徳宏州タイ族社会の事例-」と題して発表を行った。現在,タイ族のあいだでは伝統的な織物が着装されることはごく僅かであるが,伊藤氏自ら織物を復興・販売する会社を立ち上げたとの報告があった。屋内にいる女性は織物を織るゴロンゴロンという音を鳴らし,外にいる男性は楽器の音色で応答するという,織りの音が伝達機能をもち,男女間のコミュニケーションに用いられていることを示した。タイ族のあいだでは,織りの音のゴロンゴロンという響きが,統一性を持ちつつもコミュニカティブであるという混沌とした側面を持ち,伊藤氏はこの現象を音のアッサンブラージュという語で表現した。

藤野靖子は「音と織物~記譜という視点から~」のタイトルのもと,西陣織のパンチカードとパンチカードを使用して織りあげられた布を実際に聴衆へ見せながら発表を行った。滝,井上氏,伊藤氏の調査地における織機が,腰に巻きつけた帯が経糸の張りを保つことから「後帯機」とよばれる簡素なものであるのに対し,西陣織は,ジャカード織りから発展した,より複雑な要素をもつ織機で製作される。西陣織の製作には,厚手の紙に穴を開け,位置で紋様を記録するパンチカード(紋紙)が用いられ,藤野はこのパンチカードが西陣織における設計図のようなものであると説明した。また,織り手は手元のみを見て織り,熟達した織り手になると,織機の音だけでいかなる紋様が完成されるのか想定できるという。このように西陣織においては,パンチカードだけでなく,人間の身体感覚の中に染み込んだ技術を継承することがノーテーションと捉えられるのではないか,またいかにしてそうしたノーテーションを残してゆくべきか,という課題が提示された。

以上の登壇者5人の発表をうけ,コメンテーターの佐藤は「織物は極めて原初的であり,人間の身体と密接に関係していることを再認識した。また,身体作用を伴う織りは,表記=記譜されない要素の中に記憶として残されるのではないか。一方で,西陣織の事例を通して,織るという行為が『考える』ことさえ排除する一面を持ち合わせているという印象を得た。このことは,音楽を演奏する際にも通底し,織りも音楽も時間を通して自分の身体に刻み込まれた譜面であると考えられる」と結んだ。

第二部の藤枝氏,伊藤氏,藤野によるトークでは,まず藤枝氏が数年前より行っている「博多織プロジェクト」において,博多織の織機の振動に同期する作曲を試みたことを解説した。織る行為における反復作業を演奏に転写することで,織りの時間に内在する「ゆらぎ」が音楽的営みに投影され,織り手自身の身体性や意識の変容が浮揚すると考え,博多織の織機の振動に着眼したことを述べた。藤枝氏が示した織りにまつわる振動の所感について,藤野,伊藤氏はともに,織りに内在する振動に新たな発見を見出したと述べた。さらに,織りと音,身体の関係性を考察する上で,織りの振動が身体へ染み込むことでノーテーションが成立する可能性があると述べ,新たな論点が提示された。

最後に,大学会館ホールにて,藤枝氏の「箏四面による《織・曼荼羅》」(委嘱新作) の初演が,中川佳代子氏,丸田美紀氏,大八木幸恵氏,渡部志津子氏の4名により演奏された。この作品では,十三弦箏と十七弦箏が純正調により調弦され,それぞれ二面ずつが向き合って曼荼羅のように円環的に配置される。また,箏内部には,織機の振動を再生する振動体を設置し,織機の振動がダイレクトに楽器に伝導するようにした。藤枝氏は,「『織り』という反復的行為のうえに文様がかたちづくられるが,この作品は,実際の織る時間を取り戻しながら,織りのもつ反復性が織機の振動を媒介に演奏行為に置き換わっていくプロセスを試行したものだ」と解説した。

この「箏四面による《織・曼荼羅》」の演奏により,シンポジウムで多岐にわたり討議された「糸が紡ぐ音の世界」がビジュアライズされ,織りと音とノーテーションをめぐる議論への新たな視座が与えられたと思う。

滝 奈々子(芸術資源研究センター非常勤研究員)


シンポジウムとコンサート「糸が紡ぐ音の世界」

日時:2019年2月16日(土) 14:00~17:00

会場:シンポジウム/トーク 京都市立芸術大学大学会館交流室

コンサート 大学会館ホール

主催:京都市立芸術大学芸術資源研究センター記譜法研究会/平成30年度京都市立芸術大学特別研究助成

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