第32回アーカイブ研究会 世界劇場モデルを超えて

 アーカイブとは単なる資料の集積ではなく、資料を提供するシステムや物的・人的資源をふくめた組織である。したがってアーカイブについては、どのような組織や資源(人や棚やコンピュータや建物…)によって運営され、どのような「システム」によって支えられているかを考えねばならない―そう、桂英史氏はいう。
 第一に、アーカイブは、どのような公共性と関係をもつのか。それは功利主義的な公共性なのか、それとも個々人それぞれに異なる効用にかかわる自由主義的な公共性なのか。あるいは、市場経済の欠陥を是正する福祉・厚生主義的な観点からみた公共性なのか。
 第二に、アーカイブは、どのようなイデオロギー(あるいは思想)に支えられているのか。その近代的な起源のひとつは、フランセス・イエイツが『世界劇場』(1969)で述べたルネサンス期ヨーロッパにある。そこでは神秘主義と科学が同居し、世界全体についての知識を得ることができるという思想から生じたさまざまな「知」が、書物や図表や演劇として、物理的・建築的空間に具現化されていた。図書館や劇場は、こうした思想を強化する一種の記憶装置として機能する。この全能的な思想―桂氏はそれを「世界劇場モデル」と呼ぶ―を、これからのアーカイブも継承していくのか。
 第三に、アーカイブは、どんな秩序に沿って提示されるのか。アーカイブ資料は分類と整理をほどこされ、一定の秩序を備えた資料体として並べられる。その配列し秩序化する論理―桂氏はそれを「棚の論理」と呼ぶ―自体は、どのように構成されるのか。レッシグの『CODE』(2000)を参照しつつ、検討すべき問いが提起される。それは社会的に統一された「法」なのか。行動原理としての市場性なのか。それとも、環境管理型権力に通じる可能性をもつ「アーキテクチャ」か。あるいは相互的に醸成される規範なのか。
 第四に、アーカイブにおける「財」とは何か。アーカイブされた資料が何らかの価値をもつ「財」であるならば、その価値はどのような仕組みによってつくられ、管理・調整されるのか。たとえ物資が豊富に存在しても、それを幸福や自由に変換する能力には、社会や個人間で差があると主張した経済学者、アマルティア・センの議論を引用しつつ、アーカイブの〈財としての活用法〉を検討すべきではないか。
 最後に桂氏は、現在開発中の、映像コンテンツの上映権と公衆送信権の売買システム(追求権の行使を可能にし、映像活用の記録にもなる)「ACIETA」を紹介しながら、ものがつくられるごちゃごちゃとした現場と、アーカイブとが一体化した組織の可能性について語った。整然と分類された秩序の美しさだけではない、ローカルなマイクロアーカイブの美しさ―現場で発生したもののありようについて自分たちで決め、それが共有され組織化されることから生じる美しさもあるのだ、と。

(佐藤知久)


第32回アーカイブ研究会

デジタル時代の〈記憶機関 memory institutions〉

世界劇場モデルを超えて

講師|桂英史(東京藝術大学大学院映像研究科/メディア研究、図書館情報学)

日時|2020年11月16日|オンライン配信

会場|芸資研YouTubeチャンネル

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