レクチャーコンサート「五線譜に書けない音の世界〜声明からケージ,フルクサスまで〜」の報告

芸術資源研究センターの重点研究の一つである記譜プロジェクトは,「五線譜に書けない音の世界」と題したレクチャーコンサートを2月26日に開催した。このプロジェクトでは,昨年度に「バロック時代の音楽と舞踏~記譜を通して見る華麗なる時空間~」と題した第1回のレクチャーコンサートを行ない,一定の成果を得た。第2回にあたる今年度は,とくに実験的な作曲家による不確定性の音楽における「記譜とは何か」を考察することをテーマとする企画となった。

公演は第1部「声明とジョン・ケージ」,第2部「記譜法の展開」の2部構成で行なわれた。第1部は芸術資源研究センター副所長の柿沼敏江教授による挨拶のあと,日本伝統音楽研究センターの藤田隆則教授(芸術資源研究センター副所長)による「声明の記譜法について」と題した,声明の図形的な記譜法に関するレクチャーが行われた。レクチャーの最後には鷹阪龍哉氏(真宗高田派龍源寺住職)による声明の短いデモンストレーションがあり,そのあとに,図形楽譜によって書かれたケージの《龍安寺》の抜粋が鷹阪氏による声明の歌唱と上中あさみ氏の打楽器によって演奏された。声明の記譜とケージの《龍安寺》における記譜の特徴は,旋律の高低や曲折が線によって表記される点できわめて似通ったものであるが,レクチャーを通して声明の記譜法への理解を深め,さらに声明の歌唱によってじっさいに耳にすることで,その相似をより強く感じることができた。

次に演奏されたケージの《ヴァリエーションズ II》は,直線が1本だけ書かれた6枚の長方形の透明板とただ1個の点が記された5枚の正方形の透明板を使用して,演奏者が自分自身の演奏するパートを作曲しなければならない,まさに「究極の記譜法」とでも呼ぶべき作品である。今回の公演では,おそらくこれまでに前例のない,視覚的な解釈を含んだ形で演奏された。この作品で奏者に事前に与えられる透明板には,音楽を構成する様々な要素の決定因としての役割があるが,今回は,これらの要素を視覚的に置き換えることが可能かどうかの試みでもあった。二瓶晃氏の制作した美術作品には,5名の楽器奏者(北村千絵氏,寒川晶子氏,橋爪皓佐氏,佐藤響氏,大井卓也氏)の発する音に反応してLEDライトが明滅するというプログラムが組み込まれていたが,この反応は,単なる視覚的効果ではなく,あくまでもケージの記譜法にもとづいた上で構成されたシステムから生成された反応である。《ヴァリエーションズII》の記譜を視覚に置換できるかという今回の試みは,十全とはいえないまでも,可能性の沃野を示し得たといえるだろう。

第2部は,竹内直研究員が「記譜法の展開~日本の場合」と題して,五線譜によらない作曲の例として,一柳慧の《電気メトロノームのための音楽》の記譜法について解説したのち,足立智美の《どうしてひっぱたいてくれずに,ひっかくわけ?》と一柳の《電気メトロノームのための音楽》が演奏された。橋爪氏によって演奏された足立智美の《どうしてひっぱたいてくれずに,ひっかくわけ?》は映像に記録された両手の運動が楽譜であり,奏者はその映像に記録されている手の運動を,エレキギターの弦の上で,(可能な限り忠実に)模倣し,演奏する。紙の上に記すことが記譜(ノーテーション)であるという先入観を打ち破るような作品であったが,忘れてはならないのは(音楽の)演奏を習得する場において―それは口頭伝承の場においても,独自の記譜体系にもとづいている場合においても―模倣(見様見真似)は演奏を習得する上で,今なお,重要なプロセスであり続けているということである。この作品における記譜法は,記譜によらない音の世界があることを,記譜によって(逆説的にではあるが)示している点できわめてユニークであった。また,《電気メトロノームのための音楽》はメトロノームの数値と拍数を表す大小の数字と音の種類を定めた3種類の線,アクションの種類を規定する線の曲折が示された,いっけん地図のような図形楽譜による作品である。奏者はメトロノームの数値を示す数字から数字へと,線を辿りながら演奏していくが,演奏にあたっての道筋,メトロノーム以外に発する音の種類,アクションの種類の選択は奏者に任されている。今回演奏した5名の奏者(上中氏,北村氏,寒川氏,橋爪氏,大井氏)は,作品が内包する即興性を十二分に生かしたパフォーマンスを繰り広げた。

公演の最後は,芸術資源研究センター特別招聘研究員である塩見允枝子氏によるゲストトークと,本研究センターから塩見氏に委嘱した新作《カシオペアからの黙示》の初演が行なわれた。塩見氏によるゲストトークは,自作についての解説にとどまらず,テキストによる記譜法(text notation,verbal notation)の歴史的な流れを論じるもので,非常に興味深いものであった。5名の奏者(上中氏,寒川氏,橋爪氏,佐藤氏,大井氏)によって演奏された本作は,カシオペア座の主星の数に由来する5という数字が全体を構成する作品である。トークの中で塩見氏は,テキストによる記譜法は作曲家の言葉に対する能力が試されるという趣旨のことを述べていたが,作曲者立会いで行なわれたリハーサルの場でも,塩見氏が一人一人の奏者の演奏に耳を澄ませながら,細部,とくに言葉が発される部分を入念に確認していたことが強く印象に残っている。テキストによってのみ記譜されたこの委嘱新作は,「五線譜に書けない音の世界」の豊かさを示した作品であったが,記譜として書かれるテキストだけでなく,作品で発話が行なわれるテキストにおいても,塩見氏の言葉に対する鋭敏な感性が滲み出ることを,あらためて実感する機会となった。

今回の公演は「記譜」という問題に関して音楽と美術,伝統音楽という異なる領域間の共同作業が実を結んだ企画であり,これまでの芸術資源研究センターの活動における一つの成果といえる。公演は開催が告知されて2週間ほどで当初の定員60名に達し,急遽定員を80名に増やすなどの対応に追われた。当日は立ち見が出るほどであったが,会場スペースの制約上,50名余の申し込みを断ることになったのは大変残念であった。

最後に,本公演を実施するにあたっては「平成28年度京都市立芸術大学特別研究助成」を受けた。深甚なる感謝とともに,ここにあらためて御礼申し上げる。

(芸術資源研究センター研究員 竹内 直)

 


日時|2017年2月26日(日)15:00-17:15

会場|京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

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