第21回アーカイブ研究会 コミュニティ・アーカイブをつくろう!  せんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」奮闘記 の報告


今回の研究会では,せんだいメディアテークが2011年に開設した「3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)」の活動について,2018年に出版された『コミュニティ・アーカイブをつくろう! せんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」奮闘記』(晶文社)の共著者である甲斐賢治氏,北野央氏,佐藤知久を迎えて議論が行われた。

まず北野氏から「わすれン!」の活動概要が説明された。メディアテークでは市民の生涯学習を支援する活動として,市民や専門家が議論できるスタジオのスペースがある。そのスペースを市民協働のかたちへと変える取り組みを2010年に始め,翌年に東日本大震災が起きた。2011年5月3日には,震災とその復旧・復興のプロセスを記録・情報発信するためのプラットフォームとして,震災の記録や市民協働アーカイブの活動が始められた。これが普通のアーカイブと違う点は,記録された写真・映像を蒐集するのではなく,機材などの支援を通して市民との協働を促すスタジオ活動の特徴を活かして,記録したい人を募り,協働で震災の記録を制作していく点にある。記録をつくることを通してアクティビティが生まれることが活動の優先目的となる。預かった映像に関してはウェブサイトなどで公開され,上映会やDVDの制作も行われ,あわせてパネルやラウンジ展,記録を通した対話の場が開かれてもいる。
続いて「わすれン!」の活動の調査に携わった当研究センター専任研究員の佐藤知久から「コミュニティ・アーカイブ」という言葉の説明があった。コミュニティ・アーカイブとは,公的なアーカイブで記録されている事柄に対して,市民が自分たちでアーカイブを作り,自らの言葉で自身の歴史を語ることで,どのように公的記憶の中に編集されるかをコミュニティの水準でコントロールしようとする特徴がある。せんだいメディアテークのアーティスティック・ディレクターを務める甲斐賢治氏は,震災以後,専門家が大規模に網羅的に資料収集・保管を進めていったのに対して,「わすれン!」の活動を,システムやルールづくりを試行錯誤で改変しながら動かしていく「草野球」に例えて「草アーカイブ」と呼べると説明した。
さらに,この「わすれン!」が登場した歴史的背景についての議論も深められた。佐藤は,1970年代以降の社会におけるアートの役割の変化を概略した。1990年代にはアートセンターをつくる動きがあり,2000年代にはアートNPOの興隆がある。この見解を受けて甲斐氏は,1980年代当時,日本では世の中の仕組みとアートが無縁にされていたことへの苛立ちから,下からの運動を起こす必要性を感じたという。まず作品や作家を評価する立場を捨て,アートとは無関係に,映像を通して表現や読み書きのリテラシーを高めることを主眼として,remo(記録と表現とメディアのための組織)を大阪で立ち上げ,その活動が「わすれン!」に繋がっている。
すでに震災から7年以上経ち,状況が変わってきているという。当事者たちが改めて当時を振り返って記録する動きにあわせて,聞き語りを記録できる仕組みづくりが始まり,スタッフの世代交代があり,相談者も直接的な被災経験の反応とは異なる活動を活発化させるようになっており,「わすれン!」の活動の大枠を再定義する必要性が生じているという。アーカイブを通した市民協働の実例を通して,表現活動を支える取り組みの意義を考え直す有意義な機会となった。

(石谷 治寛 芸術資源研究センター非常勤研究員)

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