シンポジウム「過去の現在の未来 アーティスト,学芸員,研究者が考える現代美術の保存と修復」の報告

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芸術資源研究センターは,国立国際美術館との共催でシンポジウム「過去の現在の未来 アーティスト,学芸員,研究者が考える現代美術の保存と修復」を開催した。国立国際美術館・館長の山梨俊夫氏による挨拶に続き,当センターの加治屋健司が古橋悌二《LOVERS——永遠の恋人たち——》の修復・保存に関する取り組みの概略を述べた後,4名の発表者が事例研究を報告した。

始めに,当センター所長の石原友明が「ゾンビとフランケンシュタイン ちょっとだけ生き生きとした保存と修復について」と題した発表を行なった。石原は,テオドール・アドルノの「美術館は芸術の墓場である」という言葉を引用しながら,そこに収蔵される芸術作品を「死体」になぞらえて議論を展開した。まず,アーティストとしての石原は,過去の美術作品を継ぎはぎして「生き生き」とした作品を生み出すという点で,自らの作品をフランケンシュタインにたとえて解説を行なった。さらに,コンスタンチン・ブランクーシの作品を例に,彼が作品と戯れながら撮影した写真の中の彫刻の方が,整然とした美術館空間の中の彫刻以上に「生き生き」としているのだと石原は分析した。死体としての作品を「生き生き」とした状態に見せることが作品の保存・展示だとするならば,作品そのものだけが問題とされるのではなく,アトリエ,美術館,作者,キュレーターといった作品に関わる人と場が,作品のコンディションに大きく影響してくることを指摘した。また,作品と記録としての二次資料は,肉体と記憶の関係にも比せられ,修復とは肉体と記憶を関係づけ直すことにほかならない。その場合,記憶を語ることは時として肉体を修復すること以上に重要となりうるとして,アーカイブの重要性を再確認した。

続いて,植松由佳氏(国立国際美術館主任研究員)が,「国立国際美術館におけるタイム・ベースド・メディアの保存修復ケーススタディ 高谷史郎《optical flat / fiber optic type》」という題目で報告を行なった。まず,2014年3月に同美術館で開催された国際シンポジウム「現代美術作品をコレクションするとは?」において報告されたTate Modernの取り組みに触れながら,現在のタイムベースト・メディアの保存修復における実際的な問題点として,人材不足を始め,収蔵する前の作品に関する情報収集の不足,ハードウェア機材の老朽化に対するデータのバックアップ方法や,非物質的な作品の収集・保存に関するポリシーがまだ確立されていないことなどを挙げた。高谷作品の修復に際しては,作家本人,インストーラー,プログラマーなどの専門的な技術者に,作業の記録者を加え,植松は全体を監督する役割を担った。とりわけ植松氏は,高谷氏に複数回のインタヴューを段階的に行なったことが重要であったと述べる。そうすることで,作家本人が制作時の意図を想起し,修復方法を検討する過程をたどることができ,作品の核となる部分を明らかにすることができたのだという。例えば,本作品の構成要素の一つであるモニターについて,将来的にLCDが製造されなくなった場合は,作品が「リタイヤ」せざるをえないと作家が考えていることがインタヴューを通じて明確になった。しかし,作家本人の意見を重視することが,客観性を軽視し,修復の可能性を制限することにもなりかねないため,最終的な判断は誰に委ねられるべきなのかという問題が提起された。また,タイムベースト・メディアの場合は,その修復のための専門的な人材がほとんどいない。そのため,人材育成のみならず,修復の事例に関する情報を国内外で共有し,ネットワークを構築することが必要であるという提言で締めくくられた。

金井直氏(信州大学人文学部准教授)の報告「アルテ・ポーヴェラの古色(パティナ)と抗老化(アンチエイジング)」では,美術作品の古色を洗い落とす「抗老化」ではなく,「時代のおり」としての古色を残すことが現在では修復の一般的な方針とされているが,いまだ「抗老化」の方がある種の人々にとっては魅力的であるという現状をアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)を例に報告した。というのも,この芸術運動の内に,古色を愛する傾向と積極的な抗老化の発想の両方が含まれているのだという。この芸術運動が始まった1967年には,意味やシンボリズムにくみしない概念的な「貧しさ」に重点が置かれていたために作品が「古びる」必要がなかったが,ジェルマノ・チェラントが『アルテ・ポーヴェラ』という書物を著した1969年には,「貧しさ」の意味が人々の生活そのものの方へ移行していった。つまり,この2年の間に「貧しさ」の示すものが観念から素材へと変化することで,アルテ・ポーヴェラの作品を構成するボロ切れや新聞といった日常的な素材が,作家の意図に反して新しいものに交換されなくなる場合があるばかりか,こうした経年変化するものが含まれる作品が大規模な回顧展で展示されなくなる事態が生じているのだという。そこには作品の購入や所有といった問題も含まれる。素材を積極的に交換しようとするギャラリーと,元の素材を極力維持しようとする美術館のように,修復の考え方にもズレが生じる場合がある。以上のように,抗老化ではなく古色の方が優れているとは単純に言えない場合があることを報告した。

最後の登壇者であるマルティ・ルイツ氏(サウンド・アーティスト,バルセロナ大学美術学部研究員)は,「バシェの音響彫刻の修復と保存 インタラクティヴな芸術作品の動態保存への挑戦」と題した報告を行なった。始めにルイツ氏は,バシェ音響彫刻が西洋中心的な音楽や専門的な楽器というカテゴリーには当てはまらないものであり,演奏することで人々との相互作用を誘発するためのメディウムとして制作されていることを説明した。その上で「ナットとボルト」と題された,バシェと評論家のダイアローグを引用し,溶接ではなく変更可能な部品で音響彫刻が制作されているのは,音響彫刻のメンテナンスだけでなく改良も他の者によって行なわれるように作家自身が企図していたことを明らかにした。また,美術館の教育的意義について触れながら,技術的な修復以上に,作品の周囲に人々の動きを生み出すことの方が大きな課題であると示唆した。その意味では,音響彫刻は,人々が自由に訪れることができると同時に,人々による手入れも必要とする庭にもなぞらえることができるのだという。ルイツ氏は,バシェ音響彫刻自体が,展示・保存・修復をめぐって人々のインタラクションを生み出すための装置であることを強調しながら発表を締めくくった。

続いて,加治屋を司会に加えてディスカッションが行なわれた。修復において作家の意志をどこまで尊重するべきかという問題,作品そのもののコンテクスト/歴史的コンテクストと静態保存/動態保存の関係,タイムベースト・メディアの中のタイムベーストではないもの(時代を通じて変化しないもの),教育や人材育成の重要性,音響等の不可視の作品の修復方法,修復と再制作の違いなど,実際的な問題から概念的な見直しにいたるまで,来場者からの質問も踏まえながら極めて多様な観点で議論が交わされた。

時間軸を表現様式に内包するタイムベースト・メディアは,技術の発展によって移ろいやすいテクノロジー機器を伴うため,修復には新しい技術を用いた「改良」あるいは「再制作」の意味合いが入り込んできてしまう。しかし,こうした問題はタイムベースト・メディアにおいて顕著ではあるものの,本来的にはあらゆる美術作品につきまとう問題でもある。様々なジャンルの美術作品に関する,アーティスト,学芸員,研究者という異なる立場からの報告は,個別的な事例を扱いながらも,静態保存と動態保存という拮抗する保存・修復方針がそれぞれ抱える課題を多角的に考える端緒となった。

(芸術資源研究センター非常勤研究員 古川 真宏)

 

シンポジウム「過去の現在の未来 アーティスト,学芸員,研究者が考える現代美術の保存と修復」

日時:2015年12月5日(土)13:30–17:00

会場:国立国際美術館B1講堂

共催:国立国際美術館

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