公開研究会「伝統音楽における記譜について―声明と謡を中心に」の報告

伝統音楽・芸能の記譜研究3 伝統音楽・芸能の記譜研究4

日本の伝統音楽は,さまざまな記譜法の宝庫である。今回は,仏教儀礼に用いられる声明,中世芸能の能のふたつをとりあげ,その記譜法のバリエーションを紹介した。

声明で最初にとりあげたのは,仏教法要の導入部分にもちいられる「四智梵語讃」である。まずは,天台宗の目安博士と呼ばれる図像的な楽譜,さらにそれを,五音音階をあらわす線の上に表示したもの(回廻譜)を紹介し,音源を聞かせた。つづいて,同じ「四智梵語讃」の真言宗のバージョンをしめしながら,五音博士(本博士)と呼ばれる,線の角度によって音階を表示する記譜法について紹介した。さらに,曹洞宗のバーションの楽譜をしめし,同じテクストが別のかたちで謡われる様子を観察した。

つづいて,天台宗の「唄」をとりあげた。古い楽譜(古博士,目安博士)から,時代がくだるにつれて,旋律形の名称が付加され,また旋律のこまかな輪郭をしめした図形がうまれ,それらから,五音音階にそった回旋譜が誕生した流れを概観した。比較のために,曹洞宗の2つのバージョンの録音もそれぞれ聞いた。楽譜の書体が,うたいぶりとも連動している様子を聞いてとることができた。

声明を聞く部をしめくくるにあたり,浄土真宗大谷派の,「和讃」のDVDによる,動く楽譜の映像と音を紹介した。その画期的な動く楽譜が誕生する背景には,「坂東曲」の演出方法,つまり体をはげしく動かしながら,図形的な記譜をなぞる習慣があるということを指摘した。

休憩の後,中世芸能の能楽の謡をとりあげた。謡には5つの流派があるが,それらのちがいをこまかくとりあげた。比較にあたっては,《竹生島》という作品の一部分を用いた。その中の「緑樹影しずんで」という文句からはじまる短い小謡の部分については,横書きの楽譜に移し替え,表記してしめした。謡本としては,現代用いられる本を提示し,「緑樹影しずんで」の部分については,現行の一世代あるいは数世代前の本を比較して示した。

現代の謡本は,それぞれの流派の中で,独自な発展,変化をとげている。

まず目をひくのは,旋律の変化をしめすために,一貫したシステムを打ち出している流派である。たとえば,現代の金剛流と金春流は,節の記号を上向き,横向き,下向きに整理し,その角度で音の上下をしめすシステムを採用している。観世流や宝生流は,従来の慣習で,横向きと下向きの節の記号を謡本上に残しているが,今の謡い手は,それらをほとんど参照しない。記号の方向を見ないですむように,他の補助記号を充実させている。たとえば,宝生流は,節記号の上や下にちいさなゴマ点をつけることによって,音の上下をあらわしているが,これは音階構造よりも,上行や下行といった動きそのものに重点がかかることになる。謡い手の価値の置き方も変化してくるのである。

さらに目を引くのは,音階音を新しく規定しなおした金剛流のやり方である。従来謡本は,音階上の音の名前を「上」「下」の2つに整理してきた。謡本上でもその2つを使用するのが普通であったが,「下」の高さを「中」と名付ける習慣も同時に存在していた。金剛流の本は,その習慣にしたがって,「中」を採用し,それよりもさらに低い音に「下」を使うというシステマティックな表し方に踏み切ったのである。

まとめとして,謡本の表し方は,それぞれの流派の謡い方のスタイルと無縁ではないことを述べた。

質問として,流派の特徴を知るためには,歴史的に古い本を見る必要があるのではないか,という疑問があがった。そのことを巡って,有益な意見交換ができた。

(日本伝統音楽研究センター教授 藤田 隆則)

 

公開研究会「伝統音楽における記譜について―声明と謡を中心に」

日時:2016年2月17日(水)13:00‐17:00

会場:京都市立芸術大学新研究棟合同研究室1

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