第8回アーカイブ研究会 「唯一のひとつを集積すること」の報告

第8回アーカイブ研究会2第8回アーカイブ研究会3

 

第8回アーカイブ研究会は,作家の笠原恵実子氏をお招きして,「唯一のひとつを集積すること」と題して,お話しいただいた。このレクチャーは,「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭 2015」と「still moving」展の出品作家が会場を交換してレクチャーを行なう「Trans-it プログラム」のひとつでもあり,両方の展覧会に関わる高橋悟教授が司会を務めた。

笠原氏は,初期の作品である《A Flower of Stone》(1987–91年)から,ヨコハマトリエンナーレ2014で展示した《Offering》(2005–14年)まで,ご自身の作品の展開について,写真を見せながら説明された。

《A Flower of Stone》は,大学院生のときに作り始めたシリーズで,題名は,石工に関するロシアの民話「石の花」にちなんでいる。大理石で石の花を彫りつつ,タイル張りの台座をもつ展示ケースに納めて,花の写真とともに展示したインスタレーションである。作品を作れば自ずと伝わるという考えに疑問を持ち,「何も伝わらない」ということをテーマにしていると述べる。この頃からすでに,後に出てくるような,箱や容器に対する関心が登場している。

《Subjectified Object》(1993–96年)は,「主体化された客体」という意味で,フランスでレジデンスをしているときに始めたシリーズである。ルーヴル美術館で古代彫刻を見たり観光客を観察したりしているうちに,自分が自分の身体を見る視点を客観的に見せることを考えて作ったという。最初は,自分が自分の胸を見たときに見える形を彫刻にしたものを作ったが,後に,トイレやベッドパンなど他の形にも展開していった。このシリーズは,《A Flower of Stone》と異なり,発注して作った石彫作品である。

《Three Types(1993年)は,楓でできた170cm弱のベッド3台からなる。ベッドにはそれぞれ穴が一つずつ開いている。口,女性器,肛門という3つの穴の位置に開いているのである。穴にはステンレスの容器がはめ込まれていて,その中に,肉感的な印象を与えるシリコンのキャストが入っている。容器は鏡面仕立てになっており,化粧のコンパクトのように,のぞき込んだ自分が映り込むようになっている。

《Pink(1996年)は,海外(アメリカ)移住後最初の作品であり,ピンク色をした子宮口の25枚の写真からなる。笠原氏にとって,子宮口とは,性と関係する「膣」と生(生殖)と関係する「子宮」の間にあって,性と生という二つの観念がぶつかるところである。また,ピンクという色は,いかがわしさとかわいらしさという相反する二つの概念を同時に象徴するところから,あえて白黒で撮影した子宮口をピンク色に着色したという。作品の写真は,鑑賞者が頭から子宮口の穴に吸い込まれそうに感じる大きさにしたと述べる。笠原氏にとって,何人もの人と関わり制作を行った最初のプロジェクトベースの作品であった。

《Setting》(1997–98年)は,女性が鏡の前で化粧をするなど身だしなみを整える過程を記録した12時間にわたる映像作品であり,代官山ヒルサイドテラスの男女トイレ内で最初に展示を行なった。出かける前に鏡の前で髪を整えたり化粧をしたりする行為は,通常他者が介在しないプライベートな空間で行われ,その後パブリックな空間へと移動していくための儀式のようでもある。それはプライベート/パブリックの対立する二項間を移動するものであり,両義性をはらんだものなのである。

《Manus-Cure》(1998年)は,マニキュアの色をカラーチャートのように集積した作品で,1050色のマニキュアの色が30枚のシートに並べられステンレス製の箱に収められている。色ごとに分別するという通常の規定を逸脱し,厖大な量のマニキュアの各色それぞれにつけられた様々な名前をアルファベット順に分別している。性的揶揄,食欲,ジェンダーなどにも関わる風変わりな名前も多く,作品は色彩の美しさを超えて複雑な社会をもチャート化する。作品名はマニキュアのラテン語に由来している。Manusは手を,Cureは治癒を意味しており,Manusには権威的な意味があって,男女関係に関する法律の名前にもなっている。いかにも示唆的な言葉であると言えるだろう。

《La Charme》(2001–04年)は,中国製のマニキュアに付いていた間違ったフランス語(charmeは男性名詞ゆえLe Charmeが正しい)から付けられたタイトルである。人工毛カツラに使われる7色のカネカロンファイバーを用い,それを積層させ円形状に広げて床に置いた7つの立体と,その上で行われるパフォーマンス映像を同時に上映するインスタレーション作品である。パフォーマンスは,人工毛でできた作品の上で,人工毛と同じ色に自身の髪を染めた女性7人によって行なわれた。彼女たちは立ちすくんだり,座ったり,横になったりとポーズを変えながら,作品の一部と化したオブジェのようなあり方から,作品から離れた主体的なあり方へ、そしてその逆へと移動を繰り返し,その意味性を緩やかに変換していく。櫛が当てられて整えられたメタリックな表面をもつ立体は,映像に映しだされる髪の毛の乱れとの対照性の中で,パフォーマンスの意味も含めて多義的思考へと繋がっていく。この作品は大きさや色を変え,#2,#3と展開し、メキシコやオーストラリアなどでも展示された。

笠原氏は,髪の毛は聖と俗の両義性を意味しており,作品の素材として興味を持ったという。頭にある時は生命力や精神性を,特に女性における美や性的魅力を表す一方で,床に落ちた途端に汚物となり,死をも象徴するからである。また,美容師が髪の毛を切る行為と庭師が植木を剪定する行為の類似性に着眼し,インスタレーションに日本の庭のコンセプトを重ね合わせている。

また,この作品に限らず,笠原氏がモデルとして使うのは女性だけである。それは,女性がオブジェとして見られ扱われてきた歴史に基づいており,オブジェ性を持った主体へと価値観を変換していくという作品のコンセプトは,女性こそが表現できると考えるからである。

《Offering》は,10年近くかけたプロジェクトである。《Offering》とはキリスト教教会にある献金箱のことで,笠原氏は世界中を旅行して,各地の献金箱を多数写真に収め,またその形状を基に立体作品を制作している。写真作品は,25枚の写真を載せたシートが全部で60枚に達している。西洋的価値観の根幹をなすキリスト教において,《Offering》とは見返りを求めない聖なる献身思想であるが,その代替が金銭という極めて俗なるもので置き換えられるという矛盾がある。西洋的価値観で世界が動いていく中で,植民地主義と共に世界に散らばったその矛盾の象徴としての《Offering》を探し集めていく行為が,このプロジェクトの根幹をなしている。形態別に並べられた献金箱の写真は,植民地と非植民地のものが並ぶこともあり,そこからランダムなようでいてランダムでない世界のあり方が見えてくるという。2014年のヨコハマトリエンナーレでは,写真作品40枚を展示し,キリスト教の聖女の名前を冠した《Offering》の立体作品も合わせて展示した。

質疑応答では,《Offering》のように,厖大な量の対象を扱う作品において,対象の収集の区切りをどこで付けるのかということが話題となった。完全に集めることができない厖大な量がある対象を扱うときは常に出てくる問題であろう。笠原氏は,それを見て手をこまねいて何もしないよりは,とりあえずできる限りやることに意味を見出したいという。笠原氏はたとえ話として,旗が立っていて,それを倒すことができないとき,少なくともそれを動かせるということを示したいと述べた。それは,厖大な量のアーカイブに直面したときに,なおも制作しようとする作家の倫理の一つであるだろう。「創造のためのアーカイブ」という芸術資源研究センターが掲げる考えを,10年以上前から作品を通して取り組んできた笠原氏のお話は,大変意義深いものであった。

(芸術資源研究センター准教授 加治屋健司)

 

第8回アーカイブ研究会 「唯一のひとつを集積すること」

日時:2015年4月24日(金曜日)14:00~16:30

会場:元・崇仁小学校和室

講師:笠原恵美子

詳細

アーカイブ

ページトップへ戻る