

時空間を記録して残す方法は、この数百年間、基本的には変わっていないのではないか。絵画から高精細なデジタル映像に至るまで、視覚的な記録の形式は、ある視点から見た立体空間を平面におとしこむという意味で、ほとんど変わっていないと、辻勇樹氏はいう。
いっぽう、「360°を記録するカメラ」は、鑑賞者の視点移動を可能にする。VRヘッドセット・ディスプレイをつけた鑑賞者は、記録された映像のなかの、何に注目するかを身体的に探索できる。これは、その場の状況を感じること―「体験」―に近づくのではないか。テキスト/写真/映像など、記録者が
設定した枠組みを明確にもつ記録(「framed media」)の価値を十分認めつつも、辻氏が360°映像に注目する理由はここにある。それはおそらくはじめて、解釈の多様性を担保する記録形式となるのではないか、というのである。
辻氏がディレクターをつとめるプロジェクト「ART360」は、360°の映像で展覧会やパフォーマンスを記録する公益事業として、2018年にはじまった。運営の母体は、「次代を担う創造者への支援事業や芸術文化活動に関する普及活動を通じてよりよい未来の創造を目指す」公益財団法人の西枝財団である。
記録対象となる展覧会やパフォーマンスは、3名の有識者委員会によって選択される。選ばれた展覧会は、8Kの360°カメラ(Insta360 TITAN)、空間オーディオ用のマイク、遠隔操作可能なドリーなどを用いて、360°のステレオ(立体)映像で記録される。すでに24本の360°映像がウェブサイトに公開され、これからも年間12ずつ記録されていく予定だという。
記録活動に加え、配信や利活用、共有技術の開発にも力を入れている。その場にリアルに行った人たちと、そうでない人たちが意見交換や議論をおこなう場(「展覧観測」)を開催したり、多点同時撮影された対象を、鑑賞者が切り替えながら見るためのプラットフォーム(「PLACE」)も開発中である。将来的には、3Dスキャニングの技術と360°映像を組み合わせた、動的な記録技術の実装も検討しているという。
ART360は、展覧会を直接経験した人たちと、そうでない人たち―そこには未来の人たちも含まれる―が、「状況の再経験」を通じて共通の土俵に立つことをめざしている。もちろん質疑応答にあったように、「映像のなかでは自由な解釈が可能だとしても、見るべき対象自体が制限されているのではないか」とか、「VR空間だけで満足してしまう人が増えるのでは」といった懸念はあるだろう。しかしそれが、「出来事の本質」とされる部分のみを切り出すのではなく、「展覧会という状況」を丸ごと記録しようというART360の活動の意義を減じることはないだろう。これからもひきつづき、ART360の活動に注目していきたい。
(佐藤知久)
第33回アーカイブ研究会
360°展覧会アーカイブ事業
「ART360」の実践を通した考察
講師|辻勇樹(Actual Inc. 代表取締役 /ART360ディレクター)
日時|2020年12月18日|オンライン配信
会場|芸資研YouTubeチャンネル
Category - 研究会


アーカイブとは単なる資料の集積ではなく、資料を提供するシステムや物的・人的資源をふくめた組織である。したがってアーカイブについては、どのような組織や資源(人や棚やコンピュータや建物…)によって運営され、どのような「システム」によって支えられているかを考えねばならない―そう、桂英史氏はいう。
第一に、アーカイブは、どのような公共性と関係をもつのか。それは功利主義的な公共性なのか、それとも個々人それぞれに異なる効用にかかわる自由主義的な公共性なのか。あるいは、市場経済の欠陥を是正する福祉・厚生主義的な観点からみた公共性なのか。
第二に、アーカイブは、どのようなイデオロギー(あるいは思想)に支えられているのか。その近代的な起源のひとつは、フランセス・イエイツが『世界劇場』(1969)で述べたルネサンス期ヨーロッパにある。そこでは神秘主義と科学が同居し、世界全体についての知識を得ることができるという思想から生じたさまざまな「知」が、書物や図表や演劇として、物理的・建築的空間に具現化されていた。図書館や劇場は、こうした思想を強化する一種の記憶装置として機能する。この全能的な思想―桂氏はそれを「世界劇場モデル」と呼ぶ―を、これからのアーカイブも継承していくのか。
第三に、アーカイブは、どんな秩序に沿って提示されるのか。アーカイブ資料は分類と整理をほどこされ、一定の秩序を備えた資料体として並べられる。その配列し秩序化する論理―桂氏はそれを「棚の論理」と呼ぶ―自体は、どのように構成されるのか。レッシグの『CODE』(2000)を参照しつつ、検討すべき問いが提起される。それは社会的に統一された「法」なのか。行動原理としての市場性なのか。それとも、環境管理型権力に通じる可能性をもつ「アーキテクチャ」か。あるいは相互的に醸成される規範なのか。
第四に、アーカイブにおける「財」とは何か。アーカイブされた資料が何らかの価値をもつ「財」であるならば、その価値はどのような仕組みによってつくられ、管理・調整されるのか。たとえ物資が豊富に存在しても、それを幸福や自由に変換する能力には、社会や個人間で差があると主張した経済学者、アマルティア・センの議論を引用しつつ、アーカイブの〈財としての活用法〉を検討すべきではないか。
最後に桂氏は、現在開発中の、映像コンテンツの上映権と公衆送信権の売買システム(追求権の行使を可能にし、映像活用の記録にもなる)「ACIETA」を紹介しながら、ものがつくられるごちゃごちゃとした現場と、アーカイブとが一体化した組織の可能性について語った。整然と分類された秩序の美しさだけではない、ローカルなマイクロアーカイブの美しさ―現場で発生したもののありようについて自分たちで決め、それが共有され組織化されることから生じる美しさもあるのだ、と。
(佐藤知久)
第32回アーカイブ研究会
デジタル時代の〈記憶機関 memory institutions〉
世界劇場モデルを超えて
講師|桂英史(東京藝術大学大学院映像研究科/メディア研究、図書館情報学)
日時|2020年11月16日|オンライン配信
会場|芸資研YouTubeチャンネル
Category - 研究会

松山ひとみ氏は美術館の資料コレクションの観点から発表を行った。これまで美術館は所蔵している資料を主に展覧会や論文で公開してきたが、2022年開館予定の大阪中之島美術館では、利用者による閲覧の制度を整備し海外の研究者にも活用されるよう、情報発信を行うことを基本方針に定めている。美術館がこうした方針を打ち出すのは中之島美術館が先駆で、国内には明確なノウハウがないため、主に北米の情報を参照しながら進めてきた。国内では全国美術館会議によって、資料の所在情報をまず共有する試みが先ごろ行われ、美術館全体で資料を活用する機運が高まっている。
美術館に関わる資料には、機関に関わる資料と、作品や作家に付随する収集アーカイブズがあるが、収集資料の受入れのプロセスが具体的に説明された。管理番号の付与、資料群の特徴と目的を決める作業指針の策定、資料に付随する各種のメタデータを国際標準化された基準に沿って付与していくが、カタログ化するまでの注意点などを、アーカイブ担当者は、予算や人出、需要に応じて決めていくことになる。必ずしも収蔵作品に関わらない美術関連資料であっても、新たな創作のために閲覧されることがあり、情報資源をさらなる価値創出へ還元する可能性を秘めている。
後半の討議では、作品と資料の曖昧なものや、作品の評価や保存には関わらない周縁的な活動の資料保管の意義、アーティストが独自に分類した資料群の寄贈の可能性、研究者やアーティストによる利活用の可能性も含めて、いかに美術館のアーカイブを社会に開かれた場所にできるかが議論された。
(石谷治寛)
第31回アーカイブ研究会
デジタル時代の〈記憶機関 memory institutions〉
美術館の資料コレクションは誰のもの?
講師|松山ひとみ(大阪中之島美術館/学芸員・アーキビスト)
日時|2020年11月10日|オンライン配信
会場|芸資研YouTubeチャンネル
Category - 研究会


佐々木美緒氏の発表は、「図書館とは何か」という問いからはじまった。
日本では、各種図書館それぞれのあり方が、関連する法令によって定められている。大学図書館のばあい、「大学設置基準」(文部省省令、1956年)がそれにあたる。近年では、情報公開(レポジトリやオープンアクセスなど)、学習支援(ラーニング・コモンズ)、学内外の他機関との連携(MLA連携)などの諸機能も求められている。けれども、各大学固有の使命に沿って、必要な資料を系統的に蓄積し、教育研究に役立てる場所という図書館のあり方そのものは変わっていないと、佐々木氏はいう。
一方で前回の研究会同様、交流やコラボレーションなど、さまざまな活動のための場所として図書館が注目されていることを佐々木氏も指摘する。たとえば近畿大学の「アカデミックシアター」(2017年開設)。ラーニング・コモンズ、産学連携、国際交流などのための専門施設をつなぐ「あいだ」の空間に、松岡正剛氏が監修した「近大INDEX」と呼ばれる独自の分類法に沿って配架された、マンガをふくむ数万冊の書物がならぶ。そこは文字通り、学生が行き交い議論する場所になっている。
このように現代の図書館像は多様化しているが、それを佐々木氏は、〈共時的〉と〈通時的〉という異なる時間軸に属するふたつの役割から整理する。〈共時的役割〉とは、「同時代の社会における知識・情報・コミュニケーションの媒介機関」としての図書館の役割(場所としての機能)であり、〈通時的役割〉とは、「記録の保存と累積によって、世代間を通じた文化の継承と発展に寄与する社会的記憶装置」としての図書館の役割である(記憶機関としての機能)。そしてどれほど情報を伝達するやり方が変わっても、さまざまな資源を整理して検索可能な形にし、利用者が必要な資源にたどりつくことを助ける専門職者がいる。そうした人的資源によって、これらの機能が支えられている記憶機関、それが図書館なのだと佐々木氏は指摘する。
まとめるならば、大学図書館とは、大学ごとに特色ある資源を蓄積し、それを教育・学術資源として活用しつつ、その成果をさらに蓄積して発信・公開するための、媒介機関/社会的記憶装置となる。芸術大学について言えば、これからの芸術大学の図書館とは、大学の中にあるさまざまな組織が、それぞれに深めてきた文化芸術資源を広く集約していく一種のプラットフォームになるだろう。学内組織それぞれの「深さ」を連携させ、広がりを持たせることで、大学としての特色ある文化芸術資源としてまとめていくことができるのではないか。佐々木氏はそう提案して、発表を締めくくった。
質疑応答では、検索のためのメタデータ記述に関する中央集権性の問題や、図書館の使命を大学全体で共有することの重要性などについて議論が行われた。
(佐藤知久)
第30回アーカイブ研究会
デジタル時代の〈記憶機関 memory institutions〉
プラットフォームとしての図書館の役割
コロナ禍で露呈した物理的な公共空間としての弱さ
講師|佐々木美緒(京都精華大学人文学部/図書館情報学・図書館員養成)
日時|2020年10月28日|オンライン配信
会場|芸資研YouTubeチャンネル
Category - 研究会

佐藤知久氏は、5日にわたる研究会とシンポジウムの前提となるイントロダクションについて説明した。図書館、博物館、アーカイブは、それぞれ携わる人々の専門性によって、見えない壁があるように思えるが、文化資源を扱うという点に関して共通の特性があり、過去の記録を扱う施設や機関の総称として「記憶機関」という言葉を使うことによって、その垣根を崩して議論できる利点があるという。あわせて2023年の京都市立芸術大学の移転を契機に、従来の付属施設の担う役割を捉え直して、新たに連関させる機構の構想が進められていることも説明された。これ
からの芸術や芸術大学にとって記憶機関はどのようなものでありうるべきか?という問いが本企画の大きなテーマである。佐藤氏はデジタル時代に記憶機関がいかに変化してきたか、そのとき、図書館がどのような場所として捉え直されているか、そして芸術大学において記憶機関がどういう役割を果たせるか、事例の紹介と問題提起を行った。たとえばジョージア工科大学の改装された図書館のように、ストレージは外部にある書物のない図書館が開設されている。この場合、デジタル知識へのアクセスを担保するのが図書館の役割となる。というのも北米での公共図書館の役割は、「市民社会の情報インフラストラクチャー」であり、教養に資するだけでなく、何らかのアクションを促すための場所だと捉えられているからである。他方で日本の公共図書館の役割は、教養の提供の場から地域づくりの核となるものに変わっていった歴史がある。芸術大学の図書館はテキストベースの調査の場所だと考えられがちだが、系列的にモノが蓄積されてきた履歴に潜りこみながら、その物質性を新たな創造につなげることにあるのだという。芸術大学の図書館・博物館・アーカイブの連携の可能性を本研究会では探っていく。
(石谷治寛)
第29回アーカイブ研究会
デジタル時代の〈記憶機関 memory institutions〉―イントロダクション
講師|佐藤知久(文化人類学/芸術資源研究センター教授)
日時|2020年10月16日|オンライン配信
会場|芸資研YouTubeチャンネル
Category - その他,研究会


岩谷彩子氏(京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)は,人類学の視点で調査研究を行い,インド移動民の夢の語りや,ヨーロッパでジプシーと呼ばれるロマの人々の文化を考察してきた。岩谷氏が調査対象とするのは,ルーマニアに住む金属加工に携わってきたロマの人々が建てる豪奢な建物である。これらは「ロマ御殿」とも呼ばれ,写真集も出版されている。岩谷氏は,この独特の建物は,記憶の反復や持続に基づく民俗学や伝統の産物というより,安定性のない「進行形アーカイブ」だと述べる。どういうことか?
岩谷氏は,その学術的背景として,近年の記憶研究を整理する。1990年代頃から「集合的記憶」(アルヴァックス)や「記憶の場」(ノラ)といった共同体の記憶を通して歴史を再構築する議論が活発になってきたが,他方で,想起に抗う記憶,共同忘却によって立ち上がる共同性といったトラウマ記憶への着目もあった。そのとき,番号化して分離・管理の道具とするアーカイブではなく,喪の作業としてアーカイブを捉える試みもなされた。たとえば美術家ボルタンスキーのような個々の遺物に名前を与え不在を共有するアーカイブ・アートや焼け焦げた跡など資料の物質性に注目する「不完全なアーカイブ」などである。岩谷氏は,ロマの家屋の様式のもつ象徴論的分析を超えた,そこを人が生きるプロセスに注目し,それを「進行形アーカイブ」としてロマの建築物の考察を続けている。それは身体と物質との関わりの中で立ち現れる環境でもあり,衣服の延長のように外部に開かれた建築であり,記憶が内面から外面へと折り広げられる場所だろう。
そもそもロマは,遊動性の高い移動生活を送るがゆえに,記録や民俗的な起源については無関心で,死に対する忌避の傾向も強いと考えられる。死者を歪めてしまうことへの恐れから,遺物を残すことへのこだわりも低く,長年の構造化された差別の経験から,対抗記憶を表明する人権運動もさほど活発にはなっていない。ルーマニアでは1864年の奴隷制度からの解放後にもロマへの差別は続き,ナチスドイツの占領後には反社会的な存在として強制収容された。戦後にロマの人々は,メタルとスクラップを売る仕事に従事し,工業化のなか蓄財をなす人々も増えた。1990年代以降に,西ヨーロッパに移住して出稼ぎをし,戦後の賠償金がなされるようになって,家を建てるというトレンドが起き,とりわけルーマニア南部の街ストレハイアでは御殿が次々と建てられるようになったのだという。
岩谷氏は調査で訪れた部屋の写真を見せながら,その目を惹く折衷的な様式からなる外観(ロマのインド起源説にもつながるアジア建築の様式やボリウッド映画スタイルの大邸宅とルーマニアの新古典主義やフォーク建築の折衷),それと対照的な空っぽの部屋(2階には誰も住まず,死者の遺物だけで満たされたり,孫のためのぬいぐるみだけが置かれたりし,大家族の客人が泊まる部屋として使われる)や,ファサードだけ設えられ建設途中で放置された建物などを紹介した。そうした開かれた家の住人の聞き取りから明らかになるのは,強制連行を逃れる途上の迫害や飢餓を生き延びながら,わずかな持参材を生き延びる糧にした経験である。
とりわけ74歳の男性のトランスニストリアでの経験の証言は不思議な夢のようで象徴的だ。彼は警察に追い立てられ馬を奪われ地下に2年間住まわされた。そこから退去させられて帰還後は,金を飲み込んで隠して持ち運び,後に便にして体外に排出することでその財を守って生き延びたという。そして近年の金の価格の高騰や賠償金によって,家が建ったのだ。移住と定住の狭間で,金が文字通り身体の内外を出入りすることで,死と生の価値が反転するような経験を,この家と人は記憶しつつも未来の忘却へと開け放っている。人類学者もまた,そのファサードの内側や証言者の内部に踏み込みながらも,その「進行形アーカイブ」を外へとつなげるメディエーターとなる。岩谷氏は,連続した記憶を持たない民は,家を残すのではなく,「エスカルゴのように脱ぎ捨てていく」,「そうしなければ生きていけなかった」という。
講演には,崇仁地区の街の記憶に取り組む人々の参加もあり,記憶の向き合い方についての類縁性も語られた。苦しい思い出を言いづらいと逆に,見栄を張って内部の人間に対して見せびらかす文化が生じるという。そうした内面は,外部の人間が調査に立ち入ることで,より複雑な表情を見せるだろう。聞き取りをして記録に残し,その記憶を内外で分かち合うことの意義があらためて確認された。
(石谷治寛)
第28回アーカイブ研究会
シリーズ:トラウマとアーカイブ vol.04
ロマの進行形アーカイブとしてのちぐはぐな住居
講師|岩谷彩子(文化人類学/京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)
日時|2020年2月18日(火)14:30−16:30
会場| 京都市立芸術大学芸術資源研究センター,カフェスペース内
Category - その他,研究会