シンポジウム 「過去の現在の未来2 キュレーションとコンサベーション その原理と倫理」の報告

現代美術の保存・修復の意義や課題についてのシンポジウム「過去の現在の未来2」が,2017年11月23日に兵庫県立美術館にて開催された。当研究センター所長の石原友明は,開会あいさつで,第1弾にあたる2015年のシンポジウム「過去の現在の未来」と古橋悌二の《LOVERS―永遠の恋人たち》の修復事例に触れ,開催趣旨を述べた。また,本シンポジウムのモデルケースとなった國府理《水中エンジン》の再制作と,《LOVERS》の修復における共通点として,作者が他界した状況での試みであることを指摘した。その上で,制作者としての立場から,「作品は,作者の手を離れて初めて,開かれたかたちで勝手に観客と関係を結び始めるという幻想を個人的に抱いている。作者の不在が作品を完成させると言ってもいい。作品を安定した状態に保つことが保存の基本だが,本来の生き生きとした状態から遠ざけてしまう場合がある。作品を生きた状態で保存する,動的な保存の可能性があるのではないか。物質的な安定性とともに,作品が生きた記憶をどのように引き継ぐのかを考えることが,現代美術の保存修復において必要なのでは」と問題提起を行った。

シンポジウムは2部で構成される。第1部「國府理《水中エンジン》とキュラトリアルな実践としての再制作」では,「國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト実行委員会」より,企画者の遠藤水城氏(キュレーター),再制作作業を担当した白石晃一氏(アーティスト),記録作業を担当した高嶋慈(当研究センター研究員)の3名が登壇した。《水中エンジン》は自動車のエンジンを水槽に沈め,水中で稼働させる作品であり,部品の劣化や漏電などのトラブルに見舞われた國府は,展示中にメンテナンスを施しながら稼働を試み続けた。本作の再制作は,作家不在の状況に加え,設計図や操作マニュアルが残されていないこと,稼働や水没によって構成部品が劣化・損傷するという脆さや不完全さを抱えた作品であること,という3つの困難の下で行われた。それは,物理的な「オリジナル」や作品の同一性の問題,さらには判断基準をどこに置くのかという倫理性についての問いも投げかける。遠藤氏は,「作品の同一性を僕が完全に決定する形でプロジェクトを始めていない。むしろ,技術的課題や,観客との関係で発生する安全性の問題などの具体的案件にその都度対応することで,《水中エンジン》という作品を再定義していった。そうした諸問題を多層的で意義ある形で含むことが,プロジェクトとして良いあり方だと思う」と述べた。

白石氏は,「エンジンが動くことを最優先課題と考え,オリジナルにはない改変や部品の追加を行った。『完全な再現』というより,『技術的拡張』という考え方があった。出来る限り元の形態を維持しつつ,より安定的な稼働とメンテナンスのしやすさを考慮した」と述べた。また,《水中エンジン》を保存する最も理想的な方法として,「車と同じで,『常に動かす』ことが重要。毎日乗ってコツコツとメンテナンスを積み重ねれば,大きなトラブルに繋がりにくい。内部で損傷していくパーツを交換して新陳代謝することが理想的。しかし,美術館で保存・展示するとなると,たまに動かす時に大きなコストがかかる。また,技術的な仕様書が必要になるが,どこまでオープンにするのか,情報の開示の仕方が重要」と話した。

高嶋は,今回の再制作のもう一つの意義として,記録写真や映像などの資料調査や関係者へのヒアリングを行い,「再制作過程が,同時にアーカイブの構築でもあったこと」を挙げた。これを受けて遠藤氏は,「新たに制作する作業でありながら,過去の資料が生成している点が興味深い。過去へ遡及的に向かう線と未来に向かう複数の線という,アーカイブの複数の線が同時に発生し,どれを選ぶかがプロジェクトを駆動させる原理であると捉えられる」と発言した。

第2部「現代美術の保存修復の責務と倫理」では,保存修復の専門家,美術館学芸員,研究者がレクチャーを行った後,それぞれの立場や視点からディスカッションを行った。まず,田口かおり氏(東海大学 創造科学技術研究機構 特任講師)が,「『残余』の現代美術―保存修復と再制作のあいだ」と題したレクチャーを行った。田口氏は,近代の保存修復理論を紹介し,「美的価値と歴史的価値の双方の尊重」「物理的実体の保存」といった原則に基づき,作品に出来る限りの「延命」を施す保存修復の考え方について話した。一方,腐敗を伴ったり脆い素材を使用した現代美術作品の再制作の例を挙げ,「構成要素の交換可能性や複製可能性においては,物質的なオリジナリティは失われ,歴史的価値が作品に刻まれることはない。絶え間なく変わり続け,束の間の『生』を生きる現代美術作品においては,近代の保存修復理論は再考を迫られている」と述べた。また,経年劣化により,作品が物質の残余になり果ててしまった場合,「遺物の残余をどう残すのか,見せるのかが課題である」と指摘した。

次に,加治屋健司氏(東京大学 大学院総合文化研究科 准教授)が,「テセウスの船としての現代美術」と題したレクチャーを行った。《LOVERS》の修復事例を紹介し,劣化した機材の交換に加え,本研究センターでの修復処置とニューヨーク近代美術館での修復処置では,映像データの保存方法が異なり,1つの作品が修復を契機に2方向に分岐したことを話した。そして,「再制作は常に作品のオリジナリティを揺るがす」と指摘。また,近年の芸術理論における2つの「同時代」の概念を紹介し,現代美術作品の再制作や保存修復のあり方に対応させて考えることができるのではと述べた。「過去―現在―未来」を単線的に捉える歴史主義的な考え方に対し,1つめの「同時代」はポストヒストリカルな概念,「過去や未来から切り離された現在」を指す。これは,《水中エンジン》のように「その場限りの未来なき再制作」が考えられると加治屋氏は述べる。一方,2つめの「同時代」は,複数の時間が共存するアナクロニズム的なあり方を指す。こちらは,元の作品の時間に新しい要素が付加され,複数の時間が混在する《LOVERS》の保存修復が該当すると述べた。そして,「こうした複数の時間概念を考えることで,『オリジナルに近づけることが最もオーセンティックである』という考えではないかたちで現代美術の保存修復が可能になる」と結んだ。

次に,中井康之氏(国立国際美術館 学芸課長)が,「美術作品の『再制作』について」と題したレクチャーを行った。中井氏は,2005年に企画した「もの派―再考」展で,物故作家の作品の再展示や,同等の素材で代替して再制作した作品の事例を紹介した。そして,「コンセプトに基づき,作家が使った素材を指示通りに設置すれば作品性が保持されるのか。インスタレーション形式の作品をどう保持するのかは,困難な問題だと思う。作品がどのような空間に置かれ,どのような関係性で見ることが作者の意図に近いのかを,第三者に分かるように残すべきだ」と述べた。

最後に,相澤邦彦氏(兵庫県立美術館 保存・修復グループ 学芸員)が,「吉村益信《豚・pig lib;》の修復処置と保存の課題について」と題して,具体的な修復処置を報告した。豚の剥製を用いたこの作品は,両耳の付け根に亀裂が発生し,内容物が露出した。相澤氏は具体的な修復作業の説明の後,今後の課題として,同作に用いられた合成樹脂の将来的な劣化が懸念されることを挙げた。また,「次々と開発され,作品に用いられる新しい素材の特性や劣化のメカニズムの把握は進んでいない。実に多様な現代美術作品の保存修復処置に対応しうる修復技術者も少なく,人材育成が求められている」と述べた。

第2部後半では,小林公氏(兵庫県立美術館 学芸員)の司会の下,遠藤氏も途中から加わってディスカッションが行われた。田口氏は,近年,海外で開かれた国際修復学会で,「作家は制作に特化すべきで,修復作業への作家の介入は防ぐ必要がある。作家から作品を守ることも修復の役割の1つだ」という提言があったことを紹介した。加治屋氏は,「再制作によって,オリジナルとの『比較』の視点が生まれる。オリジナルの特徴とは何だったのか,オリジナルではここをつくってなかったとか,ここにポイントがあったということが見えてくるので,再制作で作品が変わることには肯定的な価値があると思う」と述べた。また,「現在の展覧会は,イベントやパフォーマンス,インスタレーション形式が増え,常に移り変わっていくものをいかに捉えるかが重要。フローとしての美術を今後考える必要がある」と述べた。遠藤氏は,「國府作品は彫刻的形態だが,循環やフローという現代的な概念を用いているために,美術館への収蔵や永続的な保存が難しい。《水中エンジン》は,ガソリンの燃焼が生み出す排熱,残余のようなエネルギーを扱っている。それは『残余としての生』が剥き出しになった危険な状態であると同時に,ナマの状態でもある。安全管理技術が要請されてしまうそうした『生のモデル』に対して,フーコー=アガンベン的な『生権力』を展開して,キュレーションや芸術作品と美術制度の関係を考えてみたい。こうした提案を《水中エンジン》の再制作を通して示したい」と話した。多岐に渡る論点が展開されたディスカッションを通して,現代美術の保存修復や再制作の抱える課題だけでなく,その肯定的な意義や本質的な問題提起が浮かび上がる機会になったと思う。

(芸術資源研究センター非常勤研究員 高嶋 慈)

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