第11回アーカイブ研究会「歴史をかきまわすアーカイブ」の報告

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第11回アーカイブ研究会では,戦後日本前衛美術研究家であり,福岡アジア美術館に勤務される黒ダライ児(黒田雷児)氏をお招きし(「アーカイブで書き出す複数の歴史」あらため)「歴史をかきまわすアーカイブ」と題してお話いただいた。

黒田氏は,2010年に大著『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』(grambooks,2010年)を上梓された。本書は,その副題が示唆するように,日本美術の歴史記述の中で見過ごされてきたパフォーマンス的な実践に照準した歴史書である。今回の研究会では,本書を執筆した経験を元に,アーカイブと歴史の関係について論じられた。

いうまでもなく,一回限りのパフォーマンス作品は絵画や彫刻作品のように物体として残ることはないし,美術館などに保存されることもない。それゆえ,その歴史を記述するためには,オリジナルのパフォーマンス作品ではなく,それに関する各種記録資料——すなわち,アーカイブ——を足掛かりにするほかない。ただし,黒田氏にとって記録群=アーカイブは,単に歴史を書くための資料として価値付けられているわけではない。発表の冒頭で竹内好の「記録を作ること自体が戦いの手段である。敵は記録をつくらない。〔中略〕あらゆる記録が歴史の素材になる。われわれは記録を大切にしよう」という言葉を紹介されていたことに端的にあらわれているように,黒田氏にとってアーカイブとは歴史を紡ぐことで「敵」と戦う為の手段なのである。『肉体のアナーキズム』は,韓国美術史から見過ごされてきた「実験美術」を掘り起こしたキム・ミギョン『韓国の実験美術』や,歴史の救済を論じたW. ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」を着想源として執筆されたという。その意味において本書は,既存の日本美術史に埋没してしまったパフォーマンス実践をアーカイブから掘り起こし,文脈化を行なうことで,美術史のオルタナティブを構築し,既存の「正史」を逆撫ですることに強く動機づけられているのである。

また,発表の後半において,『肉体のアナーキズム』以降に刊行した『終わりなき近代 アジア美術を歩く2009–2014』(grambooks,2014年)では「正史」に対するオルタナティブではなく,複数のパラレルに並列する歴史を記述することに関心があったこと,加えて,アーカイブを構築し維持することの困難さについて言及がなされた。質疑応答では,アーカイブを用いて,オルタナティブ/パラレルな歴史を構築することのみならず,「正史」自身を対象にしてそれを撹拌する可能性について指摘されたり,黒田氏自身が収集した資料が今後どうなっていくのかといった質問がなされたりと,活発な議論が展開された。

全体を通じて黒田氏が幾度と無く強調されていたのは,アーカイブとは既存の歴史を補強するためのものでもなく,情報を開陳するものでもなく,既成概念を挑発するための手段であるということであった。既存の歴史に対してオルタナティブな歴史,あるいは,多元的で複数的な歴史を構築していくための場,それがアーカイブなのである。

(芸術資源研究センター非常勤研究員 林田 新)

 

第11回アーカイブ研究会

「歴史をかきまわすアーカイブ」

講師:黒ダライ児(戦後日本前衛美術研究家)

日時:2016年1月18日(月)17:30–19:00

会場:京都市立芸術大学新研究棟共同ゼミ室

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