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「誰が袖図」屏風における造形的特質について

―(論文要旨)―


 近世初期を発生の起点として近代に至るまで描き継がれてきた屏風絵の一つの主題に、「誰が袖図」というものがある。この画題の下で展開される図様はいずれも、基本的に無人の空間に、色とりどりの衣装が衣桁(室内で衣類を掛けておく鳥居型の家具)に掛かる様を描く。多くは六曲一双・縦150?、横330cm前後の屏風絵であり、画中モティーフはほぼ等倍に描かれ、全て、奥行きの浅い空間に横並びに描き込まれる。様々な文様に彩られた衣装の描写が華やかで目に楽しく、屏風として用いて鑑賞するに好都合な作品である。しかし、衣桁に掛かる衣装を主要モティーフとして、基本的に無人の空間を描く表現は特異であり、不在の何かを暗示する留守模様的な趣がある。平面的かつ装飾的な画面構成と、衣装が主要モティーフとして描かれる印象の特異さがこの図の特質を成す。


 「誰が袖図」屏風の現存作例は三十四点、過去の美術全集や売立目録に掲載されるものも含めると、総計四十四点の図様が確認できる。その数は決して少ないとは言えず、制作当時、相当に流行した画題だったであろうと思われる。しかし、この画題の下で制作された一連の屏風絵に関して、誰が・何のために・何を描いてるのか・どのような場で用いられたのか、ということ全てが未だ明確ではない。


 そこで本論ではまず第一章で、「誰が袖図」屏風に関して何が明確で何が不明確であるのかを整理しながら先行の研究を概観した。この考察の結果、


 1. 十七世紀前半頃は「誰が袖図屏風」という名では呼ばれておらず、「衣桁画」と呼ばれていた可能性がある
 2. 1612年の文献に「衣桁画」の記述が初見される
 3. 様々な流派の絵師がその制作に関わった可能性がある
 4. その図様の成立と展開、主題趣旨がどのようなものであったのかは明確ではない


この四点のみが比較的明確な事実であって、その他はほとんど不明であるということがわかった。


 このような現在の状況を踏まえ、第二章以下では、「誰が袖図」屏風をめぐる諸問題の中でも、現時点では比較的確実な論の展開が可能であって、考察の余地を十分に残していると筆者が考える問題、すなわち、「誰が袖図」屏風にはどのような造形的特性があるのか、「誰が袖図」という図様自体が、どのような造形意識に沿って共有されるものであるのかという点に論を絞って考察を進めた。具体的には、少なくない数の作例が高い類似性で結ばれている点に注目し、類似作例の整理・検討を図る試みである。この考察の中で、現存「誰が袖図」屏風の多くが、ある特徴的な画面構成・衣装(形態・文様)表現を共有し、この共有される「図様の基本的骨組み」こそが、「誰が袖図」という画題そのものに根ざす表現形式であって、各制作者はそれを踏襲しながら制作したのではないかという筆者の論を提示した。


 「誰が袖図」屏風の多くの作は、既に定まった文様を既に定まった形に埋めていくという表現方法を共有する。しかもこの共有は、画風の異なる作例群間でも明確に認められる。まさに、各作例に共有される衣装と構図とは、様々な絵師・或いは工房が、それぞれに得意の手法で「誰が袖図」を描き出す際に、便利に引用できるような形であったのではないかということがいえよう。しかし、では、この共有される「形」そのものには、どのような意味が込められていたのか、という点に関して本論で明らかにすることができなかった。「誰が袖図」に関する研究の最終的な目的は、その図様上の趣旨が何であるのか、すなわち、「衣桁に衣装が掛かる様を描くことによって何が表現されているのか」を探ることにこそある。その意味において本論はその足がかりとなるものである。

2005年度 市長賞 総合芸術学科 総合芸術学専攻 4回生 奥田 晶子 Akiko Okuda

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