レンズの眼―中井正一の美学を出発点にして―
―(論文要旨)―
芸術と機械技術の関係を考えるにあたって、19世紀後半から20世紀前半という時代は機械技術による人々の意識の変革がなされた一つの転換期であると考える。この当時、急速に芸術の中に浸透していった光学機器である写真を取り上げ、写真のもつ<レンズの眼>がどのような形で芸術と関係性を結んでいったのかを美学者である中井正一の1930年代前後の論文を出発点として考えていく。
中井正一(1900-1952)が生きた時代はさまざまな科学技術による芸術が生まれ出てくる時代である。特に、1930年前後にあたっては一つの流行として「機械美」という用語がジャーナリズム上で頻繁に発せられた時代であることから、「機械美」について述べ、機械の一つの在り方として「写真」に焦点をあてた。本論考では、中井正一の論考を中心に「機械美」について再考することから始め、写真の歴史を振り返りながら、18世紀に生まれた写真の可能性が大きく広がったこと、実際の作品との間に機械の特性でもある量的変化だけではない質的変化が見られることに注意をしながら考察する。質的変化については、<レンズの眼>と社会性について考え即物性と「うつす」、光で「モノ」を捉えるということを考えながら「人間の眼」と<レンズの眼>について述べた。
結論を言えば、<レンズの眼>がもたらしたものは機械を介して世界を見るみかたであったのではないだろうか。人間の眼は見たいものを意識的に見る。例えば、本棚に並ぶたくさんの本を探すとき、眼の焦点は意識的に自分の選ぶ本に焦点があたる。しかし、機械を介するということは、いやおうなく機械というメカニズムによって意識の他にあったものの姿を引き受けるという機械の性格が入り込んでくるのだ。「カメラに語りかける自然は、眼に語りかける自然とは違う。その違いは、とりわけ、人間の意識に浸透された空間の代わりに、無意識に浸透された空間が現出するところにある。」とヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)が「写真小史」の中で述べる無意識に浸透された空間である。この機械を介して見るという当時において新しい性格の出現がもたらしたものは何だったのだろうか。これまで論じてきた作家が行っていたことは<レンズの眼>を使って「人間の眼」との間の境界線を考えていくことではなかったのではないだろうか。日常にある、普段何気なくすごしてしまっている世界を<レンズの眼>を利用して、もう一度見出すことをしている点である。中井正一の言葉をかりて言うならば「見る意味のマンネリズム、見る意味の日常性より脱すること」がこの当時の芸術において写真のもつ<レンズの眼>がもたらした質的変化の一つであったと考える。
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