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妙心寺天球院方丈障壁画・下間二の間「籬に草花図」における一考察

―(論文要旨)―


 京都市右京区にある妙心寺の北門より入って右側最初の塔頭、天球院には創建されてから370年以上たった今でも色あせない上質な障壁画群が残されている。天球院は池田信輝の第三女で、また姫路城主池田輝政の妹にあたる人で、天球院様と呼ばれていた女性の菩提寺である。寛永8年(1631)にこの天球院が建立され存命中にここで33回忌の法要までをすませた。天球院は方丈建築では一般的な6室構成を採用しており、天球院はこの6部屋ほぼ全ての障壁画が今日においても見ることができる。保存状態の良好さに加え、それが伝える寛永期の上質な芸術作品は早くから研究者たちを魅了してきた。


 本論の第一章では天球院障壁画についての先行研究の展望を行った。先行研究において天球院の障壁画群に向けられる関心は多くの場合、その特異な幾何学的画面構成とそれに付随して発生する筆者問題に向けられている。桃山期の大胆で豪壮な画面構成から装飾的で優美な画面構成と移行する過渡期に位置する天球院障壁画は、桃山と江戸の両方の気質を合わせもつ作品である。それゆえこれらを描いた筆者の特定が困難となっている。先行研究によるとこの筆者が狩野山楽・山雪のどちらか、もしくは合作であるなど見解はわかれるが、どの見解においても決定打に欠け、近年いささか水掛論となりつつある。そこで先行研究が筆者問題にとらわれ過ぎていることを問題点とし、天球院障壁画の本質に触れるような新しい視点からの言及ができないかと考え論を進める。二章以下、その要素を下間二の間「籬に草花図」の中に期待し検討を試みる。


 二章ではその特異な画面構成を決定づけている「籬」に焦点をあて、造形的ルーツを探った。籬は大和絵の主要モティーフとして古くから描かれており障壁画に描かれることも少なくない。しかし他の襖絵と比較しても「籬に草花図」は異質であり、その相違点をまとめると


 1. 籬の頂点が見上げる高さになること
 2. 部屋一周の約8割を一枚の籬でつないでいること。
 3. 画面中に直接外を示すものがほとんど描かれていないこと。
 4. 簡素な雰囲気はなく、多数の花々がむしろ豪華さを演出していること。


などが挙げられる。籬が画面の重心となり、またそこから横方向に広がりをみせる構図というのは、襖絵における大木を用いて展開する大画面構成と似ている。そこで天球院障壁画の中で大木を用いた画面構成がなされる上間二の間「花鳥図」と「籬に草花図」を比較してみると一見質の違う両者に同調するような表現がなされていることに気づく。天球院の「籬に草花図」の造形的な特徴は伝統的な大和絵の構図法を継承しているというよりも、それとは対照的な漢画的な大画面構成に当てはめられているといえる。


 上記のように造形的な一つの新しい見解が提示できたが、「籬に草花図」はそういった造形的特徴だけに集約できるものではない。第三章では依頼主である天球院殿の存在を視野にいれ、この作品にこめられた精神的なプランを、個々のモティーフの暗喩表現を紐解きながら探る。結果、描かれる花々は女性のあるべき理想の姿であり、籬は俗世との区切りかと想像されるのである。


 こういった見解は推測の域を脱するものではないが、モティーフに込められた意味を探るという視点から「籬に草花図」を再考することで、造形的な奇怪さ、筆者問題などだけにとらわれず障壁画本来の役割と意味を取り戻しその本質を探る手がかりになりうる余地はあると考えたい。

2006年度 同窓会賞 総合芸術学科 総合芸術学専攻 4回生 佐久間 智望 Tomomi Sakuma

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