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「具体」白髪一雄にみる,抽象画の可能性

―(論文要旨)―

序章 -研究に至った経緯、研究のねらい-
第1章 近現代美術における「抽象画」
 第1節 「抽象画」とは何か -その歴史と流れ
 第2節 日本における「抽象画」
第2章 「具体」の制作
 第1節 「具体」とは何か -具体美術協会の活動-
 第2節 国内外における「具体」のとらえ方
 第3節 尾﨑信一郎「生成と持続 具体美術協会再考」について
 第4節 絵画の「生成」と行為の「持続」
第3章 「具体」白髪一雄の、「絵画」
 第1節 白髪一雄の制作
 第2節 白髪一雄が語る絵画
 第3節 白髪の「絵画」についての記述 -生成と持続のその先-
 第4節 「みる」対象としての白髪一雄
終章 「具体」白髪一雄にみる「抽象画」とは


 本論は、具体美術協会に所属していた白髪一雄の「抽象画」 について、多角的に追究を試みるものである。1950 年代頃から活動を開始した具体美術協会(通称、「具体」)という作家集団に注目し、その代表的作家である白髪一雄に焦点を当て、史的・批評的観点と、制作の立場という観点、「みる」対象としての観点の3つの観点から再考する。


 研究の原点には、筆者の「抽象画への興味」が在る。「絵画」は、美術の形式のなかでもとりわけ歴史の長い形式であるが、 その「枠」のある二次元空間において、歴代の画家たちは伝統と革新を繰り返して来た。そして、戦後にとくに顕著であ る抽象表現への移行においては、「絵画」という形式自体を問うような絵画までもが生まれた。「絵画」という「枠」内において、表現できることは恐らく無限である。


 その中でも、抽象画は、制作する立場から考えると描けば 描くほど変化するものであり、どこで制作を止めるかの判断 の難しいものである。また、鑑賞する立場から考えると、「一 見わからない」ものであり、鑑賞の仕方に困る者は多いこと だろう。そのような難解さを抱える抽象画への興味は筆者に とって重要な部分を占めている。というのは、難しいからこそ、抽象画に可能性を感じているからである。抽象画にまつわる研究は、学部の頃に画家 M・ロスコの制作について行ったことがある。その際、鑑賞者を包み込むような大きな画面の裏にある、謎めいた色層を解き明かそうと考え、制作環境 や技法などの観点から、実制作も行い、追究を試みた。しか し一方で、国内の作家へもっと眼をむけるべきではないかと思うようになった。


 日本における抽象画は、どのように根を下ろし、どのよう な動向を辿って来たのだろうか。そこで、まずは日本の近現 代美術史における抽象画を概観した。そして、日本近現代美 術における抽象画の潮流の中でも、具体美術協会(通称、「具 体」)という作家集団がとても特異な存在に感じられた。なぜ なら、「具体」の作品は、美術館などで現在実際に目にすることができるものは、ほとんど「絵画」であるが、一方で活動 当時にはパフォーマンスやインスタレーションなどもあり、 とにかく野心的で多種多様なものだからである。集団である ので、一概にまとめることは出来ないが、彼らが産み出した 「抽象画」は「絵画」としても面白いものである。筆者自身、 初めて「具体」の作品を見たのは、美術館においてであり、 その時はまさか足で描いたり瓶を投げつけて描いたりしたな ど思いもしなかったが、「絵具の動き」が活き活きしていると 感じたことは覚えている。彼らは、「絵画」の中で何を成し遂 げたのだろうか。今回は、主に白髪一雄に焦点を当て、あくまでも「絵画」という枠組みを根底において追究することにする。


 まず、第1章では、近現代美術における「抽象画」につい て概観する。そもそも抽象画にはどのようなものがあるのか を、史実をもとに確認する。「具体」との関係が深いアンフォ ルメルについても触れる。その上で、日本において抽象画が 発生し、発展した様相を考察し、「具体」のおかれていた時代や環境を分析する。


 次に、第2章では、「具体」の制作について考察する。「具体」 の活動と作品、またはそれらにまつわるこれまでの批評を振 り返り、「具体」のとらえ方について考える。活動当時から現 在までの国内外の批評の変遷を辿ると、「具体」のとらえ方が いかに多様であったのかがわかった。当初「具体」については、「具体」全体を批評するものが多く、各作家の作品が「作品」 としての十分な解明がなされないままであった。そして、早急な理論構築のために、作品批評を飛びこえて一般論に陥りがちであった。その中でも、特に「絵画」という枠組みで「具 体」をとらえた尾﨑信一郎の論考「生成と持続 具体美術協 会再考」を先行研究として挙げ、その問題点と課題を掲げることにする。


 また、第3章では、「具体」白髪一雄の、「絵画」について、 分析する。白髪の制作と作品を考察した後、尾﨑の指摘する「絵画の生成と持続」について考える。確かに白髪の作品は、 アクションという制作過程と絵画という結果が混在するもの である。しかし、尾﨑の指摘するように、結果としての絵画 から制作過程を窺い知ることはできないということに異論を唱えたい。制作過程という時間が、絵画には刻まれており、 それは「物質」として「色彩」として絵具のかたちで残されている。「絵画」でなければ成し得なかった白髪の表現がそこには存在する。これを立証したい。また、最後には、「みる」 対象としての白髪作品を、鑑賞体験から考えたいと思う。


 さいごに、終章では、これらを踏まえて、「具体」白髪一雄 にみる「抽象画」を、冒頭で述べた3つの観点から再考し、 あらためて白髪の「抽象画」における可能性について論及す る。このことが、のこされた「絵画」としての作品を肯定的 にみることに繋がり、作品自体の「内」からの「みかた」を 広げ得る批評になればと願っている。

2010年度 大学院市長賞 大学院 芸術学専攻 院2回生 関 聖美 SEKI Kiyomi

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