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サンタ・コスタンツァの建築的性格

―(論文要旨)―


 集中形式建築という円形や正多角形などの平面をもつ建築は、洋の東西を問わず、死者を記念させるものが多いといわれている。我々のなかの奥深くに存在する死に対するイメージが、地域的に限定されることなく存在し、またそのイメージが建築に反映されている。なかんずく集中形式が持つ特殊な意味、魔術的ともいえる形態は、探究心をそそるのに十分である。


 上述した関心から、集中形式建築、とりわけ西洋のものを中心に調査していくにつれて、初期キリスト教時代という、古代ローマから中世への転換期であり、宗教的にも異教とキリスト教という二つの要素が混在した時代にたどりついた。


 とりわけサンタ・コスタンツァは、4世紀半ばというキリスト教公認後の比較的早い時期に建設されたことと、建築の用途が墓廟であることの2点から、時期的にも内容的にも、ローマ建築とキリスト教建築が混在しているという可能性を考えた。つまり、サンタ・コスタンツァはこの時代の特質とも言える混沌の象徴だとも言えるのである。上述した理由から、本論考ではサンタ・コスタンツァを対象に、その位置づけを考察し、さらに初期キリスト教時代という転換期の建築の片鱗を解明することを目的とする。


 第一章では、近年の発掘によって明らかとなった、サンタ・コスタンツァに先行する三葉形建築の用途を考察した。結果、当該の三葉形建築は、世俗建築である可能性は低いことが分かった。さらに、教会史の側面、とりわけ殉教者記念堂の成立と聖遺物崇拝の歴史から、Stanleyが推測した、殉教者記念堂やそれに準ずる役割を持っていたという可能性を補強した。よって、当該の三葉形建築は厳密にいえば殉教者記念堂ではない。よって本論考では三葉形の建築は、殉教者記念堂的な性格を有した、静かに祈りを捧げるための空間であったと規定して考察を進める。


 第二章では、サンタ・コスタンツァがローマ期の建築であることから、ウィトルウィウスの『建築書』との内容の符合を検証した。検証の結果、ウィトルウィウスの示す理想的神殿の比例に、サンタ・コスタンツァの比例が一致することがわかった。一方で花飾りや細部に至ってはウィトルウィウスが示す数値に一致しないことが分かった。しかし、サンタ・コスタンツァのような形態の建築についての言及はなく、そのことから、形態は『建築書』に由来するものではないことが指摘できる。では、サンタ・コスタンツァの形態は何に由来するのか。


 第三章では、ローマの墓廟建築とサンタ・コスタンツァを比較検証した。検証結果から、サンタ・コスタンツァの場合は、壁体で建物の外壁を形成し、内壁にニッチを巡らせるという古代ローマの墓廟建築の伝統を引き継ぐ要素を持つと確認できた。だが一方で、柱によって内部空間が分割されるという点や、三方のニッチを他より大きく設けるという点など、他の墓廟建築には見られない構成要素が確認された。以上の点は、サンタ・コスタンツァが、墓廟建築ではない、別の建築の構成を導入した可能性を示唆している。


 第四章では、第三章の検証の結果を踏まえ、聖墳墓教会堂とサンタ・コスタンツァを比較した。検証の結果、サンタ・コスタンツァの構成要素のうち、墓廟建築に依拠しないものは聖墳墓教会堂に由来するとわかった。


 しかし、ここで疑問が残る。聖墳墓教会堂はキリストの墓を安置するための、いわば機能的側面に起因する形態である一方、サンタ・コスタンツァが墓廟という機能だけを保持するなら、その形態は墓廟という機能からは説明できない。


 よって本論では、第一章の三葉形建築の礼拝堂的性格を、サンタ・コスタンツァが受け継いでいるのものだと結論付ける。

2010年度 市長賞 総合芸術学科 総合芸術学専攻 4回生 小嶋 千賀子 KOJIMA Chikako

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