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芸術を取り巻く場の変容-美術展と祭礼との接近を手掛かりに-

―(論文要旨)―


 作品とその受容の動向は、常に美術の様式と並行して流れ続けている。21世紀に入り、グローバル化や情報化社会の展開に対する人々の様々な反応の中で、芸術のあり方も大きなうねりを伴ってきている。昨今の動向は、作品を単に鑑賞するだけではなく、作品があるその空間を体感する、その空間こそが作品であるというような形が見られる。本研究ではまずこのような作品展示の変遷をとらえる。特に新興の大型美術展では、体感する作品やその場との関わりから成立する作品が増えてきている。またこれらの作品の背景に様々な形の「記憶」という要素が役割を果たしていると考えられる。このような作品と記憶との関係性や「記憶を紡ぐ」という行為から、作品空間は従来から脈々と続いている祭礼的な場に再び接近し、さらに今の時代性を帯びた新たな形態となってきているのではないか。新興の大型美術展を素材として作品展示の変遷を捉え、21世紀の大型美術展のあり方や芸術を取り巻く環境についての一考察をすることが、本研究の狙いである。

 

 まずは「瀬戸内国際芸術祭」や「神戸ビエンナーレ」など複数の新興の大型美術展を取り上げ、作品空間の特徴をみる。都市や地方、港湾や山間など様々な場所で興っている美術展において、抽出した作品には形態の連続性という特徴があり、それらは展示空間や地域の特質が加わって、はじめて作品として成立している。またその表現が成立する背景に、作家・地域住民・鑑賞者が抱く様々な形の記憶の層がある。このような芸術を通して地域の記憶を紡ぐ営みからは、祭礼的な構造が想起される。そこで従来からある祭りの構造と比較する。

 

 長い歴史を有している祇園祭、特に山鉾巡行に注目すると、持続可能性に関わる5つの要素が浮かび上がる。町を練り歩く構造・美術品の存在・担い手・記憶の継承・子供が関わり継承されていく構造である。祭りは寺社内などある特定した場所のみで行われていない。山鉾の山車が点在し通りを練り歩く仕組みがあることで、人々も通りを歩き回るという構造が生まれる。通りを歩くことで、人々は京都の町の歴史や風土を自然と体感する。装飾品は第一級品であり繊維町としての記憶に関わる。祇園祭は町衆が担い手なり、準備・修繕・見直しなど、1年を通して繰り返し繰り返し続いていく営みとなっている。その暮らしの中で子どもも祭りに参加し、祭りを継承していく。このようにみていくと、祇園祭には、時間的・空間的、そして世代をつなぐ循環的な構造があり、それが持続性と大きく関わっていると言える。 

 

 新興の大型美術展の具体的な事例と比較すると、美術展においても先に挙げた要素を様々な形で捉えることができる。この変化は、「日本国際美術展」や「現代日本彫刻展」などの過去に興った国際的な美術展と比較するとより明確となる。過去の国際美術展では、作品は単体として成立しており、作家の関心や社会性をふまえ、テーマに基づいた特別展という印象が強い。さらに海外の事例と比較すると、韓国の「光州ビエンナーレ」からは、都市間競争における国際性への志向と地域性という二極化する国際美術展の姿がみえてくる。さらに西欧の事例となる「ヴェネツィア・ビエンナーレ」をみてみると、美術展と同時に中世の建築空間は今もなお屹立しており、テーマパーク的構造がある。またその祝祭のあり方は、地域との関わりへと向かう内向きなベクトルではなく、日常から離れた特別な時空間としての祭典の場である。このことからも同じ体感する構造へと向かう変遷において、日本の新興の大型美術展が、従来からの祭礼的な構造により接近していることが分かる。同時にそれは、美術展による街づくりへと変容している現れでもある。またこれらの社会的な背景としては、コミュニティの再興という社会問題がある。


 このように新たに起こってきた社会的な要因に直面しながら、美術展は展から祭への変遷があり、従来からある祭礼的な循環構造に接近している。美術展は時代性と地域性との調整という課題を抱え、今後は鑑賞者だけではなくサポーターという内向きへの働きかけが果たす役割が強くなってきている。それは新たな価値観の創出であり、人々のライフスタイル構築に関わってきている。街づくり・コミュニティの復権という社会的な問題との関わりから、今新たに創造都市、創造界隈形成への動きがあるように、もはや美術展という枠を超えた価値観の転換のための創造行為こそが21世紀の芸術の動向である。

2011年度 大学院市長賞 大学院 芸術学専攻 院2回生 山下 晃平 YAMASHITA Kouhei

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