平成27年3月23日,平成26年度美術学部・音楽学部卒業式並びに大学院美術研究科・音楽研究科学位記授与式を執り行いました。
美術学部130名,音楽学部65名,美術研究科修士課程62名,音楽研究科修士課程28名,美術研究科博士課程12名,音楽研究科博士課程2名が,門川大作京都市長をはじめ来賓の皆様,保護者の皆様,教職員に温かく見守られ,卒業式並びに学位記授与式に参加しました。
今年も,例年どおり,美術学部・大学院の多くの学生は,映画やテレビ,アニメのキャラクター,昔話の登場人物など,自作の仮装で出席しました。中には,子どものいる学生が子どもと一緒に学位記を受け取ったり,携帯電話を使ったミニコントをしたりと,壇上での演出にも趣向を凝らし,会場は笑顔が絶えず,本学らしい和やかでアットホームな式となりました。
卒業生・修了生の皆さん,本当におめでとうございます。
本学一同,皆さんのご活躍を心から期待しております。
<学長式辞>
本日,ここに,門川大作京都市長をはじめとして,美術教育後援会,音楽教育後援会,美術学部同窓会,音楽学部同窓会のご来賓の皆様のご列席のもとに,美術学部卒業生130名,音楽学部卒業生65名,美術研究科修士課程修了生62名,音楽研究科修士課程修了生28名,美術研究科博士課程修了生12名,音楽研究科博士課程修了生2名の卒業式ならびに大学院学位記授与式を挙行するにあたりまして,式辞を述べさせていただきます。
学部卒業生,大学院修了生の皆さん,おめでとうございます。皆さんはこれから美術家として,音楽家として,また芸術の素養を生かしたそれぞれの専門家として,社会に羽ばたき,あるいはさらに勉学を深めるべく大学院に進学しようとしています。いずれの道に進まれるにしても,本学に学んだ年月は皆さんにとって決定的な意味をもっているに違いありません。
私はこの日を迎えたのを機会に,あらためて芸術大学とは何であるのだろうかと考えてみたのですが,学長という立場にある私自身の目から見ても,それは実にユニークな特権性を持った場所であり,時間であるように思えてなりません。芸術大学は一義的には芸術についての知識と技術を身に付ける場所ということになるのでしょうが,単にそれだけのことであれば,必ずしも大学である必要はないし,一律に4年間を過ごさなければならないという理由もないはずです。私は芸術大学での,とりわけ本学での学生生活は,アーティストの道を目ざすという,同じ志をもった若者たちにとっての,一種のモラトリアムの期間ではないかと考えているのです。
そんなことを口にすると,昨今の実学重視の風潮からすれば,無意味な時間の浪費だ,本学を支えている市民の方々の期待に背く話だと反発を買ってしまうかもしれません。たしかに皆さんの中にはピアニストになるために,画家になるために大学の門をくぐったのだから,一日たりともレッスンを欠かしたことはない,キャンバスに向かわない日はないという方も少なからずおられることでしょう。それはそれで充実した日々であり,有意義な学生生活であったに違いありません。
しかし中にはアーティストとしての適性に自分で疑問を持ってしまったり,何が本当にやりたいのかが分からなくなってしまったり,あるいは専門外のことにも興味を覚えてしまったりという方もいるのではないでしょうか。そのような迷いや悩み,選択肢の広がりは,実社会に出てしまえばマイナスの要素と捉えられかねない,優柔不断さと見なされかねないのですが,大学にあってはそこに立ち止まって考え込むことが許されている,いやむしろ,そうした時間をもつことこそが成長の糧となる経験として重要視されているのです。
大学には他の場所にはない特権的な時間が流れています。その特権とは情熱をもって制作や研究に没頭できることであると同時に,悩み,迷い,逡巡し,試行錯誤することが許されるという特権でもあります。学窓を離れて社会に羽ばたいていく皆さんは,これからは考えてから走るのではなく,まず走ってみる,そして走りながら考えることを余儀なくされるでしょう。事実,私も久しくそのようにして駆け続けてきました。このことは皆さんがアーティストとして自立するためにはきわめて重要なことです。実際に行動を起こしてみて初めて見えてくることが多々あるのです。事前にいくら考えておいても,ものごとは予想通りには運ばない。イギリスの詩人,オーデンの作品や大江健三郎の小説のタイトルとしても知られる<見る前に飛べ>という格言は,たしかに一つの真実を突いた言葉であるのかもしれません。
しかしだからといって大学でのモラトリアムの期間が無意味な時間であったということにはなりません。佇みながらじっと思いを巡らしていること。後で考えれば,なんであんなことに迷っていたのだろうと思われることもあるでしょうが,そんな一見,無駄な時間こそが,そうと気づかぬままに次のステップを準備していることもあります。結果として挫折や失敗が待ち受けていたとしても,学生時代ならそれも将来において修正することが可能な貴重な経験となりうるのです。
かくいう私も皆さんの年頃には,美術の道に進むのか,文学の道に進むのか,具体的にいうならば美術評論家になるのか,詩人になるのかという二者択一に激しく迷っていました。その後,社会に出てからは自ずとこの二つの立場を並行して進めるようになったので,何もあれほど迷う必要はなかったことになるでしょう。でも考えてみれば,ことの本質を突き詰めて追求しようとする純粋さがなければ,迷うということもなかったはずです。踏み出す前に真剣に悩んだあのモラトリアムの日々があったからこそ,詩と美術以外の選択肢は消え去り,芸術の道を歩むという軸線を踏み外さずに歩んでこれたということもできそうです。
今日,卒業される皆さんの多くは,私とは違ってすでに進むべき道を明確に自覚しておられることでしょうが,もし迷いが生じたり自信を失った時には本学にふらりと戻ってきて,研究室を訪ね,特権的なモラトリアムの雰囲気にひととき,触れてみるのもいいでしょう。私はこうした他にはない時間がゆったりと流れている,不思議といえば不思議なアーティストたちの共同体である京都市立芸術大学を本当にチャーミングな大学だなと,最近改めて思うようになりました。
式辞にはふさわしくないこんな個人的な感慨をあえて述べさせていただくのは,皆さんもすでにご存じかもしれませんが,私もまたこの三月で京都芸大を去ることになるからです。あっという間に過ぎ去ってしまった学長としての四年半は,ほぼ皆さんの在学期間と重なっていることになりますが,それは私にとってはモラトリアムであるどころか,実にさまざまなことに立て続けに対処しなければならなかった慌ただしい,しかしまた祝祭のように活気に満ちた歳月でした。着任早々には大学の法人化という運営体制の変革があり,目下は本学の大きな飛躍の契機となるに違いない京都駅前地区への移転構想の策定作業が進行中です。その他にも国際交流の拡大,日本音楽研究専攻の設置,音楽学部60周年記念事業,芸術資源研究センターの創設などに取り組んできましたが,どれも学内の合意のもとに進められ,また京都市との共同作業も順調であったことは,大変幸運なことでした。こうした改革は今後も途切れることのない課題であり続けることでしょうが,しかし京都芸大ならではの世知に煩わされることのない麗しい時間の流れはぜひ維持していただきたいものです。この場を借りて大学の取り組みにご理解をいただき,支援を惜しまれなかった門川市長に,また同窓会の方々,学生諸君と保護者の皆さま,同志ともいうべき本学の教職員の諸氏,そしてなによりもあたたかい目で見守って下さった京都市民の皆さまに心から感謝申し上げる次第です。
モラトリアムの期間を終えた学生諸君がこれから出て行かれる世界では,容易には解決しがたいさまざまな現実的な難問が待ち構えていることでしょう。しかし若々しいエネルギーに満ちた皆さんの活躍によって,必ずや新たな展望が切り開らかれるものと期待しています。本学に学んだことを基盤にしながら,アートの王道をたくましく歩んでください。
皆さん,本当におめでとうございます。これをもってお祝いの言葉とさせていただきます。
平成27年3月23日
京都市立芸術大学長
建畠晢