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平成29年度学部卒業式並びに大学院学位記授与式を開催

2018.03.23

 

 平成30年3月23日,平成29年度美術学部・音楽学部卒業式並びに大学院美術研究科・音楽研究科学位記授与式を執り行いました。

 美術学部124名,音楽学部60名,美術研究科修士課程53名,音楽研究科修士課程24名,美術研究科博士課程7名,音楽研究科博士課程4名が,門川大作京都市長をはじめ来賓の皆様,保護者の皆様,教職員に温かく見守られ,卒業式並びに学位記授与式に参加しました。

 今年も例年同様,美術学部・大学院の多くの学生は,趣向を凝らした自作の仮装で出席し,卒業証書授与の際には講堂内に笑いが溢れました。また,音楽学部の学生が答辞を読み終えた後,声楽専攻の学生一同が『仰げば尊し』を合唱。このサプライズに鷲田学長も思わずほろり。

 笑いあり,涙ありの本学らしい和やかでアットホームな卒業式となりました。

 卒業生・修了生の皆さん,本当におめでとうございます。

 本学一同,皆さんのご活躍を心から期待しております。

                   

平成29年度卒業式式辞

 本日ここに集われた美術学部124名,音楽学部60名の卒業生のみなさん,大学院美術研究科53名,音楽研究科24名の修士課程修了生のみなさん,そして美術研究科7名,音楽研究科4名の博士課程修了生のみなさん,ご卒業ならびにご修了,まことにおめでとうございます。ご臨席いただいたご家族のみなさまにも心からお慶び申し上げます。

 また,門川大作京都市長をはじめ,美術教育後援会,音楽教育後援会,美術学部同窓会,音楽学部同窓会のご来賓のみなさまにもご列席いただけましたことに,京都市立芸術大学を代表して深く感謝申し上げます。

 さて,この2月には美術学部・美術研究科のみなさんの制作展をたっぷりと見させていただきました。作品のみならず,フレームや部屋のレイアウトにまで神経を研ぎ澄ますその手抜き無しの作業に感じ入りました。

一昨日は音楽学部の卒業演奏会を今年もステージの袖で聴かせていただきました。演奏直前にエレガントなドレス姿で腕をぐるぐる振り回したり,シコを踏んだりする姿に,一回の演奏をどれほど大切にしているかを肌で知りました。また毎月,わたしの執務室で開かれるコンサート「ムジカジカン」には,音楽学部のみならずときには美術学部の有志も参加してくれ,至近距離でみなさんの息遣いを感じてきました。刃物のように鋭い集中力と,体の痼りを解いてくれるような穏やかな空気に,職員やわたしたちは,ときに胸に何かがぐっとこみ上げるような思いすらしました。ほんとうにありがとう。

 さてその卒業制作,そして卒業演奏には,いつも驚愕させられます。先生方からは厳しい言葉が返されるのかもしれませんが,わたしには「凄い」という言葉しか出てきません。わたしにも若い頃,絵と楽器演奏にのめり込んでいた時期がありますので,そしていずれもかなりの期間取り組んだうえでついに挫折したので,あなたがたがみな人並み外れた才能を持っていることはよくわかります。だからわたしはみなさんに対しては「学長」ではなく「応援団長」を名のってきました。入学時にはまだ「原石」でしかなかったその才能を,あなたがたはこの4年間で,ときに深く迷い,ときにもがきながらも,しっかりと磨いてこられました。ですから今日ここで,みなさんのこれまでの研鑽を,「応援団長」として心から祝福したいと思うのです。

 ただ,その才能は,あなたがた一人ひとりのものではありません。才能(talent)という語にはよくgifted(「恵まれた」とか「天賦の」)という形容がなされるように,それはあなたがたに贈られたものでもあるのです。「原石」は,それを磨いてくれる人,磨かせてくれる環境,さらにはそれを磨くことに専念させてくれる人びとの支えがあってはじめて輝きを得ます。そういう意味で,贈られたものなのです。

 それとともに,「贈られた」ということにはもう一つ,別の意味も含まれています。贈られたものは贈り返されねばならないという,言ってみれば「義務」ないしは「責任」のことです。「義務」や「責任」というと,日本語ではとても堅苦しい感じがしますが,「義務」は英語ではobligation。興味深いことにこの語には「恩義」や「感謝」という意味もあります。たとえば今日わたしがこうしてあるのは誰々のおかげだ,と言うことがありますが,そのときの「誰々に負う」という感じ,その拘束感が「恩義」や「感謝」というものです。ポルトガル語のobligadoも「ありがとう」という感謝の表現です。

そして次に「責任」。日本語では責めを負うといった厳しい意味でありますが,英語ではこれはresponsibilityです。この語を分解するとrespoondとability。つまり誰かの訴えや促しに応じることができる,あるいは応える用意があるということです。もういちど言いますが,才能を贈られた人には,この贈り返すということが「義務」ないしは「責任」としてあるということです。

 卒業後,みなさんは,自身で芸術をさらに究めてゆく道を選ばれるにしても,あるいはそれを企画したり,下支えしたりする道に進まれるにしても,その道は果てしなく長いし,迷いや不安もずっとつきまとうことでしょう。でもその迷いや不安のただなかで,じぶんがしたいこと,しようとしていることの再確認とともに,じぶんがじぶんを応援してくれた人びとから何をすべく期待されているかということも一度ならず顧みてほしいのです。

わたしたちが孤独な状態のなかで独り抱え込んでいると思っている苦痛や不安も,けっして個人のプライベートなことがらではありません。家族や地域から国際情勢まで,じぶんが一定の歴史的なコンテクストのなかに生まれ落ちたこととつながっています。じぶんの個人的な傷や不安も,表現行為も,このようにことごとく時代のなかにあるということを,しかと見つめてほしいのです。

 「わたし」というのは,銘々がそう思っているほど確固としたものではありません。「わたし」の表現とは,じつは「わたし」の存在が負っているものすべての表現でもあります。その意味でいかにプライベートに見える表現も,同時に「時代」の表現なのです。

 そう考えると,制作する「わたし」,演奏する「わたし」とは,じつは時代がみずからを表現するときの〈器〉のようなものだということになります。そういう〈器〉として「わたし」に何ができるのか。みなさんにはそういう視点を,いつも持っていてほしいと思います。みなさんはこれからも多くの苦難を経験されるでしょうが,その苦難は他の人びとの苦難,困窮ともつながっているということ,つまりは時代の痛みでもあるということ,そのことをよく知る〈器〉となってほしいと思うのです。

 この〈器〉ということについては,みなさんの先輩で,長く京都のVOICE GALLERYを拠点にアーティストたちを支える仕事に取り組んでこられた松尾惠さんが,別の言葉で次のように述べておられます。

芸術家は,自身をふくめて,種々の境遇や状況など,叫びやつぶやきに耳を傾け,社会が見ない・聴かない小さな個人を代弁し,その存在を形にする重要な存在なのである。……〔その意味で〕芸術は,経済や福祉やその他の社会的サービスのすべてに共通する概念なのだ。

(「京都新聞」2018年2月23日夕刊)

 と。これ,すごく大事なことです。

 そして〈器〉ということについては,さらにもう一人,歴史社会学者の山内明美さんが『こども東北学』という本のなかで,とても大切なことを書いておられます。

放射能汚染の不安が日本社会を覆いはじめたとき,わたしがいちばんはじめに感じた違和感は,いま起きている土と海の汚染が,自分のからだの一部で起こっているということを誰も語らないことだった。遠くの災いみたいに話をしている。

 彼女は宮城県の出身です。東北は,じぶんが住んでいる場所なのに「東北」と呼ばれ,「みちのく」(道の奥)と呼ばれてきた地域です。ずっと「中央」に兵力と労働力と食糧を供給するばかりだった「地方」です。震災をきっかけにこの地の歴史をあらためて辿るなかで山内さんが衝撃をもって気づいたのは次のようなことです。かつて冷害や干ばつでたえず飢饉の不安に苛まれてきたこの地方にあって,土に雨水がしみ込むことをじぶんの体が「福々しく」膨らむことと感じる,そうした土や海と人とのつながりを,魚や野菜や穀物と人とのつらなりを,この地の人びとがもっていたということです。そういう人たちであれば,土や海の汚染も「遠くの災い」ではなく,わが身の痛みとして感じたはずだというのです。

 ここから,〈器〉という考え方の持つ,さらにもう一つの重要な意味が浮かび上がってきます。〈器〉はつねに何かによって充たされるのを待っているということです。芸術についていえば,先ほども少しふれましたが,絵画であれ,彫刻であれ,デザインであれ,演奏であれ,つねに「表現」ということが問題にされます。「表現」とはexpression,この語を分解すれば,内にある何かを「外へ」と「押し出す」ということです。「表現」行為に取り組んできたみなさんは,だから何を「表現」というかたちで外へ押し出すかをずっと考えてこられたことと思います。けれども〈器〉という考え方は,これとは違います。〈器〉は何か別のものに充たされるのを待つからこそ,〈器〉なのです。

 音楽の楽譜に,Wie aus der Ferneという指示表現があるそうです。Wie aus der Ferneとはドイツ語で《遠くからやってくるように》という指示です。『グレン・グールド 孤独のアリア』という本を書いたミシェル・シュネデールによれば,この指示表現は,シューマンの〈ノヴェレッテ〉作品21の最終曲や〈ダヴィッド同盟舞曲集〉作品6の第18曲,ヴェルクの〈ヴォツェック〉419―421小節などにあるそうです。シュネデールはその指示表現を,「音が遠くからやってくればくるほど,音は近くからわたしに触れる」というふうに解釈しています。そんな「驚くほどに音が遠くにある感じ」で生きつづけるものとして音楽を聴くのがわたしは好きだというのです。

 はるか遠くからの音に耳を澄ます,そのことがまるでじぶんの内深くから響いてくるように感じられるところに音楽のほんとうの凄さがあるということなのでしょう。はるか遠くの生きものの声が生きものとしてのわたしを知らせる,はるか遠くの動物の声がわたしを動物としてのわたしに向きあわせるということなのでしょう。

 いまいちど山内明美さんの言葉を引けば,山内さんはこう書いていました。《放射能汚染の不安が日本社会を覆いはじめたとき,わたしがいちばんはじめに感じた違和感は,いま起きている土と海の汚染が,自分のからだの一部で起こっているということを誰も語らないことだった》と。そして続けて,土に雨水がしみ込むことをじぶんの体が「福々しく」膨らむことと感じられるような感受性をなんとか回復したいと言っていました。芸術的な資質とは,まさにそうしたものではないでしょうか。詩人がしばしば,言葉を探すのではなく,言葉が降りてくるのを待つという言い方をするのも,きっと同じことをさしているのだと思います。

 今日,みなさんの旅立ちへの餞の言葉としては,わたしの話はややもすればうねりすぎ,いちど聞いただけではわかりにくかったかもしれません。でも,みなさんにはどうか,芸術を人生の軸として生きるとは,独創的な表現の〈主体〉になることではなくて,社会の〈器〉になることだということを心に留めておいてほしいと思い,あえて長々しい話をしました。

 その長い話の最後に,昨年と同様,激励の言葉を贈らせてください。みなさんはこの先きっと何度も,道に迷ったり,目の前の道が消えたり,分かれ道で途方に暮れたりすることがある。でも,この大学で何度も何度も演奏と制作のプロセスを歩み抜いた経験,いいかえると,芸術にいちど寝食を忘れるまでにとことん取り組んだ経験は,あなたがたの身体にしかと痕跡を残し,このあとかならず大きな財産になるはずです。どうかみなさんには,これからどのような場所で,どのような職業によって芸術にかかわり続けるにしても,芸術をつうじて,同じ時代を生きる人びとの歓びや悲しみ,苦しみに深く寄り添い,どんな苦境のなかでにあっても希望の光を絶やさぬよう,力を尽くしていただきたいと心底願っています。そのような芸術の深い慈しみの光が,これからもずっとみなさんに向かっても射し続けることを祈りつつ,以上,私からの祝福の言葉とさせていただきます。

 さようなら。また逢えるその日まで,どうかごきげんよう。

平成30年3月23日

京都市立芸術大学 学長

鷲田清一