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「ヴィデオ・ゲーム・アート」におけるゲームアートの意味について -1996年から現在に至るまでの作品・展覧会の観点から-

 論文要旨

 近年、情報技術が社会生活の基盤として確立しつつあるなか、オンラインゲームや、Youtubeなどの動画配信サービスを介したゲーム実況などを含め、子供から大人まで性別年齢を問わず、ビデオゲーム文化が人々の日常生活の中に深く浸透している。

 本研究は、ゲーム環境やインターネット環境が人々の日常的な文化的基盤となっている状況下において、いままさに隆盛しつつある新たな芸術文化に焦点を当て、その中でも特に、1990年代よりにわかに出現し、近年、現代美術の中の新たなジャンルとして注目をあびつつある「ヴィデオ・ゲーム・アート」を取り扱う。

 「ヴィデオ・ゲーム・アート」とは、ビデオゲームを媒体とし、その操作や空間、構造などに焦点を当て、ビデオゲームの背後にある意味・可能性をメディア・アートとして表現するものである。

 一般的なビデオゲーム研究は、文化的意義や、科学的分野とジャンル問わず盛んに行われているが、その一方で、ビデオゲームとアートが融合した「ヴィデオ・ゲーム・アート」は、表現分野としてまだ歴史も浅く、現在進行形で研究が進んできている領域である。それゆえに、その言葉の指す定義は様々である。一般的な議論の多くの場合において、ゲームアートと呼称すると、ゲーム内のキャラクターデザインについての言及や、ゲーム内オブジェクト・グラフィックなどの造形性について論じられる場合が多い。しかし本研究では、一般的に認識されている意匠的なものではなく、現代的な美術表現やメディア・アートの文脈にのっとって、ビデオゲームを取り扱い、作品の意味や文脈などについての調査を進め、ビデオゲームとプレイヤー、および作品と鑑賞者の関係性を相対化しながら「ヴィデオ・ゲーム・アート」の持つ芸術的意義について検討する。

 調査は2018年に東京都・初台のNTTインターコミュニケーションセンターにて開催された「ヴィデオ・ゲーム・アート」に関する、日本での大規模な展覧会『イン・ア・ゲームスケープ ヴィデオ・ゲームの風景,リアリティ,物語,自我』を起点とし、「ヴィデオ・ゲーム・アート」の創始者の一人であるミルトス・マネタス(Miltos Manetas, 1964-)の「スーパーマリオ・スリーピング」(1997)をはじめとする作品例を挙げながら、ゲームアートに関する文脈的背景についてをまとめる。作品の基礎となるビデオゲームについての技術的な背景の概要を発表方法と制作方法の二つの観点から整理した。次に、関連する展覧会のアプローチ構成を三つのテーマに分類し、それぞれ作品考察を行い、さらに、「ヴィデオ・ゲーム・アート」研究における第一人者であるキュレーターやアーティストの言説や活動について掘り下げている。

 そのように調査を進めていく中で浮かび上がってきたのが、ゲームのシステムやステージ、ストーリーなどといった普段我々がビデオゲームとして関わっているものの異なった見え方を見せる、現代芸術作家やメディア・アーティストによるアプローチである。加えて、「ヴィデオ・ゲーム・アート」は、本来ビデオゲームをプレイするうえで必要不可欠なプレイヤーからの干渉が一切断たれていることから、ゲーム世界はその空間内で完結、自律し、元来のビデオゲームの持つ、プレイヤーとのインタラクティブな関係性が失われたものであることがわかる。インタラクティブな要素を多く含んでいるメディア・アートの派生として発展してきたジャンルであるが、その枠からはみ出た表現方法に「ヴィデオ・ゲーム・アート」の重要性が隠れているのではないだろうか。メディア・アートからもビデオゲームからも一歩引いた新たな芸術形式を生み出すことで、どちらから見ても相対的な立場となっているのである。

2020年度 奨励賞 総合芸術学科 総合芸術学専攻 学部4回生 森 侑美 MORI Yumi

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