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ティツィアーノとラファエロ研究 《ゴッツィ祭壇画》と《フォリーニョの聖母》におけるフランチェスコ会厳格派とのかかわり

本研究は、これまで大きく取り上げられることのなかったティツィアーノ·ヴェチェッリオ(1488/90-1576)とラファエロ·サンツィ(1483-1520)のライヴァル関係に着目し、特に1510-30年代における両者の関係性を複合的な考察から解き明かそうとするものである。

ティツィアーノ研究において、ラファエロ作品との比較や影響関係の指摘はしばしば行われてきた。一方でそれらの多くは、作品の構図や人物のポーズといった外観上の類似を指摘するに留まり、両者が互いの情報を知り得た経緯や、互いに対して抱いていたであろう意識などの具体的な実情に踏み込まれていない。確かに、彼らの年齢や活動時期·地域の違いは、その関係性を一見不明瞭なものにしている。しかし、ティツィアーノがヴェネツィア外へと活動を広げる1510-30年代において、彼の主要なパトロン達は皆ラファエロへの強い憧れを抱いており、こうした状況に鑑みれば、彼はこの時期にラファエロを強く意識せざるを得なかったと思われるのだ。本論では、この研究課題の一環として、ティツィアーノ作《ゴッツィ祭壇画》(1520)とラファエロ作《フォリーニョの聖母》(1511-12)を取り上げる。

この2作品の類似はこれまでに広く認められてきた。「聖会話」を主題とする両作は、その構図に加えて、「雲に座して浮かぶ聖母子」という特異な図像においても共通している。《ゴッツィ祭壇画》の着想源として、先行研究では専らラファエロに基づく版画が指摘されてきたが、画面上部の聖母子のみを表したこの版画は参照元としては不十分であろう。一方これまであまり注目されてこなかったのは、両作がいずれもフランチェスコ会における重要な教会の主祭壇を飾っていたということである。本論では、この2つの祭壇画を「無原罪の御宿り」絵画の文脈に位置づけ、フランチェスコ会とのかかわりから再検討する。

「無原罪の御宿り」とは、聖母マリアが予め原罪を免れていたとするカトリックの教義であるが、修道会創設時からこれを擁護し、神学上の理論形成に大きく貢献したのがフランチェスコ会であった。聖書に明確な記述が無いこの教義の図像は、その典拠とされた聖書や外典の引用句を主な拠り所とする。複数の典拠の選択あるいは組み合わせによって図像は異なるため、一義的な図像が確立する17世紀以前には、実に多様な「無原罪の御宿り」絵画が生み出された。そうした中で、《フォリーニョの聖母》と《ゴッツィ祭壇画》にはこの教義の典拠である『ヨハネの黙示録』や『シラ書』の一節との関連が窺え、とりわけ『シラ書』は、フランチェスコ会において無原罪の聖母の最も重要な典拠とされていたのである。

加えて、上述の2作品と同様の図像を有するガロファロの《スクセナ祭壇画》(1519年以降)が、両作とこの教義の関連を裏付けているだろう。というのも、本作はフェラーラにあるフランチェスコ会教会において、「無原罪の御宿り」の礼拝堂に設置されていたのだ。さらに、これら3点の祭壇画が設置された教会は全てフランチェスコ会の中でも厳格派に属していることから、ここで採用されている共通の図像が当時のフランチェスコ会厳格派によって推進されたものである可能性を指摘することが出来る。

よって本論では、《ゴッツィ祭壇画》におけるラファエロの参照は、フランチェスコ会厳格派が推進する図像として注文時に教会側から要請されたものと結論づける。そしてこの場合、ティツィアーノは同修道会のネットワークを介してラファエロ作品の情報を得たと考えられる。さらに本作でのラファエロ学習は、画家がこの直後に別の教会の「無原罪の御宿り」礼拝堂のために描いた《ペーザロ祭壇画》(1519-26)にも大いに活かされたであろう。

2021年度 大学院市長賞 大学院 美術研究科 芸術学専攻 修士2回生 大熊 夏実 OGUMA Natsumi

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