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令和6年度入学式を挙行しました。

2024.04.10

 令和6年4月10日、令和6年度京都市立芸術大学入学式を執り行いました。

 美術学部135名、音楽学部65名、大学院美術研究科修士課程65名、博士(後期)課程7名、大学院音楽研究科修士課程26名、博士(後期)課程2名、の総計300名が、松井孝治京都市長をはじめご来賓の皆様、ご家族の皆様、教職員に温かく見守られ、入学式に参加しました。

取組の様子
取組の様子
取組の様子
取組の様子

 会場時間に合わせ、阪哲朗教授の指揮により音楽学部の学生有志が W.A.モーツァルト「ディベルティメント kv.138」及び P.I.チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」より第1楽章を演奏し、新入生を迎え入れました。続いて開式とともに、同じく音楽学部学生有志がP.デュカス「ラ・ペリ」のファンファーレを披露しました。新入生代表による宣誓が行われる中、新入生はそれぞれの思いを胸に抱き、期待に満ちた表情で参加していました。

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。教職員一同、皆さんの大学生活が実りある人生の1ページとなるようお祈りするとともに、心からお祝い申し上げます。

取組の様子
取組の様子
取組の様子
取組の様子

令和6年度入学式 学長式辞

 本日ここに集われた美術学部135名、音楽学部65名のみなさん、大学院美術研究科65名、音楽研究科26名の修士課程のみなさん、そして美術研究科7名、音楽研究科2名の博士(後期)課程のみなさん、総勢300名のみなさんの入学並びに進学、誠におめでとうございます。京都市立芸術大学を代表いたしまして、みなさんを心から歓迎いたします。

 また、松井孝治京都市長、並びにご来賓の皆様方におかれましては、ご多用のなか、ご臨席たまわりましたことに、教職員を代表いたしまして深く感謝を申し上げます。

 さて、本学の起源は1880年に開かれた「京都府画学校」にあります。幕末からの戦火や遷都により、まちが衰退していた京都で、絵を描く力を身につけることで、襖や掛け軸の制作はもとより、京焼や友禅、西陣織といった産業に資する人材を育て、京都の再興を目指そうとしたのが、当時の画家たちでした。彼らの進言によって京都御苑の中につくられたのが、日本初の公立の絵画専門学校「京都府画学校」です。
 そして戦後復興が進む1952年、やはり全国初の公立音楽大学として「京都市立音楽短期大学」が設立されました。どちらも決して余裕のある時代に作られた学校ではありませんでした。この2つの学校が統合されて「京都市立芸術大学」となるわけですが、本学は創立以来、芸術家や音楽家をはじめ、多彩な領域で活躍する優れた人々を育て、わが国のみならず、世界に送り出してまいりました。
 ちょうど先週の土曜日から、大学附属の芸術資料館展示室で、移転記念特別展として、「京都芸大<はじめて>物語」と題した展覧会が始まりました。明治期に学び、その後日本画壇で大いに活躍した村上華岳、小野竹喬、土田麦僊たちの卒業作品が展示されています。それぞれの学生の頃の作品の充実ぶりに驚かされますが、当時は、産業の急速な発展や、西洋からの影響など、街の景色も社会も、大きく変化する時代であったといえるでしょう。変化はいつの時代も芸術家の好奇心を引き寄せ、新しい表現を促しますが、彼らもまた最先端の情報や思想を吸収しつつ、日本画のあり方を問い直しながら、一人一人が新しさに取り組んできたことが、作品を通して伝わります。美術史に名を残す作家たちが、画学生だった若き日の姿を想うと、悩みながらも挑み続ける現代の学生たち、そしてこれからのみなさんの姿にも重なることに気づくでしょう。この機会に、当時の革新的なエネルギーをぜひ感じていただき、そして、こうした先輩たちに続こうという思いを胸に、これから始まる大学での様々な活動に励んでいただきたいと思います。

 さて、本学は、豊かな自然に囲まれた沓掛から、京都の玄関口にある崇仁に、昨年の秋に移転をいたしました。
 大学は、移転に際し「テラスのような大学」という言葉を掲げました。これは建築や空間としてのテラスに加えて、大学のありようを意図しています。外に向かって開かれていること、バリアがなくて多様な人々が往来できること。日常の視点とは少し異なる、新鮮で創造的な体験や、芸術を軸とした活発な交流ができること。それが本学の姿勢であり、またそれこそが芸術の持つ力なのだと示したいのです。そしてここに根ざして、ここから生み出される芸術を世界に発信していくのだという思いを「テラスのような大学」という言葉にこめています。
 移転計画が進むここ数年間には、コロナ禍や緊迫する国際情勢、急激な物価の高騰など、厳しい状況が続きました。京都の先人たちは、明治期や戦後の混乱期に「厳しいときにこそ、芸術は新しい時代を切り拓く力」と考え、美術や音楽の力で人や街を育てようとしましたが、まさにその思いを引き継いだ今回のキャンパス移転となりました。京都市民や企業・団体、そして差別を受けた複雑で重い歴史があるここ崇仁地域の人々、卒業生や本学関係者など、多くの人々のご理解とご支援で、この移転を後押ししていただきました。
 皆さんには、ぜひ学業の合間に、街に出てあちこちに足を運び、京都に継承された伝統や、革新的な挑戦にたくさん出会ってほしいと思います。そうして、体験したものを、新たな芸術の糧にし、作品や演奏、研究に昇華していただきたいと思います。それが建学以来の少人数教育を貫くことを理解し、本学を支え続けてくださっている京都市と京都市民に還元できる大きな成果であると考えています。

 多くのことを学び、経験できる学生時代は、実はあっという間に過ぎてしまう、短いものです。どうかテラスのようにひらかれた本学のよさを存分に生かして、面白い大学生活を送ってください。変革の時代と言われ、ポスト・コロナに加えて移転したての大学、そうした変化のまっただ中にある皆さんが、京都芸大で学ぶことで、創造力、表現力をより豊かにしていただけますよう、大学をあげて応援いたします。

 最後になりましたが、入学式にご列席いただいたご家族の皆様、並びに関係者の皆様にもお祝いを申し上げます。学生たちは夢の実現のための一歩を、本日踏み出しました。彼らの成長を今後も見守ってくださいますようお願い申し上げて、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。
 本日は誠におめでとうございます。

令和6年4月10日
京都市立芸術大学学長
赤松 玉女