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令和7年度入学式を挙行しました。

2025.04.11

2025年4月10日(木曜日)、令和7年度京都市立芸術大学入学式を執り行いました。

美術学部135名、音楽学部65名、大学院美術研究科修士課程62名、博士(後期)課程6名、大学院音楽研究科修士課程27名、博士(後期)課程5名、の総計300名が、松井孝治京都市長をはじめご来賓の皆様、ご家族の皆様、教職員に温かく見守られ、入学式に参加しました。

開式に際し、阪哲朗教授の指揮により音楽学部の学生有志がP.I.チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」より第4楽章を歓迎演奏として披露しました。代表による宣誓が行われる中、新入生はそれぞれの思いを胸に抱き、期待に満ちた表情で参加していました。

令和7年度入学式 学長式辞

 この晴れの日に、ご入学の皆様、おめでとうございます。また、学生諸君を長らく支えてきてくださっているご家族の皆様、関係者の皆様にもお祝い申し上げます。そして、お忙しい中式に参列いただいている、京都市市長をはじめとするご来賓の方々にも深く感謝申し上げます。

 さて、1年前のちょうど今頃、実は私は体を壊して入院しておりました。ステージ4の癌で余命半年の宣告を受けての入院でした。しかしながら、本当に多くの方々の協力のもと、手術、治療を受け、なんとか奇跡的にサバイバルできました。この療養生活の中で、私の心を支えてくれたもの、たくさんあります。家族や大学の同僚、学生や卒業生達など本当に多くの方々に支えていただきましたが、それと同時に、数多くの音楽やさまざまな種類の本達、映画などの多様な表現に助けられました。心の正気を保つことができ、ポジティブに病と向き合うことができたのです。そう、芸術に救われたのです。

 皆さんは、レジリエンスという言葉を聞いたことがあるでしょうか?昨今の大きな災害の時によく聞く言葉なのですが、「敗北や困難をしなやかにかに乗り越えて回復する力」という意味の言葉です。地震や洪水、山火事などの災害は、理不尽に人々の生活を奪います。また、公害や環境破壊、戦争や紛争、構造的な貧困、差別、など人類が関わる中で生み出される理不尽な困難もあります。現在だけではなく、過去にも数えきれないほどの「理不尽な困難」に人類は見舞われて、その度に、なんとか生き延びてきました。その生き延びる力のことをレジリエンスと呼びます。では、どの様に人類はその困難を乗り越えてきたのでしょうか?

 一つ目は「人類は元々、危機に瀕すると協力をする生き物である」という拍子抜けするような単純なことです。人類だけではなく、動物達もある程度の協力関係は作り出しますが、人類は顕著です。先の阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、奥能登地震などの近しい例を見ても、震災直後から現場では助けあいが起こり、避難所でも協力体制が自然に作られ、外部からも多くの協力が寄せられる。レベッカ・ソルニットという思想家はその状態を「災害ユートピア」という言葉で表現しています。多分、過去の人類も大きな厄災の中でもさまざまな助け合いということが起こって生き延びたということは想像できます。

 二つ目は、厄災の直後から、さまざまな学問の知識や、技術が集約されて活用され始めるという「学問、技術の活性化」ということです。目の前の困難に対して解決を試みる為に、世の中のさまざまな学問や技術が総動員され問題に臨みはじめます。それは火をたく、寝床を作る、食事を作るといったプリミティブな技術から、原子力災害に対応する組織的な科学まで多義にわたって起こります。その様な知識の動きを「リベラルアーツ」と言います。「生きるための技術」。学問とは基本的に全て「リベラルアーツ」なのです。厄災で破壊された日常をどのように取り返していくのかを、緊急から長期にわたるさまざまなレンジで多様に展開が起こります。大きな厄災の度に、あらゆる学問や技術の現場は、揺さぶりを受けて前進をするということを人類は繰り返してきたのだと思います。

 そして三つ目に「芸術」の存在が挙げられます。音楽や美術、身体表現、映像など、さまざまな表現も「生きるための技術」として厄災の現場に集まり活動が始まります。芸術は災害の現場で直接に関わるものもあれば、過去から存在しているさまざまな表現が、人々の心に寄り添ったり、さまざまな形で人々の「生きる力」になったりします。先の東日本大震災や奥能登地震などの中でもさまざまな「芸術」に携わる人々が長きに渡り、協力を続けているのが見受けられます。「芸術」の関与の特徴は、災害の直後よりも、その後の長い復興の最中に、ジワジワと関わるという面があります。ゆっくりと、さまざまな形で、個別に作用する何かが特徴と言えるでしょう。

 私は「芸術」の創造とは、「未来の当たり前」を創ることだと思っています。表現者は世界の美しさや厳しさ、社会の歪みや優しさなどを敏感に感じ取り、そのことを他者と共有できるものに翻訳する。その繰り返しの中で、新たな感覚や価値観、制度が徐々に共有され、未来において、当たり前として享受される。「芸術」には未来が含まれているのです。そのことが、人々の心を前向きに、ポジティブにする作用があり、困難にある人々の心に働きかけるのではないかと思うのです。「芸術」は、困難を抜けた後の新たな世界への道筋を示してくれるのだと思います。事実、昨年の闘病を乗り越えた私は、以前より世界が美しく感じられて、感謝と共に謙虚な気持ちが強くなっています。

 人類は、どんな時代にも、どんな環境の中でも、手拍子を叩き、リズムを刻み、歌を歌い、踊り、物語を紡ぎ、絵を描き、ものを作ってきたのです。そのことを通して、世界との関係を紡ぎ、コミュニティを作ってきたのです。今現在も戦争の最中にある人々や甚大な災害に見舞われた人々の間で歌が歌われ、言葉が紡がれ、協働の心と正気を保つということが共有されているのだと思います。

 皆さんがこれから始める「芸術の創造」という探究の道は、その様な、社会の人々の心と関わりのあることなのです。私たちの大学は、今年で145年の歴史を数える、日本で一番古い歴史を持つ芸術系大学です。過去の先輩達の足跡を辿ると、さまざまな時代の変遷を経て、膨大な「当たり前」を創出してきた歴史が見えてきます。決して平坦な道のりではありません。多分、皆さんの前に広がる未来も平坦なものではないと思われます。探究の道は人生をかけて行う活動、生き方であります。綿々と続く先輩からのバトンを受け継ぎつつ、そのバトンに新しきものを付け加えて、次世代に渡す。そのための学びが本日から始まります。

 本学は1年半前に京都の西の沓掛キャンパスから京都駅の東のこの地に移転を果たしました。文化都市京都の玄関口とも言える場所に芸術大学があること。このことは非常に重要なことであり、大学としてもそのことの意義を常に胸に刻んでおかねばならないことです。本当に素晴らしい学びの空間を作っていただきました。そして、何より地域の方々からも優しく受け入れていただいています。鴨川、桜並木、東山と、美しい風景の中、これから皆さんの学びが始まります。さまざまな社会問題が目の前に広がっていますが、世界はまだまだ本当に美しく、複雑で、優しくて厳しくて、広いのです。ワクワクするような発見をたくさん見つけて出会ってください。そして、良き先輩や仲間と出会ってください。共に、未開の荒野を進む仲間がいるということの喜びに目覚めてください。そして、卒業、修了後から始まる長い探究の道に立ち向かう体力を作り上げてください。ここ、京都市立芸術大学から「未来の当たり前」を一緒に創って行きましょう。この呼びかけを持って入学式の式辞とさせていただきます。

令和7年4月10日
京都市立芸術大学学長 小山田徹